表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
親友に彼女をNTRられた俺は、俺にだけ優しいクール系ギャルヒロインとお試しで付き合うことになりました。  作者: 沢田美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

111/113

母と娘の対話

【蓮視点】


 お母さんが深くため息をついた。長くて重い息だった。その一息に、積み重なった年月が沈んでいるように感じた。


「そう……」


 声の温度が変わった。いつもの氷が、わずかにゆるむ。溶けるというより、ひびが入った程度。それでも私には大きかった。


 お母さんはソファに深く座り直す。背もたれに身体を預け、肩の力が少し抜ける。膝の上で組んだ指が、かすかに震えていた。


「蓮、座りなさい」


 指差しは命令というより、落ち着かせるための合図に近かった。


「はい……」


 私は頬を拭いながら向かいのソファに座った。涙は止まらない。拭っても拭っても、じわりと滲む。


 テーブルを挟んだ距離は変わらない。なのに、今までより近く感じる。お母さんの顔を、こんなふうに正面から見るのはいつぶりだろう。


 目尻に細いしわがある。口元にも影がある。完璧に見えた輪郭に、疲れが混じっている。


 ――お母さんも年を取ったんだ。


 そんな当たり前の事実が、胸の奥に静かに落ちた。


 沈黙がリビングを満たす。秒針の音が規則正しく響く。外では車の走る音が遠くに流れ、どこかで笑い声が弾んでいた。日常の音だけが、薄い膜みたいにこの部屋を包む。


 私の心臓はうるさいほど鳴っている。呼吸が浅くなるのを、必死に抑えた。


 お母さんは私を見ていた。責める目ではない。測るような目でもない。ただ、何かを整理するみたいに静かだった。


「蓮、私があなたに厳しくしてきたのは……」


 声に感情が混じる。わずかに震えている。私は息を飲んだ。


「あなたに幸せになってほしかったからよ」


 言葉の意味が、すぐには脳に入らなかった。耳だけが拾って、遅れて心が追いつく。


「……え?」


 思わず声が漏れる。信じられない。お母さんが、私の幸せを口にするなんて。


「この世界は厳しいの」


 お母さんの視線が窓の外に向く。見ているのは外じゃない。もっと遠い過去だ。


「女性が社会で生きていくのは、本当に大変。私はそれを知ってる。身をもって経験してきた」


 膝の上の手が強く握られる。指が白くなるほど。


「私が弁護士になるまで、どれだけ苦労したか。男性ばかりの場所で認められるために、どれだけ努力したか」


 お母さんの声が揺れる。きっと、記憶を噛みしめている。


「何度も馬鹿にされた。何度も見下された。『女のくせに』『女には無理だ』……そういう言葉を、何度聞いたか」


 涙が一筋、頬を伝って落ちた。お母さんが泣いている。その事実だけで、視界がぐらついた。


「だから、あなたには……私以上に強くなってほしかった。私みたいに苦労してほしくなかった。悔しい思いをしてほしくなかった」


 言葉が小さくなる。けれど重さは増していく。


「だから厳しくした。あなたを強くするために厳しくした」


 頭が真っ白になる。心配? 幸せ? そんな言葉は、私が欲しかった“認める言葉”とは違うはずなのに、胸の奥が痛くて仕方なかった。


 私は唇を噛んだ。泣き声にしたくなくて、必死に息を整える。


「でも、お母さん……」


 喉が詰まって、声がかすれる。


「私、認めてもらえないことが一番つらかった。『頑張ったね』って言ってほしかった。『よくできたね』って褒めてほしかった。『誇りに思う』って……言ってほしかった」


 涙が落ちる。顎から、膝へ。止まらない。


「なのに、お母さんはいつも否定した。『期待外れだ』『恥ずかしい』『娘として失格だ』って……私の努力を全部、切り捨てた」


 お母さんの顔が歪む。苦しそうに眉間が寄る。目から涙が止まらなくなっている。


「私は……」


 震える声がこぼれる。


「褒め方を知らなかったの」


 胸が跳ねた。そんな理由があるのか、と。


「私の母も、私を褒めなかった。どれだけ頑張っても『これくらい当然』『もっと頑張れ』そればかり。だから私も……どうやって子供を褒めればいいのか分からなかった。どうやって愛を伝えればいいのか……分からなかった」


