紙の防御と鋼の翼
病院を攻略してから三日が経った。
私の生活はもはや完璧と言っていい。
朝は図書館の静寂の中で、目を覚ます。食事はスーパーで手に入れた潤沢な備蓄を、『料理』スキルでちょっとだけ豪華にする。
昼間は書架から面白そうな本を、好きなだけ読み漁る。時々、腕に絡みついたヨツバと指先で戯れたりもする。私の魔力で成長しているのか、ヨツバは日に日にその蔓を生き生きとさせていた。
(……いい。すごく、いい生活だ)
締め切りも、うるさい担当編集もいない。
ただ、自分のためだけに時間を使う。
これぞ私が心の底から求めていた、理想の引きこもりライフだ。
……でも。
あまりに平和なのも、人間少しだけ退屈してくるらしい。
それに、いつまでもこの図書館周辺の安全な備蓄だけに頼っていては、いずれジリ貧になる。
(よし。たまには、ちょっと遠くまで「散歩」でもしますか)
自分の新しい力(Lv.17)を試す意味も込めて、私は町のまだ探索していない区画の簡単な偵察とマッピングを兼ねて、外に出ることにした。
左腕にはヨツバ。そして、私の周りには五本の『マインドジャベリン』。
うん、いつ見ても完璧な布陣だ。
私が向かったのは、図書館から南に位置する古い住宅街だった。
道は狭く、家々は蔦に覆われて半ば森に還りかけている。
『空間把握』で、常に周囲をスキャンする。
いくつか変異したネズミやスライムの気配はあったけど、こちらから手を出さなければ襲ってくる様子はない。
そうして十分ほど歩いただろうか。
開けた小さな公園に出た、その時だった。
頭の中のレーダーが、複数の素早い敵意を真上から捉えた。
(上!?)
私が空を見上げたのと、奴らが急降下してきたのはほぼ同時だった。
カラスだ。
でも、普通のカラスじゃない。体長は一メートル近くあり、その黒い翼はまるで鋼鉄のような鈍い光沢を放っている。
【名称:レイザーウィング】【レベル:14】【備考:翼の先端が刃物のように鋭い。群れで空から襲いかかってくる】
(レベル14か。私よりレベルは低いけど、数が多い。……空を飛ぶ相手は、ちょっと厄介だな)
私に向かって猛烈な勢いで突っ込んでくる、五羽のレイザーウィング。
その光景に、私は冷静に敵の数と軌道を分析した。
(……五羽同時。でも軌道は単純な直線。一体ずつ、確実に潰す)
私の周りを旋回していた五本のジャベリンが、私の意思に応え一斉に空へと舞い上がる。
急降下してくるレイザーウィングを、下から迎え撃つように。
シュンッ! シュンッ!
空気を切り裂く音が、連続で響く。
一羽は心臓を。もう一羽は眉間を。
私のジャベリンは寸分の狂いもなく、空中で敵を的確に撃ち抜いていく。
あっという間に、四羽を撃ち落とす。
残りは、あと一羽。
私が最後の一羽にとどめを刺そうと、ジャベリンを操作したその時だった。
そのレイザーウィングは死を覚悟したのか、最後の力を振り絞って自分の翼をめちゃくちゃにばら撒いた。
何十枚というカミソリのような羽が、弾丸のように私へと降り注ぐ。
(――っ!)
ほとんどの羽は残りのジャベリンが盾となって、弾き返してくれた。
でも、そのうちの一枚が防御網をすり抜けて、私の左腕を浅く切り裂いた。
「いっ……!」
チッ、最後の最後で一発もらったか。
焼けるような、鋭い痛み。
見ると愛用のパーカーの袖が、ざっくりと切り裂かれている。その下の白い肌に、赤い一本の線が走っていた。
『応急手当』スキルを使うと、傷口が緑色の光で包まれる。
この程度のダメージなら、あっという間に治ってしまうというわけか。
でも。
(……今の、もしもっと威力が高かったら? もし、首筋に当たっていたら?)
