14 お断罪ですわ!
「ロレッタ! レックス!」
キャロラインは慌てて席を立つ。声をかけても二人ともろくに返事もできず、小さく呻き声を上げているだけだった。
もっと詳しく様子を見ようと、顔に近付いて肩を軽く叩く。
「うっ……!」
どちらの子の息からも、鼻にツンと尖ったものが漂ってくる。
(この匂いは……アルコール……!?)
キャロラインの心臓がドンと強く跳ねた。みるみる青白い顔になる。
あれは自分の思い違いだったのだ。
乳母の毒薬は、はじめから自分ではなく――子供たちへと向けられたものだ。
(でも、なぜ……? 子供たちにもしものことがあったら、自分の仕事も失うことに……)
ハッと、弾かれたように我に返る。今はそれどころではない。子供たちの救護を優先せねば!
「誰かお水を持ってきてちょうだい!」彼女は大声で叫ぶ。「大量のね! 医者も呼んで! 早くっ!!」
奥様の切羽詰まった金切り声のような指示に、メイドたちはただごとではないと急いで厨房へ向かう。その間もキャロラインは、冷ましたお湯を丁寧に子供たちの口へ注いでいた。
これは、急性アルコール中毒だ。まだ肉体が発展途中の小さな二人は、微量の酒でも命取りだったのだ。
「どうやら、毒殺は失敗したようだな」
その時、キャロラインの頭上で張りのある低音が響いた。
ハロルドだった。彼は険しい顔でバーバラを見ていたが、すぐに異変に気付いた。
「お、おいっ! ロレッタ! レックス! なぜ二人が……!」
父は血相を変えて、飛び付くように子供たちに駆け寄った。
◇
これは、勘違いによる勘違いの勘違いが重なった結果であった。
ハーバート夫妻は、乳母の毒殺計画には気付いていた。
キャロラインは、ずっと乳母を警戒していたのでそれに気付いた。
ハロルドは、妻が執事長に予算管理の相談をしたのを契機に、水面下で乳母を見張らせていたいた。
まずはハロルドから動いた。
毒薬をシロップに入れ替えたのだ。あの独特の匂いも再現してみせた。
次にキャロラインが動く。
彼女は、ハロルドがすり替えたシロップと、自分が用意をした蒸留酒を入れ替えたのだった。
しかも、二人して大誤算があった。
乳母は双子ではなく、キャロラインに毒を盛ろうとしていた……と、早とちりをしたのである。
対して、乳母の計画はこうだ。
まずは、双子に毒を盛る。次に、その証拠品をキャロラインの部屋のドレッサーの中に入れて、彼女を告発する。
キャロラインは、いずれ生まれる自分と公爵の子をハーバート家の跡取りにするために、双子を始末しようと毒を盛ったのだ。
でも、本当に双子が死んだら乳母の地位も失うので、中身は強力なしびれ薬だ。
公爵夫人が毒を盛ったという事実さえあればいい。キャロラインは公爵の怒りを買って、追放だ。
そして乳母の地位は安泰のまま。屋敷で確固たる地位を築き、権力で姪を公爵の後妻にねじ込む。
そんな、完璧な計画だったのだ。
「伯爵夫人は、これまでの妻も、同様に追い出したそうだな」
ハロルドの怒りの孕んだ無機質な声が響いた。
彼の隣には、硬い表情のキャロライン。そして執事長や侍女長、屋敷の使用人たちが勢揃いだった。
双子の溶体が落ち着いて、これから乳母バーバラ・スミス伯爵夫人、および協力者たちの断罪がはじまるのだ。
「それはっ……」
バーバラと数人彼女の取り巻きたちは、冷たい床に座らせていた。まだ暖かいのに爪先から凍っていくようだ。
「全く……。子供たちが生まれた時からの乳母だからと、私は信じすぎたな」と、ハロルドは少しだけ目を伏せる。乳母たちの横暴を助長させたのは、他でもない自分自身なのだと彼は心から己を恥じた。
彼は心の澱を振り切るように、まっすぐに前を見つめる。
反省するのはまだ早い。今は、この不祥事を片付けなければ。
「横領の証拠もある。お前たちは、子供たちの予算を随分使い込んでいたようだ。キャロラインが予算を譲渡してくれたおかげで、追いやすかったよ」
「なっ……!」
バーバラはにわかに顔を上げてキャロラインを睨み付けた。
「わたくしを打ち負かしたと油断しましたわね」と、彼女は不敵に笑う。「でも、いけませんことよ? 金額が大きくなると、人はだんだんと麻痺してきますものね」
「わっ……私を泳がせていたのか……!」
乳母はがくりと頭を垂れた。全ては公爵夫人の計画のうちというわけだ。声がデカいだけの、頭の弱い小娘だと思って完全に油断をしていた。
「さて、お前たちの処分だが……」
ハーバート公爵の厳粛な低音が場を凍り付かせる。
「致死性のない毒薬ではあったが、公爵家の人間に危害を加えようとしたことは事実だ。そして数年に渡る横領。さらに、罪を公爵夫人になすりつけようともした。余罪もある」
ハロルドは己への激しい怒りが再び湧き上がってきたが、ぐっと我慢をして続ける。
「本来なら、騎士に捕らえさせて裁きを受けてもらうところだが……。お前たちには、私の子供たちを育ててくれた恩がある。なので、処分は『追放』のみにしておこう。当然、横領した金はきっちり回収させてもらう」
「はっ……」
バーバラは全身の力が抜けていくのを感じた。カチカチと視界が点滅して、頭が割れるように痛い。
命は助かったものの、彼女の社交界での死は確定したということだ。
普通は、仕えている屋敷を辞めるときには推薦状をもらう。
しかし追放だと、そんなものは手に入らない。これは、その屋敷で何か問題を起こしたということ。
しかも、社交界の噂は速い。きっと一週間もしないうちに、公爵家を追放されるほどのことをやってしまったという事実が広まるに違いない。
そうなったら次の仕事はないし、社交界の居場所もない。夫の事業が傾くのも必至だろう。
ハロルドはおもむろに立ち上がって、窓辺へと歩いた。もう、顔も見たくもないという意味だ。
「すぐに荷物をまとめて出ていけ」
そして、これまでにないくらいの冷ややかな声音で静かに言った。彼の感情のこもっていない低音は、キャロラインにはどこか悲しく聞こえたのだった。
◇
「旦那様、ここにいましたの。夜風は身体に毒ですわよ」
その日の夜、キャロラインはバルコニーで一人佇むハロルドに声をかけた。
彼の背中が寂しそうで……つい、話しかけてしまったのだ。