王の戴冠 2
その後は指導の再開となり、歩き方や座り方、舞踏の動きを確認されたが、マルドール伯爵夫人はシルヴィアのこれにも満点を出した。「もう教えることがございません。お見事です、シルヴィア様」と先ほどの興奮ぶりが嘘のように粛然と告げた。
指導を終えた夫人はその後の一服を丁重に辞退して去って行った。舞踏会に向けて短時間でいいから指導してほしいと、王都に滞在している貴族からの依頼が殺到しているという。
休憩代わりのお茶会は結局二人だけになったが、夫人が去った途端、エマリアは大きく気を緩めた様子できらきらと輝く眼差しでシルヴィアに向かって身を乗り出した。
「とても素晴らしい上達ぶりだったわ、シルヴィア! いったいどんな特訓をしたの? それとも何か他に秘密があるの?」
「残念ながら期待するようなことは一切ない。自分に足りないものは何かと考え、手本となり得るものに見当をつけてよくよく観察してこういうことかと理解しただけだ。上手く動けたようでよかった」
その気付き、そして手本となったのはあのミシェリアだった。
高貴な生まれの娘らしく振る舞う彼女の手足の動き、視線の動かし方、首を傾げるなどのちょっとした仕草。さらに王城にいる様々な女性たちの動作を確認して、彼女たちが誰しも「誰かに見られている」と意識し、可能な限り美しい動きを実践し、それがマルドール夫人の指導する優雅さに繋がるのだと理解したのだ。
そこまで気付けば後は簡単だった。身体能力に特化したシルヴィアは「美しい、流れるような動き」を意識し、手本や観察から得た理想を描いて何度か試行を繰り返せば、マルドール伯爵夫人が納得できるものを披露することができた。どこまで洗練されるかは今後の訓練次第だろうが、今日の夫人の様子を見るにやり過ぎない方がいいだろう。あのままでは彼女以外の他の者たちに祭り上げられないとも限らない。
そんなことを考えながら茶器に口を付けるシルヴィアを、エマリアはうっとりと嬉しそうに見つめている。
「あなたにも得られるものがあったなら嬉しいわ。この経験や技術が、いつかあなたを守ってくれるものになりますように」
小さな蝶の羽ばたきのような優しい瞬きを見つめて、思う。
(……エマリアなら……彼女なら、わかってくれるだろうか……)
胸にわだかまり続けているものを。由縁がわからないままでいる思いを。エマリアなら。
だめだ。上手く言える気がしない。
複合的な感情と迷いに縛られて結局「そういえば」と当たり障りのない話題を口にしていた。
「先日儀礼服の仮縫いが終わった。本縫い作業に入って、じきに完成するらしい。君の方は順調か?」
「ええ。わたくしのドレスも期日までに仕上がりそうだと聞いているわ」
すると何故かエマリアは苦笑を漏らした。
「お針子たちを確保するのがもう少し遅ければ大変なことになっていたと思うわ。レオンがあのようなふれを出したせいで、どこもかしこも人手不足なのだそうよ」
エマリアが教えてくれたところによると、王族の公の衣装を仕立てるときには公職の裁縫師を中心に、王都の仕立て屋や各種工房に下請けを依頼し、各店のお針子を集めるなどする分業制になるという。
何故ならここはヴィンセント王国。職人を重んじるこの国では鍛冶屋とほとんど同じ比率で仕立て屋や服飾関係の工房が存在するとまで言われている。そこから選び抜かれた優秀な店や職人の手によって作り上げられた衣装は、職人の技術の粋を集めた、職人の国の王族にこそふさわしいというしきたりがあるのだそうだ。
そして公職たる裁縫師とは、自身も優れた針子でありながら、服飾の歴史や知識、色彩感覚、構想力に加えて、最新の流行などの情報収集、職人や近しい業種の人脈、また予算調整などの事務など、ただ針と糸を持って手を動かしていればいいというだけではない業務を担うものらしい。
ゆえにエマリアのドレスも、裁縫師が最適な人材を確保した上で制作が行われている。そこにレオンが祝宴で妃を選ぶなどと広く知らせたものだから、王都中、もしかしたら国中の、仕立て屋やお針子、職人のもとに依頼が殺到し、とてもではないが通常の依頼を受け付けられない状況だ。その賑やかさは街を巡回するシルヴィアも目にしていたので、確かにエマリアの言う通り、影響を被った可能性は十分にあった。
「その元凶も、十分報いを受けているようだな」
戴冠の際の装束の進捗を案じて一瞬顔色を変えたエマリアに「衣装のことではなく」と訂正してから続ける。
「その妃選びが原因で訪客が絶えず、廊下を行けば待ち伏せや付き纏いに遭うとかで、仕事にならないからと城内を転々として逃げ回っているらしい」
「あら、まあ」とエマリアが思わずといった様子で漏らすのでシルヴィアはくすりとした。哀れに思えるのだが正直なところ自業自得という表現がぴったりきてしまうのだ。
「君のところは比較的静かだと思うが、わずらわされていないだろうか?」
「ええ、大丈夫よ。わたくしは病み上がりで回復しきっていないということになっているから静かに過ごしているわ。そう言うシルヴィアは困ってはいない? きっとお客様方に注目されているでしょう?」
ほとんど本城にいないエマリアでも容易に想像できることなのかとシルヴィアは苦い顔をする。
「視線は感じる。だが関わりを持ってこないのでさほど気にしていない。話しかけてくるのはミシェリアくらいだ」
エマリアは目を大きく見開いて意外そうに小首を傾げた。
「ミシェリア嬢? いつの間に仲良くなっていたの?」
「親しくなったわけではないはずだが、何故か私を見つける度に声をかけてくる」
シルヴィアは迷子の彼女を保護した一件を説明し、現在の彼女の不可解な行動を話して聞かせた。




