15 初めて対話した夜ですわ…!
「旦那様、ここにいましたの。夜風は身体に毒ですわよ」
ハロルドはおもむろに振り返る。逆光でよく見えなかったが、彼の瞳は揺れているように見えた。
キャロラインはゆっくりと彼のもとまで進んで、大人1人分くらいの間をあけて並んで立った。
「……子供たちは?」と、ハロルドは沈んだ声で訊く。
「もう、寝ましたわよ。疲れていたようで、ぐっすり」
「そうか……」
ロレッタとレックスには、乳母と一部の使用人が屋敷から去ったことを伝えた。
はじめは二人とも混乱してわんわんと泣いてしまった。だがハロルドが根気よく話したところ、ひとまずは納得したようだった。
それでも、二人にとって今回の件はトラウマになっているかもしれない。
特に、ロレッタだ。彼女はバーバラのことを盲信していたようなところがあったので、ショックはレックス以上のようだった。
これから時間をかけてケアをしなければいけないと、キャロラインは固く胸に誓った。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。夜風で葉がざわめく音だけが聞こえている。
二人ともまっすぐに景色だけを見つめていたが、隣にいる配偶者の気配をずっと意識していた。
少しして、
「申し訳ございませんでした!」
「すまなかった!」
キャロラインとハロルドは、同時に向き合って頭を下げた。
「っ……!?」
「んっ……!?」
今度は同時にガバリと勢いよく頭を上げて、目をぱちくりさせながら見つめ合う。
「なぜ、君が謝る?」
「旦那様こそ……」
二人して不思議そうに首を傾げた。
数拍して「どうぞ」とレディーファースト然とハロルドが小さく手を差し出すと、キャロラインから理由を話しはじめた。
「ロレッタとレックスを危険な目に遭わせたのは、全てがわたくしの責任ですわ。母親失格です。本当に……申し訳ありませんでしたわ……」
「それは違う!」
ハロルドは、慌てて強く否定する。
「君は……あの子たちの母としてよくやっている」
「っ……」
吸い寄せられるように、互いの顔を見る。
キャロラインとハロルドの視線が、初めてまっすぐに合った瞬間だった。綺麗な瞳だと、それぞれが思った。
「責任は全て私にある。私は仕事にかまけて、あの子たちを何も見ていなかった。屋敷のこともだ。一番大切にしなければならなかったのに、私は自分のことしか頭になかった」
ハロルドは悔しそうに唇を噛んだ。あんな事態を引き起こしたのは、全てが己のせいだと思った。
もっと子供たちと向き合っていれば。もっと子供たちの声を聞いていれば。
後悔ばかりが、波のように彼の胸に押し寄せた。
「そんなことありませんわ」
その時、キャロラインがふっと微笑みながら言った。
ハロルドははっと息を呑む。妻の微笑が、とても美しいと感じたのだ。
「あの子たちは、いつでも旦那様のことが大好きですわ。尊敬しているし、働き過ぎだと心配しているし、それに……」
キャロラインは、じっとハロルドの顔を見た。
「それに、あなたのことを、本当に誇りに思っておりますわ。だから、心配なさらないで?」
ハロルドは大きく目を見張った。妻の言葉が、優しく胸に浸透していくのを感じる。
嬉しさと温かさと、これまでにない感情が浮かんで、なんとも言えない気持ちになった。
「それに、これまでを悔いているのなら、これからを変えればいいのですわ。人はいつだって変わることができますから」
「そうだな……」
また沈黙が訪れる。でも、なんだか心地よい静けさだった。
「へっくし!」
次の瞬間、キャロラインの可愛らしいくしゃみが沈黙を破る。
すると、
「っ……!」
ハロルドが、自身の上着をふわりと彼女の肩にかけた。
「だ、旦那様……?」
キャロラインはほんのり頬を赤く染める。上着には夫の熱がまだ残っていて、ちょっと照れくさかったのだ。
「ここは冷えるな。部屋に戻ろう」
ハロルドは義務的な結婚式以来、初めて妻をエスコートした。
あの時は意識をしていなかったが、彼女の手は思ったより小さくて。
そんな彼女が、子供たちのために一生懸命頑張っていると思うと……その手が愛おしいと初めて感じた。
◇
「わぁ〜! とても美味ですわ〜!」
「ココアに合う最高級の豆を輸入したんだ。ブランデーも、ココアに最適なものを私が直々に選んだ」
「温まりますねぇ〜。ほわぁ〜〜」
ハロルドはキャロラインを部屋に帰すのではなく、近くの自分の寝室に連れて行った。一刻も早く、冷えた身体の妻を温めなければと思ったのだ。
「それと……」
彼は鍵付きの引き出しから、小さな箱を取り出す。
それはハーバート家を示す剣とライオンの家紋が彫刻されていて、貴重な宝石でも入っているのかと思わせるような豪華なものだった。
「これを君に渡そう」
「まぁ……。何かしら?」
立派な箱から見るに、家門に代々伝わる宝石か何かかしら……と、キャロラインは少し困惑した。
たとえ今回のお礼だとしても、契約妻の自分がそんな大切なものなんて貰えない。
どうやって断ろうかと考えていると、
「好きなだけ食べてくれ」
箱の中には、ハロルドの大好物のウイスキーボンボンがびっしり詰まっていた。
「はっ……!」
キャロラインは、高価な宝石を少しでも想像した己の欲望を反省した。
「私が選んだ最も美味なチョコレートだ」と、彼は何故か得意げに言う。
その姿が、まるで褒めてほしがっている大型犬のようで彼女はちょっと彼を可愛く思った。
「これが……噂の『お父様の秘密のチョコレート』ですわね」
「子供たちはそんな風に言っているのか?」
「えぇ。いつか一人だけでチョコレートを食べているところを、現行犯で捕まえるって息巻いていましたわ」
「そ、それは気を付けないとな……」と、彼は本気で警戒した。大好物のウイスキーボンボンに対してはいつだって真剣なのだった。
常に生真面目で、厳粛な軍人のハーバート公爵。そんな彼の意外な子供っぽい一面を見て、キャロラインはくすくすとおかしそうに笑った。
「むぐぅっ!?」
その時、彼女の口に彼がチョコレートを放り込んだ。
「隙あり」
「んんんっ……!」
彼女はもぐもぐと食べ始める。子供たちと一緒に食べるチョコより、ほんのり苦い大人の味。でも中のウイスキーはまろやかで、2つが口の中で溶けるとじわりと甘みが増していく。
「ほっぺがとろけそうですわぁっ……!」
「だろう? 私が一番好きなチョコだ」
その後も二人は、他愛ない話をしながら、もくもくとウイスキーボンボンを食べた。
初めて過ごす、夫婦だけの静かな時間。それは穏やかで幸福感に溢れていた。
キャロラインは、こんな時を過ごすのもいいなと思った。
そしてそれは、ハロルドも。