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運命の君 10

 神殿に戻ると、エルヴィールが神殿長であるグイヴに自らの事情と外の出来事を説明する役目を買って出てくれた。そしてさほど時間をかけずに説明を終えて戻ってきた彼はこちらへ、とレオンとシルヴィアを誘い、人気のない方へと先立って歩き始めた。


「旧神殿への立ち入り許可をいただいてきましたから、そこで話しましょう。神々の御業に近しい事柄なので、聞く者は限られた方がいい」

「それならエマリアを呼んだ方がいいのではないか?」

「そうだな。当事者は姉上だ。姉上が最も聞くべきだ」


 シルヴィアの言葉にレオンも同意したが、エルヴィールは軽く首を振るような仕草を見せた。


「確かに、それは義務です。私が事情を説明して、伏して乞わなければならない。けれどあの方にいま最も必要なのは長々しい私の話ではなく、安らげる場所と休息でしょう」


 何故か哀惜に満ちる横顔に、シルヴィアは内心首を傾げたが、レオンが何も言わなかったので口を閉ざすことにした。エマリアに関して主張する権利を持っているのは弟のレオンだからだ。

 そうしてやってきたのは聖職者たちの宿舎ではなく、その敷地からさらに奥、境界を表す外壁にひっそりと存在する扉の前だった。

 借用したと思しき鍵を使って解錠したエルヴィールは、木々の影に覆われた秘路を進んでいく。その後に続いたレオン、そしてシルヴィアの背後で、がちゃんと重い音を響かせてひとりでに扉が閉ざされた。


(魔法)


 扉には、限られた者しか足を踏み入れることができないよう、神の力が働いていた。こちらから開くことはできてもあちらから誰かが入ってくることは不可能になっている。

 つまりここは善き力に守られる領域なのだ。

 少し行ったところで待っているレオンのもとへ早足で追いつき、再びエルヴィールが行く方へと進む。

 扉の向こうの道は、この地域の深い森によって隠されている。頭上を大小の木々と枝葉が覆い、上空から小道の存在に気付きにくいようになっているのだった。他の場所からたどり着こうにも鬱蒼と茂る緑のせいで困難だ。恐らくこの一帯の緑は善き力によって完全には枯れないよう維持されている。


「下っているな」


 レオンが呟き、シルヴィアは頷いた。影が濃いせいで気付きにくいが緩やかな下り道になっている。森林があり、神殿周辺が岩場であったように、この辺りの地勢は多様だ。秘匿すべきものをそうやって守ってきたのだろう。


(この先にあるものが、恐らく本当の……)


 否応なしに神の気配を感じ取って緊張を高めていたシルヴィアの視界を覆う陰影が、不意に明るく晴れた。

 やはり森の中だが、ずいぶん開けている。上部を突き出すようになった巨大な岸壁とその上の木々が広々とした空間を作り上げていた。一歩踏み出して、その硬い感触が人工的なものだと直感する。


(石の床。ではここが)

「ここが旧神殿。むしろ『本当の竜神殿』と言うべきか?」


 シルヴィアと同じ答えに至ったレオンが言うと、エルヴィールは微笑みと頷きで応じた。


「ご明察です。この場所が本来の竜神殿、各地の竜が舞い降りた場所でした。時の流れとともに竜が数を減らし、隠れ里に住まうようになったので封印され、新たに人々が参詣するための神殿を設けたのです」


 訪れる者のない、というのはこのような場所を言うのだろう。石造りの建築物は苔むし、土埃と緑に覆われ、廃墟であることすらわからなくなっている。それだけの時が流れ、神と人と世界の有り様も変わってしまったのだと見て取れる。

 もちろん椅子など見当たらないが、シルヴィアも、そしてレオンも気にしなかった。レオンは近くにあった起伏、どうやら石材か柱だったらしいものに腰を下ろし、シルヴィアは退路を確認しつつ適当な位置に立った。同じように立つエルヴィールは、シルヴィアが万が一の逃走経路やレオンを守るのに適した立ち位置を探したことに気付いたらしく目が合うと微笑んだ。

 そしてそれらを小さく息を吐き出すことで消し去ると、凪いだ紫の瞳でひたとこちらを見据え、口を開いた。


「改めて名乗らせていただきます。――私は、エルヴィール。エヴルセムの一族の裔、かの竜より神剣を賜り、竜騎士として課せられた使命のために殺戮と放浪を続ける者です」


 殺戮という言葉の不穏さに目を細めたレオンに、エルヴィールは深く頷いた。


「エヴルセムの剣は大いなる力を持つがゆえに様々な制約があります。まず、剣の持ち主は竜の血族でなければならず、継承はエヴルセムか先代の持ち主に指名されなければなりません」

