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9 手と手と_2


「がぁぁ!」

「食べますか?」


 上顎と下顎に挟まれる瞬間、ポーリィが呟いた。

 長い棒を持って。


「お前にはきっと美味しくありませんけど」


 牛踏蕗(うしふぶき)の根っこ。

 岩のように固く、メイシアの背丈くらい長い。その辺に生えている植物。



 葬山熊は顔を横に向け、ポーリィの体を咥えるように噛みつこうとした。

 いくら小柄だとは言っても縦に噛みつくのは難しい。メイシアを置き去りにして、四つ足で駆けながら顔を傾けて。

 ポーリィは葬山熊の開けた口に垂直になるよう牛踏蕗の棒を構え、その勢いを受け止める。


 それでも葬山熊の力が失われるわけではない。

 吹き飛ばされる勢いを利用して器用にするりと上に宙返りしながら、胸元から何かを振りかけた。

 体重がないのかと思うほど身軽な体捌き。



「植物の薬効などの濃縮も得意なので」

「ポーリィ!」

「それ、からいですよ」


 噛みつき損ね、ポーリィを跳ね飛ばしてしまった葬山熊の鼻面にかけられたのは緑の汁。

 臭いでわかる。

 川底大根の葉っぱ。それをぎゅうっと煮詰めたみたいな。



「ボォア!? ブゥエェェァ!?」

「メイシア」


 くるくると落ちてくるポーリィは、もう牛踏蕗の棒を持っていない。

 転げた葬山熊を後回しにしてポーリィの体を受け止める。


 ふわり……と。


「――重いっ」

「いちいち失礼ですね! あなたは!」


 実際にはそんなに重くなかったのだけれど、羽のような印象に勘違いしてしまっただけ。

 普通の少女くらいの重さが両手にかかって驚いた。



「そんなに重くありません」

「うん、あたしよりは」

「そんなに重くありません!」


 たぶん半分くらいじゃないかな。と言う間もなく怒鳴られた。

 受け止めたポーリィを下ろして、土に顔を突っ込んで悶える葬山熊にもう一度向かった。



「これで戦意喪失、とまでは行きませんか」

「逃がさない」

「ブゥゥガァァァ‼」


 泥まみれの顔で振り返った葬山熊は、両腕を上げてメイシアに覆いかぶさろうとした。

 その両腕をメイシアの両手で受け止める。


 葬山熊の黒い肉球にメイシアの爪を突き刺さり、血が溢れ出す。

 両手で組み合っての力比べ。メイシアの手の方が小さいから爪が刺さるのは葬山熊の方だけ。


 互いに踏ん張り押し合う力はほとんど互角。

 葬山熊が泥だらけの口でメイシアに噛みつこうとして、それを避けるたびにじりじりと押し込まれる。

 態勢が不利になっていく。



 メイシアが獣を食べようとするのなら、獣だってメイシアを食べようとする。

 互いに命がけ。

 体格で勝る葬山熊がだんだんと有利になっていくが、メイシアが諦めるわけにはいかない。食われてたまるか。



 どうしてだろうか。何かうまく噛み合わない感じがした。

 昔、狩りをする時はだいたいが一撃、二撃で終えていたと思う。

 この魔獣は確かにかなりの強敵だけれど、まだ何かメイシアの中で違和感がある。


 とどめを刺せない。

 必殺の一撃を入れられない。


 これもサイサン達との時間が長かったから。

 メイシアの役割はみんなを守ることで、最後の一撃は彼らに任せることが多かった。

 ちょっとだけお姉さんのメイシアだから、狩りのやり方を幼年に教えるみたいに。


 三年の間になまってしまった。

 技と、心が。

 人間の町での暮らしは安全で、サイサン達の存在に甘えていて。


 こんな魔獣なんかに負けるメイシアじゃないのに。



「私を食べる前に」


 背中で声がした。


「これでもどうぞ」


 メイシアからは見えない。

 だけど葬山熊からは見えたのだろう。

 メイシアの首に噛みつこうとしていた牙が、何かにつられて上に向いた。



 空に食いつくように首が伸びだ。


「っ!」


 つられて顔を上げたメイシアの目に、葬山熊が伸ばす喉首が見えた。

 そこだ、と。


「らあぁぁっ!」


 組んでいた右手を横に払い、その爪を返して喉に深く走らせる。


「ブフェッ……」


 深く、届いた感触。重要な血管と気道を引き裂いた。


 力の抜けた葬山熊から離れたメイシアの前で、首から血泡を噴き出して倒れる巨体。

 その背中に、川魚がぼとりと落ちた。



「……は、はぁ……はひぃ……」

「お疲れ様です」


 びくびくと痙攣しながら命を失っていく葬山熊。

 それを見ながらメイシアも力が抜けて、尻から座り込んでしまった。



 川魚。

 最初に大木が水しぶきを上げた時にいくらか飛び上がっていたのだと思う。


「ポーリィ、が……?」

「さぞ美味しそうに見えたんでしょうね。死ぬ直前に」


 ポーリィの力。

 いつつ数える間だけ、相手にとても美味しそうなものだと錯覚させる異能。


 川魚にそれをかけて放り投げた。

 気が逸れた葬山熊は、喉首という生き物にとって大きな弱点をメイシアに晒した。



「食欲最優先の魔獣ですからね。理性があれば、殺し合いの最中に気を奪われなかったでしょうけど」

「……ありがとう、ポーリィ」

「お礼の言葉はいりませんよ」


 へたり込んだメイシアに、ポーリィが白い手を差し出す。

 その手を取ったけれど、立ち上がらせてくれるわけではない。



「?」

「私たちはパートナーですから」


 繋いだ手。

 メイシアはもうすっかり腹ペコで、肉球のない普通の手。

 ポーリィの手は少し冷たい。けれど心地いい。


「これからもよろしくお願いしますね。メイシア」

「……あたしは」

「私が、あなたを食べさせてあげます」



 食べ過ぎて仲間を困らせてしまうメイシア。

 だけどポーリィはそれを知っても手を離さないでいてくれる。


「平気です。食べられる物のことならけっこう知っていますから」

「ポーリィ……」

「私を守って下さい。メイシア」


 守る。

 小さなポーリィを守って、ポーリィがメイシアにご飯をくれる。

 だからパートナーになろうって。


「……あたし、いっぱい食べるよ?」

「ええ、いっぱい食べて下さい」


 とりあえず、と。

 川辺に倒れている黒い熊に目をやって。


「あれ、食べましょうか」

「……うん」



 何も考えないで仲間を困らせるのはもう嫌だ。

 だけど、どうするか考えるのももう無理。今は。


「おなか空いて、なんにも考えられない」

「食べながら話しましょう。そのまま洗いながらはらわた取っちゃってください」


 ポーリィはメイシアの手を離さなかった。だからその小さな手をぎゅっと握った。



  ◆   ◇   ◆


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