文化祭前日
七月三日。文化祭前日。
朝から学校全体が慌ただしかった。各クラスが最終準備に追われ、廊下には段ボール箱や装飾資材を抱えた生徒が行き交う。いつもの校舎が、明日という本番に向けて“現場”に変わっていく。
教室では、三年B組のカフェも最終確認に入っていた。
「テーブル、数は合ってる?」
「はい、全部揃ってます」
「食材は?」
「冷蔵庫に入れました。ラベルも貼ってあります」
「メニュー表は?」
「ここ。ラミネート済みです」
クラス委員がチェックリストを片手に、一つずつ潰していく。声のトーンに緊張が混じっているのが分かった。俺も資料を確認しながら、必要な所だけ手を貸す。
「よし。準備は――一旦、完了」
クラス委員が頷き、教室が少しだけ緩む。
「明日、頑張ろうな」
「おー!」
クラス全員の声が揃った、その瞬間。
校内放送が割り込んだ。
『生徒会メンバーは、至急、体育館に集合してください』
俺と蓮は顔を見合わせる。呼び出しがかかる時点で、何かしら“最終トラブル”が起きている可能性が高い。
「行こう」
「うん」
二人で教室を出た。
※ ※ ※
体育館には、すでに神崎、藤崎、野村、そして他の生徒会メンバーが集まっていた。舞台の上には音響機材が並び、照明も設置済み。普段の体育館とは別物で、まるで小さなホールみたいだ。
「鈴波会長、春川さん」
神崎が駆け寄ってくる。
「最終確認、お願いします」
「分かった」
蓮が舞台に上がり、俺も続く。ここからは、気合じゃなく手順だ。
マイクのテスト。スピーカーの左右バランス。ハウリングの有無。照明の切り替え。客席導線。来賓席の設営位置――。
「マイク、テスト」
蓮の声が体育館に響く。音はクリア。遅延もない。
「音響、問題なし」
野村が即答する。確認が早い。
「照明も、問題なし」
藤崎も頷いた。
「よし。開会式のリハーサルに入ろう」
蓮の声が、現場をまとめる声になっている。
全員が持ち場につき、流れを通す。
蓮が舞台中央に立った。原稿を手に持ち、深呼吸してから言葉を出す。
「皆さん、おはようございます。生徒会長の鈴波蓮です」
落ち着いている。声が届く。間の取り方もいい。
「本日は、文化祭にお越しいただき、ありがとうございます」
続く言葉が丁寧で、聞く側の背筋が伸びる。
「今年のテーマは、『青春~僕らの今を輝かせよう~』です」
蓮の目が、ほんの少しだけ強くなる。
「私たちの青春を、存分に楽しんでください」
深く一礼。
体育館に拍手が広がった。生徒会メンバーの拍手だ。
俺は拍手しながら、少しだけ安心する。前日でこの精度なら、本番で崩れても立て直せる。
「鈴波会長、すごく良かったです」
神崎が率直に言った。
「ありがとう」
蓮は照れくさそうに微笑む。
その後も、来賓の案内動線、当日の放送文、緊急連絡の手順まで、抜けがないか確認していく。
午後三時。リハーサルが終わった。
「みんな、お疲れさま。準備は整った」
蓮が全員を見渡す。
「明日、頑張りましょう」
「はい!」
返事が揃う。体育館の空気が、少しだけ“勝てる空気”になった。
※ ※ ※
放課後。生徒会室。
残ったのは、蓮、俺、神崎、藤崎、野村の五人だった。窓の外では夕日が校舎を染めている。前日独特の静けさが、逆に緊張を浮かび上がらせる。
「さあ、明日だね」
蓮が窓の外を見ながら言う。
「ああ」
神崎が軽く笑って、空気を柔らかくした。
「緊張するのは当然です。でも、今日のリハ、かなり仕上がってました」
「鈴波会長なら、できます」
藤崎も続く。
「何かあったら、すぐ言ってください。段取りの再配置、すぐ動けます」
野村の言い方は実務的で、頼れる。
「ありがとう、みんな」
蓮の目が潤む。でも、崩れない。
「今日はここまで。明日に備えて、早く帰って休もう」
「はい」
全員が荷物をまとめ、順番に退出していく。
「また明日」
「明日、頑張りましょう」
三人の声が廊下に遠ざかっていった。
生徒会室には、俺と蓮だけが残る。
「海斗……」
「ん?」
「明日、本当にちゃんとできるかな」
蓮の声が小さい。前日だけ、こうなる。責任感が強い分、不安も強い。
「大丈夫だ」
俺は蓮の手を握った。
「蓮は十分準備した。しかも、もう一人で背負ってない」
蓮が息を吐く。涙が出そうで、出ない。踏みとどまっている。
「……ありがとう」
蓮が、俺の胸に額を寄せた。
「海斗がいてくれるから、私、頑張れる」
「ああ。明日、最高の文化祭にしよう」
蓮が顔を上げる。目が、決意の色に戻っている。
「うん。私、頑張る」
※ ※ ※
駅までの道を二人で歩く。夕暮れの街は、騒がしいのに、どこか落ち着いて見えた。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「今夜、少しだけ一緒にいてほしい」
蓮の声が、甘えるというより“支えが欲しい”に近い。
「ああ。行こう」
※ ※ ※
夜。蓮の部屋。
リビングのソファに並んで座る。窓の外には東京の夜景。いつも通り綺麗で、でも今日は少し遠い。
「明日の挨拶、ちゃんとできるかな」
蓮は原稿を抱えたまま、指先が少し落ち着かない。
「リハは完璧だった」
「でも……本番は、もっと緊張すると思う」
「だったら、対処法も決めよう」
俺は蓮の手を包むように握る。
「緊張したら、深呼吸。息を吸って、吐く。まずはそれだけでいい」
蓮が頷き、ゆっくり息を整える。
「……少し、楽になった」
「それと、不安になったら俺を見ろ。体育館にいる」
蓮の目が潤む。
「ありがとう……」
「原稿、もう一回読むか?」
「うん。聞いてて」
蓮は原稿を開き、声に出す。
「皆さん、おはようございます。生徒会長の鈴波蓮です――」
言葉は丁寧で、芯がある。
“伝えるべきこと”が、ちゃんと原稿の中に入っている。
「……どうだった?」
「いい。完璧だ」
俺が言うと、蓮はようやく笑った。
「本当に?」
「ああ。自信を持て」
蓮が原稿を閉じる。肩の力が、少しだけ抜けた。
「……もう大丈夫。明日、頑張る」
「うん」
※ ※ ※
翌朝。朝六時。
朝日が眩しい七月の朝。
俺は支度を整えながら、胸の中で確認する。
今日は、文化祭当日。
蓮の、生徒会長としての大舞台だ。
必ず支える。現場で崩れそうになっても、立て直せるように。
その決意を胸に、俺は学校へ向かった。
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