俺の隣は既に埋まっている
文化祭まで残り五日。
生徒会室は慌ただしい空気に包まれていた。窓の外からは、準備に励む生徒たちの声が聞こえてくる。校舎全体が、文化祭に向けて動いている。そんな熱気が、生徒会室にも流れ込んでくるようだった。
「各クラスの準備状況、最終確認です」
蓮が資料を広げた。
その真剣な横顔を見ていると、胸が熱くなる。蓮は、本当に一生懸命だ。生徒会副会長として、みんなのために全力で働いている。
「ほとんどのクラスが順調に進んでますが……」
「問題があるクラスは?」
桐谷が尋ねた。
「二年A組が、まだ内装の半分しか終わってません。それと、三年C組が音響設備のトラブルで困ってるみたいです」
「音響設備?」
「はい。バンド演奏をする予定なんですが、機材が故障してしまって」
蓮は困った表情を浮かべた。その眉間に寄ったしわが、蓮の焦りを物語っている。
「修理に出したら、文化祭に間に合わないらしいんです」
「それは困ったな……」
桐谷が頭を抱えた時、俺が口を開いた。
「俺の知り合いに、音響に詳しいやつがいる。相談してみるよ」
「本当!?」
蓮が目を輝かせた。その瞳には、希望の光が宿っている。蓮のこんな表情を見られるなら、俺はどんな努力でもする。
「助かる! お願いしていい?」
「ああ」
俺はスマホを取り出し、中学時代の友人に連絡を取った。
「もしもし、久しぶり。実は相談があって――」
電話を終えると、蓮が期待の眼差しで俺を見ていた。その瞳が、俺をまっすぐに見つめている。
「どうだった?」
「明日、学校に来てくれるって。機材を見れば、その場で直せるかもしれないらしい」
「やった!」
蓮は喜びのあまり、俺に抱きついてきた。
蓮の温もりが、俺の胸に伝わってくる。蓮の髪から、優しい香りが漂ってくる。この幸せな瞬間を、ずっと忘れたくない。
「海斗、すごい! ありがとう!」
「まだ直るかどうか分からないけどな」
「でも、希望が見えた。それだけで十分」
蓮は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が、どうしようもなく愛おしい。
その時、生徒会室のドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、三年の女子生徒だった。見覚えがある。確か、以前夢と一緒にいたグループの一人だ。
「あの、鈴波副会長。文化祭の協賛企業のことで相談が……」
「どうしました?」
蓮が尋ねた。
「実は、雪原さんが協賛を取ってきたって企業があるんですけど……」
「雪原夢が?」
俺は驚いた。
夢がデマ騒動の後、何をしているのか気にしたことはなかった。クラスでも孤立していると聞いていたが、まさか文化祭の協力をしているとは。
「はい。雪原さん、最近必死に色んな企業に連絡を取ってて……」
女子生徒は複雑な表情を浮かべた。
「でも、その企業の担当者から連絡があって。『雪原さん個人とは取引したくない』って……」
「どういうことですか?」
蓮が聞いた。
「詳しくは分からないんですけど、以前雪原さんがその企業でバイトをしていた時に、何かトラブルがあったらしくて……」
「……そうですか」
蓮は少し考え込んだ。
「その企業、協賛してくれるんですか?」
「それが、『生徒会が直接交渉するなら考える』って言ってて」
「分かりました。私が直接お話しします」
蓮は即座に答えた。
女子生徒が帰った後、俺は蓮に尋ねた。
「雪原のこと、どう思う?」
「……正直、複雑」
蓮は窓の外を見た。
外では、準備に励む生徒たちの姿が見える。みんな、文化祭を成功させるために必死だ。夢も、そんな中の一人なのだろうか。
「デマを流したことは許せない。でも、今必死に償おうとしてるのかもしれない」
「蓮は優しいな」
「そうかな……」
蓮は少し寂しそうに微笑んだ。
「でも、海斗の隣は、もう私が埋めてるから」
「え?」
「雪原さんがどんなに頑張っても、海斗の隣には戻れない。それだけは、私が守る」
蓮は俺を見つめた。その瞳には、強い決意が宿っている。まるで、何があっても譲らないという意志が、その瞳から伝わってくる。
「……蓮」
「海斗は私のものだから」
蓮は少し照れた表情を浮かべた。
「じゃあ、二年A組の方も見に行こう」
「ああ」
※ ※ ※
二年A組の教室に向かうと、生徒たちが疲れた表情で作業をしていた。教室の中は資材が散乱していて、まだ完成には程遠い状態だった。生徒たちの顔には、焦りと疲労の色が濃く出ている。
「あの……生徒会の方ですか?」
クラス委員長の男子が声をかけてきた。
「はい。準備が遅れてると聞いて」
