私の好きな人には、忘れられない人がいる。
「やったわ! どう、ルカス? 今回は私の勝ちよ!」
「……チッ」
学校の廊下に張り出されたテストの結果表の前で私は隣にいる男に声をかけた。
「ふふん! ここの所、勝ちを譲って来たけど私が本気を出せばこんなものよ!」
「次は負けねぇ……」
「私も負けないわ! だから首席卒業は私のモノよ!」
私は高らかにそう宣言した。
──ここは、シュテルン王国唯一の王立学校。
15歳以上であれば男女身分を問わず、入学試験さえ突破出来れば誰でも通える。
この学校はとにかく未来の優秀な人員育成を目的としていて、その為、入学試験はとても厳しく、試験を突破し学校に入学出来た者はそれだけで将来のエリートコースが約束されていると言ってもいい。
そんなシュテルン王立学校に入学した者達は、将来のエリートコース特典だけでなく、もう一つ誰もが目指すものがある。
それは、首席で卒業すること。
シュテルン王立学校は三年間の教育機関。
ただでさえ、優秀な人材ばかりが集まるこの学校を首席卒業する。
すなわちそれは最も優秀な人物だと認められたようなもの。
そんな首席卒業者には、卒業時に国王陛下から何でも一つ願いを叶えて貰える、というご褒美がある。
まぁ、何でもと言っても限度はあるけれど、それでもかなりのご褒美だ。
過去の首席卒業生の願いを例にとると、
ある平民の首席卒業者は爵位を望み、ある貴族の首席卒業者は自身が運営する為の商会設立の資金援助を望んだ。
どこまで本当から知らないけれど、過去には王女様との婚姻を望んで却下された人もいるらしい。
……まぁ、多少例外はあれど、とにかく過去の卒業生の望みは大抵は叶えられている。
そのたった一つの席を目指して私達は日々、切磋琢磨している。
そして、そんな私……マリエールは、首席卒業の座にかなり近いところにいる人間の一人だ。
入学時、首位の成績で入学した私は、それからも度々行われる実力テストをこの最終学年に至るまでの間に首位もしくは二位を取り続けている。
──そう。二位の時もある。悔しい事に!
私が唯一、敗北してしまい、時には首位を譲る事がある人間こそ、今、この隣にいる男……ルカス・スチュアートだ。
「いーや、首席卒業は俺のモノだ」
「私よ!」
「俺だ!」
私達がテストの結果表を見ながら言い争いをするのはいつもの事なので、周りはまたか……そんな目で見てくる。
今もまさにそんな感じだった。
「……まさか、三年間ずっとルカスと首位争いをする事になるなんて思わなかったわ」
私が過去を思い出しながらそう口にすると、ルカスもどこか懐かしそうな目をして言った。
「そうだな、俺もだよ」
もうすぐ私達は卒業する。最後のテストの日はもうすぐだ。
ルカスとこんな風に言い合えるのもあと少し。
このまま卒業してしまったら、私とルカスには何の接点も無くなってしまう。
だって、本来の私とルカスには大きな壁があるんだもの。
私、マリエールは元・男爵令嬢。
没落したルドゥーブル男爵家の令嬢だった。
私が学校の試験を受ける一年前。
その年の悪天候で賄えなかった税収の損失分をどうにかしようとして、父は多額の借金を抱えてしまった。
どうにか借金返済を目指すも、資金繰りに失敗し状況はどうにもならない所までいってしまった。
結果、全ての責任を取って爵位を返上したので、今の私は単なる平民だ。
かたや、ルカスは……
ルカス・スチュアート。
彼はスチュアート公爵家の次男。嫡男ではないから公爵家の跡継ぎでは無いけれど、元男爵令嬢で現在、平民の私からすれば本来は口を聞くのも憚らねばならない人。
そんな身分差も甚だしい私達が、こんな軽口を叩けているのはこの学校だから。
身分差より実力が物を言う学校だから。
つまり、卒業してしまえば私達は──……
「…………」
「マリエール?」
急に私が黙り込んでしまったからか、ルカスが心配そうに私の顔を覗き込んで来る。
「っ!!」
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「な、何でもないわよ……次のテストに備えてどう勉強するか考えていただけよ!」
「……お前なぁ……」
我ながら何て可愛くない返事の返しだろう。
自分で自分に呆れてしまう。
だけど、ダメなの。
私はルカスを前にするといつもこうなってしまう。
それは……ルカスの事が好きだから。
素直になれなくて、こんな口しか聞けないけど私は気付いたら彼に恋をしていた。
テストの結果表を見ながらやり取りするこの時間が私の一番の幸せ。
──だけど、この恋は絶対に叶わない。
その理由は、私が平民で彼が貴族だからでは無い。
もちろん、それも私の恋が叶わない理由の一つではあるけれど、本当の一番の理由は……
彼に……ルカスには忘れられない女性がいるから。
❋❋❋
私がまだルドゥーブル男爵令嬢だった頃、ルカスには婚約者がいた。
それは、貴族の子女であれば当然の事で。
上位貴族であるルカスにそんな存在がいないはずがない。
私みたいな没落寸前だった下位貴族とは訳が違う。
だけど、今の彼に婚約者は───いない。
何故なら、ルカスの婚約者だった、ユーフェミア・オリエント侯爵令嬢は、婚約者だったルカスを裏切って使用人だった平民の男性と恋に落ちてしまったから。
そして身勝手な彼女は事もあろうに公の場でルカスに婚約破棄を告げた……
今でもあの光景を覚えている。
あれは、私が男爵令嬢として最後に参加した夜会での出来事だった。
──────
───……
「ルカス! ごめんなさい……私との婚約を破棄して!」
「……は?」
突如夜会の会場内で始まった、ユーフェミア・オリエント侯爵令嬢の婚約破棄の申し出にその場にいた誰もが言葉を失った。
