表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
親友に彼女をNTRられた俺は、俺にだけ優しいクール系ギャルヒロインとお試しで付き合うことになりました。  作者: 沢田美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/111

限界の兆し

 三月六日。選挙活動五日目。


 朝、俺は蓮と一緒に登校した。駅で待ち合わせて、一緒に学校まで登校する。


「ちゃんと寝たか?」


「うん……三時間くらい」


 三時間。喉の奥が苦くなる。


「もっと寝ないと、身体壊すぞ」


「大丈夫だよ」


 言葉だけは軽い。けれど、声は乾いていた。

 大丈夫、という響きが、自分に言い聞かせる呪文みたいに聞こえる。

 “そう言わないと前に進めない”――そんな必死さが混じっていた。


 学校に着くと、蓮は息を整える暇もなく朝の演説の準備に向かった。

 中庭。冬の冷たさがまだ残る空気。吐く息が白く、指先が痺れるはずの温度なのに、蓮の額には汗が浮いていた。


 台の上に立つ。マイクを握る。

 その動きはいつも通り丁寧なのに、身体だけが微細に揺れている。芯がぶれる、というより――支えを失いかけている揺れだった。


「みんな、おはようございます。二年B組の鈴波蓮です」


 声が弱い。昨日よりさらに弱い。

 言葉は綺麗に並んでいるのに、息が追いついていない。喉の奥が細く締まっているように見えた。


 演説が終わった瞬間、蓮の肩が落ちた。

 そして――ふらついた。


 俺は急いで駆け寄る。


「大丈夫か?」


「うん……ちょっと、立ちくらみが」


 頬に血の気がない。唇の色も薄い。

 それでも蓮は、倒れないように歯を噛んで耐えていた。倒れたら“負け”だと言われているみたいに。


「保健室、行こう」


「ダメ。まだ、クラス訪問があるの」


「蓮」


「お願い、海斗」


 必死な目。

 その目の奥にあるものを、俺は読み切れない。

 ただ、言い返せば壊れてしまいそうな張り詰め方だけが分かった。


 ※ ※ ※


 午前中、蓮と一緒に二年生のクラスを回った。


 一つ一つの教室で、蓮は同じように言葉を届ける。

 けれど回るほどに、蓮の顔色は薄くなっていった。

 説明の丁寧さは崩れない。笑顔も作れる。声も出せる。

 ――その代わり、表情の奥が削れていく。


 三つ目のクラスを出た時、蓮が壁にもたれかかった。


「蓮」


「ちょっと……休憩」


 呼吸が荒い。額に汗が滲む。

 目だけが、どこか遠くを見ている。いま目の前にない何かに追い立てられているみたいに。


「無理するな」


「大丈夫……」


 言い方が硬い。

 大丈夫、が“許可”を求めるみたいに響く。俺に対してじゃない。自分自身に。


「蓮、昼休みの演説は休もう」


「ダメ」


 即答だった。


「昼休みの演説は、一番人が集まるの」


「でも……」


「大丈夫だから」


 無理に笑った。笑顔の形だけが残っている。

 目は笑っていない。目が、点数を数えている。


 昼休み。中庭。今日も多くの生徒が集まっていた。


 蓮が台の上に立つ。マイクを持つ手が震えている。

 震えを隠すように、指に力を入れているのが分かった。力を入れすぎて、余計に震える――悪い循環。


「みんな……こんにちは……」


 途切れ途切れ。声が小さい。

 言葉が落ちるたび、蓮の肩がわずかに跳ねる。自分の失敗を叱るように。


「二年B組の……鈴波蓮です……」


 青白い顔。汗が光っている。

 冬の空気が冷たいのに、蓮だけが熱を持っていた。燃えているのではなく、内側から締め付けられて滲み出た熱だ。


「私は……生徒会長に……」


 言葉が止まった。蓮の身体が揺れる。


「蓮!」


 俺は台に駆け寄った。肩を支える。

 その瞬間、蓮の体温が異様に高いのが分かった。熱じゃない。疲労が限界を越えてる温度。


「大丈夫か?」


「うん……ごめん……ちょっと……」


 声が消え入りそうだ。


「演説、中止だ」


