24 お夜会へ行きますわ!④
王宮のバルコニーは静かだった。
時おり窓から漏れてくる音楽も、どこが別の世界みたいだ。
身体を抜ける夜風が冷たくて、キャロラインの火照った皮膚もみるみる冷えていく。
(旦那様は……全てをご存知でしたのね……)
さっきの王太子との会話が、嫌でも頭の中に浮かんでくる。
ハロルドは過去のピーチ男爵令嬢とのトラブルについて言及していた。
きっと、自分が令嬢時代にしでかしたことも知っているのだろう。
(わたくしは子供たちに偉そうに教育しているくせに……。本当は……自分自身が一番駄目な人間でしたわ……)
心がどんどん沈んでいく。今日でハーバート公爵夫人という役目は、お役御免になるに違いない。
それは自分の悪行からして仕方のないことだが……、
(レックス、ロレッタ、屋敷の皆様……旦那様…………)
家族とお別れをするのはあまりに早すぎて、心残りしかなかった。
――ぽすり。
その時、冷え込んだキャロラインの身体の上に、まだ温もりの残っている礼服の上着が落とされた。
「前にも似たような夜があったな」
「旦那様……!」
大きく見開いた瞳には、いつの間にかハロルドが映っていた。彼は穏やかな表情で景色を眺めている。
「あの時は、私が君に励まされたな。今も感謝しているよ」
「そうですか……」
恥ずかしさで顔が熱くなる。あの時は乳母たちを断罪して、ずっと自分を責め立てていた夫を元気付けに行ったんだっけ。
……本当は、自分にはそんな資格なんてなかったのに。
沈黙が、静かな夜に溶けていく。
キャロラインだけが穏やかな空間に似合わずに、身体を強く強張らせていた。
(……旦那様に言われてからじゃなくて、ちゃんと自分からけじめをつけなければいけませんわ)
彼女はちょっとだけ躊躇して胸に手を当てたまま固まっていたが、意を決して夫の真正面を向いた。
「旦那様、申し訳ございませんでしたっ!!」
深々と頭を下げる。今夜の二度目の謝罪。罪悪感が大波のように押し寄せてくる。
震える手でぎゅっとドレスの裾を掴んで、嫌な汗が止まらなくて、ずんと頭が重たくなった。
「なぜ謝るんだ?」
ハロルドは静かに言った。穏やかな声音で、そこに怒りの感情など一滴も混じっていないようだった。
夫の意外な反応に、キャロラインは反射的に顔を上げる。
今にも泣きそうな彼女の顔は普段の様子からは考えられなくて、ハロルドの胸が締め付けられた。
「わたくしは……」
彼女は消えそうな声を絞り出す。
「令嬢時代のわたくしは王太子殿下が述べられた通りに、ピーチ男爵令嬢に嫌がらせをしていました……。なので……わたくしは……旦那様がおっしゃるような、立派な人間ではございません。むしろ、軽蔑されても仕方のない――」
「ストップ」
「むぐぅっ!」
キャロラインの口の動きが止まる。ハロルドが彼女の唇の両端をむぎゅっと掴んで、お口にチャックをしたのだ。
彼はふっと微笑んで、
「私は、今も君は貴族として立派に務めていると思っている」
「へ、へふびゃ(で、ですが)……」
「確かに、過去の君の行動は褒められたものではなかった。だが今の君は、その頃とは全然違うんじゃないか?」
ハロルドの押さえていた手が離れる。まだ少し痺れる皮膚の感覚が、名残惜しそうにしていた。
「君は心から反省をして、自分自身を変えた。私は、前向きに頑張っている人間を応援したいと思っている」
「旦那様……」
キャロラインの瞳に、じわじわと涙が浮かんできた。
「人は『今』の行動が大事なんだ。私は君のおかげで、今は子供たちと向き合うことができた。だから……」
ハロルドの曇りのない眼差しが、キャロラインを見据えた。
「私は君を信じている、キャロライン」
「ふっ……ふっ……」
ついに彼女の涙腺が崩壊した。
「ふえええぇぇぇぇぇぇぇえんっ!!」
キャロラインは泣き崩れる。ずっと張り詰めていた糸が、緩やかに落ちた瞬間だった。
ハロルドは優しく妻を抱きしめる。普段からぎゃあぎゃあとうるさい妻は、やっぱり泣き声もうるさかった。
「びええええぇぇぇぇぇぇええんっ!!」
渡したハンカチもぐしゃぐしゃになって、涙と鼻水と涎で彼の礼服もみるみる濡れていく。
こんな大惨事な様子の妻も、とても愛おしいと彼は思った。