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氷鹿絢爛*転生バンビーナ

作者: 藤原キリオ



 私は鹿野(かの)小巻(こまき)。十九歳の女子大生だ。

 JDと言っても地味なもので華やかさもなく、上京してから一人暮らしの部屋と大学を行き来する毎日。

 サークルにも入らず友達も出来ず、完全なる陰キャとして確立されてしまった。


 自分ではそこまで陰キャじゃないと思ってるんだけどね。

 まぁ友達探しよりも新生活に慣れるのとネット漁りに夢中になっていた感は否めない。

 結果、ご覧のありさまである。



 その日も講義が終わり自宅への道を歩いていた。

 夕飯は何にしようかなー、めんどくさいしコンビニでいいかなー、とか考えていた気がする。

 別に散漫になっていたわけでもないし、普通に歩道を歩いていたつもりだ。



 ――キキーッ!!!



 でもその車が突っ込んで来ると気付くのは遅れた。バッと振り返ればすでに目前だった。


 最後に見たのは運転席の男の表情。そして車内の数人の男の顔。

 いかにも遊び呆けている大学生に見えた。

 免許をとり、車を買い、友人と共にノリとテンションで無茶な運転でもしたのだろうか。


 いずれにせよ、そこで私の意識は消えた。



……

…………

………………



(……え? ……生きてる?)



 車が突っ込んで来たのを理解したと同時に意識を放棄したのか、衝撃も記憶もない。

 でも普通に考えれば死んだか、運が良くても重体は確実。

 だと言うのに爽やかな目覚めのようにスッキリとして身体の痛みもない。


 これが異常な事であるとはすぐに分かった。


 何せ視界に広がる景色が――森なのだ。

 大学近くの道端でもないし、病院のベッドでもない。

 太く入り組んだ木々。枝葉から差し込む陽光。横になった身体にはチクチクとした草の感触がある。



(どうなってんのこれ……)



 訳の分からない状況にとりあえず立ち上がろうとするも……起き上がれない。腕を地面に付けて上体を起こそうとしたが、そもそも腕が後ろに回せない。


 は? と思いつつ腕と自分の身体を見てみれば……なんか白い。


 腕は細く白い体毛に覆われている。手のひらがあるべき場所には(ひづめ)だ。

 腹も白い。柔らかそうな毛がこちらは多め。

 足は腕とは違い若干逞しい太もも。脛から先は細いけど……つま先はやっぱり蹄だ。



(なんじゃこりゃあああああ!!!)



 と混乱のままに叫んでみたが「ピィィィィ!!!」としか言えなかった。

 それから落ち着きを取り戻すまで、しばらく時間が掛かった。





 どうやら私は獣になってしまったらしい。人間の次は獣かと。

 転生自体、信じてはいなかったけどこうなってしまうと信じざるを得ない。


 って言うか獣に転生させるんなら記憶消せよ! 神のミスか!?


 鏡がないので自分の姿は分からないが、おそらく馬か鹿か……と言うと『バカ』っぽく思えるが、その類の動物に転生してしまったのだと思う。山羊の可能性もあるが森である事を考えれば……やっぱ馬か鹿かな?


 事故の衝撃で意識(魂)だけが動物に移った可能性もあるが、考えても答えなど出ないし無駄だ。死後に転生したと思っておこう。



 しかし転生だからと言って、この身体は産まれたばかりというわけではないと思う。

 体毛もちゃんと生えているし、近くに親の姿もない。子供には違いないと思うんだけど……手乗り鹿とか成長しても小さい鹿も居るっていうしなぁ。分からん。

 やっぱりこの馬だか鹿だかが死んで、そこに私の魂が乗り移ったのだろうか……怪我とかはしてないっぽいけど。



(さて、どうするか……)



 いつまでも考え込んだところで答えが出るわけじゃなく、現実を受け止めつつ前に進まないといけない。

 こんな畜生になっても意識がある以上、生きる術を考えないといけないのだ。


 人を探して助けを求める、というのは難しいだろう。なにせ「ピィ」としか喋れない。


 上手くいったとしても家畜が良い所。ここがどこだか分からないが、場所によっては狩られる可能性もある。猟銃でBANだ。


 となれば森でどうにか生きていく方向で考えないといけない。野生動物として。



 って言うか冷静になって考えれば、多分私、小鹿だと思う。

 蹄の形がチョキだし。馬だったらUの字だよね。馬蹄型って言うし。

 白い鹿って居るのかしらないけど。アルビノか? いや私が知らないだけで居るのかもしれない。



 食事は……草でも食べればいいのだろうか。鹿は木の皮とか食べるんだっけ?

 うーん、草食動物になった事を喜ぶわけにもいかないが、肉食動物よりマシかな。獲物を狩って死体にむしゃぶりつくのは抵抗がある。



 それより何より水の確保が問題だろう。

 野性動物ってどうやって水を飲んでるんだ? 雨水とか舐めてるの? 泥水すする気はないんだけど。



(やっぱり川とか探すのが先決だろうね。音は……聞こえないけどどこか適当に探し歩いてみようかな)



 そうして私は歩き始めてみた。

 四本脚で草と地面を踏みしめると意外と動きやすい。動きを身体が分かっているという感じ。頭の方では違和感があるんだけど。

 首の可動域も人より広い気がする。目が顔の横に付いているからか視界も広く、ぐるぐると首を動かせば周囲を警戒しながら歩けそうだ。



 ともかく私はか弱い小鹿なわけだ。非捕食者には違いない。

 肉食の動物……熊とかに襲われたら一溜まりもない。雑食系の動物も厳しそうだよね。狐とか狸とか。

 それらを警戒しながら水場を探してヒョコヒョコと進む。



 森の中をまっすぐ進むというのは無理だ。遭難するのもよく分かる。

 とりあえず太陽を頼りに進んでみた。


 体感で三〇分ほど進んでところでガサガサという音がして急いで木の影に隠れた。

 小さい身体を最大限利用して身を屈める。……まぁ真っ白いから目立つだろうし微妙かもしれないが。


 おどおどと緊張しつつ、その音の方向を覗き見る。

 これが肉食動物だったらヤバすぎる。心の中で逃げる準備をしておく。

 そうして姿を現したのは――



「ゲギャ!」



 緑の肌を持った小鬼だった。

 汚れた身体に皺くちゃな顔。頭頂部には二本の短い角が確かにある。

 手に持つ棍棒で背の高い草をバサッと薙ぐように歩いている。


 別に草むらというわけではない。歩くのに邪魔というわけでもないだろう。

 まるで遊びように草を薙ぎ、時には木を叩いたりしてキョロキョロしている。

 子供のような素振りだが子供……いや、人ではないだろう。まさかこれは……。



(ゴブリン……? マジで!? うっそでしょ!?)



 てっきり日本のどこかに転生したと思い込んでいた。外国だとも思いたくなかった。

 しかし目の前に居る、明らかな地球外生命体。これが意味する所は一つ。


 ――異世界転生。


 しかも人ではない小鹿……今さらではあるが「夢であってくれ」と心で叫んだ。





 初めて見るリアルゴブリン。

 それを私は恐怖の対象と見つつ、それでも尚、非現実的な現実を見逃すまいと凝視している自分もいた。



「ゲギャギャ」



 ゴブリンは群れで居るというイメージだったがこのゴブリンは一人だ。

 かと言って襲われれば殺されて食われてしまうだろう。所詮私はか弱い小鹿だ。

 ちょっとでもこちらに気付く素振りを見せれば即座に逃げる体勢をとっていた。


 そんな私の気苦労など知らず、ゴブリンはそのまま通り過ぎていった。

 棍棒を適当に振り回しながら、散歩感覚だったのかもしれない。

 ともかく私が隠れている方向には目もくれず去って行った。



 ふぅ、と安堵の息を吐き、私は恐る恐るその場所を離れた。もちろんゴブリンとは逆方向に。

 警戒を一層増しながらとにかく歩く事にする。同時に考えなければいけない。


 ここが日本の感覚だったから今までは肉食動物や猟銃を持った人間に注意すれば良かったが、ここが異世界となれば不十分だ。


 ゴブリンが居る=魔物の生息する森、という事だからね。

 どんな魔物が居るのか想像も出来ない。


 空からプテラノドン的なヤツが急降下してくるかもしれない。地面から巨大ミミズが来るかもしれない。

 そんな事を言ってしまうとキリがないけど、より怖くなったのは確かだ。



 何か索敵手段とかあればいいんだけど……あっ、ここが異世界なら魔法とかスキルとかあるのかな? さすがに夢見すぎかな。いや、試すだけ試そう。



「ピィィ(ステータス)!」



 ……しかし何も現れなかった。恥ずかしい。


 いや人の世界にはあるのかもしれない。私が小鹿だから無理なのかも。

 と言うかレベルやらステータスやら、下手すると剣と魔法のファンタジー世界でない可能性もある。

 人が居なくてゴブリンばかりの世界だって可能性もある。今は何とも言えない。


 かと言って何かしらの索敵手段なり攻撃・防御の手段が欲しいのは確かで、それを得ない限り、私はこの森で生き残れないと思うんだよ。


 だから魔法とかのファンタジー要素を探らないわけにもいかない。

 身体能力向上みたいなのがあれば逃げ足が速くなるだろうし、少しは生存確率も上がる。


 まぁ仮にそういう力があったとしても小鹿の私に出来るものかは分からないけど……。



 ……というか、私はただの小鹿(・・・・・)なのか?



