3 公爵家の生活がはじまりますわ!
「えぇえぇ……。ハーバート公爵ですかぁ……?」
降って湧いたような縁談に、キャロラインのテンションはだだ下がりだった。
「そうだ。国王陛下のご提案だ。私としても、お前が平民として苦労するのは見たくはない。……ま、いずれにせよ、我々は王命には逆らえないがな」
キャロラインの父親であるフォレット侯爵は、自嘲するように肩を竦めた。
ハーバート公爵家は、グローヴァー王国の初代国王の血筋を引く名門中の名門である。
現当主であるハロルド・ハーバート公爵は、国の騎士団を任されている実力者だ。戦は連戦連勝。戦後処理も完璧に行い、とても有能な人物で有名だった。
しかし、同時に恐ろしい評判も持っていた。
百戦錬磨の彼は、戦場では求めるように血肉をすすり、女子供も容赦しないような非常に残忍な人物なのだ。
……と、いう噂である。
しかも、彼は三度も結婚していた。
最初の妻は病死、二人目と三人目は、彼のあまりの残酷さに耐えられなくなって逃げ出したのだ。
……と、いう噂である。
「お父様、わたくしを公爵に売りますのね!」
「はっはっはっ。そこは大人の事情だよ。お前なら、分かるだろう?」
それはキャロラインも重々承知していた。今、国内は国王派閥と王弟派閥で揺れている。なのでこの結婚は、いろ〜んな政治的思惑も絡み合っているのだろう。
……。
……。
(…………ま、いっか。何とかなるでしょう)
公爵家に嫁いだら、自分の保護者が父親から公爵に代わるだけだ。
いくら残忍な公爵でも、さすがにフォレット侯爵家を敵に回すような真似はしないだろう。ある程度は自由を許されるはずである。
もし、あの噂が事実だとしても、こっちには前世チートがあるのだ。
(前世の知識を総動員して、公爵様をお論破してフルボッコにしてやりますわよ!)
こうして、キャロライン・フォレット侯爵令嬢は、ハロルド・ハーバート公爵と結婚することになったのだ。
◇
「旦那様ぁ〜! おはようございますですわーっ!!」
「なっ……!」
ハロルドはぎょっとして目を見張る。
初夜の翌日。キャロラインは玄関ホールの二階から、大声で彼に挨拶をしてきたのだ。
昨晩「愛さない」と互いに宣言したのに、何事もなかったかなように、平然と。
妻のキンキンする甲高い声は、起床して間もなくの彼の耳には刺激が強すぎた。即ち、クソうるさい。
「あ、朝から声が大きい! もっと上品にしろ!」
抗議するように、わざとらしく耳をふさぐハロルドだったが、
「おはようございます! 旦那様! おはようございます!」
彼女の挨拶はなおも続いた。
「旦那様、おはようご――」
「あーっ、分かった分かった! おはよう」
何度目かの呼び掛けに、彼はやっと反応する。すると、彼女もやっと黙った。
「お前……朝っぱらからうるさいぞ。うるさ過ぎる」
「旦那様。お言葉ですが、挨拶は基本ですわ! 昨晩も貴族の義務を果たすをおっしゃいましたでしょう? たとえ仮面夫婦でも、挨拶はすべきですわ!」
「だからって、時と場合というものがあるだろうが。そんなに大声を出さなくても私は聞こえる」
「いいえ! いけませんわっ!!」
彼女の更なる大音声に、彼の鼓膜がぶるりと震えた。しかし彼女は、夫の迷惑顔なんて気にせずに話を続ける。
「声が小さくて相手に聞こえない、というのは言ってないのと同じなのですわ! だから、挨拶は元気よく! 一日の始まりですから!」
「……」
ハロルドは話が通じない妻に辟易して、側にいる執事長と侍女長をじっと見た。
「おい……。妻を公爵夫人らしく、躾なおしておけ」
そして顔を近付け、凄みながらボソリと言う。それは脅迫だった。
執事長は困ったように眉尻を下げて、諦念の混じった枯れた声で返す。
「旦那様……お言葉ですが、もう手遅れでございます」
隣にいる侍女長もうんうんと深く頷いていた。
二人は、婚姻の準備の段階からキャロラインと関わっていて、彼女の性格を既に知っていたのだった。そんな彼らから見て、もう……無理だった。
二人の表情を見て、ハロルドは察する。そしてため息混じりに「行ってくる」とげんなりと玄関ホールを出た。
「旦那様ぁ〜! 今日もお仕事頑張ってくださいませ〜〜!」
「うるせぇっつってんだろ!!」
馬車に乗ったハロルドに、後悔の大波がどうと降りかかった。
(私は……本当に選択を間違えたのかもしれない…………)
「さて、と……」
公爵夫人としての朝の務め果たしたキャロラインは、くるりと後ろに振り返った。
それから、柱の影に隠れてるけど、ぴょこりと頭が見えている人物たちにニコリと微笑みかける。
「お子たち〜、隠れてないで出て来なさ〜〜い! わたくしが新しいお継母様ですよっ〜!!」