会場のど真ん中で向き合うルカス・スチュアート公爵子息と、ユーフェミア・オリエント侯爵令嬢。
そんな侯爵令嬢の傍らには、見知らぬ男性が寄り添っていた。
「私、好きな人が出来てしまったの」
「…………ちょっと待って、ユーフェミア。君はいったい何を言ってる?」
「彼を愛してるの! だから……本当にごめんなさい!」
そう言って泣き崩れるユーフェミア嬢。
そんな彼女を慰める謎の男性。(多分浮気相手)
突然の展開に頭がついていけていないのかその場で呆然とする公爵子息。
それはまるで物語の一幕のようだった。
突然の事態に慌てた夜会の主催者が間に入り、その後三人は別室に連れられていった為、その後どんな話が彼らの間にあったのか私は知らない。
知らないけれど、程なくしてルカス・スチュアート公爵子息とユーフェミア・オリエント侯爵令嬢の婚約は解消され、ユーフェミア嬢は社交界から姿を消した。
この醜聞とも言える話はしばらくの間、社交界を騒がせたけれど、公の場で婚約破棄された当のルカスが飄々としていたので皆の関心も段々と薄れていった。
ただ私にはあの時、たまたま見えてしまった傷ついた表情のルカスの事が脳裏に焼き付いて離れないでいた。
──その後、シュテルン王立学校の入学式から数日後に、
「成績トップで試験を突破したのはお前か!!」
と、私に絡んで来たのが、まさにそのルカス・スチュアート本人だったのですごく驚いたのも今となっては懐かしい話だ。
そんなルカスは、あれから縁談や婚約の申し込みは数え切れないほど来ているのに、どれも突っぱねているらしい。
「今は必要ないんだ。勉強に集中したいから」
そんな理由で断っているらしいけど、きっと違う。私には分かる。
──ルカスはまだ、ユーフェミア嬢の事が忘れられずにいる。
その事に気付いたのは、入学式後に突撃されルカスともだいぶ仲良くなり、テストの結果で一位と二位争いを始めた頃だった
────……
「……ねぇ、ルカス? 私の顔に何か付いてる?」
「え?」
ルカスがさっきからじっと私の事を見つめてくるから、あまりにもいたたまれなくなってしまい聞かずにはいられなかった。
「さっきから、ずっと私を見てたから何かあったのかと思ったんだけど?」
「……い、いや、違う! そうじゃ……ない!」
ルカスは見るからに慌て出した。
そして、どことなく気まずそうに顔を背けながら言った。
「マリエールの髪が……」
「私の髪?」
「日に透けてキラキラして綺麗だな、と……思って」
「!?」
一見、歯の浮きそうなセリフに私の心臓は飛び出しそうになった。
だけど、ハッとそこで気付いてしまった。
──私とユーフェミア嬢の髪色は同じだわ!
なんてことはない。
ルカスは私の髪を見てユーフェミア嬢を思い出しただけ。
(そんなにも彼女の事が好きだったのね……ある意味そこまで想われるなんて羨ましい)
皮肉にもこの時の事がきっかけで私はルカスを意識するようになってしまう。
……これが私の不毛な恋の始まりだった。
───
──────……
「それで、マリエールは今日も勉強してから帰るのか?」
「!」
ぼんやりと過去に思いを巡らせていたから、ルカスのその言葉で現実に戻された。
「当たり前でしょう! 最後のテストまで時間が無いんだから」
「そりゃ、確かに時間は無いが……」
「私は絶対に首席で卒業するの! それで願いを叶えてもらうんだから!!」
そう力強く宣言する私に、ルカスは困ったような笑いを浮かべながら尋ねてきた。
「なぁ、ずっと気になってたんだが、マリエールがそうまでして叶えたい願いってのは何なんだ?」
「……え?」
まさか、そんな事を聞かれるとは思いもしなかった。
「いや、悪い。願いを簡単に口に出せるわけないよな。ただ……」
「ただ?」
「ただ、ちょっと気になったんだ。マリエールがそこまでして叶えたい願いは何だろうって」
「……」
────私の願い。
もし、首席で卒業出来た時に私が願う事。
それは……とっくに決まってる。あの日からそれは変わってない。
だけど、言えない。今は絶対に言えない。
だから私は曖昧な笑顔で誤魔化すしかなかった。
ただ、ルカスが突然そんな事を聞くから、私も気になってしまい、私もルカスに聞いてみる事にした。
「ルカスこそ、願い事なんてあるの?」
「は?」
「だって、ルカスは大抵の事なら自分の力で叶えられそうなんだもん」
頭も良くて、身分もあって、大体の事ならルカスはわざわざ願わなくても自力でどうにか出来ると思う。
「俺か? そうだな……俺の願いは……」
そう言って何故かルカスが、私の事をじっと見つめてきた。
──ドキンッ!
心臓が無駄に跳ねた。
そんな瞳で私を見るのはやめて欲しい。
だってルカスが想ってる相手は私じゃないでしょう?
今、誰を思い出してる? ……そんな目で私を見るのはこの髪色のせいなの?
自分の髪が嫌いになりそうだった。
「俺の願いはさすがに俺の力だけじゃどうにもならない事なんだ……」
「……?」
ルカスは私から目を逸らして寂しそうな顔でそう言った。
……ルカスでも叶えられそうにない願い事。
それは、ユーフェミア嬢の事なんだろうか?
例えば、無理やりにでも彼女を取り戻したい──とか?
そう思うと私の胸がチクリと痛む。
いや、まさかルカスに限ってそんな人の気持ちを無視するかのような願いを口にするとは思えない。
それでも……
ルカスの心の中に、ユーフェミア嬢がいると思うだけで私の気持ちは沈んでいく。
「……ルカスの願いが何であれ、私は負けないよ」
「あぁ、望むところだ」
そんなライバル宣言をした翌日。
「嘘っ! 負けた!?」
「フッ。今回は俺の勝ちだな!」
この日は小テストが行われた。私達は小テストでも勝敗を競っている。
そして……なんと今回は私が負けてしまった。
小テストと言えどもテストはテストだ。悔しい!