「竜の剣の所有者は不老不死だという。その恩恵を手放す者がいるのか」

「ええ。この世に『永遠』は存在しない。いくつかの不幸な出来事、謀略や、不慮の事故、持ち主自身の意志によって剣は様々な使い手のもとを巡り、いまは私の手元にあります」


 思いがけず剣を手放した者もいれば、当人の望みだったとエルヴィールは言う。シルヴィアにも竜の剣を巡る歴史的事件のことは知識としてあったが、彼の言葉の中に忘れがたい強さを帯びたものがあった。


(『永遠』は存在しない、か)


 私もそうか。ではその終わりはいつなのか。ふとそんなことを思う。


「不老不死、驚異的な身体能力、神の力への耐性。中には強力な魔法を使えるようになった者も、自らの始祖に近しい竜の姿を得た者もいたといいます」


 エルヴィールの話は続いている。


「しかし大いなる力には代償がつきもの」


 万能の力は存在しない。擬似的なものであっても、その強さに値する代償が発生する。


「それがエヴルセムから与えられる使命であり、竜の剣の呪いなのです」


 風が立ち、森がざわめいた。まるでエルヴィールの言葉に同意を示し、先ほどの戦いの残滓を呼び起こすようだった。

 耳にこびりつく憎しみの声を思い出し、シルヴィアは声を落として口を開く。


「エヴルセムの使命は――同胞殺しか」


 戦いの最中、彼はシルヴィアにそう言ったのだ。同胞を狩り続けてきた、と。


「ディセリアルに降り、魔に墜ちた竜族を狩る。それが竜の剣が生み出された真の目的なのだな」


 目を伏せたエルヴィールが痛ましく感じられて胸が疼く。彼が明かそうとしたものをこちらが暴いてしまった。だがそれを言わせてはならないのだとも思ったのだ。あの怨嗟の声の数々、戦い慣れた剣筋は、彼の旅路の長さと憂いを感じさせるものだったから。

 そしてレオンの声もまた、痛みを帯びていた。


「その真の目的のために、姉上のような犠牲が必要なのか」


 エルヴィールは、少しの間何も言わなかった。感情を表に出さないよう律していたのだろう、しばらくして「そうです」と肯定した。言い訳は一つもなかった。


「何故だ。同胞に手を下すのなら自ら行うべきだ。それを他者、しかも子孫に負わせ、無関係の者に代償を支払うよう求める。竜神とはそこまで身勝手で非情なものか」


 言葉を連ねる声は、冷淡だ。だからレオンの憤りと疑問の強さがわかる。

 しかしそこで目を閉じ、大きく息を吐いて「すまない」と相手を思いやってしまうのもまた彼らしさなのだった。


「言い過ぎた。神々やそれに近しい者たちの在り方を、俺のような人間が理解できるはずもないし、ましてや咎め立てるなど」

「いいえ。王太子殿下がそのように思ってくださることは、私にとって救いです。自ら剣を手放した先代たちも同じことを言うでしょう」


 エルヴィールの瞳に感情が揺れていた。レオンの素直な憤りに心から感謝しているようだった。


「私も、そう思ったのです。竜の血族としてこの世界に仇なす同胞を狩らなければならない、それはいまでも強く思っています。しかしそのための力を得るのに、何故どこの誰とも知らぬ命を犠牲にしなければならないのだろう? 殺した竜の憎しみの断末魔を聞く間、本来なら死に至る傷を癒して我が身を生かす力の源である誰かすらも、私は殺しているのだと……そう思ったとき、もう、終わろうと決めました。我が神に剣を返還し、役目を終えるのだと」


 レオンは微笑むエルヴィールを凝視した。


「死を?」

「剣の返還が果たされれば、恐らく」


 避けられぬ終わりを理解して穏やかでいられる、そこにエルヴィールの覚悟があった。


「エヴルセムにまみえるためにはいくつかの方法があります。神の国に至るため世界各地に点在するその扉を通る。この世に来臨している状態のエヴルセムを見つけ出す。神殿に赴くなどしてエヴルセムに願い出て、与えられた試練を突破する。そして剣の対の呪いを見つけ出す……私が知る限りでは、剣を返すためにエヴルセムが御座す神の国に至ろうと、谷底へ身を投げた者がいます」