 動物でなく魔物という可能性もあるのか? そういう区分けがある世界なのかどうかも分からん。


 いやそんな事を考えている場合じゃない。今は生存戦略。水場の確保と索敵なり何なりの手段だ。


 そうしてキョロキョロしつつ、鼻と耳をピクピクさせつつ歩く。

 同時に自分の身体に問いかける。

 魔力よ、あってくれ。それを扱う術があってくれ。

 それか空気中に魔素的な何かがあってそれを扱う術。あってくれ。あって下さいお願いします。


 と、そんな事をやっていると、どうやら祈りは通じたらしい。

 身体から霧が出て来て、私の周囲を覆ったのだ。



「ピィッ!?(おおっ! マジか!)」



 魔法を放つという感じではなかったが、ともかく何かしらの現象が起きたので一応『魔法を使った』という事にしておこう。


 呪文を唱えたりは出来ないが、意識して出したり止めたり出来るらしい。

 普通に使えば半径5mくらいかな。頑張れば10mくらいが濃霧注意報になる。

 ただそこまで頑張ると疲れるんだけど。魔法を使う=体力を使うという事らしい。


 うーん、でも思い描いていた魔法とは違うんだよなー。

 身体能力を上げるとか、攻撃魔法とか、索敵魔法とか、そういうのが欲しかった。

 確かに生存確率は上がりそうだけどね。霧に紛れて逃げやすいとは思う。

 まぁ使えただけでもありがたい。素直に喜んでおこう。



 それから休憩を挟みつつ何度か霧を出してみた。いざという時に使えないと困るからね。

 どうやら出そうと意識すると一気にブワッと出せるらしい。


 白い霧に紛れて、私の白い身体は隠れるわけだが、なぜか霧の中に居る私には全てが分かる。

 地形だとか、霧の中に紛れた虫とか、そういうのが分かるのだ。

 霧全部が私の感覚とリンクしているというか、そんな感じがする。


 せっかくなので<フォッグ>と名付けた。魔法っぽくね。まんまだけど。

 体力と相談しつつ<フォッグ>を使い、練習がてら索敵めいた事をする。

 そうして歩く事しばし、私はやっとの事で水の気配を感じたのだ。



「ピィィィ!(おおおお!!!)」



 足早に向かえばそこは湖だった。森の中の大きな湖。

 かなり拓けていて見晴らしも良い。陽の光が水面に反射して眩しい。

 陽が沈む前に見つけられて良かった。そんな安堵と感動が入り混じる。


 私は前足を広げ、首を伸ばして口を水に近づける。

 ゴクゴクゴク……うん、直飲みでもいけるもんだ。水超美味い。



 水場の確保が出来たら次はご飯だ。

 草か樹皮か……本当は果物とかがいいんだけど私じゃ採れないしね。諦めよう。

 せめて何か食べられそうな草を……おっ、クローバーがある。あれならいけるんじゃね?


 ブチブチ、モシャモシャ……うん……まぁマズイとは感じない。食べられない事もない。

 しかしこれが小鹿として正しい食事なのかと聞かれると首を傾げてしまう。

 食べられないものだったらピリッときたりするのかな? 毒草とか鹿が食べちゃいけないものとかありそうだし。

 ともかく食わなきゃ死ぬんだし、食べられそうなものはチャレンジしてみるしかないか。



 それから私は湖のほとりを拠点として散策に出た。

 何が食べられるのか探すのだ。一通りの草をとりあえず口に入れてみる。

 その結果、多少の味の違いも分かり、中でも苦いと思ったものはすぐに吐き出すようにした。


 それだけ草を食べていれば慣れてくるもので、樹皮にもチャレンジした。

 しかし小鹿の私に樹皮は堅すぎたようで、ベリッとは剥がれないので断念した。



 寝床も作った。

 と言ってもただの草山だ。背の高い草を集めただけ。そこに潜って眠る感じ。

 夜まで警戒出来ないし、真っ白の私の身体はどう見ても目立つだろう。せめてそれを隠したいと頑張ったわけだ。


 草山に身を隠しつつ見通しの良い湖周囲の哨戒もする。

 案の定と言うべきか、水を求めて多くの動物が見られた。明らかに魔物なのも居るが。


 私の住処がある岸の付近はチラホラといった程度しか居ないが、左手――大きな山が遠くに見える方の岸辺は結構賑わっている。


 警戒すべき対象として、クマやオオカミみたいのも居た。それが魔物かどうかは知らん。

 あとは立派な牙の巨大猪とか、ウェアウルフっぽい狼男とかも。ゴブリンは左手だけでなくどこにでも居るっぽい。


 そんな光景を草山から覗き見るわけで「うわぁ……異世界パネェ……」と思ってしまう。

 地獄じゃん。こんなの。景色は綺麗だけどさ。

 小鹿ちゃんが魑魅魍魎の蔓延る森に放り出されて、レッツサバイバル。死しか見えないね。



(やっぱ戦える力が必要なのかな……)



 <フォッグ>だけで生き延びられるとは思えない。

 せめて小鹿じゃなければ角とかで攻撃出来ただろうに……。


 ……ん? 雌の鹿って角ないんだっけ?


 あれ? 雌だよね、私。ちゃんと雌だよね?





(せりゃあああ!!!)


 ――ペチッ



 私の黄金の右手(右前足)によって悪しき蜘蛛は天に召された。

 アシダカグモ的なヤツね。部屋とかに出たらビビるやつ。

 前世では悲鳴まじりに殺虫剤で戦っていたわけだが、このサバイバル生活で私も逞しくなったという事だ。

 ふふっ、私の寝床に現れたのが運の尽きよ。己の過ちを悔やむがいい。


 あれから五日が経過した。私は何とか生きている。

 湖のそばの草山を拠点とし、食料調達したり、周囲の観察をしたり、自己鍛錬をしたり。そんな毎日だ。



 ここがどんな世界なのか。目に見える部分から判断するに、やはり異世界で確定だし、ファンタジー世界である事は間違いないと思う。少なくとも魔法と魔物のある世界だという事だ。


 植生も当然違う。私の見た事のない草花や果実を目にする。可能であれば口にもする。

 とりあえず食べられそうな草は口に入れていくスタイル。


 ベジタリアンすぎて味気ないが、五日経った今でも生きているし動けているという事は、おそらく正しい食生活なのだろう。小鹿として。



 果実に関しても、木の幹を両手パンチ(両前足キック)でドンドンとやったらいくつか落とす事に成功した。やったぜ。

 グレープフルーツと梨を足して二で割ったような果実だったが非常に美味だった。

 草ばかり食べていたから余計にそう感じたのかもしれない。酸味は強いけど。

 ともかくその仮称『グレ梨』は見つけ次第、採るようにしている。



 私、子供の頃さ、奈良に旅行に行ったんだよ。鹿ばっか居る公園ね。

 鹿せんべいをあげるのを渋ってたら後ろから両手パンチ(両前足キック)くらってね。かなり痛かった思い出がある。

 だから小鹿となった今、私の攻撃手段はそれだろうと。それがベストだろうと。

 そんなわけで練習しました。両手パンチ(両前足キック)。


 今の所その出番は果実採取や、虫などに限られるんだけど、魔物相手にも戦えるようにならないとなーとは思っている。

 せめてゴブリンくらいを倒せる力が必要だ。

 果たして<フォッグ>と両手パンチ(両前足キック)で倒せるものか、とは思うけど。



 いや、湖の監視をしているとさ、本当に魔物が多いんだよ。魔物なのか動物なのか分からないのも居るんだけど。

 魔物・動物に限らず、やはり湖という水源の価値は高い。そう思わされる。


 違う種族の魔物が同時に水飲みに来ると、たいてい戦闘になる。特にウェアウルフが好戦的。

 狼を見つければ襲い掛かるし、でっかいクマ相手にも複数のウェアウルフで戦ったりする。逆に狩られる事もある。

 水のついでに肉も狩れれば僥倖という感じだ。



 今の所、単体で最強だと思うのはでっかいクマなんだけど、そのクマも湖の水を飲んでいる最中に襲われてね。


 音もなく空から巨大な鳥が来てさ、多分体長が10mくらいある真っ白な鳥。

 あっという間に爪でクマを掴んでフライハイですよ。お持ち帰りですよ。

 いやクマだって3mくらいあるんだよ? 多分。立ち上がってガオーってしたらそれくらいあると思う。

 そんな湖の最強格であるクマを捕食する鳥がいるという事実。恐ろしい世界だ。



 脅威は空だけではない。湖の中にも魔物は居るらしく、湖の中に入って遊んでいたゴブリンがピラニア的な魚に襲われるという事件もあった。


 遠くにワニか大トカゲか何かを見た事もある。もしかするとリザードマンかもしれない。

 ともかく、それから私も水を飲む際には細心の注意を払う事にした。



 そんなわけで周囲には危険がいっぱいなのだ。湖の中も、湖の周囲も、空も危険が危ない。

 か弱い小鹿の私としては湖カーストの底辺なわけで、さっさとどこかに避難すべきだとも思う。


 が、水と食事が安定して確保できる今の状況を手放すのは惜しいとも思うのだ。


 如何ともしがたい。今は拠点を確保しつつ、徐々に周囲を探るくらいしか出来ない。

 湖を離れるにしても探索するにしても、せめてゴブリンくらいは倒せる力が欲しい。結局はそこに行きつく。

 <フォッグ>と両手パンチ(両前足キック)を鍛えつつ、他の手立てがないかと画策中なわけです。





 そんなある日の事。

 いつものように食材探しと周囲の探索をしていた私は、とある草の群生地を発見した。

 私の背丈ほどもある(かぶ)の葉っぱにも似た草。私は『デカ蕪』と呼んでいる。ちなみに掘っても蕪はない。普通に根っこだけだ。



(ひゃっほう! これは大発見だね!)