「マリエールにしては珍しいな」
「何が?」
「単純な間違いが多い」
「えっ!?」
私の答案用紙を見ていたルカスが物珍しそうに言う。
慌てて確認すると、確かに単純な間違いが多かった。
(集中出来ていなかったのかもしれない)
卒業が……最後のテストが近付くに連れて、私の気持ちも焦り始めてるのかもしれない。
もうすぐ終わってしまうこの時間が名残惜しくて。
「集中しないと最後のテストも俺に負けるんじゃないか?」
「~~っ! 負けないわよ!」
「その意気だな」
そうよ、感傷に浸ってる場合じゃない。
最後のテストまでの間にも小テストは何回かは行われるはずだ。
……次は負けない! 私は再度気合いを入れ直した。
❋❋❋
私は昔から勉強するのが好きだった。女のくせに……とか散々言われて来たけれど。
勉強はしたらしただけ結果が出るから。
努力した事は決して私を裏切らない。
──そう。
かつては、“友人”だと思っていた人達とは違って。
パシャンッ
「……」
頭上から冷たい水が降って来た。どうやら、飲み物をかけられたらしい。
「あーら、ごめんなさい? うっかり手が滑ってしまったみたい」
「……」
「そんな所に突っ立ってるマリエール様がいけないのよ?」
「……」
「ちょっと! 今は男爵令嬢じゃなくて、平民よ、マリエール様は!」
「あぁ、そうだったわ! ごめんなさいね? マリエールさん」
私を囲み、頭から水(おそらく飲み物)をかけて馬鹿にするように笑っているのはかつて、私がルドゥーブル男爵令嬢だった頃に仲良くしていた友人達だった。
「だけど、どうしてこんな所に平民が紛れ込んでるのかしら?」
「本当にねぇ……」
「あ、もしかして招待状を偽造して入り込んだとか?」
「えぇ~!? それは犯罪よぉ」
好き勝手な事を言う、かつての友人達。
この場にいる平民は私だけではないのに。
まるで、私だけが可笑しいと言うかのように吊し上げてくる。
(嫌われたものね……)
今、私が参加しているパーティーは、かつて学校を首席で卒業した先輩が立ち上げたという商会の成功を祝うパーティー。
貴族、平民問わず招待されているのは取引拡大の為だろう。
そして、愛校心の強いその先輩は、このパーティーに学校の在校生も招待した。
学生であるうちに人脈作りも必要だからと言って。
そうして校内で選出されたパーティー参加者に私は含まれていた。
正直行きたくなかったけれど、断れるものでも無い。
ダメ元で着ていくドレスが無いと先生に言ったら、学生は制服で参加するから問題ないと完全に逃げ道を絶たれてしまった。
よって今、私は学校の制服を着てこの場にいた。
そして、運の悪い事に貴族として招待を受けていたかつての友人達に見つかってしまった。
「それよりも、マリエールさんのその格好……」
「見せびらかしてるのかしら?」
「いかにも“あなた達とは、違うんです”と言いたいばかりの格好よねぇ」
彼女達は、ルドゥーブル男爵家が没落した際、手のひらを返したように私の元を離れていった。
それだけなら良かったのに、その後、私がこのシュテルン王立学校に入学した事を知り、こうしてやっかんでいるらしい。
「さっきから一言も喋らないけど、口が聞けなくなったのかしら?」
「生意気よねぇ」
(口を聞いたら聞いたできっと更に罵詈雑言を浴びせてくるくせによく言うわ)
そんな気持ちが顔に出てしまっていたらしい。
「反抗的な目ね」
「分からせてあげましょうよ、身分の差というものを」
そう言って一番仲が良かったはずのかつての友人……ロクサーヌが私に向かって手を振りあげた。
───殴られる!
そんな覚悟をして目をつぶって衝撃に耐えようと思ったのに、何故か一向にその衝撃がやって来ない。
「……?」
おそるおそる目を開けると、私の目の前に人が立ち塞がっているのが分かった。
その人物はー……
「えっ! ルカス……?」
「大丈夫か? マリエール」
私の前に立ち塞がってロクサーヌから庇ってくれているのは、間違いなくルカスだった。
「な、な、何で……ルカス・スチュアート様が……」
かつての友人、ロクサーヌは手を振りあげたものの、ルカスの登場にその手を降ろすことが出来ずそのまま硬直していた。
「……君は確か、モンテーニュ子爵家の令嬢だったかな?」
「う……」
「何故、その手を振り上げていたのかな? いったい何をするつもりだった?」
「そ、れは……」
ロクサーヌはそっと手を降ろし、オロオロと目が泳いだものの覚悟を決めたように叫んだ。
「そ、そこの平民女が私に無礼を働いたから、ちょっとお仕置をしようとしただけですわ!」
「へぇ……」
その言葉を聞いたルカスの纏う空気の温度が一気に下がった……気がする。
「マリエールが君に何をしたのかな? マリエールの制服はずぶ濡れだけど、一方の君には何かあったようには見えないけれど?」
「……っ! ぼ、暴言を吐いたのです! この私に、平民如きが!」
ロクサーヌは負けじと言い張る。
やめておけばいいのに、嘘に嘘を重ねている。
そんなロクサーヌの様子に他の令嬢達は顔が真っ青だ。不味い事態だと分かっているんだろう。
「おかしくないかい? さっきマリエールに向かって“口が聞けなくなったのか”って言ってたのが聞こえてた。それなのに君が暴言を吐かれたと言うのは矛盾してると思うんだけど、そこの所を詳しく説明してくれないかな?」
「……っっ!!」
そう言いながら、冷たい目と冷気でロクサーヌを追い詰めるルカスは、今まで見た事がないほど怒っているのが私にも分かる。
「私の大事な友人を傷付けようとした……いや、既に傷付けた君達をどうしてくれようか?」
「っ!」
「ひっ!」
ルカスは私を罵っていた全員を見回しながら言った。
その言葉にロクサーヌだけでなく、その場の全員が凍り付いた。
「……ゆ、友人ですって? そこの落ちぶれた平民女と……ルカス・スチュアート様が……?」
「そうだよ。マリエールは私とシュテルン王立学校での首位争いをする大事な友人だ」
「首位争い……ですって!? マリエールが?」
ロクサーヌは呆然としていた。
私がシュテルン王立学校に入学した事は知っていても、成績の事まではさすがに知らないだろうから驚くのは当然かもしれない。
「そう。私の唯一のライバルで、首席卒業するかもしれない女性だよ。将来、国にとって間違いなく大事な要人になるであろう女性を君達は身勝手にも傷付けたわけだ。それをどう責任取るつもりだい? それ相応の覚悟があるのかな?」
「……ひっ!」
もうロクサーヌも誰も反論しなかった。
そして「知らないわよ、そんな事!! 私は何もしてないわ!!」と捨て台詞を吐きながら他の令嬢と共に一目散に逃げ出した。
「……」
私は突然の展開についていけず、ただただ呆然としていた。
「マリエール、大丈夫?」
「ルカス……」
「もっと早く助けに来れなくて悪かった。それに逃がしちゃって謝罪させられなかった。ごめん」
何故かルカスが私に謝罪する。
ルカスは何も悪くないのに。むしろ助けてくれた。
私は無言で首を横に振る。
「失敗したな。マリエールが、令嬢時代の知り合いに絡まれるかもしれないってもっと早く気付くべきだったよ。後で彼女らにはそれ相応のお咎めがいくようにしておくから、そこは安心して欲しい」
「え?」
そう言いながらルカスは着ていた制服の上着を私に羽織らせる。
「ルカス! ダメ。濡れちゃう!」
「構わない。むしろ、濡れたままの方が良くない。着替えた方がいい」
「え? 着替えなんてないよ?」
「心配しないでも大丈夫だ」
ルカスはそう言って強引に私の手を引いて広間の外に連れ出した。
その際に使用人の一人に何かを言付けているのが見えた。
(……何かしら?)
