17 伝説のおドラゴン様ですわ!
「いたっ! てか、アツぅっ!」
「おい、大丈夫か? 誰か、水を!」
メイドが慌てて差し出した水を、ハロルドがハンカチに浸して妻の頬にそっと押し当てた。
「ありがとうございます。ヒリヒリですわ」
「ふんっ! 我を丸焼きにしようとするからだ。けしからん」
キャロラインのすぐ背後から男の声が聞こえた。それは威厳がありそうで、どこか偉そうな声音だった。
「えっ……!?」
彼女が驚いて振り返ると、
「ト……トカゲが空を飛んでいますわ……!」
さっきまで焼き網の上で横たわっていたはずの大トカゲが、ぱたぱたと翼を広げて浮遊していた。
常識ではあり得ない様子に、ハーバート家の全員が硬直する。誰もがあんぐりと口を開けて、目を白黒させていた。
トカゲに翼があって、宙を飛んでいて、しかも喋っている。こんなの、おとぎ話でしか聞いたことがない。
黄金の瞳が、キャロラインたちをギロリと睨み付けた。
眠っている時は気付かなかったが、鋭い牙に、太くて長い爪。猫並みのサイズの個体だが、獰猛さをぎゅっと凝縮しているような威圧感があった。
「馬鹿者」
――ぺちん!
「ぎゃんっ!」
再び、トカゲがキャロラインの頬を尻尾で引っ叩き、彼女は大きく仰け反った。
今度は軽くくすぐる程度だったが、彼女は常にオーバーリアクションの面倒くさい夫人なのだ。
「我はトカゲではない」
「えぇっ!? 空飛ぶおトカゲじゃあありませんの?」
「トカゲは空を飛ばぬ。もっと思考を広げるのだ、小娘」
う〜〜〜ん、とキャロラインがアドバイス通りに頭を捻っていると、
「ま、まさか……!?」
「ぼく、わかっちゃったー!」
父と息子が、同時に声を上げた。
「えっ!? お二人とも、もう答えが分かったんですの?」
キャロラインは弾かれたように二人を見る。
「にわかには信じられないが……」と困惑顔のハロルド。
「こんなの、かんたんだよ!」と自信満々のレックス。
「ほう。男どもは理解が早いな。――で、どうなんだ小娘? 我の存在を当ててみよ」
二人と一匹の視線がキャロラインを見据える。目に見えないプレッシャーが彼女を焦らせた。
「ちょ、ちょっと、お待ちくださいまし! わたくし、おクイズは苦手なんですの〜」
と、彼女がまだうんうんと考えていると、
「でんせつのドラゴンでしょ? えほんでよんだわ」
ロレッタの冷ややかな声が、先に答えを言ってのけた。
「な、な、なぁんですってええぇぇぇーーーーーーっ!!」
いつも声の大きい公爵夫人の、更にどデカい声が大地を揺らした。
「「うるさい」」
迷惑顔のハロルドとドラゴンが同時に突っ込む。
「ほっ、本当に? 本当に、おドラゴンは存在しますの?」
「建国の伝承にはあるにはあるが……」
「ぼくも、えほんでしか、みたことない」
「あたしも」
ハーバート一家がぐるりとドラゴンを囲い、ためつすがめつ眺める。好奇心旺盛なレックスは、棒切れでツンツンとつついていた。
「やめんか」
ドラゴンがレックスに向かってふっと軽く一息吐くと、
「うわあぁぁっ!」
それは強風となって、小さな彼にぺたんと尻もちを付かせた。
「いたぁい!」
「我をつつくからだ、小さき者よ」
「だって、ぼく、ドラゴンってはじめてみるもん!」
「我は見世物ではない。こうなったのも、全て小娘のせいだな」
ドラゴンがキャロラインをギロリとひと睨みする。威嚇するような瞳は、丸くて、猫みたいで――……。
「なんてキュートなんでしょう〜! きゃわきゃわですわぁ〜!」
彼女はぎゅっと抱きしめた。くるんとした瞳の小さなドラゴンの姿はとても愛らしく、胸の奥からキュンキュンとときめきが溢れてきたのだ。
「やめい!」
「びゃっ!」
ドラゴンは翼をブンと勢いよく広げて、キャロラインを吹き飛ばした。
そして次の瞬間、
――ドン!
