待機することになりました
立体駐車場の三階。ひんやりとした風が、埃っぽい床を撫でていく。
ここからなら駐屯地がよく見える。
(……それにしても、すごい守りだな。市役所や私の図書館とは、比べ物にならない)
高いフェンスは二重。その上には有刺鉄線。入り口は大型トラックや土嚢でガチガチに固められていて、屋上には見張り台まである。
生半可なモンスターじゃ、傷一つつけられそうにない。
「……いるな」
修一さんが、持参した双眼鏡を覗きながら、低い声で呟いてる。
その横顔は、なんだかすごく、硬い。
タツヤさんとゴウシさんも順番に双眼鏡を覗き込んでは、険しい顔つきになっていく。
やがて、その双眼鏡が私の前に差し出された。
(……私の番か)
見張り台にいるのは二人。手には、黒い自動小銃。
ゲートのバリケードの陰にも、同じ格好の兵士が数人。
(まともにやり合ったら、こっちが蜂の巣にされる未来しか見えない…)
私がそんなことを考えていると、駐屯地の敷地内で動きがあった。
建物の入り口が一つ開き、中から数人の兵士と、十数人の人たちが出てくる。
お年寄りや、子供を連れたお母さん。
(ん……? あれ、民間人? しかも、子供……? 聞いてた話となんかイメージと違くない?)
私が双眼鏡から目を離すと、隣で同じ光景を見ていたタツヤさんが呟いたのが聞こえた。
「……なあ、修一さん。あいつら……本当に、俺たちの仲間を襲った連中なのか……?」
修一さんは、タツヤさんからひったくるように双眼鏡を受け取ると、もう一度、駐屯地を睨みつけた。その顔は、確信と、今生まれたばかりの疑念の間で、激しく揺れ動いているみたいだった。
(……やっぱり。もしかしなくてもただの良い人たち?だとしたらこの人たちの仲間を殺した人って…誰なんだ?)
私は、その重い沈黙を破るように、静かに口を開いた。
「……人殺しが、子供を助けたりはしないと思います」
その一言が、決定打になったらしかった。
「……作戦を変更する。俺たちで、正面から接触する」
「なっ……! 正気かよ、シュウイチさん!」
タツヤさんが素っ頓狂な声を上げる。
「罠かもしんねえだろ!」
「ああ、そうかもしれない。だが、このままじゃ何も分からない」
修一さんは、覚悟を決めた目でタツヤさんを見据える。
そして、彼は、今度は私の方へと向き直った。
「ナギ」
「……はい」
「あんたは、ここで待機していてくれ」
その、予想外の言葉に、私は少しだけ驚いて彼の顔を見た。
てっきりついてきてくれって言われると思ってた。
「あんたは俺たちの切り札だ。敵か味方も分からない連中の前に、いきなり切り札を晒す馬鹿はいない。それに、万が一の時、あんたがここにいてくれれば、俺たちに何かあった時にすぐ逃げることもできるだろう」
(……お。分かってるじゃん、この人)
断る理由がない。
私は、彼のその言葉にこくりと小さく頷いた。
「よし。タツヤ、ゴウシ。行くぞ」
話がまとまったところで、三人は準備を始めた。
鉄パイプやバットといった、いかにも物騒な武器を駐車場の柱の陰に隠していく。見た目は完全に丸腰だ。
準備を終えた修一さんが私に向き直る。
「もし、俺たちに何かあったら……。あんたは、一人で拠点に戻ってくれ。いいな」
私は、もう一度短く頷いた。
彼は、私のその返事に一つ頷くと、他の二人を促して、スロープを静かに下りていった。
一人になった駐車場は、しんと静まり返っていた。
私は、三人が残していった双眼鏡を手に取ると、再び壁の亀裂から、彼らの様子を窺う。
三つの小さな人影が、遮蔽物のない道を、駐屯地のゲートに向かって、ゆっくりと進んでいく。
やがて、三人がゲート前、五十メートルほどの距離まで近づいた、その時だった。
「――そこで止まってください。所属と目的をお知らせ願います」
見張り台から、スピーカーを通した声が響き渡った。
それは、威圧的な命令口調ではなかった。あくまで冷静で、丁寧な、それでいて有無を言わさぬ響きを持った声。
バリケードの隙間から、いくつもの黒い銃口が、修一さんたちに向けられるのが見える。
(……始まった)
私は、双眼鏡を握る手に、じっと力を込めた。
レンズの向こう側で、緊張したやり取りが始まっている。
修一さんが、両手を軽く上げて、敵意がないことを示しながら、何かを話している。リーダーらしき人物が、修一さんの言葉に耳を傾けていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。十分か、あるいは二十分か。
リーダーらしき兵士が無線でどこかと連絡を取り合った後、バリケードの一部になっていたトラックのドアが、ぎぃ、と重い音を立てて開かれた。
兵士の一人が、修一さんたちを手招きしている。
(……中に入った。……とりあえず、最悪の事態は避けられたのかな。……で、私は、いつまでここで待てばいいんだろ)
三人が要塞の中へと消えていくのを見届けて、私は双眼鏡を下ろした。
私は、駐車場の冷たいコンクリートの床にぺたんと座り込む。
図書館に戻ったらどんなスキルを覚えようか、レベリングはどうしようかなんてことをぼんやりと考えているうちに、さらに一時間が経過した。
さすがに、少し不安になってきた。やっぱり罠で、三人はもう……。
その時だった。
駐屯地のゲートが、再び音を立てて開いた。
私は慌てて双眼鏡を構える。
出てきたのは、修一さんたち、三人。
その後ろから、リーダーらしき兵士も姿を現し、何かを話しながら修一さんと握手を交わしている。
やがて、三人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた
駐車場に戻ってきた修一さんは私の顔を見るなり、深く頭を下げた。
「……ナギ。あんたのおかげだ。ありがとう。もし、さっき止めてくれなかったら……。俺は、取り返しのつかない過ちを犯すところだった」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「話はついた。俺たちの、完全な勘違いだったんだ」
修一さんが語ってくれた話は、私がぼんやりと推測していた通りの内容だった。
彼らの仲間を襲ったのは、ここの自衛官たちじゃない。彼らの装備を奪った略奪者ってことだ。
そして、この駐屯地にいる自衛官たちもまた、その略奪者に仲間をやられている、同じ被害者らしい。
「彼らは、市役所の皆の受け入れを許可してくれた。食料も、医療品も、ここにはまだ備蓄がある。……俺たちは、ここに保護してもらうことにするよ」
その言葉に、タツヤさんとゴウシさんの顔が、ぱっと明るくなる。
そして、修一さんは、当然のように、私に向き直った。
「ナギも、もちろん一緒に来てくれるな?」
(…やっぱりそういう話になるよな)




