19 おダンスのお稽古ですわ!①
王宮のパーティー。
それは、この国でもっともきらびやかで、もっとも権威のある催しだ。
それに参加できるのは高位貴族が中心で、宴の席に足を一歩踏み入れられるだけで非常に光栄なことだった。田舎の下級貴族が運良く出席できたとすれば、末代まで語り継がれるほどに。
ただし、権利には義務が付きものだ。
参加者は王宮に相応しいマナーや教養、気品さを備えていなければならない。
ましてや生き馬の目を抜く貴族社会。公爵という最上級の身分の者は、少したりとも弱点を見せてはならないのだ。
「――それで、ダンスのお稽古ですの?」
「そうだ」
キャロラインとハロルドは、屋敷のダンスホールにやってきていた。
衣装に着替えてやる気満々の夫に、少しだけ及び腰の妻。侍女長がピアノでスタンバイをして、双子とドラゴンはお留守番。今日は夫婦だけの時間だ。
「……やはり、嫌なのか?」
乗り気でない妻の様子を見て、ハロルドはおそるおそる尋ねる。
キャロライン・フォレット侯爵令嬢は、ダンスが苦手だと聞いていた。
なので社交界ではほとんど踊ってみせたことがなく、婚約者の王太子ともこれまでに一度しか相手を務めなかったとか。
だが実は、フォレット侯爵令嬢は、別にダンスが苦手ではなかった。
むしろ身体を動かすことは大好きで、他にも乗馬や狩りや剣術も心得があった。
しかしスティーヴン王太子が恋人のナタリー・ピーチ男爵令嬢以外の女と踊ることを嫌い、侯爵令嬢をパートナーとすること断固拒否。
それに当時のキャロラインも、愛しの王太子殿下以外と踊るなんてまっぴらごめんだったので、ダンス自体をひかえていたのだ。だから彼女のダンス姿を見た者はいないに等しかった。
どうやらそれが曲解されて、「フォレット侯爵令嬢はダンス嫌い。下手くそ」という不名誉な噂が一人歩きしているようだ。
「人は誰しも苦手なことがある」ハロルドは独り合点してうんうんと頷く。「だが、時には困難に立ち向かわない日も来るのだ」
ハロルドは今度の夜会でキャロラインの悪いイメージを少しでも払拭したいと考えていた。
未だに社交界には、フォレット侯爵令嬢の悪評が根強く蔓延っている。だが、それは全てデタラメなことを、彼はここ数ヶ月で知ってしまった。
たしかに彼女はうるさいし無鉄砲で空気の読めないところはあるが、世間で囁かれているような悪女ではない。むしろ、優しくて正義感の強い女性だ。
今度の夜会では、そんな素晴らしい女性……かもしれない妻のことを、少しでも周囲に知らしめたかった。
そこで、ダンスである。
これまでは「苦手だから」と人前で踊らなかった彼女。
それが豹変して華麗な動きを見ることができれば、彼女自身の中身も良い意味で変わったのだと周囲は感心するのではないだろうか。
きっと今後の彼女の評価にも繋がるはずである。
それにこんな些細なことで公爵夫人が批判を浴びるのは、彼としても我慢ならなかった。
貴族は一面だけで人となりを判断するきらいがある。ダンスなんかで妻の全てを否定されるのは、不愉快極まりなかったのだ。
「苦手なことを克服するのは困難を伴うかもしれない。だが、私もいる。共に頑張ろうじゃないか」
ハロルドは手を伸ばす。これから夜会という戦場で隣に立つ、頼もしい(?)戦友に向かって。
「……」
しかし、使命感に燃えているハロルドとは打って変わって、キャロラインは珍しくテンションが低かった。
「あのぅ、旦那様……。大変、申し上げにくいのですが……」
彼女は少し視線を泳がせたあと、おずおずと小さな口を開く。
「なんだ? 苦手なことを晒すのは、恥ずかしいことではない。遠慮せずに言ってみなさい」
「それがですねぇ……わたくし……」
「ん? どうした? 疑問があれば何でも聞いてくれ」
キャロラインはちょっとだけ戸惑う素振りを見せるが、意を決したように、すっと軽く息を吸った。
そして胸に手を当てて、
「わたくし! ダンスは! 大☆得☆意っ! ですの!!」
自信満々な超大声が、ダンスホール中に反響した。
「っ……?」
目を丸くするハロルド。キャロラインは「きゃー! 言っちゃたぁ!」と顔を赤くしてくねくねと左右に動いている。
(本当に……? ただ意固地になっているのか?)
彼は困惑する。にわかには信じられなかった。
だって、噂だけではなく、実際に彼女は人前で踊っていないのだから。
彼自身、妻の過去の悪評を信じていたことを恥じたが、ダンスの件は紛れもなく客観的な事実だ。
「キャロライン……。恥ずかしがらなくてもいいんだぞ。できなくても、私は笑ったりはしない」
「いえ……。本当に……」
聖子は、大学でヒップホップダンスサークル所属。それにフォレット侯爵令嬢も運動神経が抜群だ。
そんな二人の融合体は、ダンスが苦手なわけがない。
むしろ、国中で一番の踊り子だと自負している。キャロラインはいつだって自意識過剰なのだ。
「ふぬ……」
ハロルドは顎に手を当てて、しばし考え込む。どうやら嘘をついているわけではなさそうだ。
たしかに、彼女は苦手なものは苦手だとハッキリと自己主張をする人間だった。
(では、あの噂は一体なんだったのだろうか……。それに、得意ならなぜ頑として踊らなかったのだろうか)
それはフォレット侯爵令嬢の黒歴史なのだが、もうそのことは絶対に語りたくなかった。
あのクソヴォケクズカス王太子――略してクソ太子なんか、顔も見たくない!
「では、実際に踊ってみませんか?」
キャロラインは夫に向かって、ちょっと恥ずかしそうに手を伸ばす。
人とペアで踊るダンスは、転生してから初めてだった。それに気付いた瞬間、なぜだか羞恥心があふれてきたのだ。
ハロルドは彼女の手を優しく受け取った。
ピアノの侍女長に目配せをする。
ポロン、と鍵盤の音が鳴り響く。
二人は両手を掴んで身体を密着させる。
「いくぞ。1、2、――」