2人の距離①
翌朝、昇降口で蓮を待っていると、彼女はいつもより少し早く現れた。
「おはよう、海斗」
「おはよう。今日は早いな」
「うん。海斗と一緒にいる時間、少しでも長くしたくて」
蓮は恥ずかしそうに笑った。
その言葉が胸に沁みる。俺のために早く来てくれた――それだけで、朝から心が温かくなった。
「それに、今日は特別な日だから」
「特別?」
「お試し期間の折り返し地点」
蓮は俺の手を握った。その手はいつもより暖かく感じて、それと同時に俺の心も穏やかになっていた。
「あと三日で、海斗が答えを出す日」
「……ああ」
俺は頷いた。
三日。もうそんなに時間がない。その事実が、胸に重くのしかかる。でも同時に、答えはもう決まっているような気もしていた。蓮と手を繋いで校舎に入ると、もう誰も驚かなくなっていた。むしろ、微笑ましそうに見守る視線が多かった。
「春川と鈴波副会長、いい感じだよね」
「うん。お似合い」
そんな声が聞こえてくる。
数日前まで針のように刺さっていた視線が、今では温かいものに変わっている。この変化は、まだどこか信じられないような気持ちだった。教室の前で、蓮が立ち止まった。
「じゃあ、昼休みね」
「ああ」
「それと――」
蓮は周りを気にせず、俺の頬にキスをした。
「今日も頑張って」
「お、おう……」
俺が照れていると、蓮はくすりと笑って自分の教室へ向かっていった。
頬に残る柔らかい感触に、俺の顔が熱くなる。周りの視線が気になって、俺は慌てて教室に逃げ込んだ。教室に入ると、クラスメイトたちが一斉に俺を見た。その視線はどれも暖かい視線か、驚きの視線だけで、そこには悪意など全くないように感じた。
「春川、マジで鈴波副会長と付き合ってんだな」
「いいなぁ、羨ましい」
「雪原なんかよりずっといいよ」
好意的な声ばかりだった。
嬉しさと照れくささが入り混じって、俺はどう反応していいか分からなかった。席に着くと、隣の男子が話しかけてきた。
「なぁ、春川。鈴波副会長って、どんな人なんだ?」
「どんなって……」
「いや、俺ら男子からしたら、鈴波副会長ってクールで近寄りがたいイメージあるからさ」
確かに、蓮は普段から無表情で、誰に対しても淡々としている。
でも、俺の前では違う。蓮は笑顔を見せてくれるし、時には恥ずかしそうに頬を染めることもある。その特別感が、俺をくすぐった。
「優しいよ。見た目と違って」
「マジか」
「ああ。気遣いもできるし、話してて楽しい」
俺は正直に答えた。それは心からの本心だった。雪原夢とは違う特別な感情が俺の中で渦巻いていた。そして、なによりそれを強くさせているのが、
「それに、俺のことを信じてくれた」
「そっか……」
男子は感心したように頷くと、俺の肩に手を置いた。
「春川、よかったな。いい彼女見つけて」
「……ああ」
俺も心からそう思っていた。
夢とは比べ物にならない。蓮は、本当の意味で俺を支えてくれている。その事実が、胸を満たしていく。授業が始まり、いつも通りの学校生活が流れていく。でも、数日前とは全く違っていた。
視線は冷たくない。囁き声も悪意がない。
全部、蓮のおかげだった。
彼女がいなければ、俺はまだ地獄の中にいただろう。そう思うと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
※ ※ ※
昼休み、屋上で蓮と合流した。
「お疲れ様」
「蓮も」
二人で並んでフェンスにもたれかかると、蓮が弁当箱を取り出した。
「今日、お弁当作ってきた」
「え?」
「海斗の分も」
蓮は二つの弁当箱を差し出した。
「カップルなんだから、お弁当くらい作るでしょ」
「で、でも……」
驚きと嬉しさで、俺の心臓が跳ねる。蓮が、俺のために弁当を作ってくれた。その事実だけで、胸が温かくなった。
