バレンタインより甘い約束
一月十八日。
三回目のミーティングが開かれた。
窓の外では、冬の雨が静かに降り続いていた。
冷たい雨粒が窓を叩くたびに、薄い硝子越しに鈍い音が響く。
白い息を吐きながら生徒会の面々が席に着くと、部屋の空気が一気に引き締まった。
「さて、各自の進捗を確認しよう」
桐谷会長の声が響く。
その低い声は、雨音に混じりながらも、確かな重みを持って部屋を支配していた。
「藤崎、チョコレート配布システムの状況は?」
「はい。応募用紙の配布を開始しました。すでに五十件以上の応募があります」
藤崎書記が手元の資料を広げ、淡々と報告する。
ページをめくる音が、静寂の中に小さく鳴った。
「いいな。このペースなら目標の二百件は達成できそうだ」
「はい。引き続き、広報活動を続けます」
「野村、予算は?」
「問題ありません。装飾費用と軽食費用を合わせても、予算内で収まります」
野村会計の報告は、いつもながら正確だった。
数字の整った書類の上を、蛍光灯の光が淡く滑っていく。
「春川、会場設営の準備は?」
「はい。装飾品の発注を済ませました。二月十日に納品予定です。音響設備の確認も来週行います」
俺は書類を差し出した。
会長が目を通し、短く頷く。
「いいな。順調だ」
その声に、室内の緊張が少しだけ和らいだ。
「鈴波、全体の進捗は?」
「はい」
蓮が立ち上がる。
窓の外の雨に負けないくらい澄んだ声が、部屋の空気を一新した。
「全体として順調に進んでいます。各部門の連携も取れており、予定通り二月十四日に開催できます」
彼女の言葉には、自信と落ち着きがあった。
前のように肩に力が入りすぎてはいない。
それが何より、嬉しかった。
「ただ、一点相談があります」
「何だ?」
「バレンタインパーティーの司会を、誰かにお願いしたいのですが」
その一言に、会議室の空気が少しだけ動いた。
蓮は軽く視線を伏せ、静かに続けた。
「私が全体の統括をしているので、当日は他のことに手が回らなくて」
「なるほど。……じゃあ、藤崎。お前がやってくれないか?」
「私ですか? いいですけど……」
「お前、人前で話すのも得意だろ」
「まあ、そうですけど」
藤崎は頬を少し赤らめ、照れたように笑った。
その笑い声に、部屋の空気がわずかに明るくなる。
「じゃあ、決まりだな。藤崎、頼んだぞ」
「分かりました」
「鈴波、他に何かあるか?」
「いえ、以上です」
蓮は小さく頭を下げて席に戻った。
その横顔には、安堵の色が浮かんでいる。
「よし。では次回のミーティングは二月一日だ。それまでに各自しっかり準備を進めてくれ」
「はい!」
全員の声が重なった瞬間、外の雨音が一段と強くなった。
まるで、彼らの努力を祝福するように。
※ ※ ※
ミーティングが終わり、藤崎と野村がそれぞれ荷物をまとめて出ていった。
会長も「頼んだぞ」と一言残し、静かに扉を閉める。
生徒会室には、俺と蓮だけが残った。
蓮は机の上の資料を丁寧に整理していた。
その指先の動きが、驚くほど落ち着いている。
もう焦りも不安も感じられなかった。
「蓮、調子良さそうだな」
「うん。海斗のおかげ」
蓮が顔を上げ、柔らかく笑った。
その笑みは、以前のような無理な明るさではない。
本当に心からの笑顔だった。
「あの日、海斗に支えてもらって、すごく楽になったの」
「……」
「それからね、ちゃんとみんなに相談するようにしたの。会長にも作業の分担を頼んだし、藤崎さんや野村さんにも任せるようにした」
「いいことだな」
「うん。そうしたら、すごく楽になった。一人で抱え込んでた時は、息が詰まりそうだったけど……今は違う。みんながいるって、こんなに安心できるんだね」
蓮の言葉には、優しい光が宿っていた。
俺は静かに手を伸ばし、彼女の頭を撫でる。
「海斗、ありがとう」
「どういたしまして」
蓮は小さく息を吐き、次の瞬間、そっと俺を抱きしめた。
彼女の体温が、冬の冷気を遠ざけていく。
