青銀の蕾 1
新王の即位式と、王妃の選考が行われる祝宴、そして発表となった王女の婚約と、祝い事の発表が続いたヴィンセント王国は喜びの気配に包まれていた。特に王都は大変な賑わいで、レオンの絵姿に女性たちが群がり、エマリアとエルヴィールの肖像には多くの人々が運命の恋を叶えた二人に羨望のため息を落とした。
即位式の日は祝祭になっており、この日のために国内外からやってきた商人や芸人たちが商いの許可を求めたり、新王を一目見ようという遠方からの旅客で宿という宿の部屋が埋まったり、街を歩く人々が増えて通り沿いの店だけでなく露店市場が活気付いた。
もちろん人の出入りに伴って大なり小なり事件が増え、王都の守護隊の警邏だけでは人手が足りず、王国騎士団や黒剣隊が出動するようになっていた。
そして現在黒剣隊は三人一組で王都の巡回を行っている。当番に当たっていたシルヴィアは小姓と同じ格好で、銀の髪を一つにまとめて結び、腰に愛剣を携えて当日与えられた順路に沿って見回りをしていた。
「暴行事件、これで何件目だ?」
「私はこれが三件目だ」
「通報前に防いだのを数えると五件目かなー?」
昼日中から泥酔していた二人の男の喧嘩を止めて守護隊の簡易留置所に放り込んできた帰路。シルヴィアとトロンの答えを聞いて、ランディは頭を掻き毟り、高らかに苛立ちを叫んだ。
「どいつもこいつも……喧嘩がしたいなら全員団舎に来いやあっ! 俺がぶっ飛ばしてやるからよぉ!」
このくそ忙しいのに! くっそ忙しいのに! と叫ぶランディがいつも以上に口が悪く感じられてしまうのは、シルヴィアが最近エマリアとともに礼儀作法教育を受けているせいだ。
だが団舎に来いという意見には納得だ。巡回の度に暴行事件や言い争いに巻き込まれているとさすがのシルヴィアもうんざりする。
「そうだな。暴れたいだけなら、ひとまとめに相手をすれば済む」
「シルヴィアが言うと冗談にならないんだよねー」
笑ったトロンは束の間真顔になり、先頭を切って歩くランディの憤った背中が振り返らない声量で言った。
「それにしてもランディはずいぶん荒れてるねー。何があったか知ってる?」
いや、と答えたシルヴィアだが、すぐに思い直し、確信がないながら心当たりを答えた。
「ランディとは関係がないかもしれないが、気がかりがある。サアラとカンナのことだ」
「サアラとカンナ嬢?」
「どうも仲違いをしているらしい」
現在王城は非常に忙しない。レオンは政務と並行して即位式の準備に追われ、城にはゼイン女公爵とミシェリアが滞在中、ルヴィックは他の重臣たちと即位式や祝宴の打ち合わせ、エルヴィールは王女の婿となるべく指導を受けながら武官となるべく引き継ぎの最中、エマリアは自らの再教育のかたわら、レオンの代役となっていくつかの公務をこなし、シルヴィアはそんな彼女とともに王侯貴族の作法を学びながら黒剣隊の職務を果たしている。
将軍のタイタンも警備計画を練りつつ突発的に起こる事件に対応し、女官長のオリエは部下たちに速やかな指示を出しながら動き回っているようで姿を見かけない。タイタンの下にいるランディたちも、そしてオリエの部下に含まれるサアラやカンナも、いままでにないくらい忙しい。
だから気付くのが遅れてしまったのだ。
いつも一緒にいるわけではないが時間が合えばなんということはないおしゃべりをするなどして過ごしているサアラとカンナをまったく見かけなくなった、ということに。
トロンはぱちぱち瞬きをして驚きを表した。
「えー? どっちもそういう揉め事とは無縁な気がするんだけど、気のせい……とかじゃないかー。シルヴィアは嘘は言わないし、サアラもカンナ嬢も喧嘩していることを誰かに言いふらす子たちじゃないもんね」
そうなのだ、とシルヴィアも重々しく頷いた。
