【2話】賢臣は愚帝の私事に仕えず
大陸歴三紀元年の秋は、作物の実りが少なかった。否、この認識は正しいとは言えない。
農務長官は不作と報告を述べる。しかし、不作の要因について説明させると、しどろもどろな答弁を繰り返した。
求める答えに何時まで経っても辿り着かない。
招集した閣僚達の表情に嘲笑が滲む。農務長官は他の者達から軽んじられていた。このままでは不味い。仕方なく、私は助け船を出す。
「前期比減は事実。その面に着目すれば不作といえましょう。しかし、これは反動です。豊作が続きすぎた結果、今期は通常の収穫量に収束した。これまでの豊穣が出来過ぎだったのです」
「宰相閣下の指摘する通り、我が国はこの十数年、豊作が続いておりました。前期比での落ち込みは大きいですが、凶作ではありません。これといった天災や異常気象はなく、収穫の激減に首を傾げる農民は多いのです」
大神殿の星読神官は私の説明を補足してくれた。知っているのなら、農務長官を助けてやれば良いのにと目を細める。
星読神官は優秀な女性だが、相手の地位で態度を変節する傾向があった。聖職者のくせに性格が捻くれている。いや、聖職者だからこそなのだろうか。
「皇帝陛下の即位後、我が国の気候は安定しております。河川の氾濫、疫病、大規模な火災、いずれの災厄とも無縁でした。天子であられる陛下が健やかに暮らされている証拠です」
豊作に慣れきった農民達からすれば、不可思議なのだろう。何ら原因らしい原因がなく、収穫が減ったのだ。しかし、永久に増長を続ける豊穣など起こりえない。覚悟すべき反動がついに起こった。
「財務長官。宰相府が行うべき施策を提言しなさい」
「はっ! 宰相閣下! まずは穀物の輸出を制限いたします。復興期の我が国は目覚ましい経済成長を遂げる一方、貧富の格差が生じつつあります。帝都ヴィシュテルの近隣に富と人口が集中し、荒廃した地方はインフラの整備が行き届いておりません」
「続けてください」
「農作物の収穫減が知れ渡れば、穀物の市場価格は跳ね上がります。目先の利益に駆られた商人が、国外へ穀物を大量輸出した場合、飢餓輸出の人災を招きます」
「正しい判断です。対策はどうしますか?」
「輸出関税を設定します。現状は無税ですが、主要な農作物の輸出に対して一割から二割強の課税を行います。また、国庫の義倉を解放し、民に配給します。地方での穀物価格を安定させねばなりません」
「よろしい。軍務省に要請し、国境の取り締まりを強化させなさい。輸出税を設定すれば、密輸出を企む商人がでるでしょう。次に穀物の配給ですが、地方領主に命じて配給所を設置します。主要な地方都市の全てにです。皇帝陛下の勅命をいただきます」
「配給に陛下の御名を? 宰相令で十分なのではありませんか?」
「勅命で皇帝陛下の権威を高めます。狙いはもう一つ。威圧です。宰相令による無償配布では、地方領主が穀物を横流しするかもしれません。しかし、陛下の勅命に逆らうのは反逆も同然。反乱罪が適応できます。反逆者は重罰に処し、断絶もしくは族滅を適用します」
実際に罰せられるかどうかは別だ。しかし、喉元に刃を突きつければ、邪心の抑制に繋がる。
「帝都ヴィシュテル近郊の配給は月一回、地方は月三回とします。期間は晩秋から初夏までの半年間。財務長官、義倉の蓄えは十分にありますか?」
「問題ありません。凶作の飢饉に備え、数年分の蓄えがあります。しかし、なぜ帝都近郊と地方で配給に格差を?」