 デカ蕪は私が食べた草の中でもかなり美味しい方なのだ。

 見る限り三〇株以上はある。これだけあれば当分もつだろう。デカ蕪とグレ梨だけで私は生きていける。

 さっそく頂きますとモシャモシャしていた矢先の事だ。


 私は基本的に<フォッグ>を常用している。周りには常に霧が立ち込めている状態だ。

 もちろん体力に余裕を持たせて使っているわけだが、探索や食事の時などはなるべく使うようにしている。

 逆に目立つとも思う。でも姿を隠しつつ索敵範囲を広げる意味で使っていた。



 その<フォッグ>の霧の中に何者かが侵入した。

 霧は全て私の感覚に繋がっている。そいつがどんなヤツでどんな動きをしているか、全てお見通しだ。



(カマキリ……? でっか……)



 1m以上ありそうなカマキリ。深い緑と茶色の身体はカムフラージュが目的だろう。

 森という狩場における暗殺者。そんなイメージを受ける。


 これがこの世界の昆虫なのか、それとも魔物なのかは分からない。

 いずれにしても強敵だと、危険だと判断した。

 <フォッグ>を維持しつつ私はすぐさま逃げ出す。カマキリから遠ざかる方向へ。


 霧に紛れて私の姿は見えないはず――そんな油断があったのだろう。



 ――ブゥン――シュンッ!!!


(うわっ! うそっ!?)



 カマキリは強靭な後ろ足で大地を蹴ると、正確に私目がけて飛んで来て、鋭い鎌を振るってきたのだ。

 小鹿らしいピョンとした動きで避けたはいいが、頭は混乱している。


 見えないはずなのに見えている。視覚以外の索敵手段? それとも霧の中でも私を捕捉出来るほど目が良いのか。


 それと動きがとんでもなく速い。虫だから当然なのかもしれないが瞬発力が異常。おまけに飛べる。

 こいつから逃げおおせる気がしない。

 目を付けられたが最後。とんでもないハンターだ。



(どうするどうするどうするどうする――)



 一か八かカウンターで両手パンチ(両前足キック)を狙うか。

 でも見るからに鎌の方がリーチもあるし威力もあるだろう。

 剣を相手に素手でカウンターなんかとれるわけがない。私は達人じゃないんだ。


 つまりは――為すすべ無し。


 ピョンピョン逃げるのも限界だ。すぐさま急接近されて鎌を振り下ろされれば――



「ピィィィィィ!!!(うわあああああ!!!)



 その時私がとった行動は、両手を前に突き出す事。拒絶、防御、突き飛ばす、そのような動作。

 もちろんイメージの話だ。両手が前足になっている今、そんな動きなど出来るわけがない。



 しかし私の周りに漂う<フォッグ>はそれに対応(・・)した。


 私とカマキリとの間に集まり、固まり、形を成したのだ。



 それは『針』に見えた。長さ30cmほどの巨大な針。

 私の眼前、空中に現れたその針は五本。

 霧から生まれた針は出現すると同時に、目の前まで迫っていたカマキリ目掛けて飛んで行く。


 ブスブスと刺すような音は聞こえない。

 しかし五本の針は確かにカマキリの顔面を捉え、瞬時に息の根を止めたのだ。

 直上にあった鎌は振り下ろされる事はなかった。


 寸での所で、私は生き永らえたのだ。



(はぁっ、はぁっ、はぁっ……)



 その後、速攻で拠点に帰り、草山の中に身を隠し、わんわんと泣いたのは言うまでもない。


 なんでこんな目に会わなきゃいけないんだ!

 なんで小鹿なんかに転生させたんだ!

 って言うかここどこだよ! どこの世界のどこの森だよ!


 居るかどうかも分からない神に対して大いに愚痴ったのだ――脳内で。





 カマキリとの死闘から三日が経った。

 襲われた日とその翌日くらいは塞ぎこんでいたが、それ以降は気を取り直した。

 サバイバルは継続中だからね。グチグチ言っていても何も解決しない。嫌でも前を向かないと。


 おっしゃー、と無理矢理気合いを入れて食事やら探索やらを再開した。


 とは言え、まず確認すべきは例の『針』だ。

 火事場の馬鹿力というか無我夢中で生まれた、新たなる魔法。待望の攻撃手段である。


 改めて試してみた所、どうやら『氷の針』らしい。

 考えてみれば<フォッグ>は霧なわけで、細かい水滴が大量に漂っているようなものだ。

 水が固まれば氷となるのは道理。


 私は<フォッグ>を周囲に広げて、隠密&索敵に利用していたわけだが、一点集中するような運用はしていなかった。


 あの時、目の前に迫るカマキリ、その鎌に負けないように霧を集めたつもりなんだけど、それが『氷の針』になるとは予想もしていなかった。

 質量のある霧で押し返せれば、くらいに思ってた。



 で、その『氷の針』は<スティング>と名付けたわけだけど――相変わらず安直だが――検証の結果、結構応用が効くと分かった。


 <フォッグ>を纏った状態からも出せるけど、意識すればいきなり<スティング>も放てる。

 通常は一~三本の30cmほどの『氷の針』だ。それが前方目掛けて射出される。

 ただ針を生成するまでに一秒くらいはかかる。これを計算しておかないといけない。


 それが発射されれば大きな木にズカズカと突き刺さるような威力だ。さすがに貫通まではいかないけどね。

 速度もかなり速い。比べるものがないから分からないけど、イメージだと弓矢とかアーチェリーとかそんなレベルじゃないかと。


 で、意識してコントロールすれば針の本数を増やしたり、針の大きさを多少変えたりも出来る。

 雨あられの如く<スティング>を放つ……というのが理想だけど現状そこまではいかない。

 少し変化させるだけで余計に魔力(=体力?)を使うから普段は使わないし。


 カマキリの時は咄嗟に魔力を籠めたから五本になったんだと思う。

 夢中で、逃げる体力とか無視して放ったから。


 かなり近寄ってて尚且つカマキリが巨大だったから<スティング>が細くても当たったのだろう。初見で遠目から撃っていたら当てられた自信はない。



 ま、だから練習して命中率とか色々確認してるんですよ。

 いざとなった時に使えないとマジ死ぬんで。私か弱い小鹿なんで。


 ……いや、<スティング>という攻撃手段を得た今、か弱い小鹿は卒業すべきではないのだろうか。

 湖カーストの底辺から脱却すべきではないのだろうか。


 つまりは魔物退治である。

 脅威である湖周辺の魔物を狩れるくらいに強くなれなければ、いつまでたっても怯える暮らしのままだ。


 理想は湖という水場を確保しつつ、探索範囲を広げ、森を抜けるなり安息の地を目指すなりしたい。

 その為には魔物を倒せるくらいの実力が必要だ。



 当たり所が良かったとは言え、カマキリを一撃で屠った所を見るに、そこいらの中型動物や小型の魔物ならば問題ないだろう。<フォッグ>で索敵しつつ<スティング>で狙うと。それで倒せると思う。


 となると、やはり最初の鬼門はゴブリンか。

 そこそこ大きく――私からすれば、だけど――基本が複数体での行動。

 それと安定して戦えないようでは森から出るなど夢のまた夢だ。


 あ、ちなみに拠点から湖を見て、左手のエリア――おそらく北側――に関しては近づく予定もありません。

 でっかい猪とか熊とか見てるし、あんなのちょっと<スティング>を使えるようになった程度で戦えるとは思えない。


 第一、その方向には遠目に山が見えるのでおそらく山からずっと森が続いているのだと思う。

 森を抜けたい私にとって行く必要性がない。


 で、右手のエリア――おそらく南側――を今まで主に探索していたのだ。こっちならそれこそゴブリンとかだし。

 まぁその探索の最中にカマキリと出くわしたんですけどね。

 いくら弱いエリアだと言っても強いやつは居るという事だ。油断するなよと。



(実際に戦うのはもうちょっと後かな。今は試したい事が多すぎる)



 霧から『氷の針』が生まれた。

 つまり『水分を形状変化』させられるという事だ。


 この世界の魔法の分類がどうなっているのか分からないけど、私は『水魔法使い』とか『氷魔法使い』とか、多分そっち寄りなのだろう。

 小鹿の身体で『近接格闘型』とかだったら終わってた。魔法って素晴らしい。



 私はまず霧を集めて『水』を作ろうとした。

 いきなり『氷』が出来たのだから中間地点である『水』くらいわけないだろうと。

 結論から言えば割と簡単に出来た。最初は霧を集めるコントロールに難儀していたけど。


 空中に浮かぶのはソフトボールとバレーボールの間くらいの大きさの水球。

 これを<スティング>のように前方に放つ事も出来るのだが、威力はほとんどない。

 木に撃ってもビシャンとなって終わりだ。樹皮が欠けもしない。


 となれば飲み水としての利用価値くらいしかない。あとは消火活動とか?

