4 運命の出会いと吐かれ
人間の町で暮らすうちに、狩猟民族としての感覚がなまってしまっていたらしい。
昔はどうしていたんだったか。思い出す。
森で狩りをする時。
獣人の身体能力が優れているからと言って、獣と森で追いかけっこは分が悪い。
相手も必死だ。食われないよう、捕まらないよう逃げ回る。
まずは獣の通りそうな場所を見つけて。
それから近くに身を伏せて、じっと待つ。
そうだ。気配を殺して獲物が通りかかるのを待つのだ。
どれくらい森を進んだのだろうか。
なんとなく、足跡っぽいものを見つけた。何かが通った形跡。
中天を過ぎた太陽が、木々の隙間から陽を差し込む。
陽が入る辺りには草が生えている。陽が差さない場所は土と落ち葉だけ。
草むらに身を潜めた。
というか、お腹が空いてもう歩くのが嫌になっていた。
そのまま草むらに伏せて、何かが近づいてくるまで待つ。
としても、それが今日通るのかそうでないのか。
結局、何も通らないまま一晩が過ぎた。
途中でメイシアは寝てしまっていた。近くの気配にまるで気づかないことはないだろうから、何も通らなかったのだと思う。
◆ ◇ ◆
朝日が差し込む。
草に朝露が光る。ああ、喉も渇いた。
獣人は水の摂取の頻度が少ない。水がある場所ではたくさん飲んで、その後は一日飲まなくても平気。人間とは少し違うところ。
それでも寝て起きれば喉が渇く。
朝露の雫を飲もうとして、気づいた。
生えている草はユミが薬草と呼んでいた植物だ。
磨り潰して傷口に塗っていることもあったけれど、食べていることもあった。
食べられる草。
たぶん、そう。メイシアは嫌いな臭いだと言って触れようとしなかったけれど。ユミも無理に食べさせようとはしなかったけど、食用になるはず。
はむ。
はむ。
体は起こさず、身をよじってその草を噛んだ。
まずい。
ひどい味。
だけどサイサン達が食べていた草。食べられる草かどうか、詳しくないメイシアには他にわからないから。
すぐに効果はあった。
猛烈な眩暈。
頭がくらくらする。
なんだかおかしい。
胸の奥がつっかえるような感じがして呼吸がうまくできない。
「う、は……」
いけない。これはよくない。
ものすごい汗が溢れてきて拭おうとしたところで、足音に気づいた。
「っ!」
はっと息を殺す。
獲物が近づいてくる。それを待っていたのだから。
メイシアを襲う悪寒を根性で忘れ去って、身を低く構えた。
近づいてくる気配。
軽い足取り。間違っても重量級の魔獣ではない。
町で見かけた樺鹿よりは小さいだろう。とはいえ、小兎などではないくらいの。
すぅっと体が冷える。
噴き出た汗のせいもあるけれど、周りの草むらの温度と同化するような感覚。
研ぎ澄まされていく。
風がわずかにそよぎ、木々の葉が音を立てた。
同時に足音が止まる。
森の匂いとは違う匂い。メイシアの流した汗が風に混じったか。
だけど、もう遅い。
「たぁっ!」
伏せていた姿勢から、両手と両足を強く叩いて飛びかかった。
「ひぁあ!?」
「ごはんだぁぁ‼」
飛び出したメイシアに対して悲鳴があがった。
足音より少し遠く。
まったく同じタイミングで逆から飛びかかった黒い影が。
「はぁ!?」
「ああぁっ!」
ごっちん、と。
頭をぶつけたメイシアと黒い影の下で、子供の猪狸が駆け抜けていった。
「あぅぅ……」
体格が違う。明らかにメイシアより小さい黒い影は弾き飛ばされ、ころころと後ろに二回転。
空腹と悪寒で眩暈のするメイシアの方も、ぶつけた頭を押さえながらふらふらと。
黒い影。
黒髪の少女を見下ろして、だけど目が回る。
「あたしの……ごはん……」
「た、食べないで下さい……美味しくありません」
危ない目をしていたのだろうメイシアに対して怯えるような言葉を。
黒くつややかな髪と、反対に病的なほど白い肌。
人間だろうか。
「喋る生き物は、食べない……獣人族のおき、て……」
「すばらしい。獣人族のおきて、すばらしいです」
「……」
これは食べられない。
獲物も逃げてしまった。
そして、胸の中からこみ上げる猛烈な――
「う……ぼうぇぇえええ」
「……」
大慌てで、大きく両足を開いてずりずりと後ろに逃げた少女。
その足の間に吐しゃ物をまき散らすメイシア。
「おぇ、ぶぇっ……ぐぶぇえええ」
さっき食べた薬草と、胃液。
吐きながら、涙と汗がまた噴き出す。
「これまで色んな悪口、罵声を聞いてきましたが……初めてですよ」
かすむ視界に映る黒髪の少女は、ゆっくりと首を振った。
「顔を見ただけでゲロを吐かれるとは、ね。初めてですよ、まったく」
「うぇっ……」
満腹なら最強の獣人メイシアと、毒花のポーリィ・ポリアンナの出会いだった。
◆ ◇ ◆