それは依存であり、恋ではなかった
駅前のカフェに着くと、蓮は迷わず奥の席を選んだ。俺もその後を迷わずついて行く。
「ここなら、周りの目も気にならないでしょ」
「ああ……助かる」
俺たちは向かい合って座った。メニューを眺めながら、蓮が口を開く。
「海斗は何飲む?」
「アイスコーヒーでいいかな」
「分かった。私はカフェラテにする」
蓮は店員を呼んで注文すると、俺の方に視線を向けた。その目は真剣な眼差しであり、俺は少しだけ身構えた。
「ねえ、海斗。聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「雪原夢と付き合ってた時、楽しかった?」
突然の質問に、俺は言葉に詰まった。夢との出会いから3年間の偽りの青春の日々の数々。そのどれもが俺にとってかけがえのないものだったはずだ。
「それは……」
「正直に答えて。私、あんたのこと知りたいから」
蓮の真剣な眼差しに、俺は正直に答えることにした。
「最初の頃は、楽しかった。夢は俺の理想の彼女だったし、一緒にいるだけで幸せだった」
「最初の頃は、ってことは?」
「……途中から、何か違和感があったんだ」
俺は視線を落とした。これまでの夢という女の行い、言葉、そして、俺が彼女にしてきた行動の数々。
「夢が欲しがるものを買ってあげて、デートの計画も全部俺が立てて。それなのに、夢からは何も返ってこなかった」
「何も?」
「ああ。感謝の言葉はあった。でも、それだけ。夢から何かしてくれることは、ほとんどなかった」
言葉にして初めて、俺は気づいた。それがどれだけ夢という女にとって、俺という男が都合のいい存在で、扱いやすい人間だということを。
「俺、多分……都合のいい財布だったんだと思う」
「……やっぱりね」
蓮はため息をついた。
「私から見ても、あいつは明らかに海斗を利用してた。でも、海斗は気づかなかった」
「気づきたくなかったのかもしれない」
気づきたくもない事実――いや本当は知っていてもなおそれを見て見ぬふりをしていた俺は苦笑した。
「認めたくなかったんだ。自分が都合よく使われてるって」
「そっか」
蓮は静かに頷いた。
そこへ、店員が飲み物を運んできた。蓮はカフェラテを一口飲むと、俺を見つめた。
「ねえ、海斗。一つ約束して」
「約束?」
「私は、海斗を都合よく使ったりしない。だから、海斗も私を信じて」
蓮の言葉に、俺は目を見開いた。彼女がどれだけ俺の事を想っていて、俺のことをこれほどまでに信頼してくれていることに言葉を失った。
「蓮……」
「私たち、お試しで付き合ってる。でも、その間は本物のカップルとして向き合いたい」
蓮は真剣な表情で続けた。
「海斗が何か嫌なことがあったら言って。我慢しないで。それが、対等な関係ってことだから」
「……分かった」
俺は頷いた。
「じゃあ、俺からも一つ聞いていい?」
「何?」
「蓮は、なんで俺なんだ? もっといい男、たくさんいるだろ」
疑問だったことを彼女に問いかける。蓮は少しだけ頬を赤らめた。
「……海斗が、優しかったから」
「優しい?」
「うん。生徒会の仕事で一緒になった時、海斗はいつも気を遣ってくれた」
蓮はカフェラテのカップを両手で包んだ。
「重い荷物を持ってくれたり、資料整理を手伝ってくれたり。それに――」
彼女は視線を落とした。
「私が疲れてる時、何も言わずにお茶を淹れてくれたこともあった」
「ああ、あの時か」
俺は思い出した。蓮が資料整理で夜遅くまで残っていた時、俺は生徒会室のポットでお茶を淹れて渡したことがあった。
「あれ、すごく嬉しかった」
蓮は顔を上げた。
「海斗は、見返りを求めずに人に優しくできる。そういうところが、好きになった理由」
「でも、それって――」
「お人好しだって言いたいんでしょ? 分かってる」
蓮はくすりと笑った。その優しく笑っている彼女の顔がどうも愛おしく思えてきた。
「でも、そのお人好しなところが、私は好き。だから、これからはそのお人好しを私だけに向けてほしい」
「蓮だけに……」
「そ。他の人に優しくするのは構わないけど、一番は私にして」
蓮は少しだけ頬を膨らませた。
「それが、彼女の特権でしょ?」
その表情が可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
「……今、笑った?」
「あ、ごめん」
「謝らなくていい。むしろ嬉しい」
蓮は嬉しそうに微笑んだ。
「海斗の笑顔、初めて見た。もっと見たい」
「そんなに笑ってなかったか、俺」
「全然。いつも真面目な顔してた」
蓮はストローでカフェラテをかき混ぜながら続けた。そして、彼女は俺を見て俺の眼の奥を見るような視線を送る。
「多分、雪原夢の前では笑えなかったんだと思う」
「……そうかもしれない」
俺はアイスコーヒーを飲んだ。
「夢の前では、いつも気を遣ってた。嫌われたくなくて、必死だった」