 あ、ちなみに私の作った水や氷は魔法だからといって消えるような事はないらしい。ちゃんと残る。

 まぁ時間が経てば水は蒸発するし氷は溶けるんだけど、攻撃直後に消えてなくなるという事はない。

 だから飲めるというわけだね。



 水源確保。

 これで長期探索にも行けそうな気がする。

 ちなみにこの水球を<ウォータ>と名付けた。命名は安直って縛りだからこれ。


 それと防御手段も欲しいと思って、『氷の壁』を作れないものかと試行錯誤した。

 しかしこれが無理だった。


 <フォッグ>の霧を集めてみたけど、私の身が隠れるくらいの『氷の壁』を作ろうとすると、厚さが1mmもないくらいにしか出来ない。

 ペラッペラ。私がちょっとパンチ(キック)しただけでパリンと割れる。


 という事で防御は断念した。

 やはり私の戦い方としては<フォッグ>で身を潜め、索敵し、暗殺者のごとく<スティング>を放つと。それがいいのかもしれない。


 こんな真っ白で目立つ身体で、年中濃霧注意報な暗殺者がいるのかという話なんですけどね。いるんですよねーこれが。



 そういった訓練や検証にも時間を割き、また数日が経過した。



(よっし! じゃあ実戦してみますか!)



 気合いを入れて動き出す。打倒ゴブリンである。


 湖の南側、森の中へと踏み入る。そっちの魔物は比較的弱い。あくまで私の印象である。

 湖を哨戒していると様々な動物や魔物を見るし、探索に出ても小さめのヤツばかりだ。



 大きく分類すると、獣系・植物系・虫系・亜人系と把握している。

 どれも厄介な一面があるので簡単に戦える相手ではないが、それでも北側(山側)よりマシかなという程度だ。


 獣系は動物なのか魔物なのか分からないものが多い。私自身もしかり。

 ウサギやネズミは前世のそれよりも身体が大きいものの、比較的弱い部類のはずだ。


 こっち方面の獣系で一番の脅威と言えばやはりオオカミだろう。クマは山側でしか見た事がない。

 群れるし、なんか身体が青みがっていたり緑っぽかったりとオオカミの中にも色々あるらしい。おまけに馬並みにデカい個体がいるのも判明している。

 何にせよ南側の探索で一番警戒しなければいけないのがオオカミだと思う。



 植物系というのは完全に魔物だね。食虫植物にしても活発に動きすぎている。

 ヘビみたいなツタも居れば、ウツボカズラの凶悪バージョンみたいなヤツも居る。

 しかし他の魔物に比べれば、植物系はまだ何とかなりそうなイメージ。私の逃げ足は速い。



 虫系はかなり厄介だ。先日のカマキリしかり。マジで森のハンターだと思う。

 小さくても毒持ちとか、蜂みたいに群れているとか、そのくせ殺傷能力が高いとか……正直あまり戦いたい相手ではない。

 普通の蜘蛛にしたってグロいしね。蝶とか蛾とかも。

 身体が小さいと私の<スティング>が当たりにくいというのも厄介なポイントだ。



 亜人系はこっち方面だとゴブリンしか居ないはず。それでも一番目立つし一番数が多いと思う。

 弱いイメージはあるけど数の暴力というのは脅威だし、実際オオカミ相手に集団でボコってる現場を見た事もある。



 私はまず単独行動をしているゴブリンを狙う。

 そこを安定して狩れないようではこの先生き残れない。

 それが出来たら二体、三体と戦えるようになればいいなぁ……という希望的観測。


 正直、この小鹿の身体で、<フォッグ>と<スティング>しかない状況で戦うというのは不安しかないのだが。

 いつまでもそうは言っていられない。

 私はこんな危険なサバイバル生活とはオサラバしたいのだ。



 目指せ平穏。心休まる日々。

 決意新たに私は探索を開始した。





「ゲギャギャッ!」


(<スティング>!)


「ギャッ!」


(よし! っと後ろから来てるね! 横にジャンプしてから――<スティング>!)



 私はゴブリン三体と真正面から戦っている。正直楽勝モードだ。



 あれから一週間ほど経過した。この世界に来てから一月弱といった所だろうか。

 まぁ月だの週だのといった単位はないのかもしれないが。一日が二四時間なのかどうかも分からん。


 ともかく最初は単独行動をしているゴブリンを見つけ、遠目の背後から奇襲のように<スティング>で倒した。

 距離が離れれば当然威力は減衰するのだが、15mくらいならばゴブリン相手でも余裕で突き刺さるらしい。


 しかし距離が離れるという事は命中率が低下するわけで、<スティング>が『針』である以上、少しでも外せば致命的なのだ。

 だからなるべく近づきたい。でも近づくのは怖い。


 そんな葛藤の末の15mだったわけだが、初撃でめでたく頭部を穿ち、初戦をものにした。



 人型のゴブリンを屠った事で忌避感があるかと思ったが、思っていた以上に何も感じなかった。

 やはりサバイバル生活が長く、生と死が身近にある環境だったというのが大きいと思う。

 殺し合っている魔物とかも見ていたしね。ともかく無事に脱バージンという事で一安心。



 ゴブリンを倒せると分かった私は徐々に難易度を上げていった。

 決して調子に乗ったわけでもなく、無茶をしたつもりもない。

 複数の魔物相手に安定して戦えないと、いつまで経っても森を抜けられないと思ったからだ。


 そんなわけで、何体かは単独行動のゴブリンを探し、距離を縮めたり、<フォッグ>を解いた状態で対峙したり、あえて攻撃させたりといった実験めいた実戦を重ねる。


 小鹿の身体というのは私が思っていた以上に敏捷性が高い。

 ゴブリン以上に速く走れるし、咄嗟にピョンと回避するのも楽だ。脚力があるのだろう。

 だからゴブリンと普通に相対しても戦えるし、いざとなれば逃げられる。


 その安心感により頭は冷静になり、余計に戦いやすくなると。好循環を生み出したわけだ。


 とは言えオオカミに比べればさすがに遅いと思う。

 まだアレと戦う気にはなれない。

 見つければ即座に逃げるか、最悪は奇襲で倒すしかないと思う。


 ともあれゴブリン退治を続けて『戦い』というものに慣れるのが第一。

 それを繰り返し、やがて二体同時でも戦えるようになり、今は三体同時でも<フォッグ>を使い続ければ戦えると分かったわけだ。



 白きゴブリンスレイヤー、現る。

 霧を見たら逃げろ。

 そんな警告がゴブリン内で発令されているかもしれん。





 だいぶ戦い方に慣れてきたある日の事。

 私は魔物を倒しつつ、徐々に探索範囲を広げようと歩いていた。もちろん<フォッグ>で警戒は怠らない。


 扱いに慣れてきたのか、<フォッグ>も無理して索敵範囲を広げようと思わなければ、非常に低燃費で使えるようになっていた。

 さすがに二四時間使い続けるのは無理だが、休憩を挟みつつなら探索している限り使う事は可能だ。



(おっ、『翠アケビ』じゃん! ラッキー! ゲットしましょう!)



 <スティング>の扱いにも慣れ、果実も楽に採れるようになった。

 翠色のアケビっぽい果実。食べるのに躊躇する見た目だったが、食べてみれば意外と甘くて美味しい。

 でも未だに一番はグレ梨です。酸味のグレ梨、甘味の翠アケビ。二強かな。


 こうして探索の道中で食べれば、休憩と回復を兼ねるようで、また魔法が使いやすくなる。

 索敵と同時に食材探しもするから、やっぱり<フォッグ>は必要なんだよね。



 いつも以上に順調な探索。

 おそらく湖から二時間程度は南に行ったと思う。拠点の右手を南とした場合ね。

 私はそこで驚くべき光景を目にしたのだ。



(……は? うそ……でしょ?)



 木々の隙間から見えたのは『木の柵』だった。

 明らかな人工物。

 一歩足を踏み出せば、柵の向こうに見える小さな畑とログハウスのような家もある。



(家……だ。……人!? 人が居る!?)



 この世界に転生して一月。

 ここが異世界であり、魔物と魔法のある世界だというのは分かっていた。


 でも人が存在する世界なのかどうかは分からなかった。

 もしかしたら魔物しか生存していない世界なのではないか。だから私は小鹿になったのではないか。そんな事も考えた。


 しかし目の前の光景は明らかに『人の営み』だ。

 家に住み、畑を管理し、柵で防護する。まさかゴブリンがこんな暮らしをするわけがない。


 そう思ったから――私は喜びと感動で叫んだのだ。



「ピィィィィ!!!(うわあああああ!!!)」



 やった! やっと人と会えた!

 怖かった! 寂しかった! でもようやく! やっと――



 と、ひとしきり興奮したが「ハッ」と思い直す。


 いやいやいや、人に会ってどうする!? 私、小鹿だよ!?

 仮に私が魔物だとしたら、自分の家に迫った魔物として殺されるだろう。

 仮に私が動物だとしても、白い鹿なんか珍しいだろうし鹿肉とか毛皮目的で狩られるんじゃないか?