「人口が帝都ヴィシュテルに集中しています。ヴィシュテルは元々がドワーフ族の城郭都市。街を囲った堅牢な壁が都市の拡張性を妨げています。そうですね。工務長官?」
工務長官はドワーフ族。ヴィシュテルを治めていた豪族出身の姫君だ。しかし、世間一般の姫とは違う。小柄だが、性格は剛健。親方気質。妃の一人でありながら、確かな技術を持つ名工だった。
「うむ。壁を壊すわけにはいかんからのう。新区画の工事を急がせておるが、まあ⋯⋯あと数年はかかるじゃろうよ。資材が足りておらん。特に木材じゃ」
「地方の配給が多いと知られれば、少なからず人口の移動が起こります。地方民には林業を推奨してください。不足している木材を集めます」
「素晴らしいのう。一石二鳥というわけじゃな」
「欲を掻かなければ、冬は問題なく越せるでしょう。しかし、義倉の蓄えは有限。いずれ底をつきます」
私は農務長官の顔を見る。彼女は非貴族の出身者だ。裕福な豪農の一族で生まれた娘だった。政治に秀でぬ彼女を農務長官に据えたのは、農法の知識に長けているからだ。
周囲からは農務長官の職責を果たせないと更迭を進言された。しかし、やっと日の目を見る機会となった。真価を発揮すれば、農民娘と見下されていた彼女の評価は引っくり返るだろう。
「農務長官に命じます。来年までに、農地改革の法案を献じなさい。これまでは天恵の豊穣に頼りすぎていました。農地拡大および農法による収穫量の向上を要請します。土壌改良と農作の知識、貴方以上の見識を持つ妃はおりません。遠慮は不要です。思うとおりに改革を断行しなさい」
「はっ! 承知いたしました。宰相閣下!」
自信に満ちあふれた良い返事だ。先ほどの弱気な態度が吹き飛んでいる。今回の仕事は自分の才能を活かせる得意分野だと分かっているようだ。
「よろしい。閣議は閉会とします。各自の職責を全うしなさい」
メガラニカ帝国で十数年続いた豊作。豊穣は新帝の恩寵だった。皇帝が斃れれば国土は荒廃する。新帝ファルレーゼの生誕後、国運は興隆した。いわば天の恵みだ。人々は何ら努力せず、過大な褒美を手にした。
(ここからがメガラニカ帝国の正念場⋯⋯)
始皇帝の時代、皇帝は天子と呼ばれた。天命があるというのなら、これは為政者への警告だ。ここまでが限界。これから先は政策で国を富ませろ。天はそう告げている。
(恩寵の終焉。十六年続いた豊穣で帝国は潤った。しかし、さらなる天恵は期待するな。そんなところでしょうか)
宰相府での閣議を終え、議事堂から后宮へ戻る途中、私は皇帝の側近に呼び止められる。
「宰相閣下! 宰相閣下ーっ!!」
「⋯⋯どうしたのです? 大声をあげて? 何事ですか?」
「陛下がお呼びです! 閣下のご助力を求められています!!」
「はぁ。陛下が? それで? 具体的には何が起きているのです?」
「その⋯⋯陛下の寝室で妃達が乱闘をしているようです。警務女官が止めておりますが、ガルネット閣下に仲裁をしていただきたいと⋯⋯」
「ご自身でどうにかしろとお伝えください」
「宰相閣下!? 陛下をお見捨てになるおつもりですか!?」
「はい。帝国宰相は忙しいのです。私は政務に追われる身。どうせ女遊びのしくじりが、喧嘩の発端なのでしょう?」
「え。ええ。まあ、実はそうなのです。陛下が約束の日を取り間違え、仲の悪い妃が皇宮ではち合わせる結果に⋯⋯。それで大喧嘩となってしまって⋯⋯! 陛下の私物を投げつけ、罵り合っております! もはや我々では止められません!」
