欺瞞と取引
「ああ、助かる。じゃあ戻ろうか。こんなコンクリートの上で立ち話もなんだしな」
修一さんがそう言って踵を返す。
タツヤとゴウシさんもそれに続いた。
私はその後ろを、やっぱり数メートル距離を置いてついていく。
……このソーシャルディスタンスは譲れない。絶対にだ。
私たちは再びあの生活感あふれる市役所の一階ロビーを通り抜け、例の会議室へと戻った。
ロビーを通り抜けるのは二度目だったが、人々の視線には、やはり、まだ慣れそうにない。
早く、この空間から、抜け出したい。
その一心で、私は、俯きながら、早足で、修一さんの後を追った。
会議室のドアが閉められ、ようやく、静寂が訪れる。
修一さんは私に椅子を勧めると自分も向かいに腰を下ろす。
タツヤとゴウシさんは彼の後ろに立ったままだった。
「さて」
修一さんは机の上で指を組みまっすぐに私を見た。
「まず俺たちの現状についてはさっき話した通りだ。三十人の仲間がいる。だが食料も薬も何もかもが足りない。毎日命懸けで探索に出ているがジリ貧だ」
私は黙って頷く。
まあだろうなという感想しか出てこない。
「あんたの力は見た。正直信じられないレベルだ。あんた一人いれば百人力……いやそれ以上かもしれない」
彼は一度言葉を切り続けた。
「だから改めて提案がある。ナギ。あんたに俺たちのチームの『切り札』になってほしい」
「切り札?」
「ああ」
修一さんは頷いた。
「主力と言ってもいい。あんたは前に出る必要はない。俺たちが前線で壁になる。その後ろからあんたのあの圧倒的な力で敵を殲滅してほしいんだ」
(なるほど。私が一番安全な場所で最大の戦果を上げる。それが彼らにとっても私にとっても一番効率的ってことか。合理的な提案だ)
「あんたの力があれば、今まで危険すぎて近づけなかった場所にも行けるようになる。手に入る物資の量も質も格段に上がるはずだ。……どうだろうか」
彼の提案。
それはコミュ障の私にとっては荷が重い役割。
でも。
今の私にしかできない役割でもある。
それに彼らが壁になってくれるというのなら。
私が一番安全な場所からスキルを使えるということだ。
「悪くないかもしれない……」
私のそのか細い呟きを修一さんは聞き逃さなかった。
彼の表情がわずかに明るくなる。
「そうか。なら話を進めてもいいか?」
私はこくりと小さく頷いた。
「もしあんたがその役目を引き受けてくれるなら……。俺たちの次の大きな目標を話したい」
大きな目標?
食料探しとかじゃないのか。
修一さんは再び机の上の関東地方の地図へと向き直った。
そして私たちがいる場所から少し離れた場所を指で力強く指し示した。
そこは自衛隊の駐屯地だった。
「えぇ……」
思わず素で声が出た。
自衛隊駐屯地?
正気かこの人。
はい出ました無理ゲー案件。そんな場所絶対にボスクラスのモンスターの巣窟じゃん。
私のそんな内心のドン引きを他所に、修一さんの口調が少し変わった。
ねっとりとした、憎悪のようなものがその声に滲む。
「……ここにはな、俺たちの仲間を殺した連中が立てこもっている」
「仲間を……?」
「元自衛官のクズどもだ。自分たちだけ強力な武器で武装して他の生存者を見捨てた裏切り者だ」
彼のその言葉に隣にいたタツヤが憎々しげに相槌を打つ。
「そうだ! 俺たちの仲間の一人もあいつらに……!」
「タツヤ」
修一さんが静かに制する。
彼の話は続いた。
「もちろん危険なのは分かってる。奴らは手強い。銃を持っているからな」
銃。
今この人、銃って言った?
(銃持ちと戦う? 馬鹿じゃないのこの人たち)
いくら私のスキルが強力だからって限度がある。
こっちの武器は念動力で飛ばすただの鉄の杭だ。
銃弾の方がどう考えたって速いし射程も長い。
そんなの自殺行為じゃんか。
私の顔にあからさまな拒絶の色が浮かんだのを見て。
修一さんは慌てて言葉を付け加えた。
「も、もちろん今すぐ奴らを皆殺しにしようなんて無茶は言わん! まずは徹底的に情報を集める。そのための偵察だ!」
「偵察……」
「そうだ。奴らの人数、装備、そして行動パターン。全てを把握してから行動を起こす。そしてその偵察任務の要になってほしいんだ。あんたのその不思議な力でな」
なるほど。
いきなり戦えじゃないのか。
私の役目はあくまで後方支援。
それに彼の言うことにも一理ある。
敵の情報がなければそもそも作戦の立てようもない。
通信設備。
それを手に入れるためにはこのハイリスクなミッションに乗るしかないのか。
自衛隊駐屯地。
銃を持つ人間が相手。
そして私の目的は通信設備。
リスクとリターン。
私の頭の中の天秤がぎしりと音を立てて揺れ動く。
この取引、乗るべきか乗らざるべきか。
……いや。
そもそもこの交渉の土台が間違っている。
(……この人、本当に信じていいのかな)
仲間を殺された復讐。
聞こえはいい。でもなんだろう。
彼の目。その奥に憎悪とは少しだけ違う、もっと冷たい打算のようなものが見えた気がした。
(まあいいか。どっちにしろ私には関係ない)
私の目的は一つだけだ。
「……あの」
私はおそるおそる口を開いた。
私のそのか細い声に修一さんたちが息を呑んで注目するのが分かる。
「その話ですけど」
私は一度言葉を切りそしてはっきりと告げた。
「条件があります」
「……条件?」
修一さんの眉がぴくりと動く。
私は続けた。
「まず偵察ですよね? もしそれでヤバそうだったら私はすぐに撤退しますからね? 見捨てるとかじゃなくて作戦的撤退です。……そこちゃんと分かってます?」
「あと私は後ろから援護するだけですから。前に出ろとか言われても無理です。私、足遅いんで」
私のその立て続けの、しかしあまりにも情けない条件提示に。
修一さんは一瞬呆気に取られたような顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻り力強く頷いた。
「ああ分かった。合理的だ。その条件、全部飲もう」
彼は立ち上がると私に右手を差し出した。
「……取引成立だな」
差し出された手。
私は一瞬躊躇した後、おそるおそるそのゴツゴツとした大きな手を握り返した。