「でも……」


「いいから」


 俺は蓮を台から降ろした。

 生徒たちの視線が集まる。心配、戸惑い、ざわめき。

 “見られること”が今の蓮にどれだけ刺さるかを想像して、胃が重くなる。


「すみません、今日の演説は、これで終わります」


 俺がそう言うと、ざわめきが広がった。


「鈴波さん、大丈夫?」


「具合悪そう……」


 その声が耳に刺さる。

 蓮の肩が小さく震えた。恥ずかしさじゃない。自分を責める震えだ。


 俺は蓮を保健室に連れて行った。

 廊下を歩く。靴音が反響して、やけに大きい。

 蓮はその音にすら怯えるみたいに、唇を噛んでいた。


「ごめん……海斗……」


「謝るな」


「でも……演説、途中で……」


「いいんだ」


 保健室に着くと、養護の先生が驚いた顔をした。


「鈴波さん、どうしたの?」


「演説中に、体調を崩して」


「そう……ベッドに寝かせてあげて」


 蓮をベッドに寝かせる。

 先生が額に手を当てた。


「熱はないけど……すごく疲れてるわね」


「はい」


「最近、ちゃんと寝てる?」


 蓮は小さく首を横に振った。


「三時間くらい……しか……」


「それじゃ、ダメよ」


 先生の声が厳しい。


「生徒会長選挙で忙しいのは分かるけど、身体を壊したら元も子もないわよ」


「はい……」


 蓮の声が小さい。

 返事の仕方が、“叱責に慣れている”みたいに整っていた。

 俺はその違和感の理由が分からない。ただ、胸がざらついた。


「今日は、ここで休みなさい。午後の授業も休んで」


「でも……」


「いいから。これは、命令よ」


 命令、という言葉に蓮の肩がびくりと跳ねた。

 そして、反論を飲み込んだ。

 飲み込む速さが異様だった。抵抗するより先に、従う形が身体に染みついているみたいに。


 俺は蓮の隣に座った。手を握る。冷たい。


「ごめんね、海斗……」


「謝るな」


「でも、私……」


 涙が溢れた。


「途中で、倒れちゃって……」


「いいんだ」


 俺は頭を撫でる。


「大事なのは、蓮の身体だ」


「でも……選挙……」


「選挙より、蓮の方が大事だ」


 その言葉に、蓮の表情が歪んだ。

 俺の言葉が嬉しいのに、受け取れない顔。

 “それじゃダメだ”と、どこかから裁かれているみたいな顔。


「海斗……」


「ゆっくり休め」


「うん……」


 蓮は目を閉じた。呼吸が少しずつ整っていく。

 まぶたの裏でまだ何かを数えているように見えて、俺は拳を握りしめた。


 養護の先生が、小声で話しかけてきた。


「春川くん」


「はい」


「鈴波さんのこと、ちゃんと見てあげてね」


「……はい」


「あの子、頑張りすぎる子だから」


 先生の声には、経験の重みがあった。

 “頑張りすぎ”の範囲が、普通よりずっと危うい――そんなニュアンス。


「分かってます」


「お願いね」


 先生はそう言って保健室を出ていった。


 俺は蓮の寝顔を見つめた。

 苦しそうに眉を寄せたまま、眠っている。

 眠っているのに休めていない顔。まるで夢の中でも走らされているみたいだった。


 このままじゃダメだ。蓮が壊れてしまう。

 でも、どうすればいい。止めようとすると蓮は拒否する。

 拒否というより、“休むことを許せない何か”が蓮の中にある。

 俺にはそれが何か分からない。ただ、そこが硬い壁になっているのが分かる。


 ※ ※ ※


 午後の授業が終わり、放課後になった。


 俺は保健室に戻った。蓮はまだ寝ていた。

 寝顔は少し穏やかになっている。

 それが救いで、同時に恐ろしい。眠ってやっと穏やかになる程度に、日中が張り詰めすぎている。


「蓮」


 小声で呼びかけると、蓮の目がゆっくりと開いた。


「海斗……」


「気分は、どうだ?」


「うん……少し、よくなった」


 起き上がろうとする。

 俺が止める。


「まだ、休んでろ」


「でも、もう授業終わったでしょ」


「それでも」


「今日の活動、まだ残ってるの」


 焦っている目。