そして、空いてる部屋に私を入らせると「今、着替えを持って来させてるからゆっくり着替えて」とだけ言って部屋を出ていく。
「えぇー……?」
何が何だか分からないまま私はその部屋にポツンと取り残されてしまった。
「ほ、本当に、私がこれを着るのでしょうか?」
「はい。お着替えはこれしかありません」
「ですが……」
「大丈夫ですよ! さぁ、さっさと着替えてしまいましょう!」
着替えを持ってきてくれた侍女さんはとてもいい笑顔でそう言い切った。
今、私の目の前に渡された着替えは……何故かドレスだった。
平民になってから一度も着ていないドレス。
懐かしさより、どうしようという気持ちの方が強かった。
だけど、いつまでも濡れた制服のままではダメなのは確かだ。風邪をひいてしまう。
ここはもう観念するしか無かった。
「せっかくなので、お化粧もしましょう!」
ドレスを着せられた後、侍女さんはルンルンした顔で私の髪も結い上げ、しまいにはお化粧まで施し始めた。
「え? いや、あの……」
「大丈夫ですよ。ドレスもお似合いですし、素材が良いのでお化粧も映えますわ」
結局、私はあれよあれよと数年ぶりにドレスアップする事になった。
なんでこんな事になったんだっけ……? そんな疑問を抱きながら。
「えっと……本当にマリエールか?」
着替えが終わった私を見て、ルカスが目を丸くして驚いている。
「驚きました? 大変身ですよ~」
私の支度を整えてくれた侍女さんが「私、とってもいい仕事したわ」と言わんばかりの笑顔でぐいぐいと私をルカスの前に押し出す。
「…………」
ルカスは言葉を失っているようで、何も言ってくれない。
……別にいいけどね!
そんなルカスも私に上着を貸してダメにしてしまっていたからか、制服から正装に着替えていた。
(格好いい!)
そんなルカスの姿に思わず見惚れそうになる。
「坊っちゃま! お嬢様に見惚れるのは構いませんがこういう時は気の利いた一言が必要ですよ!」
「……なっ!?」
侍女さんの指摘にルカスが苦い表情を浮かべた。
そんな事言われても困るでしょうに。
(それよりも、坊っちゃま?)
そう聞こえた気がしたけれど……
「……坊っちゃま?」
「あぁ、申し訳ございません、私、名乗っておりませんでした! 私はスチュアート公爵家の侍女のメリッサと申します」
「え? 公爵家?」
ルカスの家の侍女さんだったの!?
私は心の底から驚いた。
てっきりパーティー主催者の用意した侍女さんだとばかり思っていた。
「……なら、ちょっと待って? このドレスは?」
「坊っちゃまが万が一の時の為に……と申しまして持参しておりました」
「は?」
「メリッサ!!」
ルカスが慌てたように大声でメリッサさんの言葉を遮った。
万が一って何かしら? いや、それよりもそうなるとコレ誰の為のドレスだったの?
私が着てしまって良かったの?
そんな疑問ばかりが頭の中にぐるぐると駆け巡る。
「あー……マリエール。その、似合ってる……」
「あ、ありがとう?」
ルカスがどこか気まずそうに、でも、ちょっと照れた様子を見せながらそう口にした。
「でも、ルカス。このドレス、本当は別の誰かの為の……」
「いいんだ! マリエールが着ていてくれて構わない」
「そ、そう?」
ルカスは被せ気味に私の言葉を遮った。
全く持っていいとは思えなかったけれど、ルカスがそう言うのだから仕方ない。私もこれ以上は追求しないでおこうと決めた。
「……せっかくだ、マリエール。このまま広間に戻って俺と一曲踊らないか?」
「え?」
私は驚き、目を丸くしてルカスを見つめる。
「踊れるだろう?」
「踊れる……けど……」
「なら、決まりだ。行くぞ!」
「え? え!?」
ルカスはそう言ってやや強引に私を連れ出す。
「……」
ルカスに連れられて広間に戻りながら思う。
さっき、ロクサーヌ達に絡まれた時も思ったのだけど、もしかしてルカスはかつての私……ルドゥーブル男爵令嬢だった頃の私を知っている?
