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21 お夜会へ行きますわ!①

 王宮へと向かう馬車の中は、静まり返っていた。


 普段なら一人でペチャクチャと喋っているキャロラインだが、今日は違った。

 緊張した面持ちで、正面に座っているハロルドと目を合わせることもない。

 膝の上で固く握っている拳はじっとりと汗をかいて、シルクの手袋がべとついている気がして不快だった。


 今日の夜会は行きたくなかった。

 大勢の貴族や……王太子を前にすると、過去の記憶が嫌でも(よみがえ)ってしまうから。

 再び、それと向き合うことに大きな不安を覚えたのだ。


 ……いや、本当は違う。

 それらのことを(ハロルド)に知られるのが……怖い。


「緊張しているのか?」


 ハロルドの落ち着いた声が沈黙を破る。キャロラインは弾かれたように、はっと顔を上げて現実に戻ってきた。


「そう……ですわね。その……わたくし……ハーバート公爵夫人としてお夜会に参加するのは初めてですから」


 しどろもどろだが何とか誤魔化せた、と彼女は思った。だが、彼はそんな焦りさえもお見通しだった。

 数拍して、意を決したように彼は言った。


「令嬢時代の社交界の噂は、私も聞き及んでいる」


「っ……!」


 にわかに、キャロラインの顔が赤くなった。過去の自分のことを夫に知られたのが、なぜだか恥ずかしかったのだ。


(軽蔑……されますわよね……?)


 おそるおそる夫の顔を盗み見る。

 前世の記憶が戻る前の彼女は、それはもうスティーヴン王太子に一直線で、これまで何度暴走したことだろうか。

 そのことをハロルドが聞いたかと思うと、羞恥心でどうにかなりそうだった。


 だがハロルドは、彼女の悪い予想とは全く異なる様相でふっと笑ってみせた。


「いろいろと悪く言われているようだが、きっと君が王太子の婚約者だからだったのだろう。社交界は足の引っ張り合いだからな。気にするな」


「そっ……」


 キャロラインは夫の想定外の言葉に大きく目を見開く。しかし途端に罪悪感が湧き上がってきてパッと目を逸らした。


(そんなこと……)


 ハロルドは妻の本当の気持ちなんて知らずに、少し弾んだ口調で励ますように話を続ける。


「私は君が世間で言われるような悪女ではないことを知っている。今夜は胸を張って、堂々と、パーティーを楽しもう」


 キャロラインはぐっと唇を噛んで俯いた。濁りのない心で信じてくれているハロルドの存在が、却って恐怖心を煽ってくる気がした。


(違うのです、旦那様……。()()()()()()は、あなたが思っているような立派な人間ではないのですよ……)


 馬車はどんどん王宮に近付いていく。

 それに比例して、キャロラインの心はだんだんと沈んでいくのだった。







「ハロルド・ハーバート公爵、並びにキャロライン夫人のご到着です」


 その名前に、夜会の会場はしんと静まり返る。いよいよ、噂の二人の到着だ。


 戦ばかりで血に(まみ)れている公爵と、王太子の元婚約者の公爵夫人。

 今夜はその二人が結婚してから初めて公の場に立つ。貴族たちは興味津々だ。


「さぁ、行こうか」


「え、えぇ……」


 ハロルドがキャロラインの手を優しく取って、おもむろに宴の中へ入っていく。


(眩しいですわね……)


 久し振りに参加するパーティーは、いつもよりキラキラと輝いて見えてどこか別の世界に迷い込んでしまった気がした。

 本当は王宮の最高級のもてなしを堪能したいのに、今の彼女には余裕がなかった。




「来たわよ」


 たちまち貴族たちのヒソヒソ話がはじまる。彼らの視線が、一気にハーバート夫妻に集まった。


「フォレット侯爵令嬢が、大人しく王太子殿下以外と婚姻するなんてねぇ」


「すぐに離婚すると思ってたのですが……」


「あの悪女を押し付けられて公爵も可哀想に」


「あら? でも意外にお似合いね、あの二人」


 ざわざわと、さざ波のようにいろんな声が耳に入ってきた。

 キャロラインも貴族なので、こういった囁きは慣れているのだが、今日だけは不安を掻き立てていく。


「珍しいな。まだ緊張しているのか?」


 ふと気付くと、ハロルドが不思議そうにキャロラインの顔を覗き込んでいた。……駄目だ、直視できない。


「ま、まぁ……そう……ですわね」


 曖昧に答える。でも本当は緊張ではなく、今夜でハロルドに見放される予感がしてひどく恐ろしかったのだ。


 ハロルドは「やれやれ」とため息をついて、


「仕方ないな。これから一緒にムーンウォークでも踊るか?」


「えぇっ!? いいんですの!? っていうか、旦那様も踊れまして?」


 キャロラインがぱちくりしていると、


 ――ぺちっ!