 無害ですよと主張もできない。ピィィとしか鳴けない。

 安全を考えるなら、むしろここから離れた方が――



 咄嗟にそう考えたが、私が行動に起こすより早く、家から『人』が出てきたのだ。

 おそらく私の鳴き声を不審に思ったのだろう。


 ログハウスから出てきたのは……中学生程度の女の子だった。

 肩くらいまで伸びた琥珀色の髪。くすんだローブを羽織っている。

 髪色もそうだが、顔立ちがもう日本人じゃない。


 その娘は私の方を見るなり驚いた様子で声を上げた。



「うわっ! 霧!? 真っ白です! おばあちゃん! おばあちゃああん!!」



 え……なんで日本語しゃべってんの?

 それでまた混乱し、私はその娘がおばあちゃんを連れだして来るまで、その場に立ち尽くしたのだった。





「ティエル、何だいそんな慌てて」


「おばあちゃん! あれ! あそこだけなんかすごい霧です!」


「ん? あれはもしや……」



 すぐにログハウスから女の子が出てきた。おばあちゃんを引っ張って。

 どうやら女の子はティエルという名前らしい。やはり外国人みたいな名前なんだな……とそんな悠長な事を考えていたと思う。


 おばあちゃんの方は七〇歳くらいに見える。おだんごに纏めた髪は白髪だけど、どこか金髪っぽさが残っている。

 姿勢も良く、足取りも軽い。髪色と眼鏡で高齢に見えるだけで、実際はそれほどでもないのかもしれない。



 そのおばあちゃんは私の方をジーッと見つめ、観察するような素振り。

 まさか霧の中の私が見えてるの? カマキリの時と同じ? 混乱に拍車がかかる。



「ありゃひょっとすると【メルファウン】かもしれないね」


「メルファウン?」


「白い小鹿の魔物さ。ここいらじゃ居ないはずなんだけどね」


「魔物です!?」



 魔物と聞いて女の子も驚いていたが、私の方こそ驚いていた。

 やっぱり私って魔物なの!? メルファウンっていう名前なの!? ここいらじゃ居ないってどういう事!?



「安心しな。そんな怖い魔物じゃないよ。霧に隠れて逃げるのが得意でね。北のリンダルート皇国じゃ『見つければ幸運が訪れる』とか言われてるほどだよ」


「リンダルート!? そんな遠くからです……?」


白鷲山(しろわしやま)に居るのかもしれないが……なんでここまで来たのかは分からないね。と言うかここの『魔物避け』を無視して近づいているってのが不思議なんだが」



 どうやら私は北の方に生息するレアな魔物らしい。

 白鷲山ってのが湖の北側に見えていた山かな?


 魔物避けって……いや、こんな魔物だらけの森の中に家があるのはおかしいと思ってたけど、魔物が近寄らない仕掛けがあったのか。

 猫避けのペットボトルとか、殺虫スプレー的なものかな?

 私の<フォッグ>の感覚でも特に何も感じないんだけど。



「と、とにかく遠くから逃げてきたなら助けないとです! おばあちゃん! 怖い魔物じゃないなら入れてもいいです?」


「ふぅむ……メルファウンが逃げずに居るってのは、人に慣れているという事……もしかすると誰かの【従魔】だったのかもしれないね。だから魔物避けの効果が薄かったって線もあるか。だったらうちで預かっていた方がいいかもしれないね」


「やったです!」


「ただし無理矢理はダメだよ? メルファウンが逃げるようなら追いかけちゃダメだ」


「はいです! 何か食べ物持ってくるです!」



 ……え、食べ物くれるんスか?





 私はホイホイと誘われるまま、この家にご厄介になる事となった。

 諸々を考慮しての結果であり、決して出されたサラダが美味しすぎたが故に今後も食べ続けたいと思ったからではない。決して。


 いや、彼女たちが食べてる野菜の残りとかだと思うけどさ。残飯だとは思うけどさ。

 正直、そこいらの野草ばかり食べていた私にとって、ちゃんと栽培された野菜というのは衝撃的だったわけですよ。

 葉野菜、根菜、それにドレッシングめいたものもかかっていた。めちゃ美味い。



 閑話休題。いやそっちも本題だったけど。


 ともかく、私が危惧していたのは『人に襲われる・攻撃される・狩られる』という事だ。

 それがないと分かれば、是非とも近づいて情報を得たいと。

 ここがどういう世界なのか、全く分かってないからね。聞けるものなら聞きたいものだ。


 おまけにこの家が『魔物避け』されているというのも大きい。

 怯えながら草山に身を隠して眠る必要もない。

 決死のサバイバル生活は終焉の時を迎えたのだ。やったぜ。



「はーい、綺麗にするからじっとしてるですよー」


「ピィ!(はーい)」


「うふふ、いい子でちゅね~、メルちゃん可愛いでちゅね~」



 どうやらご飯を食べさせてくれるだけじゃなく家の中にも入れてくれるらしい。

 そして家に上げる前に身体を綺麗にしましょうという事だ。

 湖で多少は水浴びしたけど、水中にも魔物が居るからさ、まともに水浴びも出来なかったんだよね。

 桶に溜めた水で拭いてもらっているだけだけど私は満足です。


 ちなみにメルちゃんと呼んでいるのは私の種族が【メルファウン】だからだと思う。

 鹿野(かの)小巻(こまき)ですと伝える手段もないし、あだ名だと思おう。



「メル、あんた誰かの従魔だったのかい?」


「フルフル(いや、違うよ)」


「じゃあ北に見えるあの山――白鷲山から来たのかい?」


「フルフル(いや、気付いたら森だったから分かんないよ)」


「ふむ違うのかい……と言うか、あたしの言葉が分かってるのかい?」


「コクコク(分かるよ。なぜか日本語に聞こえるよ)」


「こりゃたまげたね……人に育てられた魔物でもここまで知性のあるのは居ないはずだが……」



 そりゃ中身は人ですしね。信じられないと思いますけど。私も未だに信じたくないんですけど。



「おばあちゃん、メルファウンって頭が良い魔物なんです?」


「いや、そもそもメルファウン自体が希少だから分かっている事は少ないんだよ。リンダルート皇国以外に発見報告はないはずだし、その中でも寒い地域にしか居ない。さらに運良く見つけても逃げられるってね」



 寒い地域にしか居ないから私は氷とか使えるのだろうか。

 雪山で<フォッグ>とか使えば、そりゃ見つけるのは困難だろうね。霧隠れってレベルじゃない。



「まぁ戦闘力があるわけじゃないから遠目から広範囲の【呪法】で仕留めるのは楽なんだが、生きている状態で近づくのは困難だろうね。誰も生きているメルファウンと接する機会なんてない。だから元々メルファウンが頭が良いって可能性はある」


「へぇ~」


「ただいくら頭の良い魔物だからってここまで人の言葉を理解出来るとは……」


「じゃあメルちゃんが特別にスゴイって事です!」



 ティエルは無邪気にそう言う。おばあちゃんは頭を抱えているけど。

 まぁレアな魔物だから情報がないという事で『実はメルファウンはメチャクチャ頭の良い魔物だった』って感じに納得しておいてもらおう。


 って言うか【呪法】って何? もしかして【魔法】の事?

 この世界の魔法は呪法って言うの?

 まぁ『魔』より『(まじな)い』の方がそれっぽいとは思うけど。


 ここら辺も知っておきたいなぁ。この世界の常識が全く分からないよ。



「ともかくあたしは魔物避けを確認しとかないといけないね」


「メルちゃんが特別だから近づけたんじゃないです?」


「だったらいいけどね。万一効果が弱まってたら大変だよ」


「メルちゃん、ここに来る時、嫌な感じとか変な匂いとかしなかったです?」


「フルフル(いやー何も感じなかったんだけど)」


「そっかー」



 嫌な感じ、変な匂い、か。聞く感じだとどんな魔物も近づけないんだろうな。

 虫系だろうが植物系だろうがゴブリンだろうが。

 植物とか匂いが分かるとは思えないけど、それでも効果のある薬か何かなんだろう。

 やっぱ私の中身が人だから効果がなかったって事なんだろうか。


 ま、考えても仕方ない。

 ともかくこれからの新生活を楽しまなきゃ。

 これまでのサバイバルな一月を払拭しないとね。





 それから数日が経過した。



「ティエル、そうじゃない。もっと細かく混ぜるんだよ」


「わ、分かってるですけど……」



 火のかけられた小型の鍋には様々な草が入れられている。

 ティエルは短冊のような鉄の棒でかき混ぜながら、順々に草を追加していた。

 草汁を作っているわけではない。どうやらポーション的な薬の調合らしい。



 なぜこんな森の中に二人きりで住んでいるのか。私は最初から気になっていた。


 どうやらおばあちゃん――ドルローザという名前だそうだ――が薬師であり魔法使いであるらしい。あ、【呪法士】か。

 で、孫のティエルがその弟子という感じ。

 ここに住んでいれば周りの森には薬の元となる材料が豊富だし、呪法の練習場所にも事欠かないというわけだ。


 家の周りの畑も、食べる為のものが半分、薬用が半分といった感じ。

 その管理も二人でやっている。

 家事・畑仕事・採取・薬作り・呪法の訓練とやる事は多そうだ。



 そこに私こと【メルファウン】のメルちゃんが加わったわけだが、ただのペット枠として居座るわけにもいかない。さすがに居心地が悪くなる。

 住まいと食事を提供してもらっている以上、何かしら働かなければいけないのだ。

 無駄飯ぐらいと呼ばれたくはない。


 というわけで井戸から水を汲むかわりに私は<ウォータ>を使い始めた。

 飲み水にして良し、畑の水やりにして良し。やはり水は重要だ。



「うわぁ、メルちゃんありがとうです!」


「ピィ(お安い御用さ)」


「メルファウンは霧を纏うだけじゃないんだねぇ……水まで作り出せるとは……」



 あとはやっぱり狩りくらいしか出来ないね。

 私は食べられないから、今まで生き残る為、戦いに慣れる為に狩りをしていたけど、二人は普通にお肉も食べるし。


 湖からこれだけ南に来ると、さすがに出てくる魔物も弱いからね。

 とは言えゴブリンやネズミを食べさせるわけにもいかないし、ウサギとか鳩っぽい鳥とかだけど。

 ついでに近くにあった翠アケビも採取しておく。



「メルちゃんすごいです! ハインドラビにフォレスドーブ! ススルの実も!」


「たまげたね……メルファウンは戦えないから逃げるばかりだと思っていたんだが……。ハインドラビもフォレスドーブも見つけるのが大変な魔物だよ。それをよくもまぁ見事に」