学校に入学した時の私はすでに平民になった後だったから、令嬢時代の事をルカスに話した覚えは一切無い。
令嬢だった頃も、没落寸前の弱小貴族だった私は社交界に顔を出したのは片手で数えられるくらいしかなく、ルカスと接点を持った記憶も無い。
あのルカスの婚約破棄騒動だって、私が一方的に見ていただけ。
なのに、どうして……?
私の心は落ち着かなくなった。
「さぁ、お手をどうぞ、マリエール嬢」
広間に戻った私にルカスがそっと手を差し出す。
「……はい」
私は、おそるおそるその手に自分の手を重ねた。
ルカスと踊り始めると、会場中の視線を自分達が集めているのが分かる。
「スチュアート公爵家のルカス様が……!」
「相手は……誰だ?」
「見た事ないぞ!?」
「あの日以来踊る姿を初めて見た……」
どうやら、ルカスはあの日以来誰かと踊る事をしていなかったらしい。
(それだけ、ユーフェミア嬢の事を……想っているのね)
そう思うと胸が痛んだ。
きっと私と踊ってるのはほんの気まぐれ。友人だから。
それだけだと、自分に言い聞かす。
さっき、ロクサーヌ達から庇ってくれた時に“大事な友人”って言って貰えた。
……それだけでもう、充分だ。
「何を考えてる?」
「え?」
「何か他の事を考えてないか?」
「……」
言えるはずが無い。だから、私は無理やり笑顔を作って言った。
「気のせいよ」
「そうか……? しかし、大したもんだな」
「何が?」
ルカスの言葉の意味が分からなくて首を傾げる。
「マリエールは久しぶりのダンスだろう? 難なく踊れてる」
「!」
その言葉にやっぱりルカスは知っているのだと確信する。
「……ルカスは、“私”を知っていたの?」
私の質問にルカスは驚いたのかちょっと目を大きく見開いた。
「知っていたよ。──ルドゥーブル男爵令嬢、マリエール」
「!」
告げられたその言葉にひゅっと私は息を呑んだ。
「そう……知っていたのね」
「あのな、マリエール。俺は……」
顔を俯けて目を伏せる私にルカスが何かを言いかける。
だけどちょうどその時、会場内が大きく騒めいた。
何事かと思って顔を上げると同時にルカスの動きが止まった。
「……ルカス?」
「……」
どうしたんだろう? そう思って固まってしまったルカスの視線を辿る。
「…………っ!?」
私は驚いて声も出せなかった。
なぜなら、その視線の先にいたのは──……
「ルカス! 会いたかったわ」
私と同じ、ストロベリーブロンドの髪色で可愛らしく微笑む女性。
「ユーフェミア……」
ルカスが小さな声で呟く。
──そう。ルカスの元婚約者。
そして今でも、彼が忘れられないでいる、あのユーフェミア嬢がそこにいた。
❋❋❋
勉強が手につかない。
こんな事は初めてだった。
「…………」
原因は分かっている。
あの日のパーティーで、ユーフェミア嬢が現れたから。
───……
驚き固まっていたルカスの事を気にするでもなくユーフェミア嬢はルカスに駆け寄って行った。
そして、花のような笑顔でルカスに微笑むと口を開いた。
「ルカス会いたかったわ! 私、ようやく気付いたの。やっぱり、あなたじゃなきゃ駄目なんだって!」
その言葉に会場内がより一層騒がしくなる。
「ユーフェミア・オリエント侯爵令嬢!?」
「まさか……」
「あのルカス様と踊ってた令嬢はどうなるんだ?」
ユーフェミア嬢の登場にしばし固まってたルカスは、ようやく現実に戻って来たのか、はぁ……と一つ大きなため息を吐いた。
「ユーフェミア。話はここではなく別の所でしよう。周りの視線が痛すぎる……マリエールも巻き込んで本当にすまない」
「……」
私は無言で首を横に振る。
ちょっと注目を浴びてはいるけれど、巻き込まれているという程のものでは無い。
そもそもこの場では、私が誰なのか分かってない人の方が多いのだから。
「本当にごめんな」
「ううん、気にしないで」
精一杯の笑顔で私はそう言った。
こうして、ルカスはユーフェミア嬢を連れて別室で話をする事になったようで私とはそのまま別れた。
連れ添って歩く二人が本当にお似合いで私の胸はチクチク痛みを訴え続けていた。
───……
そして、あれから一週間が経つけれど、ルカスは学校を休んでる。
「このまま休み続けたら首席卒業は私のものだぞー……」
思わずそんな独り言をこぼす。
最後のテストはもうすぐ。でも、そんな事を口走っている私も全然集中出来ていない。
「テストの結果なんて待たなくても……ルカスの望みは叶いそうなんだもんね」
ユーフェミア嬢があの時口にした言葉はルカスとヨリを戻したい……という意味で間違いないはず。
ルカスの具体的な願い事の内容はもちろん分からないけれど、ユーフェミア嬢に関する事を願うはずだったと私は思っている。
だから、彼女が帰って来たのできっとルカスの願いはわざわざ首席卒業して叶えて貰わなくても報われる。
今更、勝手な事を……と思わなくもないけれど、部外者の私がアレコレ言う事じゃない。
「──俺の望みが何だって?」
ビクッ!