 お母さんの涙は、もう隠せていない。私は初めて見た。お母さんが、こんなに泣くところを。


「蓮」


 濡れた目で、私を見る。


「私は、あなたを愛してる」


 胸が跳ねる。言葉が、耳の奥で反響する。


「本当よ。ずっと、ずっと愛してた。あなたが生まれた時、初めて抱いた時……小さくて温かくて。『この子を幸せにしたい』そう思った」


 声が優しい。今まで聞いたことのない優しさだった。


「でも、愛し方が分からなかった。厳しくすることしかできなかった。否定することしかできなかった」


 お母さんは顔を覆い、肩を大きく震わせる。


「ごめんなさい、蓮。本当にごめんなさい」


 深く頭を下げる。その姿が、信じられなくて、私はしばらく動けなかった。


 けれど、身体が勝手に立ち上がる。足が震える。それでも一歩ずつ近づく。


「私も……ごめんなさい」


 声が震える。


「お母さんの気持ち、分かろうとしなくて。苦しんでたのに……」


 言葉がほどける。泣きながら、私はお母さんを抱きしめた。


 最初は硬直する。背中の筋肉が固い。けれど少しずつ力が抜けていく。そして、お母さんも腕を回してくる。強く、強く。


 ――温かい。


 心臓の音が伝わる。生きている音。人の音。


「蓮……」


 背中を撫でる手が、何度も上下する。


「ごめんね……本当に、ごめんね……」


 時間の感覚がなくなる。ただ、温もりだけが残る。壁が崩れていく感覚が、肌に近いところで分かる。


 しばらくして、お母さんがゆっくり言った。


「蓮、あなたが生徒会長になったこと……本当は誇りに思ってたの」


 私は思わず顔を上げた。


「……本当に?」


「ええ」


 涙で赤い目が、優しく揺れる。


「あなたが壇上で挨拶してる姿、ニュースで見た。すごく立派だった。『私の娘が、こんなに立派になった』って思った」


 頬を撫でる手が、少しだけ不器用で、それが逆に優しかった。


「文化祭も成功させたって聞いた。近所の人に『素晴らしい生徒会長ね』って言われた時、すごく嬉しかった」


 頭を撫でられる。何度も。何度も。


「すごいわね、蓮」


 胸の奥が満たされていく。ずっと欲しかった言葉が、ようやく届く。


「よく頑張ったわね。私の娘として、誇りよ」


 私は声を上げて泣いた。嬉しくて、痛くて、息ができないくらいで。


「ありがとう……お母さん……」


 泣きながら抱きつくと、お母さんの手がまた背中を撫でた。温もりが、ゆっくりと心をほどいていく。


 しばらくして、私は涙を拭って顔を上げた。お母さんも泣いている。でも表情は柔らかい。


「お母さん」


「何?」


「海斗のこと……彼のことも話したい」


 言った瞬間、お母さんの表情が少し曇る。やっぱり、と胸が痛む。


「あの男のこと……」


 声に冷たさが戻りかける。


 私は息を整えて続けた。今度は逃げない。


「海斗はすごくいい人なの。私をいつも支えてくれた。つらい時、そばにいてくれた。選挙の時も文化祭の時も……お母さんに認めてもらえなくて苦しかった時も」


 言葉が熱を帯びる。胸の奥の本音が、こぼれていく。


「海斗は私を認めてくれた。『頑張ったね』『すごいね』『蓮は素晴らしい』って。だから私、頑張れた」


 涙がまた滲む。


「だから……お母さんにも、海斗を認めてほしい」


 お母さんは黙って聞いていた。表情は複雑だ。けれど拒絶ではない。


 長い沈黙のあと、お母さんが口を開く。


「蓮、あの子があなたを支えてくれてるのは分かる。あなたの話で、分かった」


 手が重なる。温かい。


「でも、まだ……完全には信用できない」


 胸が痛む。けれど、ここで折れたくない。


「ごめんね、蓮。でも母親として、あなたの将来が心配なの。彼が本当にあなたを幸せにできるのか……それを確かめたい」


 その言葉には、ちゃんと“私への愛”があった。冷たさじゃなくて、怖さでもなくて。


 その時、インターホンが鳴った。


 ピンポーン。


 音がリビングに響く。時計を見ると午後一時。


 ――海斗だ。


 心臓が跳ねる。


「誰?」


 お母さんが聞く。


「海斗……今日、来る約束してたの」


 私はお母さんの手を握った。


「お母さん、海斗と話してくれない? ちゃんと話を聞いてほしい。お願い」


 お母さんは少し考えた。沈黙が落ちる。


 そして小さく頷く。


「分かったわ。話を聞いてあげる」


 胸の奥がほどけた。


「ありがとう、お母さん」


 私は立ち上がって玄関へ向かった。足が震える。でも、今の震えは怖さだけじゃない。


 モニターに海斗が映っている。私はドアを開けた。


 海斗が心配そうに立っていた。


「蓮、大丈夫か?」


「うん」


 私は微笑んだ。涙の跡を拭って、ちゃんと顔を上げる。


「お母さんと話せた」


 海斗の表情が明るくなる。


「本当か?」


「うん。お母さん、少し変わった」


「よかった」


 頭を撫でる手が優しい。


「海斗、お母さんが……海斗とも話したいって」


 海斗の表情が引き締まる。


「分かった」


 目が決意に満ちる。私はその手を握り返した。


「大丈夫。さっきより優しいから」


「ああ」


 二人でリビングへ向かった。廊下を歩く間、手の温度が支えになる。


 リビングに入ると、お母さんがソファに座っている。目が赤い。泣いた後の顔だ。


「お母さん、海斗です」


 私が紹介する。


「初めまして……いえ、以前お会いしましたね」


 海斗が丁寧に頭を下げる。動作が落ち着いている。礼儀もある。


「ええ。春川海斗くん」


 お母さんの声は、前より柔らかい。


「座りなさい」


 ソファを指す。


 海斗が私の隣に座った。私はそっと手を握る。海斗の指が少し震えている。私も同じくらい緊張している。


 ここからが本番だ。


 お母さんと海斗が目を合わせる。海斗も逸らさない。


 リビングに静寂が広がる。秒針の音だけが、規則正しく響いていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