「それ、恋愛じゃないよ」
蓮はきっぱりと言った。
「本当の恋愛は、お互いが対等で、お互いが素でいられるもの。一方的に気を遣うのは、ただの依存」
「依存……」
「海斗は、雪原夢に依存してた。そして雪原夢は、海斗を利用してた」
蓮の言葉が、俺の胸に突き刺さる。確かに俺にとって雪原夢という存在は必要不可欠な存在であり、彼女なしの生活を想像もしたことがなかった――それを依存と言われても違和感はない。
「でも、それは終わった。これからは、新しい関係を築けばいい」
「新しい関係……」
「うん。私と海斗の、対等な関係」
蓮は俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「一週間、私と一緒にいて。そうすれば、本当の恋愛がどういうものか分かるから」
「……ああ」
俺は頷いた。
※ ※ ※
カフェを出ると、すっかり日が暮れていた。
駅までの道を、二人で並んで歩く。蓮が自然に俺の手を握ってきた。その自然さに思わず胸がドキッと高鳴った。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「明日、学校で何か言われても気にしないで」
「何か言われるって?」
「多分、雪原夢が何か仕掛けてくる」
蓮は前を向いたまま言った。それはまるで予想や予感じゃなくて確固たる確信のようなものを感じた。
「あいつ、私たちが付き合ってるの知って、黙ってないと思う」
「そっか……」
「でも大丈夫。私が守るから」
蓮は俺の手をぎゅっと握り締めた。
「海斗は、私の隣にいればいい。それだけで十分」
「蓮……」
「それに――」
蓮は立ち止まり、俺の方を向いた。強気な彼女の顔が夕日に照らされる。それを見て思わず固唾を呑んだ。
「もし雪原夢が何か言ってきたら、私が全部論破してやる」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
「蓮、頼もしいな」
「当たり前でしょ。私、生徒会副会長だよ?」
蓮は得意げに胸を張った。
「ディベートなら負けない自信ある。雪原夢なんて、一瞬で黙らせてやる」
「でも、無理はしないでくれよ」
「心配性だね、海斗は」
蓮はくすりと笑った。
「大丈夫。私、見た目より強いから」
駅に着き、改札の前で立ち止まった。
「じゃあ、また明日」
「ああ、また明日」
そう言って別れようとした時、蓮が俺の腕を掴んだ。
「待って」
「ん?」
「……もう一つだけ、いい?」
蓮は少しだけ頬を赤らめながら、俺に近づいてきた。距離が近い、彼女のいい匂いがする。そして、蓮は優しい目をした。
「明日も、朝一緒に登校しよう。昇降口で待ち合わせ」
「分かった」
「それと――」
蓮は躊躇いがちに言葉を続けた。
「今日、ありがとう。一緒にいてくれて」
「俺の方こそ、ありがとう」
俺は素直に礼を言った。
「蓮のおかげで、少しだけ前を向けた気がする」
「……そっか」
蓮は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、明日も頑張ろうね」
「ああ」
手を振って別れた後、俺は一人で電車に乗った。
※ ※ ※
車窓から流れる夜景を眺めながら、俺は今日一日を振り返った。
蓮と過ごした時間は、夢と過ごした3年間とは全く違っていた。
気を遣わなくていい。素でいられる。そして――対等でいられる。それがどれだけ俺にとって、心の平穏になっているのかようやく実感できた。
「これが、本当の恋愛なのか……」
呟いた言葉が、車内に消えていった。
家に帰り、ベッドに横になる。スマホを見ると、蓮からメッセージが届いていた。
『今日はお疲れ様。また明日ね』
短い文章だったが、それだけで心が温かくなった。
俺は返信を打った。
『ありがとう。明日も、よろしく』
送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。
そして、スタンプが一つ。笑顔のスタンプだった。
「蓮……」
俺は思わず、スマホを抱きしめた。
昨日まで絶望していた俺が、今は少しだけ明日が楽しみになっている。あの日までの絶望と恐怖を上書きするように、俺の心は安らぎに包まれていた。
それは全て、蓮のおかげだった。
「一週間か……」
お試し期間は、あと六日。
その間に、俺は答えを出さなければならない。
蓮と本当に付き合うのか。それとも――
でも今は、まだ分からない。
ただ一つだけ確かなことは、蓮と一緒にいると、心が落ち着くということ。
それだけで、今は十分だった。
「明日も、頑張ろう」
呟いて、俺は目を閉じた。
明日はどんな一日になるのか。
少しだけ、期待している自分がいた。
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