「遠慮しないで。海斗のために作ったんだから」
蓮は少しだけ頬を赤らめた。
「……ありがとう」
俺は弁当箱を受け取り、蓋を開けた。中には、綺麗に詰められたおかずとご飯が入っていた。卵焼き、唐揚げ、ブロッコリー、ミニトマト。彩りも鮮やかだった。
「すごい……」
一つ一つ丁寧に作られているのが分かる。蓮がどれだけ時間をかけてくれたのか、想像するだけで胸が熱くなった。
「口に合うかな」
「いただきます」
俺は箸を取り、卵焼きを口に運んだ。
「……美味い」
「本当?」
「ああ、めちゃくちゃ美味い」
俺は次々とおかずを口に運んだ。
どれも丁寧に作られていて、愛情がこもっているのが分かった。こんなに温かい気持ちで食事をしたのは、いつぶりだろう。夢とのデートでは、いつも味気ないコンビニ弁当ばかりだった。それに比べて、この弁当はどれだけ俺を幸せにしてくれるだろう。
「蓮、料理上手なんだな」
「まあ、一人暮らしだから自炊には慣れてる」
「一人暮らし?」
「うん。両親が海外赴任してて、私だけ日本に残ってるの」
蓮は自分の弁当を食べながら続けた。
「だから、家事は全部自分でやってる」
「大変じゃないか?」
一人で全部やっているなんて、想像するだけで大変だと思った。それなのに、蓮は俺のために弁当まで作ってくれた。
「慣れたら平気。それに――」
蓮は俺を見た。
「今日みたいに、誰かのために料理を作るのは楽しい」
「蓮……」
その言葉が、胸に深く突き刺さる。誰かのために――つまり、俺のために。それがどれだけ嬉しいか、言葉にできないほどだった。
「海斗、もっと食べて。残さないでね」
「ああ、全部食べる」
俺は夢中で弁当を食べた。
夢は、一度も弁当を作ってくれなかった。いつもデートでは外食か、そこらへんで買った弁当だった。でも蓮は、俺のために朝早く起きて弁当を作ってくれた。
その事実が、胸を熱くさせた。
これが本当の愛情なんだ――そう思うと、涙が出そうになった。
「美味しかった。ごちそうさま」
「よかった」
蓮は嬉しそうに微笑んだ。
「明日も作ってくるね」
「え、いいのか?」
「当たり前でしょ。彼女の務めだから」
蓮はそう言うと、俺の手を握った。その手は優しく俺を包み込むようで心地よかった。
「海斗、嬉しい?」
「ああ、すごく」
嬉しいなんて言葉じゃ足りない。胸がいっぱいで、何と言っていいか分からなかった。
「なら、もっと嬉しくさせてあげる」
蓮は立ち上がり、俺の隣に座り直した。
「今日の放課後、私の家に来ない?」
「え!?」
突然の提案に、俺の思考が停止する。蓮の家? 二人きりで?
「変な意味じゃないよ」
蓮は慌てて付け加えた。
「ただ、海斗に手料理を食べてもらいたいなって」
「でも、それって――」
心臓が激しく打っている。蓮の家に行く。それがどういう意味を持つのか、俺にも分かっていた。
「いいでしょ。カップルなんだから、お互いの家を行き来するのは普通」
蓮は真剣な表情で続けた。
「それに、私、海斗ともっと一緒にいたい」
「蓮……」
その言葉に、俺の心が揺れる。蓮も、俺と同じ気持ちでいてくれる。それが嬉しくて、断る理由なんてなかった。
「だめ?」
「……いや、行く」
俺は頷いた。
「蓮の料理、もっと食べたい」
「やった!」
蓮は嬉しそうに笑った。その笑顔を見ていると、俺の中で何かが確信に変わっていくのを感じた。もう、答えは決まっている。
「じゃあ、今日の放課後、楽しみにしててね」
蓮の家。二人きりの時間。それがどんな意味を持つのか、俺はまだ完全には理解していなかった。でも、一つだけ確かなことがある。
蓮と一緒にいたい――その気持ちだけは、疑いようのない真実だった。
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