 ウサギも鳩も色が森と同化してるんだよね。だから視覚じゃ見つけにくいんだと思う。まぁ私は<フォッグ>があるからアレだけど。

 やっぱり森は危険だからそうして身を守る術がないと生きるのが大変なのだろう。あのカマキリでさえ迷彩だったし。


 そんな中で真っ白な小鹿である私は、さぞ目立った事だろう。

 <フォッグ>を使い続けて、草山に隠れ続けて正解だったというわけだ。



「しかしこれはどう攻撃してるんだい? この小さな穴は……まさかその蹄じゃないんだろ?」



 おばあちゃんにそう言われたので<スティング>をして見せた。そこらの木に向かって。

 私の顔の周りに三本の『氷の針』を生成し、前方に発射。

 直後、ドスドスドスと幹に突き刺さる。



「うわあ、すごい! メルちゃんすごいです!」


「はぁ~~~、こんな事が出来るのかい。驚いたね。メルファウンってのは呪性が青に寄ってるという事かい」


「ピィ?(呪性? 青に寄る?)」


「ん? ……ああ、人の言い回しが分からないのか。ええとだね――」



 おばあちゃんの話を要約すると、やはり私が【魔法】と思っていたものは、この世界では【呪法】と呼ぶらしい。

 そして【呪法】は色で分類されている。


 赤・青・黄・緑・黒・白という六色。


 例えば【赤ノ呪法】というのは火を操ったり、身体強化するような呪法なんだそうだ。

 私のイメージだと『赤・青・黄・緑』が四元素、つまり『火・水・土・風』に該当しているように思う。

『黒』は『闇魔法』で、『白』は『回復』かな。


 んで私が『呪性が青に寄っている』というのは『【青ノ呪法】を得意とする』という意味らしい。

 霧を操り、水球を出し、氷の針で攻撃する。

 私的には【水魔法使い】だと思っていたのだが、この世界だと【青ノ呪法士】となるわけだ。



「あたし達は極端に黄に寄っているね。緑も少しはいけるが」


「ピィ(ほう)」


「おばあちゃんはスゴイんですよ! 有名な【黄ノ呪法士】なんです!」


「ピィ!(へえ!)」


「ははっ、今じゃただの老いぼれ婆さんだよ」



 黄色は『土魔法』だから、森の中にこんな拓けたスペースを造ったのもおばあちゃんなのかもね。

「あたし達」って言うくらいだからティエルも【黄ノ呪法】が得意なのだろう。

 血統で得意な属性とかあるのかもしれない。『黄に寄った一族』みたいな。



「ともかく、これくらいメルも戦えるんならティエルと一緒に森に入っても大丈夫かね」


「メルちゃんと一緒ならいいです?」


「ティエル一人ってのはまだ無理だからね、基本はあたしと一緒さ。あたしが行けない時はメルと一緒に行けばいい」


「やったです! メルちゃん、一緒に行くです!」


「ただしここから離れちゃダメだよ。あくまで近場に限る。メルもその時は頼むよ」


「ピィ(あいよ)」



 ティエルはおばあちゃんと一緒でしか森に入っちゃダメらしい。

 だから森で薬草を採取したりも基本はおばあちゃんの仕事なんだとか。老体に鞭打って大変だな。

 魔法訓練とかも森でやってるみたいだけどね。


 そこで私の出番ってわけだね。ティエルの護衛をしろと。

 正直私は<フォッグ>ありきの索敵と探索だからティエルを連れてってのは厳しいと思うんだけど、お世話になっている身だからね。そこは働きましょう。


 ティエルの視界を邪魔しない索敵方法か……。


 もうこの際、『霧で姿を隠す』ってのは考えない方がいいのかな。一人の時ならまだしも。

 <フォッグ>を薄く広げるようにすれば、一緒にティエルが居ても視界が確保できて、尚且つ広範囲を索敵出来る。


 ただその場合、霧を薄くする事で索敵能力が下がるかもしれない。

 今までは霧の全てを私の感覚で把握できていたけど、それが鈍るかも。

 小さい蜘蛛とか発見できなくなるかもしれない。


 ……まぁ試しての様子かな。

 基本は私たち全員の安全が第一。それでいきましょう。





 ティエルとドルローザおばあちゃんの家に来てから一週間くらいが経過した。

 私は幾分か生活になれつつある。

 安心して眠れる住まい。美味しい食事。人との交流。その全てが素晴らしい。


 魔物が蔓延る森の中で二人暮らしをしているので、何かとやる事は多い。

 私も少しはお手伝いしようと、家事の時は桶に水を作り、畑仕事の時は水を撒く。水ばっかじゃねえか。



 森に入って採取やティエルの魔法訓練を行う時にも付いて行く。

 主に索敵と先制攻撃担当だ。

 <フォッグ>を薄く広げるイメージで二人の視界を確保しつつ、索敵範囲を広げる事に成功した。

 まぁそれでも二人は多少見づらいだろうけどね。これでもかなり薄くしようと頑張ったのだ。


 これにより二人だけでは見落としがちだった木陰に隠れていた小さめの魔物や、木の上に居る魔物を安全に狩る事が出来る。

 二人からは結構ありがたがられた。


 普段はおばあちゃんの【緑ノ呪法】で索敵めいた事をしているらしいが、私のように『周囲を隅々まで感知する』というわけではないらしく、どうしても『抜け』が出るらしい。

 そもそも得意なのは【黄ノ呪法】であって【緑ノ呪法】は燃費が悪いらしいのだ。



「ん? ゴブリンだね。メル、あれはあたしがやるよ」


「ピィ(はーい)」


「『黄ノ呪法/三階位/五号』――飛礫弾」



 杖の先に『石の弾』を瞬時に作り出し、そのままバビュンと発射。遠くに見えたゴブリンの頭部を吹き飛ばした。


 いやね、おばあちゃんはマジで強い。片手間で見つけた傍から倒していく。

 私と違って詠唱――あれを詠唱と言っていいのか分からないけど――が必要らしいが、敵を見つけてから詠唱・杖を構えて魔法の行使までが異常に速い。

 それも、力まず滑らかで、距離があってもピンポイントで命中させる。


 私が<スティング>とか使ってるから余計にそう感じるのかもしれないけど、ティエルが「おばあちゃんは有名な【黄ノ呪法士】だ」って言うのもよく分かる。


 そりゃこんな危険な森の中に住んでいるのだから相応の力は必要なんだろうけど、少なくとも湖の南側に関しては奇襲を受けない限り問題ないだろう。おばあちゃん無双できる。



 しかし、おばあちゃん曰く、ティエルの潜在能力はおばあちゃんを凌駕するものらしい。



「ティエル、あんたがやってみな」


「う、うん! 『黄ノ呪法/三階位/五号』――飛礫弾! ……ああっ! 外した!」



 ……ホントかなぁ。


 どう見ても私より弱いんだけど。遅いし当たらないし。

 おばあちゃん抜きで森に入った時には私が頑張らねばなるまい。そう心に誓う。



「メル、欲しい薬草はこんなやつだ。見つけたら教えてくれるかい?」


「ピィ(どれどれ?)」



 サンプルで見せてもらった薬草は数種類。薬を作るには色々な草が必要らしい。

 その中には私が好んで食べていた草や、苦くて吐き出した草もある。

 これならいくつかは私でも分かるね。お役に立てそうだ。


 薄くしていた<フォッグ>をコントロールし、地面の方だけ濃くしてみる。うん、いけそうだ。

 これなら二人の視界を邪魔しないし、地面に生えた草も<フォッグ>の感知で見つけやすいだろう。

 もちろん全体を薄く広げるのはやめないけどね。木の上や空にも魔物はいるんだし。



「ピィ(あっちにあるよ)」


「おっ、もう見つけたのかい……おお、こんな見つけにくい所を、まあ」


「メルちゃんスゴイです!」



 と、そんな感じでやってみたらなかなか良い採取が出来た。<フォッグ>の運用としてはこれが最善かもしれない。

 ただ二人の足元が見づらくなるから転びそうで怖いけどね。

 採取の時だけにしておこうかな。



 家に戻り早速、おばあちゃんは薬を作り始める。ティエルもお手伝い。私は水を作ったりくらいしか出来ないけど、見学させてもらう。

 ファンタジー世界の薬作りとか興味あるしね。どんなものかと。


 どうやら採取した様々な草は一つの薬を作る材料というわけではなく、何種類かの薬を作れるらしい。

 それでも一つの薬に対して数種類の草、そして畑で栽培している薬草も使う。

 ブレンドする比率、加工の仕方によって出来が変わるそうだ。


 小さな鍋に水を張り、練ったり粉末にした薬草を投入。それをぐーるぐると混ぜる。

 この混ぜ方にも何かしらの技術が必要らしい。

 そうしてポーション的な飲み薬が出来上がるわけだが、なるほどこれは職人技だ。



「おばあちゃん! なんかいつもより綺麗です! いい薬草だったですか?」


「いや薬草はいつも通りさね。こりゃあ……メルのおかげだね」


「メルちゃんの?」



 どうやら出来上がった薬の品質が高いらしい。

