屋上で君と食べた弁当が、世界で一番あったかい
二月七日。
バレンタインまで、あと一週間。
昼休みの屋上には、冬の風が流れていた。
灰色の雲が空を覆い、冷気が肌を刺す。けれど、蓮と並んで弁当を広げていると、不思議と寒さは気にならなかった。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「バレンタイン、もうすぐだね」
蓮の瞳が、冬空の光を映してきらめいた。
頬にかかった前髪が揺れ、笑みがこぼれる。
「ああ。準備は順調か?」
「うん。みんなのおかげで、すごく順調」
その声には、確かな充実感があった。
あの日の涙が嘘のように、今の彼女は穏やかで強い。
「当日が楽しみだね」
「ああ」
風が吹くたびに、二人の弁当の匂いが少し混ざり合った。
そのささやかな時間が、どこか永遠に続いてほしいと思った。
――その時。
ガチャリと、屋上のドアが開いた。
冷たい風と一緒に、明るい声が響く。
「蓮ちゃん!」
振り向くと、ギャル風の女子が立っていた。
茶髪にアクセサリー。だが、その瞳だけは真っ直ぐで、芯のある光を宿している。
「凛音ちゃん!」
蓮が笑顔で手を振る。
橘凛音――俺と蓮の友人。かつて体育祭の頃、彼女は蓮と衝突していた。
互いの感情が入り混じり、俺を挟んで距離ができたこともあった。
けれど、今は違う。
互いに理解し合い、信頼を得た。あの時の痛みを超えて。
「やっぱりここか。教室探したけどいなかったから」
凛音は息を整え、俺たちの方へ歩み寄る。
その仕草がどこか柔らかい。
「邪魔してる?」
「ううん、全然。一緒に食べよう」
蓮が笑顔で招くと、凛音は小さく頷いて向かいに腰を下ろした。
「お邪魔するね」
彼女が取り出した弁当は意外にも丁寧で、彩り豊かだった。
ギャルの外見に反して、几帳面な一面が垣間見える。
「凛音ちゃん、お弁当可愛い」
「まあね。一応、女子力は保ってるつもりだから」
得意げな笑みを浮かべる凛音の表情は、以前よりずっと穏やかだった。
三人で弁当を食べながら、やがて自然に会話が流れ出す。
「バレンタインイベント、準備大変そうだね」
凛音が問いかける声には、さりげない気遣いが滲んでいた。
「うん、でも大丈夫。みんなが協力してくれてるから」
「そっか。無理しないでね」
「ありがとう、凛音ちゃん」
蓮の笑顔を見て、凛音もほんの少しだけ口元を緩めた。
「春川くん」
ふいに、凛音の視線が俺に向く。
その目は真剣で、どこか大人びていた。
「ちゃんと蓮ちゃんのこと、支えてあげてね」
「ああ、もちろん」
「蓮ちゃんは、頑張りすぎるタイプだから」
「分かってる」
短いやりとりだったが、その一言に凛音の優しさが詰まっていた。
彼女もまた、誰かの痛みを知っている。
「なら、いいわ」
凛音は満足そうに微笑み、弁当に箸を伸ばした。
「ねえ、凛音ちゃんは誰かにバレンタイン渡すの?」
蓮の問いに、凛音は少しだけ考える素振りを見せた。
「まあ、一応ね」
「誰に?」
「それは秘密」
軽く笑った凛音の横顔は、どこか切なげだった。
誰かを思いながらも、踏み出せない感情が見え隠れする。
「ありがとうね、凛音ちゃん。いつも私のこと気にかけてくれて」
蓮がふと口にすると、凛音は目を見開いた。
驚き、そして照れを隠すように顔を逸らす。
「別に。当たり前のことしてるだけよ」
「でも、嬉しい」
蓮は優しく微笑み、凛音の手を握った。
その瞬間、冬の屋上に小さな温もりが灯った。
「まあ……友達だしね」
凛音が小さく呟く。その声は、かつての棘を失っていた。
昼休みの時間が、ゆっくりと過ぎていく。
風は冷たいのに、心は穏やかだった。
※ ※ ※
放課後。
生徒会室では、蓮と俺がイベントの最終確認をしていた。
机の上には、山のような資料。静かなBGMのように、ペンの走る音が響く。
「チョコレート配布の動線は、これでいいかな」
「ああ、問題ないと思う」
その時、軽くノックの音がした。
「失礼します」
ドアを開けたのは――凛音だった。
手に何枚かの書類を抱えている。
「凛音ちゃん?」
「ちょっと、藤崎先輩に頼まれて。これ、持ってきた」
書類を蓮に渡すと、彼女は室内を一瞥する。
視線が俺と蓮を交互に行き来し、少し微笑んだ。
「二人とも、頑張ってるね」
「うん。もうすぐだから」
「そっか……何か、手伝えることある?」
意外な申し出だった。
蓮は一瞬驚いた表情を浮かべる。
「え? いいの?」
「まあ、暇だし」
そっけない口調の裏で、凛音の目は優しい光を帯びていた。
「じゃあ、これお願いできる?」
蓮が応募用紙の整理を頼むと、凛音は無言で頷き、作業を始めた。
その手際は丁寧で、几帳面。
静かな時間が流れる。ペンと紙の音が、まるで三人の呼吸を揃えるリズムのようだった。
「できたよ」
凛音が差し出した書類は、きっちりと整えられていた。
「ありがとう、凛音ちゃん。すごく助かった」
「別に、これくらい」
口調は相変わらず淡々としている。
けれど、その頬にかすかな満足の色が見えた。
「今日は本当にありがとう」
「気にしないで」
凛音はドアの前で一度立ち止まり、振り返った。
「蓮ちゃん」
「ん?」
「バレンタイン、楽しみにしてるから」
短い言葉に、温かい応援が込められていた。
蓮は嬉しそうに微笑み、深く頷く。
「うん。絶対、成功させるね」
「頑張って」
凛音は軽く手を振り、生徒会室を後にした。
閉まる扉の音が、静かに響く。
蓮はしばらくその背中を見つめ、そっと息を吐いた。
「凛音ちゃん、優しいね」
「ああ」
「体育祭の時は、ぎくしゃくしてたけど……今は本当に仲良くなれた」
蓮の声が、柔らかく微笑んでいる。
「それは、よかったな」
「うん」
蓮が俺を見上げる。
その目には、深い感謝が宿っていた。
「海斗のおかげでもあるよ」
「俺?」
「うん。海斗が間にいてくれたから、私たちはちゃんと向き合えたの」
そう言って、蓮は俺の手を取った。
温もりが指先から広がる。
「ありがとう、海斗」
その言葉はまっすぐに心に届いた。
「どういたしまして」
俺は蓮を抱きしめた。
その身体が、俺の胸の中にしっくりと収まる。
もう、不安も過去の影もない。
――凛音と蓮。
かつて対立した二人が、今では支え合う友になった。
その光景が、何より嬉しかった。
バレンタインまで、あと一週間。
冷たい冬の空の下で、確かな絆だけが温かく息づいていた。
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