 不老不死なら、延命しただろう。だが竜の剣の持ち主でないのならその恩恵は失われている。そうなれば谷底に落ちた者が戻ってくることはない。ゆえに剣の返還は死を意味するのだ。


「姉上を探していたのはエヴルセムに会うためか……」


 だがその出会いはエルヴィールの死に繋がる。エマリアは救われるかもしれないが喜ぶこともできず、レオンはやるせなさそうに息を吐き、何か言う代わりに苔むした石床を蹴り付けた。エヴルセムめ、という苦々しい思いが明らかで、シルヴィアと目が合ったエルヴィールは肩を竦めるようにして笑う。

 竜神に剣を返し、生を終え死を受け入れることを選ぶほどに、エルヴィールは神の使命から解放されたいと願っている。不老不死を得た竜の血族にそのように思わせるほど剣の力は強く、重い。代償として呪いが生じるのも頷ける。


「何故呪いは無関係の者に与えられるのか、あなたは知っているのか?」

「残念ながら、それを知るには神代は遥か遠くに過ぎ去ってしまいました。我が神ならご存知でしょうが……私自身は、魔神に降った同胞たちの呪縛なのだろうと推測しています」


 かつてこの世には神を含めた数多の命で溢れていた。神、人、動物、鳥や魚。妖精、精霊、小人。もちろん竜も。

 竜種のうち神に列せられたのはエヴルセムのみだったが、同じ悠久の時を生きる竜の中にはそれに勝るとも劣らぬ力の持ち主は少なくなかった。エヴルセムが竜神となったことで賢く誇り高い彼らの自尊心は傷付けられ、主神に背を向け魔に堕ちるに至ったのだ。

 魔のものとなり、新たな力を得て敵となった同胞を討つための剣は、そのために強い力を有した。狩られる側にとってそれは脅威だっただろう。エヴルセムと同等の力を持つ魔竜たちが強すぎる力を縛ろうと考えるのは自然だ。


 狩られる者としての抵抗だったのだとわかり、シルヴィアは嘆息した。


「そういうことか。あなたを見ていると竜やその血族が善良な性質を持つのだとわかる。魔竜たちはそこを突いたのだな」


 敵を狩るための剣と使い手のために犠牲となる儚い命があるのだと知れば、平静でいられる者はきっと多くない。過去にも剣の返還を申し出た者たちがいるのは、彼らの情け深さや寛大さにも理由があるのだろうと思った。

 だがエルヴィールは不意を突かれたような顔をし、くすっと笑い声を溢した。


「あなたは、面白い方ですね」

「『面白い』?」

「うん。稀有だと思う」


 尋ねようとすると何故かレオンが大真面目な顔で応える。彼らの指す『面白い』の定義に理解が及ばずにいるシルヴィアを、彼らは微笑ましそうに見ている。居心地が悪いような不愉快なような、どうにもさだまらない感情に顔をしかめてもまだ笑っていた。


「王太子殿下。【戦乙女】とともに在られる寛大な殿下に、お願いがございます」


 改まったエルヴィールの物言いに、レオンは居住まいを正した。


「聞こう」

「私は竜の剣の使い手として、我が神エヴルセムに与えられた剣を正しく返還する義務がある。そのためにエヴルセムに見える必要があり、御前に罷り出る方法を探しておりました。そしてこの国でそれを見つけた。王太子殿下、私の宿願を叶えるため、どうかエマリア姫にご助力をお願いすることをお許しください」


 レオンの答えは、ため息だった。途方もない、と言葉にすらできなかった。


「一つ聞きたい。剣を返すと、エマリアはどうなる?」

「エマリア姫のみに関して言えば、呪いから解き放たれるでしょう。次の所有者に応じて呪いは新たな者へとうつろうはずです。記録もなく私も初めてのことですので明確なことは申し上げられませんが、エマリア姫を必ず解放するよう、我が神にお願いすることをお約束いたします」


 エマリアは助かるが、後に同じように苦しむ者がいると知って彼女は頷くだろうか。だがこのままではその前に彼女の命が燃え尽きる方が早く、結局新たに呪いの持ち主が現れるだけだ。エマリアの選択はエルヴィールの説得にかかっている。

 レオンもそう思ったのだろう。自分の役割ではないと頭を振った。


「貴殿の願いを止める権利は、俺にはない。姉上についてもだ。事情を聞いた上でどうするかはエマリアが決めるだろう」

「殿下のご慈悲に感謝いたします」


 エルヴィールは礼節を尽くすようにして頭を下げた。

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