父との再会。認めらるという愛
八月八日。
朝から、私は落ち着かなかった。
今日、お父さんが帰ってくる。
そして――海斗と会う。
リビングでは、お母さんが料理を作っていた。お父さんの好物の匂いが湯気に乗って広がり、家じゅうを満たしていく。
それだけで胸がざわつく。嬉しいのに、怖い。期待と不安が同じだけ膨らんで、どちらにも傾けない。
「蓮、大丈夫?」
お母さんが包丁を置き、振り返った。心配そうな目。
「うん……ちょっと緊張してるだけ」
声が自分でも分かるくらい、震えていた。
「大丈夫よ」
お母さんが私の肩を抱く。以前の“背中越しの距離”じゃない。ちゃんと、私の体温を確かめるみたいな手。
「お父さんも、楽しみにしてるから」
「……うん」
私は小さく頷いた。
※ ※ ※
午後二時。
玄関のドアが開く音がして、次の瞬間――
「ただいま」
お父さんの声がした。低くて、懐かしくて、それでいて温かい声。
私は反射みたいに玄関へ向かった。
お父さんがスーツケースを持って立っていた。久しぶりに見る姿は、少しだけ変わっていた。白髪が増え、目尻の皺が深くなっている。
でも、その目は――優しかった。
「お父さん」
「蓮」
名前を呼ばれるだけで、喉の奥が詰まる。
「久しぶりだな」
「うん……」
言葉が小さくなる。
お父さんが荷物を置いて、ゆっくり近づいてきた。
そして、迷いのない動きで私を抱きしめた。
息が止まる。
次の瞬間、胸の奥が熱くなって、涙が勝手に溢れた。
「蓮……大きくなったな」
震える声。抱く腕の力が、少しだけ強くなる。
「生徒会長、頑張ってるんだってな」
「……うん」
「すごいな、蓮」
頭を撫でられる。昔の記憶が、指先の感触と一緒に蘇る。
「お父さんは、お前を誇りに思う」
その一言で、私は声を上げて泣いてしまった。
「お父さん……」
「ごめんな、蓮」
背中を撫でる手が、何度も何度も往復する。
「お父さん、お前のこと……見放して」
言葉が途切れる。苦しそうに息を吸って――
「でも、これから違う」
お父さんが私の肩を掴み、ちゃんと目を見て言った。
「ちゃんと、父親になる」
泣き顔のまま頷くしかなかった。
「……ありがとう、お父さん」
しばらく、私たちは抱き合っていた。
※ ※ ※
「二人とも、リビングにいらっしゃい」
お母さんの声に促され、三人でリビングへ向かう。
テーブルの上には料理が並び始めていて、湯気の向こう側に“家族”の形が見えた気がした。
席に着くと、久しぶりの団らんが始まる。箸の音、茶碗の置く音、ささやかな会話。それだけで胸がいっぱいになる。
「お父さん、海斗くんが三時に来るって」
お母さんがさらりと言う。
「そうか」
お父さんが頷く。
「楽しみだな」
心臓が跳ねた。
楽しみ――今、その言葉を、お父さんが言ってくれた。
※ ※ ※
【海斗視点】
午後三時。
俺は蓮の家の前に立っていた。
息を吸って、吐く。一回、二回、三回。
今日、蓮のお父さんと会う。
緊張はする。でも、逃げない。
インターホンを押すと、ほどなくして蓮が出てきた。
「海斗」
「やあ」
蓮の表情も固い。でも、目だけは真っ直ぐだった。
「大丈夫。お父さん、優しいから」
蓮が俺の手を握ってくれる。その温度が、俺の背中を押した。
「ああ」
二人でリビングへ向かう。
部屋には美咲さんと、そして一人の男性――鈴波健一郎さんが座っていた。
シャツ姿でも、雰囲気に芯がある。威厳はあるのに、目が穏やかだった。
「お父さん、海斗です」
蓮が紹介する。
「初めまして。春川海斗です」
俺は深く頭を下げた。
「初めまして。健一郎です」
健一郎さんが立ち上がる。視線が俺を捉える。値踏み――それに近い圧はある。だが、冷たさはない。
「座って」
促され、俺と蓮はソファに座った。
向かいに健一郎さん。横に蓮。
蓮の指先が、俺の手をぎゅっと握る。
「春川くん」
「はい」
「妻から話は聞いてる。あなたが、蓮を支えてくれてるって」
「はい」
「……ありがとう」
一瞬、言葉が遅れた。
「蓮を支えてくれて、ありがとう」
穏やかな目で言われると、胸の奥が熱くなる。
「私は父親として、何もできなかった。蓮を……見放していた」
声が僅かに震えた。
「でも、あなたは蓮のそばにいてくれた。本当に、ありがとう」
健一郎さんが頭を下げる。
「頭を上げてください」
俺は慌てて言った。
「俺は蓮が好きだから、当たり前のことをしただけです」
「そうか……」
健一郎さんが微笑む。
「春川くん。あなたは蓮を愛してるのか?」
「はい」
即答した。
「蓮を愛してます」
「では、聞く」
声の温度が少し下がる。真剣な目。
「あなたは、蓮を幸せにできるか?」