突然、後ろから声をかけられたので、ビックリして肩が思い切り跳ねた。
私はおそるおそる振り返る。
「……ル、ルカス?」
「久しぶり。やっと学校に来れたよ……最後のテストも間近なのに困るよな」
「そ、そうね……」
心の準備をしていなかったからか動揺がすごい。心臓が飛び出しそう。
「悪かったな」
「何が?」
「あの日、不可抗力とはいえ、マリエールを置き去りにするみたいな形になっちゃっただろ?」
私の事、少しは気にしてくれてたんだ。
何だかそれだけでもう充分な気がした。
「気にしてないよ。それよりドレスはどうやって返せばいい?」
あの日のドレスはまだ私の手元にある。
もしかしたら、ユーフェミア嬢の為のものだったのかも。
それなら私が着ちゃって悪いことしたな……と思った。
「返さなくていい。マリエールが持っててくれ」
「は? 何を言っているの? そんな事出来るわけなー……」
「いいんだ!」
「……ルカス?」
そう口にするルカスの表情が真剣だったので私はそれ以上突っぱねる事が出来なかった。
❋❋❋
勇気の無い私は、結局あれからルカスとユーフェミア嬢がどうなったのか聞けていない。
友人として軽く聞いてみればいいのに。
だけど、はっきりヨリを戻すことになったと告げられるのが怖くて無理だった。
そんな、モヤモヤを抱えていたその日、私の前に“彼女”は現れた。
彼女ー……ユーフェミア嬢は学校の校門前で待ち伏せしていた。
そして、私の姿を認めると近づいて来てこう言った。
「初めまして、マリエール……さん。えっと、ルドゥーブル元男爵令嬢で間違っていないかしら?」
「……」
何でユーフェミア嬢がここに!? 私は混乱していた。
「あの! ルカスはまだ……」
「違うわ。今日はあなたに会いに来たのよ、マリエールさん」
ルカスはまだ校内にいる──
そう言いかけた私の言葉を遮ってユーフェミア侯爵令嬢は笑顔で言った。
「どうして私に?」
「あなたにお願いがあるの!」
「お願い……?」
「そう! あなたルカスと首席卒業を争っているのでしょう?」
──嫌な予感がする。
ユーフェミア嬢のお願いって……まさか。
私の背中に冷たい汗が流れる。
「お願いよ! 彼に勝ちを譲ってちょうだい?」
「え……?」
思った通りだった。
「私とルカスが、元の関係に戻るには“首席卒業の褒美”の願い事が必要なの! だから彼には絶対に首席卒業して貰わなくちゃいけないのよ!」
「……っ!」
ずっと怖くて聞けなかった事をまさかこんな形で知る事になるなんて……泣きそうな気持ちになる。
「その代わり! あなたの望みは私の家、オリエント侯爵家が叶えてみせるから、ね?」
「いや、それは無理……ですから」
「どうして? 私の家はそれなりに権力があるもの。大抵のお願い事なら叶えられるわよ。だから遠慮しないで?」
「遠慮……とかではなくて、ですね……」
もう嫌。このお嬢様、何を言ってるの?
「私ね? ちょーっと平民の男が珍しかったから心奪われちゃったけど、結局私とは合わなかったの。で、あなたも知ってるかもしれないけど、色々と公の場でやらかした反省の為に、実はずっと領地に行かされていたのよ。でもね……そこで気付いたの。私にはやっぱりルカスしかいないんだって!」
何て身勝手な事を言うのだろう。
ルカスがずっとどんな想いであなたの事を……!! そう言ってやりたい。
「ようやく許されて王都に帰って来れたから、お父様にルカスと元の関係に戻りたいのって言ったら、何故か反対するんだもの。嫌になっちゃう! でも、首席卒業のルカスが私と元に戻りたいと望むなら皆が反対しても叶えられるでしょ?」
「それが……ルカスの望み……願い事なのでしょうか?」
私はおそるおそる尋ねる。
それがルカスの望み? あの再会から二人で話し合って出した結論なの?
「当たり前じゃない! ルカスは私と結婚して我が家に婿として入ってオリエント侯爵家を継いでくれるのよ! だから、ルカスにとって私は特別で必要な人間なのよ!」
「……」
そう言いながら、私を見るユーフェミア嬢の目は、
まるで「私はあんたみたいな平民女とは違うのよ!」と言っているみたいだった。
❋❋❋
──そして、とうとう最後のテストの日がやって来た。
この結果で全てが決まる。
首席卒業の座をかけてルカスと競い争うのもこれでおしまい。
長かったようであっという間だった三年間。全てはこの日の為にあった。
──ねぇ、ルカス。
私が望み、願ってる事はね?
あの日からずっとずっとたった一つだったんだよ。
だから、私は……あなたの為に───……
「終わったな」
「終わったね……」
全ての科目の試験を終えて今、私達は互いにぼんやりしていた。
なんて言うのか……ほら、あれ! 全て出し尽くして燃え尽きちゃった感じ!
「全力は出した! 後悔はしてない!」
ルカスのその言葉にドキッと私の心臓が大きく跳ねた。
「そ、そうね! 私もよ」
「マリエール? お前どこか変じゃないか?」
ルカスが心配そうな顔を私に向ける。
そんな優しさなんていらない。向けないで欲しい。
だって、私は……
「そんな事ないわよ! 全て終わったんだなぁって放心状態なだけ」
「そうか?」
「そうよ!」
私は無理やり笑顔を作って言い切った。
──ルカス、ごめんね……だけど、あなたの望みはきっと叶うから───……
だから、どんな結果を迎えても私を許して……
心の中でそう謝りながら。
❋❋❋
そして、運命の結果発表の日がやって来た。
朝からソワソワして落ち着かない。
靴は左右逆にして履いちゃうし、朝から何度もすっ転んだ。
ルカスはそんな私を見て「緊張しすぎだろ」って、笑っていた。
「…………」
張り出される結果を私はドキドキしながら目を瞑って待った。
そして、暫くして聞こえる皆の騒めきとどよめく声。
──結果が張り出されたんだ……!