蓮が答えた。
「何か手伝えることはありますか?」
「実は……人手が足りなくて」
男子は申し訳なさそうに言った。その表情からは、限界まで頑張ってきたことが伝わってくる。
「クラスの半分が風邪で休んでて、残りのメンバーだけじゃ間に合わなくて」
「風邪……」
蓮は考え込んだ。少しの間、蓮は黙って教室の様子を見回していた。そして、決意を固めたように頷いた。
「分かりました。他のクラスから応援を呼びましょう」
「え、でも……」
「大丈夫。文化祭は学校全体のイベントです。困った時は助け合わないと」
蓮はスマホを取り出し、各クラスの委員長に連絡を始めた。
その姿を見ていると、胸が熱くなる。蓮は、本当に優しい。困っている人を見過ごせない。そんな蓮の優しさが、俺は大好きだ。
三十分後、十人のボランティアが集まった。
その中に、夢の姿もあった。
「……私も、手伝います」
夢は俯きながら言った。
教室の空気が、一瞬凍りついた。夢を見る生徒たちの視線は、決して温かいものではない。むしろ、冷たく、警戒するような視線だった。
「雪原さん……」
蓮が口を開いた。
「手伝ってくれるんですか?」
「はい……少しでも、償いたいから」
夢の声は小さかった。その声には、後悔と決意が混じっている。
「分かりました。じゃあ、あちらの作業をお願いします」
蓮は夢に指示を出した。その態度は、公平で冷静だった。個人的な感情を挟まず、生徒会副会長として接している。
俺も作業に加わり、内装の設営を手伝った。汗をかきながら、みんなで協力して作業を進める。教室の中には、活気が戻ってきた。
「春川くん、そっちの壁、もうちょっと右に」
「こうか?」
「そう! 完璧!」
みんなで協力して作業を進めると、予想以上に早く進んだ。人が増えるだけで、こんなにも違うものなのか。
作業の合間、夢が俺に声をかけてきた。
「春川くん……」
「何だ?」
俺は冷静に答えた。夢の顔を見ても、もう何も感じない。ただ、過去の知り合いという感覚しかなかった。
「あの……本当にごめん。私がしたこと、許されないって分かってる」
夢は涙を堪えながら言った。
「でも、少しでも償いたくて。だから、文化祭の手伝いを……」
「……そうか」
俺は短く答えた。
「でも、もう俺に謝る必要はない」
「え……?」
「俺はもう、お前のことなんか気にしてない。過去のことだから」
俺ははっきりと言った。
「それに、俺の隣には蓮がいる。お前が入る場所は、もうない」
「……そう、だよね」
夢は寂しそうに微笑んだ。その笑顔には、諦めと安堵が混じっていた。
「鈴波副会長、すごくいい人だね。春川くんのこと、大切にしてる」
「ああ」
「よかった……春川くんが、幸せそうで」
夢は作業に戻っていった。その背中は、どこか寂しげだった。
でも、俺の心は何も動かなかった。夢は、もう過去の人だ。俺の心は、すでに蓮で満たされている。
夕方、作業が一段落ついた時、蓮が夢に声をかけた。
「雪原さん、ありがとうございました」
「いえ……当然のことをしただけです」
「でも、助かりました」
蓮は真剣な表情で続けた。
「あなたがしたことは、簡単には許されない。でも、こうやって償おうとする姿勢は、評価します」
「鈴波副会長……」
「これからも、できる範囲で頑張ってください」
蓮は手を差し出した。
夢は驚いた表情を浮かべた後、その手を握った。
「……ありがとうございます」
「でも、一つだけ」
蓮の表情が、少し厳しくなった。その瞳には、譲れないものを守ろうとする強い意志が宿っている。
「海斗には、もう近づかないでください。海斗の隣は、私がいる場所ですから」
「……はい」
夢は頷いた。
「分かってます。春川くんは、もう私のものじゃない」
夢が去った後、俺は蓮に尋ねた。
「蓮、優しすぎないか?」
「そうかな」
蓮は首を傾げた。
「私、海斗を取られた恨みはあるけど……でも、雪原さんが本当に反省してるなら、チャンスをあげてもいいかなって」
「蓮……」
「それに」
蓮は俺の手を握った。蓮の手は温かい。その温もりが、俺の心を満たしていく。
「海斗は、もう私のものだから。雪原さんがどんなに頑張っても、取り返せない」
「……ああ」
俺は蓮を抱き寄せた。蓮の身体が、俺の腕の中に収まる。この温もりを、ずっと守り続けたい。
「俺は、ずっと蓮のものだ」
日が暮れる頃には、二年A組の内装はほぼ完成していた。窓の外は、すっかり暗くなっている。時計を見ると、もう七時を回っていた。夕焼けの残り火が、西の空をオレンジ色に染めている。
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