催花の霖 4
城門まで戻ってくるとほっとした顔の門番が出迎えてくれた。
「ああ、よかった! 早々にお戻りいただけて何よりです、殿下」
だが間もなく「いたぞ!」と声が響き、本城から駆けてきた兵士たちが一斉にレオンを取り囲んだ。
「戻ってきてくださってよかった。本当によかった!」
「どこにもお姿がないので補佐官様が大変なお怒りようでして……」
「ゼイン女公爵様に見つからないうちに執務室へお戻りください、とのことです」
「わかったわかった。戻るから、いまにも泣きそうな顔をしながら言うんじゃない」
逃げ出さないようにか兵士たちに囲まれながら本城に戻り、しばらくも行かないうちにシルヴィアはこちらに近付いてくる見覚えのない貴婦人の姿を捉えた。
華麗な装いとふさわしい典雅さを備えたその人が老齢に由来する威厳に満ちた声を放った。
「何処ぞへおでましでございましたか、王太子殿下」
兵士たちが子兎さながらぴょんっと跳ねて頭を下げながら身を引くが、頭を下げる謂れのないシルヴィアは堂々と彼女の顔を見た。
年老いて色を失った巻毛を短くし、濃紺の瞳を鮮やかにきらめかせる老女だ。優雅な微笑みは風格に溢れ、皺の一つ一つが彼女に人を圧する力を与えている。薬草のような落ち着いた色合いの上品なドレスを身に纏い、小さな扇を手にしている。
(これが、ゼイン女公爵)
年齢や人を圧倒する立ち居振る舞いから彼女が噂の人物であると判断を下すと同時に、シルヴィアの目は女公爵の背後に控えている小柄な少女を捉えていた。
(あれは……)
「ご無沙汰しております、ゼイン女公爵。ジェイス公爵令嬢もご一緒でしたか」
「ご機嫌よう、レオン様。お顔を拝見できて嬉しゅうございます」
小鳥の声で喜びを滲ませるのは、竜神殿行きの旅において一行に宿を提供したジェイス公爵家の娘、ミシェリアだった。
今日は花びらを思わせる薄紅色とレースのドレス姿で、何もかも小作りで折れそうに細く、エマリアが飾っている少女人形を思わせる。少しだけ緊張してレオンに答える様子はまるでぱっと花が開くようで可愛らしい。
「華やかなお二人が揃って城にお越しとは、何か祝い事でもありましたか?」
「祝い事になるやもしれませんね。新王の婚姻にまつわるお話をするために参りましたから」
ぴん、と糸を張った音が聞こえた気がした。
にこやかな顔を突き合わせるレオンとゼイン女公爵、そして状況を深く理解し得ないシルヴィアと、逆に理由を承知しているミシェリア以外の居合わせた兵士たちは目を剥き、顔を見合わせている。
(婚姻。新王の……レオンの婚姻?)
「ゼイン女公爵。私は即位を控えているのであって、婚姻式は予定していません」
「承知しております。ですが即位の後しかるべき者を妃に迎えねばならぬでしょう?」
王政を敷く国は大半が世襲制で、後継者を設ける必要があることは知識としてあった。だがそれとレオンが結びついていなかったことに気付かされて、シルヴィアは棒立ちになって二人を凝視した。
ぱちんと手の中で扇を鳴らしてゼイン女公爵は微笑む。
「国政にまつわる話ですのでふさわしい場所でお話しできればと愚考いたしますが、いかがでしょう?」
「ごもっともです。ご婦人を立たせたままなのは忍びない」
にこやかに応じたレオンがこっそりため息を飲み込んだのをシルヴィアは聞き逃さなかった。どうやらゼイン女公爵はレオンをもってしてもかなり手強い相手らしい。さりげなくシルヴィアを庇うように彼女たちの視線を遮ったのもそのせいだ。
部屋を整えるため兵士たちをそれぞれに先触れや連絡に向かわせ、レオンはゼイン女公爵の案内役として歩き出す。
彼らの後に続こうとしたシルヴィアはしかし、「もし」と鈴の声に引き止められた。
親切そうな笑みのミシェリアが幼子を諭すように首を振る。
「殿下も公爵も政のお話をするのです。邪魔をしてはいけませんわ」
それは正しすぎるほどもっともな理由だった。
政に干渉してはならない。権力を持ってはならない。禁じられているわけではないが人ならざる者としての領分を超えるべきではないと思い、興味関心を抑えて関わることを控えてきた。
だがこのとき、何故か、腹の奥で何かがふつりと沸いた。
「私は」とミシェリアに向かって一歩を踏み出した。まるで挑みかかるように、傲慢に顎を上げて。
「私は【戦乙女】だ。私だけがどこへ行き何をするのかを決める。私の行動を妨げることは誰にもできないし、許さない」
目を見開いたままびくりと震えたミシェリアから、シルヴィアは身を翻した。あえてレオンとは逆方向に進んだのは、彼に付いていかないのは自らの意思決定によるものだと彼女に知らしめるためだった。
(何故、彼女がゼイン女公爵に同行している? 何のために城に来た?)
忙しなく歩みを進めながら考えるのはたった数分のやりとりとその場に集っていた者たちのことだ。
(王の婚姻は後継者を得る手段の一つだ。レオンが王になるならば、後継を定めるのは義務だろう)
けれど、あのレオンが結婚するなど、考えたこともなかった。
疑問を抱いて、シルヴィアは先ほど後にしたばかりの北の離宮に舞い戻った。
再び姿を現したシルヴィアはエマリアとエルヴィールに迎えられた。いまなら二人がともに過ごしているのは結婚を前提にして関係を深めているからなのだと理解できる。
「シルヴィア。レオンは見つかったの?」
「教えてほしいことがある。エマリアはレオンが結婚することを知っているのか?」
エマリアもエルヴィールも揃って驚いた顔をした。