同じ質問を、俺はもう一度受け取った。
視線を逸らさず、答える。
「はい。幸せにします」
「根拠は?」
「俺は蓮を愛してます」
言葉を選びながら、続けた。
「蓮が笑ってる時、俺も嬉しい。蓮が泣いてる時、俺も苦しい。辛い時は、そばにいたい。――それが、俺の愛です」
健一郎さんは黙って聞いていた。
短い沈黙。
やがて、ゆっくり頷く。
「分かった」
声が温かい。
「春川くん、蓮を頼む」
差し出された手を、俺は握った。
「はい。必ず、幸せにします」
健一郎さんが力強く頷く。
「ありがとう」
隣で、蓮が泣いていた。
肩が小さく揺れている。
「よかった……」
震える声。
「お父さんに、認めてもらえた……」
美咲さんも、静かに微笑んでいた。
「さあ、夕飯にしましょう」
美咲さんの声で、空気がほどける。
四人で食卓を囲む。
“家族として”。
※ ※ ※
夕飯のあと、海斗はいったん帰った。
でも――夜九時に、もう一度来てくれる。
私が「海斗と少し話したい」と言うと、お父さんとお母さんは顔を見合わせ、何も言わずに頷いてくれた。
その優しさが、胸の奥にじんわり染みる。
ふたりが外へ出ていく気配がして、家の中が静かになった。
時計の針が進む音だけが、やけに大きい。
九時。
インターホンが鳴った瞬間、心臓が跳ねた。
足が勝手に玄関へ向かう。急ぎすぎないように、呼吸を整えながら。
ドアを開けると、海斗が立っていた。
夕方より少しだけ柔らかい顔。だけど目は、ずっと私を心配していた目。
「蓮。……大丈夫か?」
その一言で、張り詰めていたものがほどける。
「うん。……大丈夫。ちゃんと、話せた」
言い終わる前に、海斗の眉間がふっと緩んだ。
「よかった」
ほっとした声。
それだけで、私の喉の奥が熱くなる。
「入って」
「お邪魔します」
私は海斗を自分の部屋へ案内した。
扉を閉めると、外の音が遠ざかって、部屋は私たちだけの空気になる。
その瞬間――海斗が、そっと私を抱きしめた。
強くない。押しつけない。
ただ、逃げなくていいって教えてくれる抱き方。
「……お疲れさま」
耳元で落とされる声が、優しすぎて。
「うん……」
私は海斗の胸に額を押し当てた。
鼓動が、ゆっくり一定に鳴っている。私の呼吸も、それに合わせて整っていく。
「お父さんに、認めてもらえた」
言葉にした途端、涙が滲んだ。
「うん。見てた。蓮、すごかった」
海斗の手が、私の後頭部をそっと撫でる。髪を乱さないように、丁寧に。
「でもね、海斗」
「ん?」
「……怖かった」
正直に言うと、海斗の腕が少しだけ強くなる。
「怖いって言えて偉い。無理して平気なふりしないでくれ」
その言葉が、今の私にいちばん必要だった。
私は海斗のシャツを小さく掴んで、顔を上げた。
近い距離で目が合うと、胸がきゅっとなる。
「ありがとう。海斗が来てくれたから……私、崩れなかった」
「俺は来る。何回でも」
海斗が笑う。
その笑顔に、私はようやく笑い返せた。
言葉が途切れて、空気が静かになる。
でも、気まずくない。むしろ心地よい。
私から一歩、近づいた。
「……キス、してもいい?」
海斗が一瞬だけ目を丸くして、それから優しく頷く。
「ああ。いいよ」
私はそっと背伸びして、唇を重ねた。
短くて、柔らかいキス。確かめるみたいに、もう一度。
海斗の手が、私の頬に触れる。
熱が伝わって、胸がいっぱいになる。
「……海斗」
「ん?」
「今夜、一緒にいて」
言った瞬間、怖くなる。拒まれたらどうしようって。
でも海斗は迷わなかった。
「ああ。いる」
その二文字で、胸の奥がふっと軽くなる。
私たちはベッドの端に並んで座った。
肩と肩が触れて、体温が混ざる。小さな接触が、こんなに安心をくれるなんて。
海斗が私の手を取る。
「今日の蓮、よく頑張った」
シンプルな言葉なのに、涙腺がまた緩む。
「……うん」
「明日も、明後日も、怖くなったら言って。俺は受け止める」
「……うん」
私は海斗の肩に頭を預けた。
海斗が、私の頭に軽くキスを落とす。髪の上に、そっと。子ども扱いじゃない、守るっていう合図。
窓の外で、夏の夜風がカーテンを揺らした。
薄い布が揺れるたび、部屋の空気が少しだけ動く。
私は海斗の腕の中で目を閉じた。
今日、家族に認められた。
今日、海斗に支えられた。
それだけで、世界は少し優しく見える。
「おやすみ、蓮」
「……おやすみ、海斗」
握った手をほどかないまま、私は眠りに落ちた。
幸福って、こういう静けさのことなんだと、初めて思いながら。
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