この世界について②
「……分かり、ました。私で、できることなら」
私がそうか細い声で答えると。
修一さんは心底安堵したように息を吐いた。
タツヤは「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをしている。ヤナギさんは腕を組んで難しい顔で頷いていた。
「ありがとう」
修一さんは短くそう言うと、彼のリーダーとしての顔つきに戻った。
「ならナギ。あんたには知っておいてもらう必要がある。俺たちが知る、この世界の全てを」
彼はタツヤとゴウシさんに目配せをする。
「お前たちも、もう一度聞いておけ。現状の再確認だ」
二人は緊張した面持ちで頷いた。
ヤナギさんは「ワシはポーションの研究がある」とだけ言って部屋を出ていった。
修一さんは会議室の壁に貼ってあった大きな関東地方の地図を机の上に広げた。
その地図にはいくつもの書き込みがされていた。
どす黒く塗りつぶされたエリア。
青い丸で囲まれた街。
そしていくつかの小さな黒い点。
「まず大前提として通信網はほぼ死んでる。他の地方がどうなっているのか、海外がどうなっているのか。正確な情報は、何もない。俺たちが把握できているのは、この関東の中だけだ」
彼の指が地図上のどす黒く塗りつぶされた一番大きなエリアを指し示した。
東京23区。そしてその周辺の市街地一帯。
「ここは、『魔境』だ」
「魔境……?」
「ああ。大災禍の発生時、人口が密集しすぎていた大都市。そういう場所はもうダメだ。モンスターの密度もレベルも俺たちの想像を遥かに超えている。……そこはもう人類の土地じゃない」
その重い言葉に私は息を呑む。
私の家から見えていたあの都会の光。
あそこはもう地獄になっているのか。
頭では分かっていた。でもこうして改めて事実として突きつけられると、そのあまりの絶望的なスケールの大きさにただ言葉を失う。
「だが」
修一さんの声のトーンが変わる。
彼の指が今度は青い丸で囲まれたいくつかの街を指した。
横浜、さいたま新都心、そして千葉。
「人類もただやられていただけじゃない。いくつかの主要都市では生き残った自衛隊や警察組織が中心となって街を要塞化し、『復興地区』を築いているという話だ。……もっとも通信が途絶する本当に最後の最後に、かろうじて聞こえてきた断片的な情報だからな。今その地区がどうなっているのか……。正直俺たちにも分からない。ただの希望的観測かもしれん」
「復興地区……」
私はそのか細い希望の光を胸の中でそっと反芻する。
ちゃんと社会として機能している場所がこの終わった世界にもまだあるのかもしれない。
「ああ。だが問題は、そこに行き着くのが絶望的に難しいということだ」
修一さんの厳しい声が私の淡い期待を現実に引き戻す。
彼の指が今度は地図上にいくつも点在している小さな黒い点を示した。
「そしてこれが俺たちみたいな小規模な『生存者拠点』だ。たぶんまだ関東のあちこちに残っているはずだ」
彼の指がそのうちの一つ。私たちが今いるこの青梅市をとんと叩く。
「俺たちは完全に孤立している。一番近い復興地区のさいたまだと、何十キロもある。間にはあの東京23区っていう魔境が広がっている。他の小さな拠点がまだ無事なのか、それとももう全滅したのか……。それを知る術もない」
なるほど。
私たちは完全に陸の孤島というわけか。
で、その孤島も物資が尽きかけていると。
……かなり詰んでる状況じゃないかこれ。
「それに」
修一さんの声がさらに低くなった。
「俺たちの敵はモンスターだけじゃない」
「……やっぱり」
私の呟きに修一さんは驚いたように私を見た。
「……あんたも気づいていたか」
「いえ……。ただこういう話のお約束かなと」
私がそう答えると彼は苦々しく顔を歪めた。
「……違いない。モンスターより人間の方が厄介で怖い。……この世界じゃそれが現実だ」
彼は地図の上にまだ印がついていないいくつかの町を指ささした。
「生存者の中には生産を放棄して他の生存者から奪って生きることを選んだ連中がいる。俺たちはそいつらを『略奪者』と呼んでいる」
略奪者。
その物騒な響きに私はごくりと喉を鳴らす。
隣で話を聞いていたタツヤが憎々しげに言った。
「俺たちも一度やられたんだ。八王子のほうにまだグループがいると思ってなけなしの薬を分けに行ったら……。罠だった。俺たちの仲間が一人……」
「タツヤ」
修一さんが静かに制する。
タツヤは悔しそうに唇を噛んで黙り込んだ。
でもそれだけで十分だった。
目の前にいるこのお調子者の若い男が仲間を失うという地獄を経験してきていること。
そしてこの世界の本当の厳しさを私に教えてくれた。
修一さんが改めて私をまっすぐに見た。
「だから俺たちは力が必要なんだ。モンスターからこの拠点を守るため。そして……人間から仲間を守るためだ」
その切実な言葉。
私はただ黙って頷くことしかできない。
その私の肯定とも取れる反応を見て彼は少しだけ安堵の表情を浮かべた。
そして話題を核心へと移す。
「……ナギ。あんたのあの物を浮かせて飛ばす力。あれはスキルなのか?」
来た。
やっぱり聞かれるよね。
私は小さく頷いた。
「『マインド・バレット』……っていうスキルみたいです」
「マインド・バレット……」
修一さんがその聞き慣れない言葉を繰り返す。
タツヤとゴウシさんも固唾を飲んで私を見ていた。
「差し支えなければ教えてほしいんだが」
修一さんは慎重に言葉を選びながら続けた。
「あんたのMPはどれくらいあるんだ? 俺が知る限りスキルっていうのはMPを消費するはずだ。」
その問いに私は言葉に詰まった。
どう答える?
「1950です」なんて正直に言えるわけがない。
そんな異常な数字信じてもらえるはずもないし、ドン引きされるのがオチだ。
かといって嘘をついてもいつかバレる。
どうしよう。
私のコミュ障の頭がぐるぐると空回りする。
数字で説明するのが無理なら。
言葉で説明するのが苦手なら。
私にできる一番分かりやすい答えは。
「…………」
私はゆっくりと顔を上げた。
そして目の前にいる三人の男たちをまっすぐに見つめる。
「見せた方が早いです」