地底から突き上げるような衝動と、地鳴音。たちまち彼女らの目の前を、黒い影が覆い尽くす。
「「「「!?!?!?」」」」
そこには、巨大なドラゴンが現れたのだ。
屋敷の三階まで届く巨体。広げた翼は庭を包み込むように広く、牙と爪も人間の大きさほどあって、「恐ろしい」としか形容しようのない姿をしていた。
ドラゴンは、キャロラインの瞳をまっすぐに捉える。
「我の名は、ジークフリード・タンホイザー・ゲオルグ・ヴォルフガング・キャロリング・ノーヴァ。時空を司る者」
「時空……」
ドクン、とキャロラインの脈が跳ねる。カチカチと無数の時計の秒針の音が、彼女を包みこんだ。
時空――時間と空間。異世界転生と繋がりがあるのだろうか。
彼女がしばし真面目に思案していると、ドラゴンはふっと口角を上げて笑った。
「お前の想像通りだ。我は――」
次の瞬間。
――ぽんっ!
巨大なドラゴンは、元の猫サイズの大きさに戻った。
「チッ」彼は悔しそうに舌打ちをする。「今は1分しか元の姿に戻れんのだ」
「なぜですの?」
「お前のせいだ、馬鹿者!」
――ぺちん!
「きゃんっ!」
またぞろ彼の尻尾アタックがキャロラインのおでこに直撃した。
「簡潔に言うと、我は時空の狭間で眠っていた。だがお前に強制的に起こされた。そしてお前の為に力を失い、気付くとこの世界にいた。すると、お前が我を丸焼きにして食おうとしたのだ! たわけが!」
「お前……。伝説のドラゴンを食べようとしたのか?」
ハロルドの冷ややかな視線がキャロラインを射抜く。ドン引きである。
ドラゴンは神聖な存在で、神に等しいのだ。その肉を食するなんて……。
「だ、だって……お子たちにおタンパク質を取らせたかったんですもの。丁度良いお肉だったのですわ!」
ハロルドは「うわぁ……」と顔をしかめて、妻から一、二歩離れた。
ドラゴンも少しキャロラインを白い目で見てから、
「そういうことだ。お前、責任を取れ。我が力を取り戻すまで面倒を見るのだ」
「えっ……!? それは、どうやって……?」
「簡単なことだ。我に食事と寝床を与えて、もてなすのだ」
キャロラインはほんの少しだけ目をぱちくりさせてから、
「なぁ〜んだ!」
合点したようにポンと手を叩いた。
「つまり、わたくしがおドラゴン様を飼えば良いのですね!?」
「飼うっていうな」
「お安い御用ですわ〜。あ、でも、屋敷の主の許可を取らなければなりませんわ。――というわけで旦那様、この子、飼って良いですかぁ〜?」
「誰が『この子』だ。我を崇め奉れよ」
「あ、あぁ。まぁ、普段は小さいサイズなら飼えるか。念のため、巨大化した用の小屋も作っておこう」
「我はペットではない」
「うわぁ〜、ドラゴン、かうんだぁ〜!」
「あたしも、おせわをしてあげてもいいわ?」
「責任を持って飼うんだぞ。生き物なんだからな」
「「「はぁ〜〜い!」」」
キャロラインと双子は、元気よく返事をした。
「おい……」
一匹だけ置いてけぼりにだれたドラゴンは、疎外感が押し寄せて寂しく思った。
「では、決まりですわ〜! よろしくね……えっと、お名前はなんと呼べばよろしいの?」
「我の名か、好きに呼べ。他の者からは――」
「タッくん!」
レックスの大声がドラゴンの言葉を遮った。彼はキラキラと瞳を輝かせながら、嬉しそうに弾んだ声音で続ける。
「タンパクしつで、タンホイザーだから、タッくん、だよ!」
彼のキラキラオーラがパラパラと皆に降りかかった。幸せな空気がほわんと広がる。
「まぁ! 素敵なお名前ね!」
「良いじゃないか」
「まぁまぁね」
それぞれ称賛したあと、
「よろしくですわ、タッくん」
キャロラインは代表してタッくんと無理矢理握手をした。
「我はそのような軟弱な名前ではない……」
こうして、ハーバート公爵家に、新しい家族ができたのだ。