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戦乙女の恋 4

 宥めるようにエマリアが言うと、女官たちが温かいお茶を、甘いものは、それとも軽く食べられるものを用意しようかと幼子の機嫌を取るように次々に言い始めて、さすがに苦笑せざるを得なかった。

 薄く塗った唇の紅が剥げるからとシルヴィアが断っていると、『案内の者』がやってきた。その姿を見た途端、女官たちはふわっと小さく歓声を上げ、エマリアは噴き出した。


「あらあら、なんて高貴な案内役かしら?」

「王太子となられる王女殿下をご案内するのですから、当然です」


 格式張った所作と物言いで一礼したのはエヴルセム大神殿の神殿騎士の装いをしたエルヴィールだ。金の肩章で飾る象牙色の上下に、紫の宝石と時計花を模した勲章を胸元に着け、額を出して髪をまとめた姿は、一国の貴人と名乗っても疑われることはないだろう。


「王太子といっても仮初だけれど?」

「それでも御身の気高さは疑いようもありません。私がお守りするとお誓い申し上げた、たった一人の御方です。どうか今宵、あなたのお側に在る名誉をいただきたく存じます」

「わたくしの騎士の願いを、どうして拒むことができるでしょう?」


 エマリアは頬を幸福な色に染めながら淑やかに手を差し出した。

 白い手を恭しく受け取って、エルヴィールは敬愛の口付けを落とす。

 絵画か物語を再現したようだと思っていると、いつの間にか近付いてきていたサアラがたまらないといった激しさでシルヴィアに囁いた。


「よく見てシルヴィア! こうよ、こういう感じでいくの! わかる!?」

「すまないが、わからない」


 カンナはすっかり注意を諦めて痛む頭を押さえて呻き、女官たちは苦笑するほかなく、しかし興奮するサアラに気付いているエマリアとエルヴィールは恥ずかしがるどころかくすくすと楽しそうにしている。それを眺めたシルヴィアもいつの間にか笑い、そうして自分が妙に緊張していたこと、わずかながらそれを緩めてもらったことを知った。


「行こうか?」

「ええ」


 王族とその婚約者として祝宴に出るエマリアとエルヴィールは一般客とは異なる出入り口を使用するため、シルヴィアよりも先に出なければならない。

 エマリアは見送ろうと立ち上がったシルヴィアの両手を取ると、しっかりとそれを握り締めながら青い瞳を強く輝かせた。


「シルヴィア。今夜のあなたは、間違いなくこの国の誰よりも美しい。それが誰のためなのか忘れないでいれば、必ずふさわしい振る舞いができるわ。だからあなたはあなたらしくあればいい」

「私らしく……」


 私らしい――そのままの私が私だという力強さ。


 エマリアの瞳を見つめてしっかり頷いて、連れ添って大広間に赴く二人を見送った。

 そして、そのときが来た。

「陰ながら応援しております」「良い夜を」と離宮の女官たちから励ましの言葉をもらい、サアラとカンナを案内役として、本城の大広間へ向かう。


 夜に浸る世界で星々が輝いている。

 王都の喧騒とは真逆に城内は静寂に満ち、警備や巡回の者以外の姿はないことが、今宵のこの国の中心が大広間なのだと知らしめるようだった。

 本城の中心部に至る長い回廊に差し掛かる。

 サアラとカンナは足を止めて廊下の奥を指し示した。


「ここから真っ直ぐ行けば大丈夫。大広間の警備についているランディにきっちり話をつけておいたから! 綺麗すぎて誰だって騒がないように言い含めておいたから安心してね」

「私たちは使用人通路から見守っているわ」


 ここにきて再び緊張に見舞われて上手く声が出せなくなっていたが、シルヴィアは己を叱咤すると、大きく頷いて心からの感謝を伝えた。


「ありがとう、サアラ、カンナ」

「いってらっしゃい、シルヴィア!」

「ご武運を!」


 そしてシルヴィアはたった一人になって、長い道を歩き出す。


(大きな足音は立てずに。肩の位置を変えずに滑るように)


 着慣れぬドレスが衣擦れの音を奏でる。


(背筋を伸ばし、胸を張り、顎を引いて。肩が上がらないように、下腹部に力を入れて)


 凛然とした姿を維持できれば自然と視線が前を向く。すると勇気が湧いてくる。負けるものかと思うことができる。初めての戦場に赴く興奮が静かに凪いで、刃を磨くような静けさが己の内側に満ちていく。

 義務も役割も無用のものとして剥がれ落ちると、そのままのシルヴィアが現れる。


(誰のために、ここに在るのか)


 ――いまはただ、レオンのために。


 大広間の巨大な扉を警護する騎士や兵士たちが接近するシルヴィアに気付く。誰何しようとして声を失い、呆然とこちらを凝視して、見知らぬ来訪者を留める役割を忘却する。

 シルヴィアは扉の前で足を止めた。

 しばらくの間があって、飛び込むようにやってきたランディが警備の者たちに扉を開くように大きく身振りし始めた。そこでようやくこの見慣れぬドレスの娘が何者か理解した者たちがはくはくと口を開け閉めして声のない叫び声を上げた。

 低く鈍い音と軋みを響かせながら扉が開く。

 眩い光に射られながら、シルヴィアは凛と一歩を踏み出した。


「――我らのヴィンセント王国、そのこれからも続く歴史を祝し、国民の幸福を心から願って。どうか今夜は楽しんでいってほしい」


 無数の灯火と装飾、そして集った人々の華麗な装いの輝きが大広間を満たしている。

 その名称にふさわしい何百人と集うための天井の高い部屋、その最奥の階段の踊り場に立つレオンをシルヴィアはすぐに見つけることができた。


 いつもなら窮屈だとすぐに襟元を緩めてしまうに違いない堅苦しい装いの彼は、王冠とともに与えられた役割を果たそうと、階下近くに控えていたミシェリアを見つめながら一歩を踏み出さんとして。


「――――」


 姿を現したシルヴィアに気付いて、動きを止めた。

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