ぞわりと、背筋に冷たいものが走った。
攻撃力は、もう十分すぎるくらいにある。
でも、防御力は?
私のこの身を守るものは、ただの布きれのパーカー1枚だけだ。
(防御が低すぎる…)
そのどうしようもない事実に私が気づいた、まさにその時。
レイザーウィングたちの死体は黒い粒子になって、消えていく。その跡地に、何枚かの鋼鉄光沢の羽根が、きらりと光を反射して残された。
そして、頭の中にいつものアナウンスが響いた。
【経験値を獲得しました】【経験値を獲得しました】……
【レベルが上がりました! Lv.17 -> Lv.18】
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汐見 凪
Lv. 18 (+1)
HP: 135/135 (+15)
MP: 2150/2150 (+50)
筋力: 37 (+10)
耐久: 47 (+11)
敏捷: 57 (+12)
器用: 69 (+13)
幸運: 180
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(……やっぱり。レベル15を超えてから、ステータスの伸びが明らかにおかしい。今回も軒並み二桁だ)
私はまず、地面に落ちていたきらきら光る羽根を拾い集めた。
「鑑定」
【名称:レイザーウィングの鋼翼】【等級:コモン】【備考:軽量だが金属並みの硬度を持つ。武具の材料になる】
(……レイザーウィングの鋼翼か。スライムコアみたいな魔石系の素材とは、また違うタイプだな)
これ自体を加工して、使う感じだろうか。
私はそれをアイテムボックスへとしまい、改めて頭の中に表示されっぱなしになっていた、もう一つのウィンドウと向き合った。
見慣れた、ボーナススキルの選択ウィンドウだ。
(防具製作……ねえ)
さっき防御がカスだって、痛感したばっかりなんですけど。
……タイミングが良すぎて逆に、何かの罠じゃないかと勘ぐりたくなるレベルだ。
私は目の前に表示された三つの選択肢に目を凝らした。
・釣り Lv.1
・テイム(小動物) Lv.1
・防具製作 Lv.1
釣り? ここら辺の何が流れてくるか分からない川で? 無理無理。
食料も間に合ってるし…
テイム(小動物)? 変異したネズミとかリスとかを、手懐けるってこと? ヨツバがいるから、もうお腹いっぱいだ。
となると、消去法でこれしかない。
私は最後の選択肢に、意識を集中させた。
【スキル『防具製作 Lv.1』を取得しました】
私は切り裂かれたパーカーの袖を押さえながら、図書館への帰路についた。
新しいスキルと新しい素材を手に入れた高揚感。
そして自分の弱点を改めて突き付けられた、焦燥感。
その二つが私の胸の中で、ぐるぐると渦巻いていた。
図書館に戻り、内側から固く閂をかける。
ふぅと一つ息を吐いて、私は自分のスキル一覧を改めて表示させた。
【スキル】
・マインド・バレット Lv.2
・鑑定 Lv.2
・応急手当 Lv.1
・工作 Lv.1
・料理 Lv.1
・気配察知 Lv.1
・隠密 Lv.1
・空間把握 Lv.1
・魔力操作 Lv.1
・罠設置 Lv.1
・防具製作 Lv.1
(……いつの間にか、すごい数になってるな)
そのずらりと並んだスキルリストの中に、二つのよく似た名前がある。
『工作 Lv.1』と、『防具製作 Lv.1』。
(『工作』スキルは鉄槍とかジャベリンを作った時に、どういうものか大体分かってる。頭の中に作り方が流れ込んでくる、手作業用のスキルだ)
じゃあ、この『防具製作』は?
防具専門の工作スキル? それだと、ちょっと被ってない?
