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催花の霖 6

「だがたとえどれだけミシェリア嬢が王妃にふさわしくとも他の貴族たちが黙っていないだろう。他の公爵家や辺境伯家のご令嬢は王妃になっても問題のない家格ではないかい?」

「それに加えて多数の職人を抱える家柄の方々ね。ヴィンセント王国は職人を重んじる国だから、権利を主張されると候補にせざるを得ないでしょう」


 最も有力なのはミシェリアだが、候補となり得る女性は少なくはなく、レオンの意向によって妃が決まるという状況なのだった。これは混迷を極めそうだというエマリアの憂いのため息が落ちる。


「こんなことまであの子はわたくしのことを優先してばかりで……嫌になってしまう」


 首を傾げるシルヴィアの疑問に、エマリアは痛みを堪えるような顔をする。


「エルヴィールの言う理由はそれらしく聞こえるけれど、結局は建前なのよ。わたくしを政に利用せず、さして親しくもない相手と結婚させることもなく、愛しい国で愛する人と幸せになればいいと許してくれた」


 何かに祈らんとするように絡めた白い指先に視線を落とす。


「けれど、わたくしはレオンにこそ、そうであってほしいと思うわ……」


 そうであってほしい――政や利益とは関係なく、愛しい国で愛する人と幸せに。


 悲しみに浸るエマリアの冷たい指先にエルヴィールの大きな手が重なった。二人が視線を交わして淡く微笑み合うと、ほっと熱が点ったように見えた。まるで小さな光が生まれたようだった。


(これが、きっと愛なのだろう)


 レオンも、たとえばミシェリアと、手を重ね合わせて幸せそうに見つめ合うようになるのだ。彼らの間には愛があり、慈しみが溢れ、温かい光となって映るだろう。


(なのに、この息苦しさは……)


 生じた症状の原因と正体をいつまでも探ってしまう予感を覚えて、シルヴィアは急いでそれらを捨て置いた。

 シルヴィアはレオンの願いを知っている。守るためならば彼は自らを犠牲にすることを決して厭わない。この温かい光景が見られるのなら安いものだと笑いさえするだろう。

 ならばその道行きを阻むものがあるのかを知る必要があった。ここで話をしているのも彼の置かれた状況を知るためだ。


「ゼイン女公爵が王国のために行動していることはわかった。ではレオンはそれを歓迎しているのだろうか?」


 助けになっている、ありがたいと感じているのかどうか、エマリアはどのように見えるのかを尋ねると曖昧な微笑を返された。


「大叔母様の意向は理解しているでしょうけれど、あの子はちょっと……ひねくれたところがあるから」


 くすっと笑うエルヴィールにエマリアは目を眇めて再び腕をつねる。その言葉の意味するところがシルヴィアにはよくわからない。


「レオンは真っ直ぐな人間だと思うが、違うのか?」

「真っ直ぐで、意思が強い。だから誰かの思いのままに動かされたり強制されたりすることが大嫌いなの。相手が大叔母様とはいえ、こうしろと言われて素直に頷くはずがないわ」


 ミシェリアが最も王妃にふさわしいことは理解している。だが誰かが彼女を連れてきて結婚しろと言ったところで、自分で相手を選んでもいない、結婚すると決めたわけでもないと断固として拒絶するに違いない、とエマリアは弟を語り、悩ましげにため息を吐いた。


「こうなるとレオンの日頃の言動が恨めしいわ。わたくしが知る限りでは、特定の恋人を作ることも浮名を流すこともなく、異性とは適切な距離を保ち続けてきたのだもの」

「では、この状況はレオンには歓迎できないものであるということか」

「そうね、そういうことになってしまうわね」

「ありがた迷惑、というやつだね」


 親切や厚意がかえって迷惑に感じられること。不要の手助け。お節介。語句の意味を理解し、やっと、ああなるほどな、と得心できた。


「妨害するなら私がやろう。この国の権力図と無縁である私なら、公爵の立場にある者の不興を買ったところでどうということはない」

「待ちなさい。逸ってはいけないよ」

「エルヴィールの言う通りよ。レオンは大叔母様と会談中なのよね? そこであの子が上手く躱せるかどうかだから……」


 そこへ静かに入室した女官が声を抑えて「姫様」と主人を呼んだ。憚る話があるらしくエマリアの傍らに立ってそっと耳打ちする。何事だろうとシルヴィアは首を傾げ、廊下の方から吉事でもあったかのような明るい声が響いてくるのを聞いた。


「は!?」


 驚愕したエマリアが彼女らしからぬ声を発して目を丸くしている。まじまじと女官を見つめ、首を縦に振って肯定するのを確かめると途端に額を抑えて「なんてこと……」と呟いた。


「エマリア?」


 エマリアの許しを得た女官が一礼してシルヴィアに答える。


「王太子殿下より内々にお知らせがございました。――戴冠式の祝宴において、新王の妃の選考を行うとのこと。祝宴に出席するすべての未婚女性が対象となるとの由でございます」


「そうきたか」とエルヴィールが笑いを噛み殺して呟く。


「エルヴィール。私には何もわからない」


 シルヴィアの疑問に、エルヴィールは教師の顔になった。


「王妃を得るようゼイン女公爵に求められ、有力候補はミシェリア嬢であり、これから他の貴族たちが候補者の売り込みに押し寄せ、数多の女性の釣り書きを送りつけてくる。いちいち相手にするのはわずらわしいと王太子殿下はお考えになるだろう。では、手間を省くにはどうすればいいだろうか?」


 シルヴィアはあっと目を見開いた。


「『全員来い』と言ったのか!」


 祝宴で妃を選考する。対象は祝宴に出席する未婚女性だ。そう言われたなら自らを候補と自負する者は必ず祝宴に集う。

 祝宴の場で候補者が一堂に介し、その場で王妃を選ぶなら、いちいち相手をせずに済む。予め最低限の要件を満たしているかを調べる必要はあるだろうが、妃にふさわしいかを確かめるには直接本人に会うに勝る方法はないだろう。


 わずらわしさを嫌い、会いたくもない人間と会うことを無駄と言うであろうレオンらしい効率的だが、なんというか。


「……より良い林檎を選ぶようなやり方だな?」


 なかなかの表現だ、とエルヴィールは咎めるでもなく楽しそうにしている。


「これまで様々な為政者を見てきたけれどレオン殿下のような方は初めてだ。きっと人を惹きつける良き君主となられるだろう」

「褒めてもらえるのは嬉しいけれど、我が身内ながらなんということを、という気持ちだわ」


 頭痛を振り払うようにしながらエマリアがため息をつく。


「即位式の後は花嫁選びの舞踏会なんて! 準備する者たちが阿鼻叫喚、招待状を受け取った方々の反応も想像するだに恐ろしいわ……」


「すでに本城は大騒ぎですわ」と報告にやってきた女官が大きく頷く。


 これが最後の一杯であるかのようにエマリアは茶を優雅に干し切って、言った。


「これは、荒れるわね」


 この賢明な王女の予言はぴたりと当たり、ヴィンセント王国は王城を中心に狂騒に包まれたのだった。

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