 私が見つけた薬草のせいかと思えばそういう事ではなく、おばあちゃん曰く、これは私の<ウォータ>で作った水を使ったせいじゃないかと。

 普段使っているのは井戸水らしいから、呪法で作った水の方が品質が高いという事だろうか。



「普通の【青呪法士】が水を出した所でそこいらの水と変わりないさ。メルの作った水が異常なんだ」


「ピィ?(どゆこと?)」


「理由はあたしにも分からないね。魔物の呪法が人のそれと違うのか、メルファウンが特別なのか、メルだけが特別なのか」


「やっぱりメルちゃんはスゴイです!」



 ティエルは無邪気にそう言うが、私としては三つ目が怪しいと踏んでいる。


 だって私には『魔物避け』が効かないし、それはなぜかと言えばおそらく中身が人だからこそ何かしらの要因があるのだろうと。

 だったら私の<ウォータ>……というか呪法全般が普通の魔物のそれじゃないという可能性が高い。


 呪法がどのように発動しているのかは分からないけど、感覚やイメージで変化させる事は出来る。それは<スティング>の形状変化や<フォッグ>の運用もしかり。


 だったら<ウォータ>も私が『綺麗な水』を意識して作り出している、と考えられるんじゃないか。

 不純物のない純水的なものを何となく意識しているんじゃないかと。


 うーん、考えても仕方ないか。

 ともかく私も薬作りに貢献できるって事で良しとしましょう。





 そんな感じで平穏な日々を満喫していた私だったが、ある日に来客があった。

 ここに来て数日。もちろん二人以外の人間なんか見た事がない。

 こんな森の中にお客さんなんか来るものかと思ったら、どうやら二人にとっては予定通りの事だったらしい。



「こんにちは、ドルローザさん。お世話様です」


「いらっしゃい、モーチッド」


「モーチッドさん、お久しぶりです!」


「ティエルちゃんも元気そうだね」



 モーチッドと呼ばれた男性。三~四〇歳かな。

 細身で人当たりの良さそうな印象を受ける。



「ええっ!? ド、ドルローザさん、この子は!? 魔物ですか!?」



 視線を下げた先に居た私を発見。狼狽えている。

 どもども。か弱い小鹿ちゃんです。軽く会釈しておいた。





「はぁ~~これがメルファウンですか……。よくこの秘境に居たもんですし、よく従魔に出来たもんですね……」



 おばあちゃんが説明し、幾分か落ち着いたモーチッドさん。

 まぁ説明と言っても適当に誤魔化した感じだけどね。私は同居人と言うか『ペット枠』であって従魔ってやつじゃないし。



 モーチッドさんはここから一番近い街【エドゥリア】という所から来た商人さんらしく、おばあちゃんと定期的に取引している相手だそうだ。

 おばあちゃんの作る薬を買い取り、ついでに生活必需品などを買っていると。

 専属の行商人って感じだね。



 どうやらこの森は【秘境】と呼ばれているらしい。

 こんな場所に居を構えるのもおばあちゃんだから出来た事で、一介の商人であるモーチッドさんは普通であれば近寄る事さえ出来ないそうだ。


 だから月に一回、わざわざ護衛の人を雇って、ここに訪れていると言う。

 それだけおばあちゃんの薬がスゴイって事だね。そこまでする価値があると。

 おばあちゃんが薬を卸している商人さんはモーチッドさんだけらしいので、ほとんど専属契約といった感じだ。


 ちなみに今日の護衛はいかつい男性三人だったけど、彼らも私を見てビックリしていた。

 この魔境の森に入れるほどの人だったら魔物も沢山見ているだろうに、それでも驚くくらいには珍しいという事なんだろう。


 私ってばレアモンスター。嬉しいような嬉しくないような。



「それでこちらが今回の回復薬ですね。……ん? いつもより品質が良いですかね」


「良い薬草が手に入ってね。効能が良くなっているのは間違いないよ」


「いやいやさすがですねドルローザさん。これほどの薬を作れる人なんか他にいませんよ」



 おそらく品質が良いのは私の<ウォータ>のせいだと思う。

 息を吐くように誤魔化せるのは年の功だね。

 高く売れるのなら私も少しは貢献できたって事だ。嬉しいね。



「それとこんなもんも作ってみたんだが、買うかい?」


「これは……耐寒薬ですか!? しかもこれ特級並みじゃないですか! もちろん買いますよ!」



 おばあちゃんが出したのはビンに入った白濁色の液体。

 その名の通り寒さに対する耐性がつくらしい。

 雪山に上って魔物と戦う人だとかが買うそうで、吹雪のブレスを吐くような魔物相手だと重宝すると。

 素材の関係上、なかなか作れないものらしいんだけどね。


 実はこれ、私の毛から作ってるんだよね。毎日のブラッシングで抜けた毛を素材にしておばあちゃんが薬にした。


 もったいないから薬にしていいかい? って聞かれたから了承したんだけどさ。どうせゴミだし。


 でも私の毛が飲み薬になるって分かるとちょっと気持ち悪いよね。見知らぬおっさんとかに飲んで欲しくないよね。

 いやまぁ私はレアな魔物なわけで、その素材ってのは貴重なのかもしれないけどさ。

 複雑な乙女(魔物)心ですよ。



 ともかくモーチッドさんはテンション高く買ってくれるらしく、しかもかなりの高額買い取り。なんか申し訳ない。私の抜け毛で。


 もちろん素材に関しては秘密。

 おばあちゃんが適当に誤魔化していた。



 そんな感じで出張査定というか出張行商のような事は終わり、モーチッドさんは護衛の人たちを連れて帰って行った。

 私にとっては初の来客だったわけだが、あとから聞けば、モーチッドさんたち以外にも稀に来客はあるらしい。

 専属の商人さんとなるとモーチッドさんだけらしいけどね。



 どうやら【ハンター】という職種の人がいるらしく、主に魔物退治や素材採取といった活動をしていると。街には【ギルド】という施設があり、そこに登録していると。

 私はそれを聞いて「冒険者って感じだな」と思った。


 ともかく、この森は【秘境】と呼ばれている関係でそういったハンターの人たちが探索に訪れるそうだ。

 その中には知り合いのハンターさんも居て、おばあちゃんから直に薬を買ったりしているらしい。数は少ないらしいけどね。



「秘境と言ってもピンキリでね、ここいらはまだ【中級秘境】ってトコさ。もう少し奥に行くと湖があるんだがメルは知っているかい?」


「コクコク(知ってるよ。というか住んでたよ)」


「あそこは【死映の湖】と呼ばれているんだが、そこから先が【上級秘境】。さらに先に白鷲山(しろわしやま)ってのが見えるんだが、そこまで行くと【特級秘境】扱いだね。よほどのハンターでも近づけないのさ」



 おいおい、私はそんな恐ろしい場所で一月も生活していたのか……。ハードモードすぎるだろ。


 あのクマを狩っていたバカデカイ鳥は白鷲なのかな。一瞬だったし大きさにビビってたからそこまで見てないけど、もしかしたら白鷲山のボスなのかもしれない。


 ともかく私は湖の北側に行かなくて正解だったというわけだ。

 か弱い小鹿が【上級秘境】なんて行くもんじゃない。中級だって勘弁して欲しいくらいだしね。





 モーチッドさんたちが訪れてから数日後、また来客があった。

 今度はおばあちゃんも予期しないお客さんだったらしい。



「誰だい、あんたは。あたしは決まった商人としか取引しないよ。さっさと帰んな」


「ハハハッ、さすがは【砂塵の女王】ですねぇ。私は【エドゥリア商業組合】の副支部長ですよ? 当支部はモーチッド商会とも契約しています。それを無下にしようとは」



 嫌味ったらしいその男はエドゥリアの街の商業組合の人間らしい。副支部長って事はナンバー2か。

 モーチッドさんの商会も組合に所属しているんだろうし、実質的には上司のようなポジションなのかも。


 ともかくそんな男が護衛を連れて来たもんだから、おばあちゃんは家の外で対応している。

 私とティエルは家の中から盗み聞きだ。



「貴女がメルファウンを飼っているのは分かっているんですよ。二百万ガルドでどうです? 破格の値段でしょう」


「はんっ、他人(ひと)の従魔を買おうってのかい。しかもあたしの従魔をだ。全く、商業組合も落ちたもんだね」



 私を買いに来た? やっぱ希少な魔物だから、素材が目当てって事かな。

 断ってくれたおばあちゃんには感謝だ。



「では耐寒薬をこちらに専売契約してください。それで手を打ちましょう」


「……モーチッドはそんなお喋りなやつじゃないんだけどねぇ」


「くくくっ、私は<鑑定>に自信がありましてねえ。その腕を買われて王都からわざわざエドゥリアに転任になったばかりなのですよ。いやはや、着任早々お宝を発見できたので驚きました」