システムさん、もうちょっと分かりやすく説明してくれないかな……。
もやもやする。
こういうはっきりしないことがあると、気になって夜も眠れないタイプだ、私は。
(……まあ、いいや。百聞は一見に如かずって言うしね)
私は立ち上がった。
私の工房で実際に試してみれば、分かるでしょ。
幸い、手に入れたばかりの格好の実験材料もあることだし。
私は地下書庫に作った秘密基地へと、足を向けた。
この二つのスキルの謎、今すぐ解き明かしてやる。
地下書庫に作った、私の工房。
ファンネルづくりの時もお世話になったところだ。
ゴーレム・コアを組み込んだ手製の魔力炉が、青白い光を静かに放っている。
この秘密基地みたいな空間は、図書館の中でも特に私のお気に入りの場所だ。
「さてと。実験開始しますか」
まずは、比較対象から。
作業台の上に、ホームセンターで手に入れたただの鉄板を置く。
そして『工作 Lv.1』のスキルに意識を集中させた。うん、知ってる。頭の中に鉄板をどうやって腕甲の形に加工するかの、具体的なイメージがちゃんと流れ込んでくる。
(じゃあ、こっちはどうだ?)
私は次に、同じ鉄板を手に取り『防具製作 Lv.1』のスキルを発動させてみる。
…………シーン。
何も起こらない。
代わりに、視界の隅に無機質なシステムメッセージが表示された。
【エラー:適合する素材ではありません】
「適合する素材じゃない……?」
『工作』は汎用スキル。『防具製作』は専門スキル。
そして専門スキルには、専門の「素材」が必要になるってことなんだろうか。
私はアイテムボックスから、今日の戦利品を取り出した。
カミソリのように鋭く、鋼鉄の光沢を放つ美しい黒い羽根。
【名称:レイザーウィングの鋼翼】【等級:コモン】
私はその羽根を、作業台の上に置く。
そしてもう一度、『防具製作』スキルに意識を集中させた。
――この素材で、私の腕を守る防具を。
その瞬間だった。
私のMPが、ぐんと吸い取られるのを感じる。
そして作業台の上の『レイザーウィングの鋼翼』が、淡い光を放ち始めた。
「おっ……!?」
羽根はふわりと、宙に浮き上がる。
そしてまるで見えない手で編み込まれていくかのように、その形を急速に変えていく。
光の粒子が、羽根を分解し再構築していく。
ハンマーの音も、火花もない。
ただ静かな魔力の光だけが、工房の中を満たしていた。
やがて、光が収まる。
私の目の前に、一つの黒い鳥の翼を模したような軽やかな腕甲が、ことりと作業台の上に着地した。
(…………できちゃったな)
手作業、一切なし。
ただ、素材と私のMPを消費しただけで。
私はそのあまりにも非現実的な光景に、しばらく見入っていた。
そしてようやく、二つのスキルの決定的な違いを理解する。
(『工作』は手作業スキル。『防具製作』は素材を消費してアイテムを自動生成する、魔法みたいなスキル……!)
これなら私みたいな不器用な人間でも、ちゃんとした装備が作れるじゃないか。
私は完成したばかりの腕甲を拾い上げる。
「鑑定」
【名称:レイザーウィング・ガード】【耐久+13】【等級:コモン】【状態:新品】【効果:斬撃耐性(小)上昇、敏捷性がほんのわずかに上昇】【備考:レイザーウィングの鋼翼から作られた軽量の腕甲。製作者の魔力が込められている】
私はその腕甲を、パーカーの袖の上から自分の左腕に装着してみる。
驚くほど、軽い。そして、私の腕に吸い付くようにぴったりとフィットした。
うん、デザインも悪くない。
(……でも)
私はその黒い翼の腕甲を、ぎゅっと握りしめる。
斬撃には、少し強くなったかもしれない。
でもホブゴブリンの斧みたいな重い一撃を防げるほどの頑丈さはない。
(……もっと硬くて、もっと頑丈な素材が必要じゃないか)
今日のあの、パーカーを引き裂かれた一撃。
あの、ひやりとした感触。
私は自分の本当の「弱点」を克服するための、新しく明確な目標を見つけた。
よし、決めた。
明日は最高の「防具」を作るための、最高の「素材」を探しに行こう。




