表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/33

1 あなたを愛することはありませんわぁっ!

「お前を愛することは――」

「あなたを愛することはありませんわぁっ!」


 キャロライン――今日からハーバート公爵夫人になった彼女の、いやに澄み切った美しい声が寝室に響いた。


 そして今日から彼女の夫となるハロルド・ハーバート公爵は、大きな声に思わず顔をしかめる。歌を奏でるような綺麗な声ではあるが、キンキンと耳の奥まで突き刺してくるのだ。


「は……?」


 数拍して、なんとか気を持ち直した彼はやっと言葉を発した。自分が言おうとしたセリフを妻に先に越されて、不服と疑問が混じって胸がモヤモヤしていた。


「ですから、あなたを愛することはないと申し上げましたの。旦那様」


 対してキャロラインは、何の問題もないかのように、涼しい顔で繰り返して言う。


「わたくしたちは政略結婚。なので公爵夫人としての義務は果たします。ですが……」


 ――びしぃっ!


 ヒラヒラしたネグリジェ姿の彼女は、どこに隠していたか分からない紫色の扇をすっと夫に突き付けて、


「わたくしがっ! あなたをっ! 愛することはっ! ありませんことよおぉっっっ!!」


 広々とした公爵邸の隅々まで届きそうな大声で叫んだ。


「分かった! 分かった! 分かったから、声のボリュームを落とせっ!」


 ハロルドは耳を塞ぎながらも、負けじと叫び返す。一日分の疲労が岩みたいな塊となって、にわかに己を襲った気がした。


 義務的な結婚式を終えて、義務的な初夜は拒否して、今後の二人の関係を分からせてやるつもりだった。

 でも、妻のほうから先に……正確には夫の言葉を遮って、言いやがった。


 子供の頃から常識的な教育を受けてきた公爵にとって、それは青天の霹靂だった。

 なので、言い返す前に一瞬だけ思考が停止してしまったのだ。そして、出遅れた。


「わたくしは……あなたを……愛することは……ございませんわ……!」


 キャロラインは、今度は蚊の鳴くような声で言った。わざとらしく両手を口元に持ってきて、お茶目にバチンとウインクまでして。


(この女……マジで面倒だな)


 ハロルドは本能的にそう感じた。同時に、これまでにない不穏な感情が心に広がりはじめる。


 この結婚は王命であり、政治的にもメリットがあるので受けた()()だ。

 彼女が社交界の噂通りの令嬢なら、金だけ与えて仮面夫婦を貫けば良かった。


 しかし、眼前にいる妻は悪女どころではない……ような。

 とにかく、得体の知れない恐ろしい者の気配がしたのだ。


 背筋に悪寒が走った。

 自分の選択は間違っていたのだろうかと、ここに来て初めて不安に思った。


「旦那様〜! 聞いていますの!?」


 妻の言葉ではっと我に返る。


(そうだ、今はこの女に今後のことを伝えなければ)


 ハロルドは気持ちを切り替えるようにコホンと咳払いをして、


「いいか。私はお前を愛することはない」


「えぇ。先程おっしゃっていましたものね」


「分かっていて遮ったのか!?」


「先攻を取るのは基本ですわ!」


「では、私の言わんとすることは分かっているな」


「もちろんですわ!」


 理解の早い妻に、ハロルドは満足そうに頷く。なんだ、面倒くさそうな女と思っていたが、意外に分かってるじゃないか。


「我々は契約結婚だ。当然、そこに愛はない。私はお前を愛することはないし、お前も私を愛することはない」


「そうですわね」


「だが我々は貴族だ。最低限の義務は果たす」


「了解ですわ〜!」


「よし、解散!」


「お行きなさいっ!」


 ――びしぃっ!


 キャロラインは再び扇を使って入口の扉を指さした。


「っ……」


 なんだか命令されているようで(かん)(さわ)ったハロルドだったが、ひとまず当初の目的は果たしたので部屋を出ることにした。


 今の二人の距離を表すかのように、バタリと大きく音を立てて扉が閉まる。その重い音が、彼をさっさと追い出しているように感じて不快だった。


(これでいい……)


 ハロルドは自分に言い聞かせるように頷く。最初から期待させないほうが賢明なのだ。政治的な思惑で結ばれた二人は、政治的な役割を果たすのみだ。


 そんなことを考えながら自室へ向かっていると、


 ――ドン!


 と、さっき彼が閉めたよりも大きな音を立てて、キャロラインの部屋の扉が勢いよく開いた。


 そして、


「旦那様ぁ〜〜〜! 今夜の約束、決してお忘れになりませんことよぉ〜〜〜っ!!」


 彼の妻は、馬鹿デカい声で言ってきた。


「なっ……!」


 ハロルドは少しだけ放心状態になった後、はっと我に返ってドタドタと妻の元へ戻った。


「大声を出すなっ! もう深夜だぞっ!」


「念のための確認ですわ。わたくし、実は心配性ですの」


「うるせーっ!!」


 バタンッ、と彼は叩き付けるように扉を閉める。板の向こうで「ぎゃんっ!」と声がした気がしたが、無視をした。


 一刻も早く()()から離れたくて、早足で自室に戻る。


(くそっ!)


 とんでもない女を呼び込んでしまったかもしれない。

 冷静沈着で怜悧なハロルドは、生まれて初めて己の浅慮さを責めた。


(私は……選択を間違ったのかもしれない……)


 これが、ハーバート公爵家の『家族』の始まりだった。

 






「ふっ……ふふふっ……」


 バタリと閉まった扉を眺めながら、キャロラインは口元に弧を描いて笑った。

 強引に封印されてちょっと鼻が痛かったが、これからのことを妄想するとこれくらいへっちゃらだ。


「計画通りですわぁ〜っ!」


 ニヤリ、と今度は口の端を歪ませて笑う。これまでの道のりを振り返ると、達成感で胸が熱くなった。


 クソヴォケクズカス王太子――略してクソ太子の婚約破棄からここまで、短いようで長かった。耐えて耐えて我慢して、やっと自由への第一歩を手に入れたのだ。


 キャロラインは悪女らしい黒紫色の扇を、勢いよく広げて宙に放り投げた。


「わたくしの、異世界☆キラキラお貴族ライフのはじまりですわぁっ!」



 キャロライン・ハーバートは、転生者だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