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22 お夜会へ行きますわ!②

「はっ。どの面下げて夜会に参加したのだか」


 キャロラインの胸がドキリと跳ねる。

 公爵夫妻に声を掛けたのは、スティーヴン・グローヴァー王太子と、その恋人のナタリー・ピーチ男爵令嬢だったのだ。


 今日は二人の婚約のお披露目の場でもあった。

 どんな手を使ったのか知らないが、王太子は身分の低い恋人と何とか婚約まで漕ぎ着けたようだ。


「よくここに来られたな」


「王太子殿下、この度はご婚約おめでとうございます」


 まずハロルドが一歩前へ出て、(うやうや)しく挨拶をした。あまり評判のよろしくない王太子に彼としても何やら思うことはあるものの、王族への挨拶は臣下の義務なのだ。


「素晴らしい令嬢と婚約できて良かったよ。前の婚約者はどうしようもない女だったからな」


 スティーヴンは冷やかすような視線をキャロラインに送りながら鼻で笑った。隣りにいるナタリーも馬鹿にするようにくすくすと笑っている。


「まだ公爵夫人なのだな。もう傷物になったと思ったのに」


「……」


 キャロラインは顔を伏せたまま動かない。マナーとして王族に低頭しているが、王太子の顔を見るのも吐き気がした。

 だが向こうから絡んでくるのだから、嵐が過ぎるのをひたすら待つしかない。


「まさか。素晴らしい妻ですよ。教養もありますし、貴族として申し分ない」


 ハロルドは爽やかに笑ってみせたあと、挑発するようにスティーヴンをじろりと見た。妻のことを悪し様に言われて、夫として黙って引き下がるわけにはいかない。


「そうか。公爵は意外と理想が低いのだな。ま、貴公は王族とは違うものな」


 王太子も負けじと言い返す。

 今日はなんとしてもキャロラインをこき下ろしたかった。


 あの時――元婚約者に婚約破棄を言い渡した日。

 当初の予定は、大勢の貴族の前でキャロラインに土下座をさせて、高いプライドをズタズタにしてやるつもりだった。

 侯爵令嬢が男爵令嬢に(こうべ)を垂れて許しを請うなんて、とても滑稽で惨めな姿だったに違いない。


 しかし、この女は想定外の行動を起こした。すんなり婚約破棄を受け入れたと思ったら、脱兎のごとく逃げやがったのだ。土下座のあとは難癖つけて牢屋にぶち込もうと思っていたのに。

 おまけに王族でも迂闊(うかつ)に手を出せないハーバート公爵と婚約しやがって。


 このままでは溜飲(りゅういん)が下がらない。王太子としての矜持(プライド)を傷付けられたのだ。



「そうですね、我々は王族の方とは違いますね。私のような者は下級貴族と婚姻を結ぶような度胸はありませんので」


 だがハロルドも負けていない。

 妻のことを侮辱した者は、たとえ己より身分が上でも許すつもりはなかった。


 二人の間に火花が散った。思いも寄らぬ見世物に、周囲の貴族たちは色めき立つ。

 キャロラインはどうしたら良いか分からなくて、ただおろおろとパートナーを見つめいているだけだった。


「はっ。妻も妻なら夫も大概(たいがい)だな」


 口火を切ったのはスティーヴンだ。

 彼は今日は絶対に負けない自信があった。なぜなら、正義はこちらにあるのだから。過去の()()を覆すことはできない。


「お前の妻には、まだ過去の無礼に対する謝罪を受けていないな」


「過去の無礼とは何でしょう?」


「やれやれ。夫が妻の悪事も知らないとは」


 スティーヴンは「びしぃっ!」と大仰にキャロラインを指さしてから、


「いいか、そこの女は私の婚約者であるナタリー・ピーチ男爵令嬢に対して、数々の嫌がらせをおこなってきた。未来の王族に対して、あるまじき行為だ」


「令嬢はまだ王族ではありません。ただの男爵位の娘です」


「だが今日からは正式に私の婚約者だ。公爵夫人より明らかに位が上だろう?」


「たしかに今夜は――」


 ハロルドが反論しようとすると、キャロラインが彼の袖をぎゅっと強く引っ張った。


「どうした?」


 彼は言葉を止め、心配して妻の顔を覗き込む。

 彼女はまだ俯いたままだったが、一拍して意を決したように顔を上げて夫を見た。


「っ……!」


 彼女は表情は今にも泣きそうだった。しかし唇を引き結んで、何とか耐えていた。

 輝く金色の瞳は、強い意思が宿っているように感じた。


「旦那様……」


 キャロラインは震える声で囁く。


「ありがとうございます。わたくしは大丈夫ですわ」


 そして、ふっと柔らかく笑った。

 ハロルドの心臓が跳ねる。こんな瞬間なのに、女神のように凛々しく美しく感じたのだ。


「……王太子殿下、ピーチ男爵令嬢」


 キャロラインはしかっりとした視線を元婚約者たちに向け、一歩前へ踏み出した。

 会場内の注目を一斉に浴びる。緊迫した空気が、彼女の胸を締め付けるようだった。


 彼女は詰まったものを開放するようにすっと息を吐いてから、

「殿下のおっしゃる通り、嫌がらせ()事実です。改めて謝罪申し上げます」


 深々と、頭を下げた。


 少しの間だけ時間が止まる。

 貴族たちは思わず息を呑んだ。ハーバート夫人のお辞儀の美しさに見惚れてしまったのだ。


「キャロライン……」


 ハロルドは心痛な面持ちで妻を眺めていた。彼女の堂々とした姿は美しくもあり、そして静かな悲しみも帯びていた。


(これは、けじめですわ……)


 今は聖子が体の持ち主でも、キャロラインとしての記憶は残っている。

 彼女の言い分はほとんど正論ではあったけど、言葉の中に()()が含まれていたのも確かだ。必要以上に意地悪をしたのも確かだ。


 ――悪いことをしたのなら、謝らなければいけない。そこには身分なんて関係ない。


 キャロラインはロレッタとレックスによく言い聞かせていた。母親である自分がそれを体現(たいげん)しなければどうするのだ。


(過去の過ちを認めることで、お屋敷から追い出されるかもしれませんわね……。でも、都合の悪いことから逃げ回るような卑怯な真似を、子供たちに見せたくありませんわ)


 それは、彼女なりの教育方針だった。



 しばらくの静寂のあと、


「――っふ。ははははは!」


 スティーヴンが勝ち誇ったように大声で笑った。隣に立つナタリーも「きゃははは」と下品に声を上げて笑っている。


「認めたな! この女は、身分を笠に着て他人(ひと)を貶めるような下劣な女なのだ! 可哀想なナタリーは、この女のせいで散々苦しめられてきた。とんだ悪女だ!」


「っ……」


 周囲の視線が痛い。ハロルドの顔がまともに見られない。

 刺すような空気に耐えられなくなって、会場から出ていこうと踵を返す。


 ――ガシッ!


「……!」


 刹那(せつな)、ハロルドが妻のか細い手首をしっかりと掴んで、その場に(とど)まらさせた。

 そして、


「妻は確かに謝罪をしました。――では、そちらも妻に謝罪していただきたい」


 王太子の瞳を()め付けながら、力強く言い放った。



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