魔術師の資質①
私は祖母と中庭に立っていた。
「レオ、今日は初日です。まずは素振りから始めましょう。私に合わせて、その木刀を振りなさい」
祖母が振り下ろした瞬間、ピュッと鋭い音が鳴り、風圧で土煙が舞い上がる。
私は見よう見まねで振ってみるが、音すら鳴らない。
「その調子です。私が“止め”と言うまで、一緒に続けましょう」
祖母は笑顔でそう告げた。
だが、それを見ていた執事やメイド、そして祖父は苦笑いを浮かべている。
書斎の窓から様子を見ている父は、口パクで「頑張れ」と言っていた。
十回を超えたあたりから、腕が痛み始める。
「おばあさま……少し休ませていただけませんか?」
「まだ“止め”とは言っていませんよ」
その瞬間、私は皆の反応の意味を理解した。
百回を超えた頃には、腕と肩の痛みで自然と涙があふれてくる。
それでも祖母に止める気配はない。
いつ終わるのか分からない絶望感が、じわじわと心を削っていく。
やがて腕を上げようとしても、痙攣するだけで動かなくなった。
そのとき――
「止め!」
その声を聞いた瞬間、視界が暗くなり、私はその場に崩れ落ちた。
「ザガン、レオに水を持ってきなさい」
体格のしっかりした長身の執事が駆け出し、すぐに戻ってくる。
「レオ様、ゆっくりお飲みください」
私は差し出されたコップにかじりつくように水を飲んだ。
むせ返りながらも、止まらない。
「ロネン、もう少し段階を踏んで体力をつけさせぬか? レオはまだ五歳だぞ」
祖父が呆れたように言う。
「何を言いますか。魔法の操作には、それ相応の精神力が必要です」
祖母は涼しい顔で言い返した。
「それに貴方、今のレオをご覧になりましたか? あの子は、私が止めと言うまで振り続けました」
祖母は崩れ落ちた私を見下ろす。
「この子の精神力は、すでに十歳以上。体力が伴えば――魔法使いとして、強力な武器になります」
祖母は続けた。
「レオ。私は並の魔術師の訓練を知りませんし、知る気もありません。
魔術師として一流になるためには、今以上に厳しい訓練が必要です」
「それでも目指しますか?
貴方の父や祖父を支えられる魔術師に」
祖母は、いつもの優しい笑顔で私に問う。
私は無言でうなずいた。
それを見て祖母は満面の笑みを浮かべ、祖父は目を見開いた。
「ザガン、レオをフリッツの元まで運んでくださる?」
「直ちに」
執事は私の体に振動が伝わらないよう、少し体から離して抱え、そのまま走り出した。
風が気持ちいい。
メイド達も彼と一緒に、私を守るように走っている。
「失礼いたします。フリッツ様!」
執事は勢いよくドアを開けた。
「落ち着いてザガン。ミロが起きてしまうわ」
「失礼いたしました。ですが坊ちゃまが――」
彼の言葉を母が遮る。
「わかっているわ。ムル、砂糖と塩を混ぜた水を水差しに入れてきてちょうだい」
母は、男性と比べても長身のメイドに指示を出した。
メイドは無言で走り出す。
「レオ、気持ち悪いかもしれないけど、少し我慢してね」
母は私の額に手を当てた。
体が火照っているせいか、母の手が冷たくて気持ちいい。
メイドが戻り、私は水を飲んだ。
先ほど執事が飲ませてくれた水より、断然おいしく感じる。
お腹から、じんわりと体に冷たさが広がっていく。
「では始めるわ。みんなは少し下がっていて」
母は右手を左胸に添え、何かを唱え始めた。
「主よ、かの者に再生と癒やしの祝福を」
母が唱え終えると、光が地面から湧き上がり、私を包む。
光が消える頃には、全身の痛みが消えていた。
「レオ、気持ち悪かったり頭の痛みはない?」
「大丈夫です母上。少しだるいですが、痛みと吐き気は消えました」
「なら良かったわ。でも念のため、もう一杯だけお水を飲んでね」
メイドから水を受け取り飲んでみるが、先ほどほどおいしくは感じない。
飲み終えると、私は母に尋ねた。
「今のも魔法ですか?」
母は少し苦笑いをした。
「ごめんなさいね。詳しいことはまだ教えられないの」
「でも魔法学のときに必ず教わるから、今は我慢してね」
何か理由があるのだろうと理解した、そのときだった。
下腹部に違和感を感じた。
今にも決壊しそうな尿意だ。
「母上、申し訳ございません。お手洗いに行ってまいります」
「ごめんなさいね。無理やり体力を回復したから、もう循環しちゃったのね」
「あれ? レオは?」
「すでに向かわれました」
私の尊厳は、ギリギリのところで保たれた。
最後に母が何か言いかけていたが、後で伺うことにしよう。
トイレから出ると、メイド達が私の着替えを持って立っていた。
その瞬間、私は顔にほてりを感じた。
「ま、間に合ったのでご心配ありません!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
そして――
妹が起きて泣き出してしまった。
しばらくすると私は目がくらむほどの空腹感にさいなまれていた。
少しふらつくとザガンが私を抱き上げた。
「少し早いですがお食事になさいましょう。ムルはコック長のアモンに調理の依頼、べレトは皆様にお食事の時間を早めに行うことを報告してください」
「かしこまりました。」
返事をしたのは真っ赤な瞳のメイドのベレトのみでムルはまたもうなずくのみだった。
その日の夕食は、肉料理を中心にいつもより多くの料理が並べられていた。
私は空腹に耐えきれず、獣のように食らいつく。
「今日は大目に見ますが、次からはどんなに疲れていてもマナーを守れるよう、自制しなさい」
祖母は叱りながらも、どこか嬉しそうだった。
「お義母様、うれしそうですね」
母がくすりと笑う。
「レオの覚悟を見られました。鍛え甲斐があります」
女性陣の笑顔とは対照的に、男性陣は真顔になっていく。
祖母は私を見る。
「レオ。明日から午前は基礎座学の復習、午後は訓練を行います。よろしいですね?」
「明日からも、ご指導よろしくお願いいたします」
普段おしとやかに笑う祖母が、歯を見せて笑った。
祖父が小さな声で私に言う。
「レオ、嫌になったら素直に言うのだぞ」
父も私を見てうなずく。
しかし祖母がぴしゃりと言った。
「あなた! 中途半端な状態では魔力の制御はできません。中途半端はレオのためになりません」
「ワシとしては座学だけ先に学び、十歳から本格的に始めるつもりだったのだが……」
祖父はしょんぼりと肩を落とす。
「あの、父上」
私は父に耳打ちした。
父は顔を近づける。
「私に魔法を見せなかったり、教えていただけないのは……おばあさまの言っていた理由ですか?」
父は少しだけ笑った。
「半分はそうだが……もう半分は違うかな」
父は肩をすくめて言った。
「そのもう半分も含めて、講師の方にきちんと教えてもらうよう頼んである」
「だから――楽しみにしていなさい」
「ただし」
「おばあ様の訓練に耐えられたら、だけどな」
その瞬間、祖母の笑顔がこちらを向いた。
私はスープを飲みながら、静かに思った。
――明日も、生き残れるだろうか。




