傷を抉って、抱きしめて
「許さなくていいじゃない。」
平然と言う彼女の声に、同情や慰めの色は浮かんでいなかった。
思っていることをただ口にした、という風に飄々としている。
その言葉が、私に頭の奥が痺れるような衝撃を与えたことも知らないかのように。
いつのまにか、海岸の端まで歩き着いていた。
昼間には釣り人が屯している大きな岩が、壁のように行手を阻んでいる。
「あなたが傷付いたことは、事実。苦しんでいることも、事実。」
喋りながら岩肌と頂上とを交互に見つめる彼女の、登れる?という問いに頷き、岩の突起に手を掛ける。
彼女の声が、背中に聞こえた。
「相手を許すことは、自分が受けた傷に気づかない振りをすることだよ。でも、そうしたら、あなたの傷は、いつ癒えたことになるの?」
動きを止め、声のする方を見る。
体重移動が上手くできず、地面から30センチほどの突起に足を掛けてはバランスを崩して砂に足をつく彼女の姿が、足元に見えた。
あぁ、この少女は、本当に。
何でもないように私の心を揺さぶるのだから。
「あっちから回ろう」
壁を蹴って、砂に降りた。
「ねぇ、今何時?」
ゴツゴツとした岩場を歩きながら、彼女が聞いてきた。
「午前4時過ぎ」
暗闇の中、アナログ時計に目を凝らして答える。
「太陽が出てくるまで、あとどれくらい?」
「夏だし、そんなに時間かからないと思うよ。携帯持ってきてないから調べられないけど、あと1時間もないんじゃないかな」
「それってすごく短…うわぁっ」
反射的に出した腕がどうにか彼女を支えたのを確認してから、遅れて状況に気づく。
どうやら地面に足を引っ掛けてつんのめってしまったらしい。
「ありがとう」
「どういたしまして」
はじめて、彼女が年相応の女の子に見えた。
目的地に着くまで黙って歩いて、という私の言葉を発端に、本当に一言も声を発さずに先程見た岩の上にやってきた。
波が岩に当たる度に大きな音がして、足元が揺れる感覚に襲われる。
不規則な波の動きに呼応するように、数分前の彼女の言葉が木霊するーー許さなくて、いいじゃない。
「許せなくて、いいのかな」
「いいよ。あなたのことを蔑ろにする人なんて、赦されなくていい。ーー自分を傷付ける人のことなんて、許さなくていい。」
聞いた瞬間、心を固めた。
ずっと迷っていたことが嘘のように。
同時に、自分が言うべき言葉もきちんと形になる。
頭で紡がれた言葉が、声になる。
彼女の目を見て、告げる。
「だから、王子様を刺したの?」