13 乳母の陰謀ですわ!
「今日はわたくしがお子たちのお世話をするので、あなたは休んでいいわ」
朝から乳母を呼び出して、キャロラインは笑顔で言った。
「で、ですが……」
「聞けばあなたはあの子たちが生まれてから、ほとんど休みなく側に付いているらしいわね。たまには、自分の家族にも時間を割いてちょうだい」
「……承知いたしました」
どすどすと怒りの孕んだ足音が廊下に響く。この音が聞こえると、メイドたちはいつ八つ当たりをされるか分からないので、慌てて隠れるようになった。
バーバラ・スミス伯爵夫人は焦っていた。
今度来た新しい公爵夫人は、今も屋敷でふんぞり返っているからだ。
キャロラインに対して、弟のレックスは完全に陥落。
もとから頭の弱い――もとい、かなり純粋な子供だとは思っていたが、こうもあっさり継母の手に落ちるとは。
姉のロレッタは継母を追い出そうと頑張ってはいるものの、まだ幼いのもあって、すぐに絆されてしまう。最近は意地悪というよりも、継母の気を引きたくて嫌がらせをしている感じだった。
(このままでは、不味いわ……)
今のままだと、キャロラインが公爵夫人として屋敷に定着してしまう。そうなれば、乳母として大きな顔で屋敷で過ごせないし、計画も台無しだ。
過去の妻たちは、ロレッタを巧妙に操り、罪を着せて追い出した。
フォレット侯爵令嬢は、これまでの妻たちより素行が悪いと評判だったので、簡単に追い出せると思っていた。
その後は、己の姪を後妻にねじ込んだら計画の完了である。莫大な財産を持つハーバート公爵が親戚になれば、スミス伯爵家も一生安泰。死ぬまで優雅に暮らせるのだ。
しかし、最近はキャロラインがじわじわと屋敷を侵食していっているのを感じる。
彼女は子供たちの教育に口を出し、今度は予算も管理しようと息巻いていた。
先日、公爵夫人から子供たちに譲渡した予算の使い道を尋ねられたときは、さすがに肝が冷えた。
念のため準備していたダミーの帳簿を見せて事なきを得たが、あの様子だといつ権利を取り上げられるか分からない。
(こうなったら……強硬手段しかない。早くあの女を公爵家から追い出さなければ……!)
◇
午後のおやつの時間がやってきた。
キャロラインは、中庭のガゼボのテーブルの上にお菓子と紅茶をセットして、子供たちを待ち受けていた。
「お子たち〜! 今日はお継母様がお菓子を作りましたよ〜」
「わぁっ! おかあさまが、つくったの?」
「あんた、きぞくのくせに、そんなことしてもいいの?」
レックスとロレッタは、きゃいきゃいと嬉しそうに椅子に座る。二人ともおやつの時間が大好きなのだ。
「大好きな人のためにお料理をするのは、身分なんて関係ありませんわ。今日はバターたっぷりのクッキーを作りましたの」
キャロラインの作ったクッキーは、ハートや星、動物の形までいろんな種類があって、見ているだけでわくわくした。
「いっぱい召し上がれ〜。あ、でも晩餐があるから食べ過ぎは注意ですわ〜」
「わかってるわよ! たべすぎは、おはだにもわるいのよ?」
「いっただっきまーす!」
継母の手作りのクッキーは、ちょっとだけボソボソとしてたけど、バターたっぷりでほんのり甘くてとても美味しかった。
「んん〜〜おいしい〜〜〜!」
「まぁまぁね。くちのなかが、からからになるけど」
「うっ……。ちょっと水加減を失敗してしまいましたわ。次はもっと美味しく作りますよ〜」
「しっぱいしても、さいごまであきらめない……なんだよね?」
「そうよ。レックスはよく覚えているわね。偉いわ〜!」
「えへへ。ぼくは、えらいんだ!」
「ふんっ! せいこうさせてから、もってきなさいよ!」
「たしかに、失敗作を振る舞うのは失礼だったかもしれないわね。ま、そこはお家族割引で勘弁してくださいですわ〜」
「ぼくは、いつでも、あじみをするよ!」
「あたしも、テイスティングをしてあげてもいいわ? こうしゃくれいじょうは、いちりゅうのしたをもってるの」
「二人ともありがとう。――そうだわ、今度お継母様と一緒にお菓子を作ってみない?」
「ぼくも、おかしつくる!」
「チョコレートケーキだったら、てつだってあげてもよくてよ?」
母と子の穏やかな会話は、周囲に控えている使用人たちの心を和ませた。
この屋敷で、こんなにも長閑な時間が流れているのはいつぶりだろうか。いや、初代公爵夫人が死んでからは、そんな時間はほとんどなかったのかもしれない。
双子はハロルドと一緒のときは嬉しそうにしているが、父は家にほぼいないので寂しい時間のほうが多かった。
その隙間を、キャロラインが少しずつ埋めてくれていて、双子は前よりも生き生きしだしたように見えた。
「お嬢様もお坊ちゃまも、喉が渇きましたでしょう? さぁ、お茶をどうぞ」
乳母はメイドたちに目配せをして、熱々の紅茶を淹れさせる。ちょうどクッキーが口の水分を吸い取ったところだったので、ナイスタイミングだ。
「奥様も、どうぞ」
乳母みずから給仕をする。公爵夫人は微笑みながら受け取った。
二人の笑顔と笑顔がぶつかる。本来なら穏やかな空気になるのだろうが、彼女らの間には得体の知れない不安定なものが宿っていた。
「あら、ありがとう」
キャロラインは、ゆっくりとおティーカップに口つけた。
バーバラの瞳がギラリと光る。
キャロラインの口元の両端が微かに上がった。
――ごくん。
茶色い液体が彼女の喉をするりと通った。
「あら、美味しい」
キャロラインは笑顔でごくごくと飲み干す。
「ほんのりとした渋みがクッキーに合いますわね〜」
「そうですか」
乳母はぎこちなく笑った。
キャロラインはバーバラの計画を見抜いていた。今日の公爵夫人へのお茶の中に、毒を仕込んでいたのだ。
彼女がそれを察知すると、すぐさまそれを入れ替えた。
中身は蒸留酒だ。微かに香るツンとした刺激が、乳母の毒薬にそっくりだった。
(紅茶に蒸留酒は合いますわね。……っていうか、本当に入ってる?)
全て飲み干して、彼女は初めて違和感を覚えた。今しがた飲んだ紅茶からは、アルコールの風味は感じなかった……気がする。
キャロラインがはてと首を傾げていると、
「きゃあっ! お嬢様! お坊ちゃま!」
ロレッタとレックスが、二人揃ってバタンとテーブルに突っ伏していた。