目を開けてしっかり見なくちゃ。そう思うのに怖くて目が開けられない。
「マリエール」
「……」
私の名前を呼びながら肩を揺さぶるのは、ルカス。
「しっかり、目を開けて結果を見ろ。マリエール」
「……!」
その言葉を受けて私は目を開けて顔を上げた。
─────1位 A組 マリエール
そんな文字が私の目に飛び込んで来た。
「…………っ!!」
私が声を出せずにいると、横からルカスが声をかけてきた。
「おめでとう、マリエール。やっぱりお前は凄いな」
「ルカス……」
結果は嬉しいけれど、私はルカスにどんな顔を向ければいいのか分からない。
「悔しいけど、お前が誰よりも努力して来た事は俺が一番知っているからな」
「…………」
「そんな情けない顔をしていないでちゃんと胸を張れ、マリエール」
「ルカス……」
そう言ったルカスの顔は、どこか晴れ晴れとしたものだった。
❋❋❋
そして、あっという間に迎えた卒業式の日。
今日、私はこの場で“首席卒業の褒美”である願いを伝える事になっている。
学校関係者だけでなく、保護者、多くの貴族が見守る中で告げる願い事。
今年の首席卒業者が何を望むのか。皆の関心はそれだけだった。
そんな来賓の中に、ユーフェミア嬢の姿があった。
目が合ってしまい私の胸がドクリと嫌な音をたてる。
──ユーフェミア嬢は私を睨んでいた。
当たり前だ。
だって私は、彼女のお願いを聞かなかったから。
ルカスに勝ちを譲って欲しいという彼女のお願いを聞くという選択は、最初から私の頭には無かった。
それは、ルカスにも失礼に当たるし、何よりずっとこれまで努力して来た私の全てを無にする行為だったから。
そんな事は絶対に出来ないし、もちろんする気も無い。
そうして私は全力でテストに臨んだ。その結果がコレだ。
だから私は胸を張って陛下の前に進み出る。
「首席卒業、マリエール」
「はい」
私はしっかり陛下の目を見つめながら返事をする。
「そなたの事は入学時から話を聞いていた。入学試験も首位の成績だったと。その後の試験やテストも常に優秀な成績を修めていたようだな。文句無しの首席卒業だ!」
「ありがとうございます」
令嬢時代に培った淑女の礼をとりながらお礼を伝える。
「ルドゥーブル元男爵もこの結果にさぞかし喜んでいるであろうな」
「……!」
そこまで調べられていたのね、と苦笑する。
「して、そなたの願う首席卒業者の望みは何だ? 父親の爵位の復活か?」
陛下は含みを持たせた顔でそう言った。
おそらく、私のこれまでの背景から願い事をそう予想して口にされたのだろう。
でも……
「いいえ、違います。私の、私の望みは……」
会場中がしーんと静まり返っている。誰もが私が次に発する言葉を待っている。
私はひと呼吸おいて、しっかり顔を上げて口を開いた。
「卒業テストで二番目の成績を修めました、ルカス・スチュアート公爵令息の望みを叶えてもらう事です」
「えっ!?」
しーんと静まり返ったままの会場内で、驚きの声を上げたルカスの声はよく響いた。
驚愕の表情を浮かべて私を見ている。
そんなルカスに、私はそっと微笑みを向ける。
「ほぅ? それがそなたの願いか?」
「はい。私の望みはルカス・スチュアート様の望みが叶う事でございます、陛下」
陛下は私の望みに「これは面白い事になった」という表情を浮かべた。
「そうか。ではその望みを叶えよう。ルカス・スチュアートここへ」
「は、はい……」
ルカスが困惑した様子のまま進み出る。
私は驚かせてしまった事に心の中で謝りながらも、これで彼の望みが叶えられる……と安堵していた。
ルカスの望み……ユーフェミア・オリエント侯爵令嬢との関係を取り戻す事。
それが叶う。
ユーフェミア嬢からのお願いは聞けなかったけれど、結果的にこれで丸く収まるはずだからどうか許して欲しい。
(正直、あんな性格の令嬢だとは知らなかったけれど……)
でも、ルカスにとっては大事でずっと忘れられなかった人なんだから。
そう自分に言い聞かせる。
「ルカス・スチュアート。そなたの願いは何だ?」
陛下の言葉にルカスが躊躇いがちに口を開く。
「……私の願いは…………」
ルカスが何て答えるのか。会場中が静かに注目していた。
「……私の望みは…………一代限りで構いませんので、婚姻の自由を望みます」
──ん?
何だか思っていたのとちょっと違う発言が来た。
どうして、はっきりユーフェミア嬢との再婚約って言わないの?
「ほぅ?」
「私は卒業後、スチュアート公爵家の所領の一つである伯爵家を賜る事が決定しております。その当主となる私の婚姻の自由を求めます」
ルカスの言葉に会場内のあちらこちらで驚きの声が上がる。
「つまり、ルカス・スチュアート。そなたは本来であれば婚姻のかなわない相手を将来の伴侶に望んでいる……という事か?」
「仰る通りでございます」
──んん?
ユーフェミア嬢って、色々あったけど侯爵令嬢の立場のままよね?
伯爵家には嫁げないの??
いや、それより婿入りして侯爵家の跡を継ぐんじゃなかったの?
どういう事かしら? 話が全く見えないわ!
私がウーンと唸っていると、突然ルカスに手を取られて引き寄せられた。
「え、何?」
「私が将来の伴侶に望んでいるのは、今年度のシュテルン王立学校首席卒業者である、マリエールですから」
❋❋❋
後に聞いた。
ルカスの願い事を聞いた時の会場内の声は凄まじかった、と。
また、会場の端ではユーフェミア侯爵令嬢が泡を吹いて倒れたとか何とか……
どうして私がそんな、人づてのようでしかその時の様子を知らないのかと言うと、私はルカスに引き寄せられた後の記憶が真っ白だったから。
完全に途中から記憶がさっぱりだった。
しかも、そのまま私は熱を出して数日寝込んでいた。
今までの溜まりに溜まった疲れと、卒業式のあの怒涛の展開……どうやら身体が限界を迎えていたらしい。
そして、ようやく体調も無事に回復したところで、記憶が真っ白になってる部分の話を聞かされたけれど、私は信じなかった。
いえ、正確に言うなら信じられなかった。
だって、おかしいでしょう? ルカスの望みが……私を将来の伴侶に……とか。
きっと何かの間違いよ。
それともあれかな? どうやら伯爵家を賜わるらしいルカスの仕事のパートナーとして私の力が必要とされた、とかかしらね?
