破滅の時は突然に
その日はやけに日差しが強く、夏の訪れを感じさせる一日だった。
セミの声が響き渡り、蒸し暑い空気の中で俺は彼女である雪原夢を待っていた。
中学2年の冬から付き合い始めて、はや3年。同じ高校に進学し、何不自由なく交際を続けてきた俺たちは、今や校内でも有名なカップルだった。
「ごめーん! お待たせ!」
綺麗な長い茶髪、整った顔立ち、清楚で清廉潔白な雰囲気。
夢はまさに俺の理想そのものだった。いつ考えても、俺は幸せ者だと思う。
「俺も今来たとこ」
「そっか、それよりさ! 私、欲しいものができたんだ!」
「欲しいもの?」
「うん! この新作のコスメ! しかも今日って付き合って3年目の記念日じゃん? だから――」
「分かった。買ってやるよ」
「やったぁ! ありがとう、海斗!」
その日、俺は記念日という名目で夢が欲しがっていたコスメをプレゼントした。
夢の喜ぶ姿を見ていると、金額のことなんて気にならなかった。プレゼントを渡した後も、俺たちは時間を忘れて街を歩き回った。
「お! 海斗じゃねぇか!」
遊びの帰り道、長年の腐れ縁である岡波傑とばったり遭遇した。
傑とは小学生からの付き合いで、お互いを親友だと認め合っている。俺が夢と付き合うことになった時も、傑は自分のことのように喜んでくれた。
どうやらサッカー部の練習帰りらしい傑は、俺たちと一緒のバスで帰ることになった。
「ねぇ、傑くん!」
「ん? どした?」
夢が楽しそうに傑に話しかけている。
本来ならここで、夢と傑の関係を疑うべきだったのかもしれない。だが、それができる人間などこの世に一人もいないだろう。信頼していた相手を疑うことなど、誰にもできはしない。
翌日の学校は、前日以上に暑さが厳しかった。
それでも俺は、夢との関係を大切にすることを怠らなかった。彼女が欲しいと言えばそれを買い、どんなわがままでも聞いてきたつもりだった。
放課後、俺は生徒会室に呼び出されていた。
「春川海斗、いる?」
扉を開けると、生徒会副会長の鈴波蓮が資料を手に立っていた。
明るい茶髪にメッシュが入った派手な髪色、長い睫毛、印象的な瞳。校内でも有名なクール系ギャルである彼女は、その派手な見た目に反して成績優秀で、生徒会副会長という重責を担っている。
「あ、はい。呼ばれたので」
「そ。文化祭の資料整理、手伝ってもらうから」
蓮の口調は淡々としていた。
彼女は普段から誰に対しても冷たいと評判で、男子からは「近寄りがたい美人」として一目置かれている。
しかし生徒会の仕事で何度か一緒になった俺は知っていた。彼女は決して冷たいわけではない。ただ、感情を表に出すのが苦手なだけなのだ。
「分かりました。どの資料を――」
「こっち。重いから持ってあげる」
資料の山を指差した蓮が、俺が手を伸ばす前にさっと半分を自分の腕に抱え込む。
「あ、いや、俺が持ちますよ」
「いい。私も運ぶ。海斗だけに押し付けるのは気が引けるから」
蓮が俺の名前を呼んだ。
生徒会の仕事で一緒になるうち、いつしか彼女は俺を下の名前で呼ぶようになっていた。一方で、他の男子生徒には苗字すら呼ばないと聞く。
俺は少し戸惑いながらも、蓮と並んで資料を教室へ運び始めた。
「そういえば、昨日って彼女と記念日だったんじゃないの?」
「え? なんで知ってるんですか?」
「聞こえてた。一昨日、教室で話してたでしょ」
「ああ、そうでしたね。昨日プレゼント渡して、今日も一緒に過ごす予定で――」
「ふーん」
蓮は興味なさそうに相槌を打つ。しかしその瞳には、何か言いたげな光が宿っているように見えた。
「……海斗って、本当にお人好しだよね」
「え?」
「何でもない。それより、この資料、明日までにまとめてほしいんだけど、大丈夫?」
「はい、任せてください」
「そ。じゃあお願い」
蓮は資料を俺に手渡すと、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「あのさ、海斗」
「はい?」
「もし何かあったら、生徒会室に来て。私、大体いるから」
「何かって……?」
「いや、何となく。じゃ、お疲れ」
蓮はそれだけ告げると、長い髪を揺らして生徒会室へ戻っていった。
俺は彼女の言葉の意味が分からず首を傾げたが、深く考えずに資料を持って自分の教室へ向かった。
――だが、破滅の時は突然訪れるものだった。
生徒会の仕事があったため、夢には先に帰るよう伝えていた。
文化祭の資料を抱えた俺は、自分の教室の扉を開けた。
「――ッ!?」
体が固まった。言葉も出なかった。
目の前には、俺の席に腰掛けた夢と、そんな彼女とキスを交わす傑の姿があったからだ。
3年も付き合っていながら、俺とは一度もキスをしなかった夢。その彼女が今、俺の親友と熱いキスを交わしている。
俺には決して見せてくれなかった、恍惚とした表情で。
「お、おい……」
頭が真っ白になりながらも、なんとか声を絞り出す。
それに気づいたのか、夢と傑の視線が俺に向いた。
3人だけの教室。ようやく状況を理解した俺は、声を荒らげた。
「お、お前ら! 何してんだよ!」
生まれて初めて、彼女と親友に向かって怒鳴りつけた。傑はどこか申し訳なさそうな顔をしたが、夢は俺を見て口角を上げた。
「あーあ、とうとうバレちゃったか」
「は……?」
夢はいつもの清楚な雰囲気をかなぐり捨て、まるで虫けらを見るような目で俺を見つめた。
そして傑の隣に立つと、俺を見下すように告げた。
「私と傑くん、半年前から付き合ってたの」
「な、何言ってんだよ! 傑! お前も何か説明しろよ!」
俺の必死の呼びかけに、傑は黙り込んだままだった。
「お前には悪いと思ってる――でも今の俺は、お前との友情を壊してでも夢と一緒にいたいんだ」
傑が口を開く。その言葉は、どれも支離滅裂で、言い訳にすらなっていなかった。
「な、何言ってんだよ……」
「――ねぇ、海斗」
夢が悪魔のような笑みを浮かべて俺に近づく。そして、耳元で囁いた。
「私たち、終わりにしましょ。3年間それなりに楽しかったよ。それとありがとう、色々貢いでくれて!」
「……」
夢と傑は腕を絡め合いながら、俺一人を放課後の教室に残して去っていった。
「なん、で……は?」
胸にぽっかりと穴が空いたような感覚だった。
何もかもを失った。信じていたものが、すべて踏みにじられた。
湧き上がってくる悲しみと怒りと、そして何よりも虚無感が、俺を飲み込んでいく。
こうして、俺と夢、そして親友だった傑との関係が終わりを告げた日は、静かに暮れていった。
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