「ぎゃっ!」


「冗談だ」


 ハロルドのデコピンが彼女を軽くつついた。


「いいか? 今日は絶対に変な踊りはするなよ」


「あれはれっきとしたダンスです! 変な踊りではありませんわ! 次の曲で乗り込みますわよ!」


 キャロラインが意地になってダンスホールの中央へ向けてスタンバイの姿勢を取ると、


「少しは元気が出たようだな」


 ハロルドはふっと笑ってみせた。


「あっ……」


 彼女ははっと我に返って夫の顔を見る。


(わたくしのこと、励ましてくださったのね……)


 心の中がもぞもぞして、こそばゆい感じだった。


「だが、ムーンウォークは駄目だ」


 彼は、虎視眈々と変なダンスを狙って構える妻を、持ち上げるように自身の身体に引き寄せた。


「むぅー! 今宵のために特訓しましたのにぃー」


「私の目が黒いうちは絶対に踊らせないからな」




「おやおや。仲が良いねぇ、お二人さん」


 その時、ハーバート夫妻の背後から、楽しそうに弾んだ声が聞こえてきた。


「ルーク!」


 振り返ると、そこには豪華な礼服を着た美丈夫が立っていた。

 ハロルドと同じくらいの年齢で、体格も同じくらいに(たくま)しい。


 ハロルドの輝くようなホワイトブロンドとは対照的に、彼の髪は妖艶に黒光りし、赤い瞳が全てを吸い込みそうだった。


「ルーク、来てたのか」


 彼の名前はルーク・グローヴァー。王弟だ。


 ハロルドと同い年だが、まだ独身を貫いている。「モテる男は一人の相手を選ぶのが困難なんだよ」と豪語しているものの、実のところは王位継承権の争いに妻子を巻き込むのを避けたかったのが理由だ。

 この国も、いろんな欲望が渦巻いているのである。


 幼い頃からの親友の登場に、ハロルドの頬の筋肉がほぐれた。


「紹介がまだだったな。妻のキャロラインだ。――キャロライン、こちらの方はルーク・グローヴァー王弟殿下」


「キャロライン・ハーバートと申します。ご機嫌よう」


「あぁ、よろしく」


 ルークは親友の妻の顔を見て、ニヤリと笑った。


「ついに自慢の奥さんを見せびらかしに来たか」


「なっ……!」

「えっ……」


 思いも寄らない言葉に、二人とも固まった。ハロルドは焦燥、キャロラインは驚愕だ。


「キャロライン夫人、知ってるか? ハロルドのやつ、最近は毎日君との惚気話(のろけばなし)ばかりしてるんだぜ? 参ったよ〜」


「あらぁ〜……」


「おいっ! デタラメを言うな! 私はそんな話は一度も――」


「昨日だって『キャロラインに自分と色を合わせたドレスを贈った』って自慢してたじゃないか」


「っ……」


 ハロルドの顔がみるみる真っ赤になった。

 別に、ただの世間話だし、夫婦が色を合わせるのは当然のことだし、何も特別なことでは……。


「まぁ〜っ、旦那様っ!」


 キャロラインは喜色満面で言う。


「そんなにわたくしのことを気に入っていらしたのね! もうっ、ロレッタに似て素直じゃないんだからぁ〜!」


「ちっ……ちがっ……」


 いや、違わない。


「わたくしはハーバート公爵家の立派な! 自慢の! 女主人ですからぁ〜!」


 キャロラインは調子に乗りまくる。彼女は自意識過剰な自惚(うぬぼ)れ屋なのだ。

 ちなみに、男女の色恋に(うと)い彼女は、違う解釈をしているようである。


「オーホッホッホッホッ!」

「わはははは!」


 キャロラインとルークの笑い声が見事にシンクロした。


「だから二人の顔を合わせるのが嫌だったんだ……」


 ハロルドはがくりと肩を落とした。


「じゃ、今日は夫婦で楽しんでくれたまえ」


 ルークはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら去る。

 残された二人は、恥ずかしさが微妙に混じったほんわかした空気に包まれていた。




「はっ。どの面下げて夜会に参加したのだか」


 しかし、柔らかい空気は、すぐに掻き消された。

 キャロラインの黒歴史が襲撃してきたのだ。

 


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