 焦りの奥に、恐怖が見える。遅れたら終わる、みたいな恐怖。


「今日は休もう」


「ダメ」


 首を横に振る。


「放課後の演説があるの」


「蓮」


「お願い、海斗」


 懇願する目。

 俺は言葉を失った。

 蓮の中で何かが鳴っている。警報みたいな音が。

 その音の正体を、俺は知らない。


「今日休んだら、もっと遅れちゃう」


「……」


「神崎くんは、今日も活動してる」


 声が震える。


「私だけ、休むわけにいかない」


 その“いかない”が、決意じゃなく罰則みたいに響く。


 俺は何も言えなくなった。

 止めれば、蓮が自分を責める。

 責め方が危険だと分かるのに、俺には止める論理が足りない。


「分かった」


 ため息が漏れた。


「でも、無理はするな」


「うん」


 蓮はベッドから降りた。足元が少しふらつく。

 それでも前へ進もうとする。前へ進む以外の選択肢を持たないみたいに。


 放課後の演説。中庭。生徒は昼休みより少ない。


 蓮が台の上に立つ。その表情が疲れている。

 そして、その疲れを押し隠すように、口角だけを上げた。


「みんな、こんにちは……」


 声が弱い。

 弱いのに、言葉だけは丁寧に整えようとしている。

 整えるほど、息が削れる。


 演説が進むにつれて、生徒たちがざわめき始めた。


「鈴波さん、大丈夫かな」


「さっき、保健室にいたらしいよ」


「無理してるんじゃない?」


 その声が俺の耳に届く。

 蓮にも届いているはずだ。

 届いて、それでも蓮は止まらない。止まれない。


 演説が終わると、まばらな拍手が起こった。昨日よりさらに小さい拍手。


 蓮が台から降りる。表情が落ち込んでいる。

 落ち込み方が、失敗を許さない人のそれだった。

 “結果”の前で、自分の価値を切り刻む顔。


「お疲れ様」


「……ありがとう」


 声が小さい。


「今日は、帰ろう」


「うん……」


 力なく頷く。


 ※ ※ ※


 駅までの道のりを二人で歩いた。


 蓮が俺の腕にしがみついている。身体が重い。

 重いのに、心はまだ走っている感じがする。足が止まっても、内側の時計だけが進み続けている。


「ねえ、海斗」


「ん?」


「私……ダメかもしれない」


 声が震える。


「今日の演説……全然、ダメだった」


「そんなことない」


「みんな、心配そうに見てた」


 涙が溢れる。


「こんなんじゃ、勝てない」


「蓮」


「神崎くんは、毎日元気に活動してる」


 声が小さくなる。


「私は……もう、ボロボロ」


「……」


「どうして……私は、こんなに弱いんだろう」


 涙が止まらない。


 俺は蓮を抱きしめた。人通りの多い道。でも構わない。


「蓮は、弱くない」


 はっきり言う。


「すごく、頑張ってる」


「でも……」


「頑張りすぎてるんだ」


 その言葉に、蓮が顔を上げた。

 “頑張りすぎ”という言葉が、救いじゃなく、怖い判決みたいに刺さった顔だった。

 頑張るのをやめた瞬間に、自分が許されなくなる――そんな顔。


「もう少し、ペースを落とそう」


「でも……」


「このままじゃ、本当に倒れる」


 蓮は黙り込んだ。


「投票日まで、あと四日ある」


 俺は蓮の肩を掴む。


「焦るな。蓮のペースで、やればいい」


「でも……勝てなかったら……」


「勝ち負けより、蓮が大事だ」


 また涙が溢れた。


「海斗……」


「今日は、早く帰って休め」


「うん……」


 小さく頷く。


 駅で別れて、俺は一人で帰路についた。


 蓮のこと。その姿が頭から離れない。

 今日見えたのは、“限界の兆し”じゃない。

 限界そのものが、もう輪郭を持って立っていた。


 このままじゃ、本当に倒れる。

 その予感が、確信に近づいていくのを感じながら、俺は夜の空気を吸い込んだ。


 冷たい。

 それなのに胸の奥だけが、妙に熱かった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