お試しから始まる恋人
「気になってた……って」
蓮の言葉に、俺は思わず聞き返した。
「そのまんまの意味」
蓮は相変わらず淡々とした口調で答えると、窓際の椅子に座り直した。夕日が彼女の横顔を照らし出す。
「半年前から、あんたのこと見てた。生徒会の仕事で一緒になることが増えて、なんとなく気になるようになった」
「でも俺、夢と付き合ってて――」
「知ってる。だから何もしなかった。ていうか、できなかった」
蓮は髪をいじりながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「でも正直、雪原夢とあんたが釣り合ってるとは思えなかった。あいつ、明らかにあんたを都合よく使ってたし」
「……」
「昨日、教室の前を通りかかった時、あんたが資料抱えてショック受けてるの見て。ああ、やっぱりって思った」
蓮の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
「海斗。あんた、このまま学校で孤立するつもり?」
「いや、でも……どうしようもないじゃないですか。もうデマが広まっちゃって」
「だから、私が味方になるって言ってるの」
蓮は立ち上がると、俺の目の前に来た。
「具体的には――私と付き合って」
「は……!?」
思わず椅子から立ち上がった。蓮は動じることなく、いつもの無表情で続けた。
「正確には、付き合ってるフリ。お試しでいい」
「ちょ、ちょっと待ってください! 意味が分からないんですけど!」
「落ち着いて。説明するから」
蓮は俺を座らせると、自分も椅子に腰を下ろした。
「今のあんた、学校中から白い目で見られてる。雪原夢のデマのせいでね」
「……はい」
「でも、私があんたの味方だって周りに示せば、状況は変わる」
「どういうことですか?」
「私、一応生徒会副会長で、成績も悪くない。それに、校内である程度は発言力がある。そんな私があんたと付き合えば――」
蓮は指を一本立てた。
「まず、私があんたを選んだという事実が、デマへの反証になる。私が暴力男や金にがめつい男と付き合うわけないって、みんな思うから」
「それは……確かに」
「それに、雪原夢のデマも勢いを失う。だって、被害者のはずの元彼女よりも早く、あんたに新しい彼女ができたってことになるから」
蓮の説明は、恐ろしいほど理路整然としていた。
「つまり、復讐……ってこと?」
「違う。これは防衛策。あんたを守るための」
蓮は首を横に振った。
「私は雪原夢を許せない。人を陥れるようなデマを流して、平気な顔してるやつが許せない。だから、あんたの味方になりたい」
「でも、蓮さんにメリットないじゃないですか」
「ある」
即答だった。
「私、あんたのこと好きだから」
「え……」
「だから、お試しで付き合ってほしい。本当に付き付き合えるかどうか、お互い確かめる期間として」
蓮の頬が、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
「あんたが私のこと嫌いなら断っていい。でも、もし少しでも――私を頼ってもいいって思えるなら、この提案を受け入れてほしい」
俺は混乱していた。
昨日まで夢と付き合っていた。今日、デマで学校中の敵になった。そして今、生徒会副会長から告白とも提案ともつかない言葉を投げかけられている。
「蓮さん……俺、昨日振られたばっかりで――」
「分かってる。だから、お試しでいいって言ってるの」
蓮は俺の目をじっと見つめた。
「海斗。あんた、このまま一人で耐えられる?」
「それは……」
「無理でしょ。人間、一人じゃ生きていけない。特にあんたみたいなお人好しは」
図星だった。
今日一日、誰とも話さず、視線に耐え続けた。もうこれ以上、一人で戦う自信がなかった。
「……でも、蓮さんまで巻き込みたくない」
「巻き込まれたいから、こうして提案してるの」
蓮はため息をついた。
「いい? 私は自分の意思であんたを助けたい。それに――」
彼女は少しだけ表情を緩めた。
「あんたと一緒にいたいって、半年前から思ってた。だから、これは私にとってもチャンスなの」
「チャンス……」
「そ。あんたが私のことをどう思うか知るチャンス。だから、お試しでいい。一週間だけ、私と付き合ってみて」
蓮は真剣な表情で続けた。
「一週間後、あんたが無理だと思ったら終わりにする。でも、もし少しでも続けられそうだと思ったら――その時は、本当に付き合ってほしい」
「一週間……」
「うん。その間、私があんたの隣にいる。学校でも、放課後でも。そうすれば、少なくともデマは沈静化する」
蓮の提案は、確かに理にかなっていた。
でも、俺には引っかかることがあった。
「蓮さん、本当にいいんですか? 俺みたいな、昨日振られたばっかりの男で」
「いいも何も、それが目的だから」
蓮はきっぱりと言い切った。
「海斗。あんた、自分を卑下しすぎ。確かに雪原夢に振られた。でも、それはあんたが悪いわけじゃない」
「でも――」
「あいつが最低だっただけ。あんたは何も悪くない」
蓮の言葉が、胸に染み込んでいく。
「だから、もっと自分を大切にして。そして――私を、使って」
「使うって……」
「私を盾にして、デマから身を守って。その代わり、一週間だけ私の隣にいて」
蓮は手を差し出した。
「どう? 取引成立する?」
俺は蓮の手を見つめた。
白くて細い指。でも、その手は確かに俺に差し伸べられている。夢には裏切られた。傑にも裏切られた。でも――
「……本当に、いいんですか」
「しつこい。いいって言ってるでしょ」
蓮は少しだけ頬を膨らませた。その表情が、いつもの無表情とは違って見えて。
俺は、ゆっくりと手を伸ばした。
「じゃあ……お願いします」
「……うん」
蓮の手が、俺の手を握り返した。
「明日から、私があんたの彼女。お試しだけどね」
「はい」
「それと、敬語やめて。彼氏彼女なのに敬語とか、おかしいから」
「あ、うん……分かった」
「よし。じゃあ明日、昇降口で待ち合わせね」
蓮は立ち上がると、鞄を手に取った。
「海斗」
「ん?」
「あんた、絶対に一人じゃない。それだけは忘れないで」
夕日を背にした蓮が、初めて見せる柔らかな笑顔で俺を見つめていた。
「私が、ずっと隣にいるから」
生徒会室を出た俺は、久しぶりに少しだけ前を向けた気がした。
昨日までの世界は崩れ去った。でも、新しい何かが始まろうとしている。それが本物になるかどうかは、これからの一週間次第だった。
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