私と違って決してこれは恋じゃない。
そんな期待は抱いちゃダメ。
私は必死に勘違いしないよう自分に言い聞かせていた。
だけど、私の回復を知ったルカスから連絡が来た。ちゃんと話がしたいと言う。
お父様が訪問を受け入れたのでルカスは我が家にやって来た。
…………そして私は今、彼と向かい合って話をする事になった。
「どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
普段、飲んでいる紅茶とは比べ物にならない程安い紅茶だろうに、ルカスは気にする様子も、躊躇う様子も無く口をつけた。
「「それで……」」
私とルカスの声が重なった。
「……」
「……ルカスから言ってよ」
「いや……」
「いいから!」
私の剣幕にルカスは少したじろぎつつも口を開いた。
「俺は……マリエールの望みはルドゥーブル男爵家の再興だと思っていたんだ」
「……陛下もそう仰っていたわ」
「違ったんだな……なら何で……俺の……」
────私の願い事。
そう、入学当初の私の願いは間違いなく“ルドゥーブル男爵家の再興”だった。
それは本当だ。
令嬢暮らしに戻りたかったわけじゃない。社交界を追われた両親の為だった。
だけど、それを知った両親は首を横に振ってハッキリと私に告げた。
「そんな事は望んでない」と。
その日から私は何を目指せばいいのか分からなくなった。
何の為にシュテルン王立学校に入ったの? 何の為に首席卒業を目指してるの?
そんな頃、ルカスと出会った。
私と切磋琢磨しながら、時には楽しそうに首位争いをするルカスと過ごしていたら、いつしか自分の願い事なんかどうでも良くなった。
だから、もし私が首席卒業したならば。
私の願い事はルカスの為に使う──ずっとそう決めていた。
「……ルカスが居てくれたおかげで今の私があるから、かな」
「は?」
「だから、どうしても私じゃなくてルカスに望みを叶えて欲しかったの」
「だから、それは何で……」
「分からない?」
私はルカスの目を見つめて言った。
「……好きな人の幸せを願うのは決しておかしな事では無いでしょ?」
「マリエール……?」
ルカスは呆然としていた。
きっと私の気持ちなんて全く気付いてなかったのね。
私も言うつもりなんて無かったのに。
けれど、この気持ちに区切りをつける為にもちょうど良かったのかもしれない。
「マリエールが……俺を?」
「ルカスがユーフェミア様の事を忘れられずにいるみたいだから、二人の幸せの為にルカスの願いを叶えてってお願いしたのに……」
「は?」
「何であんなおかしな事を言い出しちゃったの? あんな事言わなくても私はルカスを手伝うよ?」
「いやいやいや、待て待て待て!!」
ルカスが心底分からないって顔をして焦っている。分からないのは私の方よ。
「どうして、俺がユーフェミアを忘れられないって話になっている?」
「そうでしょ? ルカスはユーフェミア様と婚約解消してから誰とも婚約してないし、何よりあの日の顔が……」
「あの日の顔?」
「ユーフェミア様に婚約破棄を申し入れられてた時だよ。ルカス……すごく傷付いた顔してた。私、あの場に居たんだから!」
「いや、あれは傷付いたというより呆れ……」
「その後も私の髪を見てユーフェミア様を思い出して切なそうな顔をしたじゃない!」
「……はぁ? 何だそれ!?」
「だから私は……」
さらに話を続けようとした私を遮るかのようにルカスは真っ赤になって叫んだ。
「全部、違ーーーーう! 俺が好きなのはお前だ!! マリエール!」
(──え?)
「…………は?」
「あの場でハッキリと言っただろ! 俺は将来の伴侶にマリエールを望んでる、と!」
「冗談だったんじゃないの? それか単に私を伯爵家の手伝いとして欲しかったって意味なんじゃ?」
「な・ん・で! あの場で冗談を言うと思えるんだ!?」
「いや、それは……」
「それに手伝いって何の話だ! どこからそんな話が来たんだ!?」
ルカスは頭を抱えてた。私はそんなルカスからそっと目を逸らす。
その通りなんだけど、信じられなくて冗談だと思いたかったと言うか……
「それと、俺はユーフェミアに恋心を抱いてた事は無い!」
「え?」
「俺がずっと密かに気にしてたのはお前だよ……マリエール・ルドゥーブル男爵令嬢!」
「へ!?」
「貴族令嬢でありながら、才女と謳われてたお前を俺はずっと昔から気になってた。だが、俺には家同士で決められた婚約者……ユーフェミアがいた。だからマリエールへの想いは俺の密かな淡い恋心で終わるはずだった……」
「……恋心!?」
そうして語られたルカスの想いは私の想像を遥かに超えたものだった。
ユーフェミア様からの突然の婚約破棄の申し出。
ルカスは密かに喜び、あわよくば私と……と願うもルドゥーブル男爵家の没落で私と縁を結ぶ事は叶わなくなった。
我が国では貴族同士なら身分差があっても結婚は可能だけど、さすがに貴賎結婚は認められていなかったから。
だけど、シュテルン王立学校で私と再会し……
「俺が忘れられなかったのはお前だ! マリエール!」
「ふぇ!?」
「お前はさっき俺の事を好きだと言ったな?」
「……言った……かしら?」
私はそっと目を逸らし、誤魔化そうとしたけど通用しなかった。
「いや、間違いなくそう口にした」
「えーと……」
「同じ気持ちならもう俺は遠慮しない!」
「ル、ルカス……?」
身を乗り出したルカスの顔がどんどん迫ってくる。
あ、コレ。
絶対逃げられないやつ……私はすぐに悟った。
───初めてのキスは甘さより混乱の味がした。
あのパーティーでのドレスが、実は初めから私の為に用意されていたとか……
(適当な理由をつけて実はドレスに着替えさせるつもりだったらしい! 何処でサイズ知ったの!?)
ルカスの願いは三年間ずっと変わらず私を妻にする事だけ考えていたとか……
ユーフェミア嬢は、勝手に私に不正の打診をしてたのがバレて再度領地送りとなり、近々、既に愛人が何人もいるという男性の後妻に入るとか……
後々、そんな話を聞かされる事になるのだけれど、
とりあえず今、分かったのは……
私の好きな人には、忘れられない人がいる。
──そして、その相手は…………何故か私だった! という事だけだった。
~完~