文化祭
七月四日。文化祭一日目。
朝七時。学校に着くと、すでに何人もの生徒が動いていた。段ボールを抱えて走るやつ、教室の飾り付けを直すやつ、腕まくりしたまま階段を駆け上がるやつ。校舎が“本番の顔”になっていく。
校門には大きな看板が立っていた。
『青葉高校文化祭~青春~僕らの今を輝かせよう~』
「……すごい」
蓮が目を輝かせる。
「ああ。ここまで来たな」
二人で校内に入る。廊下はカラフルな装飾だらけで、普段の学校とは別の場所みたいだった。
「みんな、頑張ったんだね」
「今日で報われる」
生徒会室に向かうと、神崎、藤崎、野村が先に到着していた。
「おはようございます」
「おはよう」
蓮が笑顔で返す。三人の顔つきも、もう“本番モード”だ。
「準備は?」
「完璧です」神崎が即答する。「来賓受付、動線、掲示物、確認済みです」
「プログラム配布も問題なしです」藤崎が続ける。
「音響・照明、最終チェック済みです」野村が頷いた。
「よかった」
蓮は肩の力を少し抜いて、深呼吸する。
「じゃあ、開会式の段取りに入ろう」
全員で体育館へ向かった。
※ ※ ※
午前九時。開会式。
体育館は全校生徒と来賓で埋まっていた。空気が重い。ざわめきの中に、期待と緊張が混じっている。
舞台袖で蓮が原稿を握っていた。指先が僅かに震えている。
「蓮」
「……うん」
「大丈夫。やることは決まってる」
俺は蓮の手を握った。
「深呼吸」
蓮が息を吸って、吐く。
「もう一回」
もう一度。肩が少しだけ下がった。
「俺、見てるから」
「……うん」
その瞬間、舞台上から「キィン」と小さなハウリングが鳴った。会場が一瞬ざわつく。
野村が即座にインカムに指を当てる。
「チャンネル被ってる。予備に切り替えます」
藤崎が客席側へ回り、司会の位置を調整する。神崎が舞台袖のメンバーに手短に指示を飛ばす。
「大丈夫です、すぐ直ります。落ち着いて」
十秒もかからず音が安定した。
“備えてたトラブル”は怖くない。現場がそう証明してくれる。
司会の声が響く。
「それでは、生徒会長の挨拶です」
蓮が舞台へ上がる。体育館が静まり返り、視線が一点に集まる。
蓮は一度だけ俺を見た。
俺は小さく頷く。
蓮の表情が決まった。
「皆さん、おはようございます。生徒会長の鈴波蓮です」
声が、通った。綺麗に響く。
「本日は、文化祭にお越しいただき、ありがとうございます」
丁寧で、落ち着いている。
「今年のテーマは、『青春~僕らの今を輝かせよう~』です」
蓮の目が、会場をまっすぐ見ている。
「私たち三年生にとって、これが最後の文化祭です」
少しだけ声が柔らかくなる。
「だからこそ、全力で楽しみ、全力で輝きたい」
言葉が強い。背筋が伸びる。
「そして、この文化祭が、皆さんの心に残る素晴らしい思い出になることを願っています」
一礼。
拍手が体育館を満たした。大きく、長い拍手。
蓮が顔を上げる。目は潤んでるのに、笑っていた。
舞台袖に戻ってきた蓮が、俺の手を握る。
「……できた」
「ああ。完璧だった」
蓮の目から涙がこぼれた。
「ありがとう……海斗がいてくれたから」
「よく頑張った」
俺は短く言って、蓮の頭を一度だけ撫でた。
開会式が終わり、文化祭が動き出す。
※ ※ ※
午前十時。
校内は来賓、保護者、在校生で溢れ返っていた。笑い声、呼び込み、BGM。空気が熱い。
俺と蓮は生徒会として巡回に入る。
一年A組――お化け屋敷。暗幕の奥から悲鳴が飛び、外で待つ列まで盛り上がっている。
「順調そうだ」
「うん。混雑もコントロールできてる」
二年B組――縁日。射的、輪投げ、ヨーヨー釣り。景品の補充も間に合ってる。
「あとで、少しだけ寄りたい」
「時間見てな」
三年A組――演劇。幕が下りた瞬間、拍手が爆発した。
「……すごい」
蓮が小さく息を呑む。
そして、三年B組――俺たちのカフェ。
教室はテーブルクロスと小物で“それっぽく”仕上がっていた。客席がほぼ埋まっていて、回転も良い。
「海斗! 蓮!」
クラスメイトが手を振る。
「様子見に来た」
「大丈夫、めっちゃ出てる! このまま行ける!」
蓮がほっと笑う。
「よかった。後でシフト入るね」
「助かる!」
俺たちは次の巡回へ戻った。
※ ※ ※
午後一時。
屋上で弁当を広げる。風が気持ちいい。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「……今日、ちゃんと回ってる」