「気になって、たまたま食堂で遭遇したカンナにサアラと何かあったのかを聞いてみたが、答えてもらえなかった」
サアラは一緒じゃないんだな。そう言ったときの、カンナの一瞬凍りついた顔が忘れられない。
だが彼女の性格上、誰かを悪し様に言ったりこちらの無神経さを咎めたりなどできるはずがなく「お互い忙しいから」とそのときは笑って答えたのだ。
しかしいくら人の心の機微に疎いシルヴィアでもおかしいと感じないわけがない。
「それで、心当たりがありそうだと思った、エマリア付きの女官に話を聞いてみた」
「いい人選だねー。エマリア殿下付きは離宮に詰めているから、本城の人間関係にあんまり先入観がないし。それで?」
「カンナが沈んでいるように思えてどうかしたのかと尋ねた者がいた。するとカンナは、親しかった同僚とすれ違っているみたいだと漏らしたらしい。間違いなくサアラのことだと思って本人に尋ねてみることにした」
「聞いたの? っていうかー、聞けた?」
そんなに容易く次の展開が予想できるものなのかとため息を落とした。
「声をかけた瞬間に逃げられた」
「もう絶対何かあるじゃん」
逃亡したのは、シルヴィアと話すことによって不利益を被ると判断したからだろう。問いを重ねて疑問を解消しようとするシルヴィアの言動は、時々言語化が憚られる事柄に触れるらしいことにも原因がありそうだ。
「そう、聞かれて困ることがあるのだと思う。だがカンナが言わないものを聞き出していいのか、逃亡を図るサアラを捕まえて問いただしていいものか、私には判断ができない」
「でも聞かないとわからないこともあるからねー」
至極当然なことを言って、トロンは再び先を行くランディに目をやった。
「それでシルヴィアは、ランディの機嫌が悪い原因は、カンナ嬢と仲違いしているかもしれないサアラにあるかもしれないって考えたわけだ?」
「そうだ。ランディは言葉遣いは乱暴だが、意味もなく暴力的にはならないだろう? 他に原因があると思う」
この国にやってきた頃、ランディを怒らせて険悪になった経験を踏まえて説明すると、何故か眩しいような笑い出しそうな顔をされてしまった。しかしトロンは何でもないと首を振り、自らの心当たりを探して斜め上を見ながら腕を組んだ。
「そうだねー、シルヴィアの言う通りなら……僕が考えつくのはあれだ。サアラのお見合い」
「見合い。サアラが?」
この場合は恐らく、結婚相手となりうる可能性のある男女の顔合わせだと思われる。気付かぬうちに周囲はにわかに結婚の話題に溢れるようになっていたらしい。
「そうそう。殿下のお妃選びとエマリア殿下のご婚約の影響か、恋愛ごとや結婚の話でどこもかしこもずいぶん賑やかだよ。お花畑って感じ」
ひらひらーってね、と花が飛ぶ様を手振りで表す。
トロンによると、城のあちこちで恋仲になった者たちがいたり、結婚が決まったり、見合いをしたりと活気付いているという。確かに浮き足立っているような雰囲気を感じてはいたが、恋愛ごとが原因だとは考えたこともなかった。これもシルヴィアがまだまだ学び足りないということなのだろう。
「見合いをした次は、結婚することになるのか?」
「破談にならなければね。交際期間を置くこともあるからいますぐどうこうってわけじゃないと思うけど、この辺りは本人か家族に聞いてみないとねー」
「そうか。結婚するのなら祝福したい、」
「しない!」
割れ鐘のような声が轟き、シルヴィアとトロンは真っ赤になって震えるランディをぽかんとして見つめた。
「結婚なんてしねえ! 祝福も必要ないッ!」
怒鳴り声で叫んで、こちらが何か言う前に行ってしまう。どうしたことかと目を瞬かせるシルヴィアの隣で、目を丸くしていたトロンが緩やかに苦笑しながらのんびりと言った。
「春は春でも、春の嵐ってやつかなー?」
「……夏なのに?」とシルヴィアは首を傾げた。