「分別を忘れ、殺傷沙汰に発展しそうなら、双方の妃を懲罰房にぶち込んでください。モノが壊れる喧嘩程度であれば、放っておけばよろしい。陛下には良い薬です」
「⋯⋯ですが、宰相閣下! 陛下がお呼びなのですよ?」
「先ほどお聞きしました。それで何か?」
「でっ、ですから、皇帝陛下のご命令でございます! ガルネット閣下に大至急、寝室まで来て欲しいと陛下はおっしゃっております!! 助けを求めておられます!!」
「陛下に私の言葉を伝えなさい。私は陛下に仕えております。国事のために陛下がご命令なさっているのなら、従いましょう。身命を捨てろと命じるのなら応じましょう。私は陛下に忠誠を誓う臣下です」
私は皇帝の側近に半歩近づき、力を込めた口調で言いつける。
「されど、皇帝の私事に付き合う義理はございません。陛下の私事を支えるのは女官の務め。帝国宰相の務めは、陛下よりお預かりしているメガラニカ帝国を正しく導くことにございます。――もう、よろしいか?」
「は、はい⋯⋯」
◇ ◇ ◇
翌日、御前会議に現われた皇帝ファルレーゼは、何やら言いたげな視線を私に向けてきた。
大きさの異なる赤い手形が左右の頬に付いていた。良い薬にはなったようだ。私はほくそ笑む。
物的被害は皇帝が私室に飾っていた美術品が数点。美術品を投げ合った王妃二人は女官総長につまみ出され、停戦に至ったと聞いた。
「窓ガラスが割れて、雨風が入ってくるんだ。今晩はガルネットの寝室に泊まらせてほしい」
御前会議の終了後、気まずそう話しかけてきた陛下は頼み込んできた。
「ええ。どうぞ。おいでくださいませ」
「昨日は⋯⋯俺の私事には付き合う義理はないって見捨てたくせに。泊めてくれるのかよ」
「陛下と私は、皇帝と皇后。正式な夫婦です。陛下のご訪問は家事でございます。この私が帰ってこようとする夫を追い返す恐妻に見えますか? 温かく迎え入れます」
「なんか⋯⋯。納得いかないぜ⋯⋯」
「妃が喧嘩をしているときでも、私の后宮に逃げ込んでくれば迎え入れてさしあげましたし、守ってあげました」
「え⋯⋯? それマジか? じゃあ、次からはそうしとく」
「次はないようにすべきでしょう。そもそも身から出た錆では? 他所の女と戯れるのは結構。しかし、計画的にお願いいたします」
「正妻が誰なのかはちゃんと弁えるよ。宰相閣下殿。今回ので懲りた。まさかあの二人があんなに仲が悪いなんて⋯⋯」
どうしようもない御方だ。しかし、しょんぼりとしている様子は、狂い惜しいほど可愛い。慰めてあげたくなる。今は人目があり、帝国宰相の仮面は外せない。
「今回は落ち込んでおりますね」
「うん。まあな。妃や女官に怪我はなかった。それは良かったんだ」
喧嘩で激高した妃に頬を叩かれたはずだが、皇帝は無かった扱いにしている。女官総長は皇帝が負傷したと激怒していたらしい。だが、陛下曰く、「美女にぶたれるなんてご褒美! 処罰なんてとんでもない!!」とのことだ。
気持ち悪い発言だと思う。けれど、粗相をしでかした妃すら守ろうとする姿は陛下の優しさだ。笑ってしまう。この人が嫌いになれない理由だ。
「⋯⋯だけど、大切にしてたお気に入りの花瓶が割れたんだ。即位祝いで黄金大陸から取り寄せた漆塗りの雅な花瓶が⋯⋯。だから、新しいのを買い付けに⋯⋯」
「駄目です。宮廷費の予算を考えてください」
「はい⋯⋯」
――嗚呼、悄気ている皇帝陛下は愛くるしい。
「今夜は私が頬を叩いてあげましょうか?」
「おいおい。傷ついてるんだから、今夜くらいは慰めてくれ⋯⋯」
「冗談です。優しく撫でてさしあげます。正妻のお仕事ですから」