蓮の声が、嬉しそうで、少しだけ信じられないみたいだった。
「ああ。ここまで積んできたからな」
「みんな、楽しそう」
蓮が空を見上げる。目が柔らかい。
「蓮の段取りが良かった。神崎たちの動きも完璧だった」
「……うん。みんなのおかげだね」
弁当を食べ終えると、蓮が小さく笑った。
「今日、幸せ」
「俺も」
短い言葉で十分だった。
※ ※ ※
午後三時。三年B組カフェ。
俺と蓮は接客シフトに入る。
「いらっしゃいませ」
蓮の笑顔は、本番に強い。言い方も自然で、客が安心する。
「お席へご案内します」
俺も別のテーブルを案内し、注文を受ける。
「コーヒーとチーズケーキをお願いします」
「かしこまりました」
厨房へオーダーを通し、提供。客の表情がほころぶ。
「おいしい」
その一言が、疲れを吹き飛ばす。
蓮も楽しそうだった。仕事の顔なのに、どこか素直で――見ていて胸が温かくなる。
シフトを終えると、二人で教室を出た。
「楽しかったね」
「ああ。いい店だった」
「海斗と一緒に回せたの、嬉しい」
言いながら、蓮が指先で制服の裾を摘まむ。照れ隠しだ。
※ ※ ※
午後五時。文化祭一日目終了。
閉会式が終わると、校内は片付けと明日の準備に移行した。
生徒会室に戻ると、神崎、藤崎、野村がすでに集まっている。
「今日、お疲れさま」
蓮が全員に声をかける。
「大きな問題はなし。初日としては上出来です」神崎が言う。
「配布物、想定通り捌けました」藤崎。
「音響・照明も安定。ハウリングは対処済みです」野村。
「ありがとう。明日も同じ体制でいこう」
「はい」
三人が帰ったあと、生徒会室には俺と蓮だけが残った。
「海斗……今日は、本当にありがとう」
「礼を言うのは俺もだ。蓮が会長だったから回った」
蓮が小さく笑って、俺の袖を掴む。
「明日も、頑張ろう」
「ああ」
※ ※ ※
七月五日。文化祭二日目。
校内は昨日以上の熱気だった。
午前は巡回。午後は二年生の演劇を観に行き、思わず息を呑んだ。最後の場面で、蓮が目を潤ませる。
「……すごかったね」
「ああ」
廊下で神崎と合流する。
「春川さん、鈴波会長」
「順調?」
「問題なしです。昨日より動線も良くなってます」
神崎の言葉に、蓮の肩が少し下がった。
「ありがとう。頼りにしてる」
※ ※ ※
午後五時。閉会式。
「二日間の文化祭、お疲れ様でした」
司会の声が体育館に響く。拍手が沸き起こる。
「それでは、生徒会長から閉会の挨拶です」
蓮が舞台へ上がった。マイクを握る手は、もう震えていない。
「皆さん、二日間、お疲れ様でした」
はっきりと届く声。
「今年の文化祭、本当に素晴らしかったです」
会場が静かに聞き入る。
「各クラス、部活動、全部が最高でした」
蓮の目が輝く。
「私たち三年生にとって、最後の文化祭」
声が少しだけ震える。でも、逃げない。
「この二日間は、一生忘れられない思い出になりました」
涙が落ちる。それでも言葉は途切れない。
「ありがとうございました」
一礼。
拍手が爆発した。立ち上がる音が連鎖する。スタンディングオベーション。
蓮が顔を上げる。泣いているのに、笑っていた。
舞台袖へ戻った蓮が、俺に抱きつく。
「……できた」
「ああ。最後まで完璧だった」
蓮は俺の胸で泣いた。悔しさじゃない。やり切った涙だ。
※ ※ ※
片付けが終わった夜。生徒会室。
蓮、俺、神崎、藤崎、野村が最後に集まる。
「みんな、本当にお疲れさま」
蓮が頭を下げる。
「文化祭、大成功でした。……これは、みんなのおかげです」
「いえ、会長の準備があったからです」神崎が言う。
「私たち、会長についていけて良かったです」藤崎。
「数字も物品も、全部予定通りでした」野村。
蓮の目にまた涙が浮かぶ。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
三人が帰ったあと、生徒会室には俺と蓮だけが残った。
「文化祭、終わっちゃったね」
「ああ。でも、残った」
「うん……最高の思い出」
蓮が俺の胸に額を寄せる。
「海斗と一緒に作れたから」
「俺も。最高だった」
窓の外、夜の校舎は静かだった。
でも胸の中は、拍手みたいに熱かった。
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