「左遷の間違いだろうに――じゃあここにメルファウンが居るってのも?」


「護衛依頼を受けたハンターに少し金を握らせたらペラペラ喋りましたとも。ええ」



 つまりモーチッドさんに売った耐寒薬を<鑑定>した結果、私の毛が使われていると判明。

 それだけなら、たまたま居たメルファウンを討伐して素材化したとも考えられる。

 で、モーチッドさんの護衛に就いたハンターから情報を買ったわけだ。あの時の三人だね。

 あの三人は確かに私がこの家に居るってのも知ってるし、モーチッドさん以上に口が軽いのも分かる気がする。


 それからもしばらく交渉と言う名の罵り合いが続いたわけだが、結局はおばあちゃんが勝った。

 何を言われようが売る気はないと。


 おばちゃんが【砂塵の女王】とかいう二つ名で呼ばれていたのも要因だと思う。下手に武力行使も出来ないのだろう。


 嫌味男は去り際に「後悔しないで下さいよ?」と負け犬セリフを吐いていったが、その中には「【砂塵の女王】が相手でも力づくで奪ってやる」と言っているようにも聞こえた。



 私はおばあちゃんとティエルに迷惑を掛けたくはない。

 でもあんなのに売られたくもないし、かと言って、この居場所を捨てて森に帰るなんて嫌だ。

 結局は甘えちゃっている状況だから、なんとかしないといけないのかもね。

 せめて自分の身と二人を守れるくらいにはならないと。


 と、そんな事を私は私で考えていたのだが、その日の夕食の席でもおばあちゃんから同じような事を言われた。

 警戒するように。一人で出歩かないように。などなど。





 夕食が終わり、ティエルが湯浴みに行き、リビングにはおばあちゃんと私だけになった。

 そこでおばあちゃんは話し始めた。



「……少し、昔話をしてもいいかい?」


「ピィ? ピィ(ん? いいよ)」


「あたしにはティローザっていう娘が居てね、誰に似たんだかまぁ破天荒で楽天家でね。自由気ままに旅に出てるようなハンターだった」



 破天荒なのはおばあちゃんに似たんじゃないかと、少し思った。



「それが十二年前かね、数年ぶりに帰って来たと思ったら身籠ってたのさ。一人で帰って来たし、父親が誰かって聞いても適当にはぐらかされてね。結局誰が相手なのかは分からずじまいさ」


「ピィ?(え、つまり娘さんは……)」


「ティエルを産んでから産後の肥立ちが悪くてね。あたしの薬じゃどうしようもなかった。全く……元気だけが取り柄みたいな娘だったんだけどね……」



 そうか……じゃあティエルは自分のお母さんの事なんか知らない状態なんだ。

 こんな場所で二人だけで住んでいるのが不思議だったんだけど、ティエルのお母さんは死んじゃって、お父さんはそもそも誰かも分からないのか……。



「それからはあたしが母親代わりでティエルを育てた。と言っても教えられるのは薬の知識と呪法に関してくらいだけどね。せめてあの子が一人で生きていけるくらいにはしてあげたい。そう思ってさ」


「ピィ……」


「でもね、ティエルが幼い頃に呪法適正を調べたらとんでもない素質を持っててね。それでまた大慌てさ。これはちゃんと教えないとダメだってね。それでここに居を移したんだ」



 ティエルは【砂塵の女王】と呼ばれたドルローザおばあちゃんより素質があるとは聞いた。疑ってたけど事実らしい。


 おばあちゃん曰く呪法というのは【十階位】まであるそうだ。

 一階位は初心者レベル、五階位くらいで達人級、八階位以上になると伝説級らしい。


 おばあちゃんの【黄ノ呪法】は五階位くらいまでの扱いであれば、それこそ誰よりも巧いそうだ。二つ名に恥じない呪法士だと。

 さらには六階位の呪法も使えるらしい。難しいそうだが。



 ところがティエルの場合、むしろ一~五階位の【黄ノ呪法】は扱いが苦手らしい。

 その代わりに七階位、八階位といった【黄ノ呪法】が使えるという。これはもう国に目を付けられるレベルだそうだ。


 【黄ノ呪法】というのは基本的に土や岩を操ったり、それで攻撃したり防御したりといった呪法。

 おばあちゃんの【六階位】ともなると鉄の槍を作って撃ち出したりも出来るそうだ。とんでもない殺戮兵器だね。



 で、ティエルの使える【七階位】以上になると『雷』が扱えるようになるらしい。


 雷属性が【黄ノ呪法】に含まれるってのも驚きだけど、つまりティエルは土とか岩より雷の扱いが巧いと、そういうわけだね。

 そりゃ聞くだけで危険な力だ。おばあちゃんが用心するのも頷ける。


 強力な呪法は扱いが難しい。しかしちゃんと身に付ければ、それこそ自分を守る力になる。

 注目されるのを防ぐ、鍛錬の場とする、同時に薬作りも身に着けさせる。

 だからこんな秘境の森に住んだのだと言う。全てはティエルの為だったんだ。


 おばあちゃんは目を遠くして言う。



「あたしはもうじき死ぬだろう」


「ピィッ!?」


「ははっ、寿命ばかりは薬でどうこう出来ないからね。仕方ないさ」



 とても老衰で死ぬようには見えない。いつもどおりの元気なおばあちゃんだ。

 だからこそ驚いた。

 おばあちゃんには自分が死ぬ未来がすでに見えているのだろうか……。



「ただそうなると心残りはティエルの事だ。あたしが死ねばここの魔物避けは維持できなくなる。ティエルは街に行くしかない」



 私もよく分かっていない『魔物避け』。どうやらおばあちゃんでないと機能しないものらしい。

 おばあちゃんが死ねば、残されたティエルは街で生きるしかないと。



「それまでに呪法と薬作りをどれだけ仕込めるか……おそらく難しいだろうね。あの子が一人で安全に過ごせるとは言い難い。それこそ呪法の才能欲しさに、強欲な輩が狙って来るかもしれない」



 もしティエルが雷の呪法を扱えれば、それは抑止力になると同時に『餌』にもなりうる。

 国の情勢とかは知らないけど、国に目を付けられれば戦争の道具として駆り出されるかもしれない。

 もしくは強欲な貴族のような連中が居て、まだ幼いティエルを利用するかもしれない。


 おばあちゃんのように実績もなければ、言い包めるような人生経験もないんだ。ティエルには荷が重い。


 おばあちゃんは私を見て「だからね」と続ける。



「メル、あんたがもし、これからもティエルと一緒に居てくれるのであれば、ティエルの従魔になってやってくれないかい?」


「ピィ?」


「従魔って言っても何かに縛られるわけじゃない。人と魔物がパートナーとして生きるという意味さ」



 従魔契約といった呪法なのかと思ったらそうじゃないらしい。動物で言うところのペットや家畜みたいなものか。

 いずれにせよ家族のように共に生きて欲しいと、そういう事のようだ。



「あんたが希少だから狙われるってのは分かってる。今日来たような連中は他にもいるだろう。メルが街に行くのは危険だとも思う」


「ピィ」


「だからこそティエルとメル、二人で助け合えるような関係で居て欲しいんだ。あんたにメルの世話を頼むようで心苦しいが……」



 私はもう森で暮らす事はできないだろう。少なくとも危険な【秘境】で生きる事はできない。

 じゃあティエルと離れて他の森に行くかとなっても、いずれどこかで人と接触すると思う。

 そしてそうなれば高確率で狩られる。命を、素材を狙われる。


 ここでティエルとおばあちゃんに出会えたのは奇跡みたいなものなのだ。


 私もティエルも、街で暮らすには今までと違った危険性がある。それは分かっている。

 それでも街で暮らすのであれば、やはり二人で支え合えるような関係性でありたいと私も思うのだ。


 ティエルは良い子だしね。

 おばあちゃんも含め、私は本当に家族のように思っている。



 そこで奥の浴室からティエルの声が上がった。



「メルちゃーん! 身体洗いますから来て下さーい!」


「ピィ(はーい)」



 ティエルに返事をして身体を起こす。

 それからおばあちゃんを見て、私は「ピィ」と頷いた。


 私はティエルの従魔になるから安心して。これからも一緒に暮らすよ。

 そう伝えたつもりだ。



「やれやれ、本当に不思議な魔物だね。メルと出会えて良かったよ」



 浴室へ向かう背後からおばあちゃんの呟きがかすかに聞こえた。

 出会えて良かったのはこっちの方だよ。そう思ってちょっと泣きそうになった。



 これから先、おそらく私にはいくつもの問題が降りかかってくるのだろう。

 平穏に暮らすっていうのは時間が掛かるかもしれない。

 でも、私はこの世界で生きていかないといけない。新しい家族と共に。



 願わくば、おばあちゃんが長生きしますように。

 そしてティエルが元気に成長しますように。


 私もなんかこう……いい感じになりますように、と。



~Fin~

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです!^_^ 白い子鹿可愛い。続きが読みたいですね。
[一言] ぶっちゃけ長編化して続き書いて欲しい
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