「これからも、よろしくね」
「ああ、もちろん」
そのまま、二人でしばらく動かずにいた。
時計の秒針が進む音が、やけに穏やかに聞こえた。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「今日、一緒に帰ろう」
「ああ」
二人で部屋を出る。
廊下にはまだ雨の匂いが残っていた。
外では、冷たい雨がしとしとと降り続いている。
それでも、蓮の隣を歩くと、不思議と寒さは感じなかった。
※ ※ ※
駅までの道。
一つの傘の下、肩を寄せ合いながら歩いた。
蓮の髪に落ちた雨粒が、街灯の光を受けて淡く輝いている。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「バレンタイン、楽しみだね」
その瞳には、期待の光があった。
「ああ」
「イベントの準備も、あと少しで終わる」
「順調だな」
「うん。みんなのおかげ。……そして、海斗のおかげ」
「俺は、何もしてないよ」
「ううん、してる」
蓮は俺の腕をぎゅっと掴んだ。
その力は優しくて、でも確かだった。
「海斗がいてくれるだけで、私は頑張れる」
「蓮……」
「海斗が支えてくれるから、私は前に進める」
その言葉に、胸が熱くなった。
雨の音も、街の喧騒も、すべてが遠ざかっていく。
「ありがとう、海斗」
「俺も、蓮に支えられてるよ」
「え?」
「蓮がいるから、俺も頑張れる。蓮の笑顔を見ると、俺も嬉しくなる」
その一言で、蓮の瞳から涙がこぼれた。
だが、それはもう悲しみの涙ではなかった。
穏やかで、温かい、安堵の涙だった。
「ありがとう……」
蓮は俺の胸に顔を埋める。
その吐息が、コート越しに伝わってくる。
「愛してる、海斗」
「俺も、愛してる。蓮」
雨音が、遠くで拍手のように響いた。
二人だけの世界に、冬の街が静かに溶け込んでいく。
※ ※ ※
二月一日。
四回目のミーティングの日。
今度は晴れだった。
冬の青空が高く、ガラス窓に反射して眩しい。
生徒会室の空気にも、どこか張り詰めた期待が漂っていた。
「さて、最終確認だ」
桐谷会長の声が、会議の始まりを告げる。
机の上の資料を一斉に開く音が重なった。
「バレンタインイベントまで、あと二週間」
全員の背筋が伸びる。
「藤崎、チョコレート配布システムの応募状況は?」
「はい。現時点で百八十件の応募があります」
「目標の二百件まで、あと少しだな。引き続き広報を頼む」
「了解です」
「野村、予算の最終確認は?」
「問題ありません。全ての支出が予算内で収まっています」
「春川、会場設営の準備は?」
「はい。装飾品が納品され、音響設備の確認も完了しました。あとは当日の設営のみです」
「いい。完璧だ」
会長の声に、全員の顔が引き締まる。
「鈴波、全体の最終確認を」
「はい」
蓮が立ち上がった。
その姿には、以前にはなかった堂々とした自信があった。
「全部門の準備が順調に進んでいます。予定通り、二月十四日に開催可能です」
彼女の声が明瞭に響き、全員が真剣に耳を傾ける。
ホワイトボードに書かれるスケジュール。
マーカーの擦れる音が、期待の鼓動のように心に残った。
「昼休み、十二時半から一時までチョコレート配布。
放課後、三時半から五時までバレンタインパーティー」
彼女の説明は明確で、誰もが安心して頷いた。
「以上です」
席に戻った蓮の表情は、柔らかく、それでいて誇らしげだった。
「よし、完璧だ。みんな、よく頑張った。あとは、当日を成功させるだけだ」
「はい!」
全員の声が重なり、生徒会室に響く。
窓の外の青空が、その声を吸い込むように広がっていった。
バレンタインイベントまで、あと二週間。
すべての歯車は、確かに動き始めていた。
その先に待つ「本番」――そして、それぞれの想いが交差する日を、誰もが胸の奥で待ち望んでいた。
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