18 タッくんとの生活ですわ!
ハーバート家に伝説のドラゴン、ジークフリード・タンホイザー・ゲオルグ・ヴォルフガング・キャロリング・ノーヴァ……通称タッくんがやって来てから、一月が経った。
「コラ! やめんか、馬鹿者!」
「タッくん、まって! あそぼ、あそぼ!」
タッくんは今日も元気にレックスと走り回っていた。
いつもの追いかけっこだ。屋敷の長い廊下をタッくんがビュンと飛んで、その後をレックスが楽しそうに追い回していた。
「あらあら。すっかり仲良しさんになりましたわね」
二人の様子を、キャロラインが微笑ましそうに眺めていた。
生き物を飼うことは、子供の発育に好影響を与える。乳母たちから受けた傷がまだ癒えていない二人にとって、ペットは良い刺激になっているようだ。
「小娘、我を助けよ」
タッくんは隠れるようにキャロラインの背中に張り付いた。その仕草が小動物みたいで可愛くて、彼女はニマニマしながらドラゴンを撫でる。
そのうちに、レックスが追いついた。
「おかあさま、タッくんをかえして!」
継母は困ったように眉尻を下げて、
「タッくんは疲れているのよ〜。レックスも一緒に休憩しましょう?」
「ヤだ! まだタッくんとあそぶの!」
「午後は剣術のお稽古でしょう? それまで体を休めないと」
「ぼくは、げんきだい!」
「タッくんはもう休みたいって言っているわよ? お友達が嫌がることをしたらいけませんわ」
キャロラインは「めっ!」とレックスを叱り付ける。
それでも継子は素直に従うつもりはなさそうだ。「イヤイヤ」と首を横に振っている。
(最近は前よりワガママを言うことが多くなったわねぇ。ま、それだけ心を開いてくれているのは嬉しいんだけど……)
乳母たちがいなくなった影響か、はたまたキャロラインに慣れた影響だろうか。ここのところ、レックスの自己主張が激しくなっていた。
育児とは、教育学部で学んだテキスト通りにはいかないようだ。
「困りましたわねぇ……。あ、そうですわ! 良い子にしていたら、いいことを教えてあげますわ」
「いいこと!? なぁに? なぁに?」
途端にレックスの瞳がキラリと輝く。もうタッくんのことはどこかに行ってしまって、今の彼の頭の中には「いいこと」でいっぱいだった。
乳母のバーバラが評価したように、彼は頭が弱い――もとい、とても純粋な子なのだ。
「ふっふっふ……それはね……」
キャロラインはちょっとだけもったいぶって間を置いてから、声をひそめて言った。
「お父様の秘密のチョコレートの隠し場――むぐぅっ!!」
次の瞬間、彼女の小さな口を背後から白い手袋で包んだ大きな手がふさいだ。
驚いて振り返ると、
「ひゃ、ひゃんなぴゃみゃ(だ、だんなさま)!?」
「お前……今、何を言おうとした?」
ハロルドが凄い目力で妻を睨んでいた。完全に戦場での視線運びである。
彼女はするりと夫の腕の中をすり抜けて逃げた。
「特に何も言っていませんわ」
「嘘をつけ。あのことをバラそうとしただろ?」
「違いますぅ〜」
「絶対に言うなよ!」
彼女は誤魔化すように「ピュピュピュ〜」と下手くそな口笛を吹きながら彼から距離を取った。
その隙を狙ってレックスがタッくんを捕らえようとしたが、ドラゴンはさっとすり抜けて、今度はハロルドの背中にひっつく。
「お前の息子の未来はなかなか困難だぞ。あれは将来、公爵家を過去最高に繁栄させるか、あるいは滅亡させるか……だ」
ハロルドは伝説のドラゴンの思わぬ予言に顔を綻ばせた。
「それは、父よりも優れた人物になるということか? 親としては喜ばしいことだな」
「我は破滅させる可能性のほうが高いと考える」
「その時は、ロレッタが止めてくれるさ」
「あたし、そのころには、けっこんをして、こうしゃくけをでていってるわ」
いつの間にか近くに来ていたロレッタが、ツンと澄ました顔で言った。
「けっこ……」
愛娘の衝撃的な言葉に父は一瞬だけ凍り付いたが、遠い未来のことなど考えないことにした。
「そうなるかもしれないが……。その時は、レックスの妻が止めてくれるだろう。――ところでロレッタ、本当に嫁に行くつもりか? もう相手がいるのか? 誰だ? 私が知っている令息か?」
やっぱり、遠い未来が気になってしまう父であった。
「旦那様、本日は王宮で騎士団の訓練なのでは?」
継子が父親の質問攻めに困っていたので、キャロラインは話題を変えて助け舟を出した。
「おお、そうだった」
ハロルドは思い出したように、懐から一通の手紙を出した。
「これは……!?」
キャロラインははっと息を飲む。
封蝋には、この国なら誰でも知っている盾とユニコーンの紋章。それは、グローヴァー王家の印だった。
嫌な予感がする。
そんな彼女の微かな動揺を察知したハロルドは、申し訳なさそうにため息交じりで言った。
「国王陛下から夜会の招待状を賜った。もちろん夫婦同伴でだ」