月野馨
それから月日が経ち、何事もなく仲間達との旅行も終え年が明けた新学期。三年生になった想のクラスに転校生がやって来た。
「月野馨です。よろしくお願いします」
クラス中の女子達の黄色い声が教室に響く。それもそのはずで、その外見は透き通るような白い肌に、中世的な顔立ちとすらりと伸びた手足だった。いつまでも治まらない歓声に、担任の声で漸く止まった。馨が想の二つ後ろに着席すると授業が始まる。
それから数週間経ち、馨は想達と昼食を一緒に取る間柄になっていた。馨の人気は未だ衰えることなく、今日も数人の女子達に昼食を誘われていたが、想達と食べたいからといつもの断りを入れていた。馨は成績優秀で運動神経も良く、ルーマニアの母と日本人の父との間に生まれ、日本国籍を持っているのもあり和名という事だった。
そして、高校最後の夏休み。遊びの帰り道を想は馨と二人で歩いていた。そこに突如現れたロングコートを着た吸血鬼が後ろから馨を連れ去る。気付いた想は吸血鬼を追いかけ、辿り着いたそこはとある屋敷だった。鍵の開いた屋敷に入ると、天窓から差し込む夕焼けが薄暗く照らしていた。想は二階から扉の閉まる音を聞き、急いで階段を上り一部屋ずつ開け中を確認し、五つ目の扉を開けたそこには、椅子に座った状態で胸にナイフが突き刺さり、上半身が赤く染まっている馨の姿があった。
想は馨に駆け寄り声をかけるが返答はなく、首筋に触れるも脈は感じられなかった。想は馨の前に膝を付き、手を握りしめながら声を殺し静かに泣いた。
少しすると想の肩に衝撃と共に鈍い痛みが走る。想は数メートル程転がるが、直ぐに立ち上がる。想は巴の件から密かに鍛えた独学の格闘術で、攻撃を加えるが吸血鬼は一歩も動かずに全ての攻撃を防ぐ。
「こんな遅いといつまでも当たらないぞ」
と吸血鬼は想の攻撃に拳でカウンターを合わせる。想はそれを耐え、体勢の崩れた吸血鬼の脇腹に拳を入れる。
(ぐっ、なんて堅さだ)
想は追撃しようと試みるが、吸血鬼の拳が飛んでくるのが見えすぐさま距離を取る。
「どうした?たかが人間のガキの力で、俺にダメージを与えられるとでも思ったか?」
想は走り、再び殴りかかるが吸血鬼はそれを難なく避け、想の襟首を掴み引き倒す。
「つっ・・・!くっ」
床に叩き付けられた想の眼前に、拳が迫って来るのが見えそれを辛うじて避けるが、その拳は床を貫いていた。
(一撃でも食らえば終わる)
立ち上がり、体勢を整えた想の頬を一滴の汗が伝う。
(こんな事ならちゃんと人に教わっておくんだったな)
吸血鬼が腕を引き抜くと同時に想は、その脇腹に蹴りを入れる。が、吸血鬼は蹴られた箇所の埃を払う仕草をし、笑う。
「貴様の様な人間の小僧の蹴りなぞ、痛くもかゆくもないわ。しかも今宵は満月。時が経てば貴様に勝ち目はないぞ小僧」
「ぐはっ」
吸血鬼の前蹴りが想の腹部を蹴り、その威力に想は壁際まで吹き飛ばされる。
「かはっ」
(息が出来ない。まずい。落ち着け。このままだと殺される)
想は蹴られた場所を押さえながら、ゆっくりと呼吸をし立ちあがる。
「安心しろ。お前は殺さない。あのお方がそれを許さないからな」
「あのお方?そう言えば前にもそんなこと言っていたやつがいたな。そいつは何者だ?」
「我らにとっては、いなくてはならないお方だ。貴様にもいずれ分かる日が来よう」
「生憎と俺は別に知りたくもないね」
「それは残念だ」
「なっ」
突如目の前に現れた吸血鬼は、拳を想の顔面に目掛け振り抜くがそれを紙一重で避ける想。だが拳圧で切れた頬からは血が流れる。それを見た吸血鬼はすぐさま腕を壁から引き抜き、回し蹴りを繰り出す。想は咄嗟に防御姿勢を取るが、それよりも早く脇腹に衝撃が走る。めきめきと骨の軋む音が聞こえ、馨の座る椅子にぶつかり想と馨は床に転がる。
「かお・・・る・・・」
馨の血が顔に付きながらも体に力を入れ、ふらつきながら想は立ち上がる。不思議と蹴られた脇腹の痛みは和らいでいき、代わりに切れた頬が熱を放ち脈打つ。
「ぐっ。ぐあぁぁぁ!」
抉れるような痛さに想は堪らず片膝をついた。この間、吸血鬼が襲ってこないのは想にとっては幸いした。今、想の身に何が起こっているのかなど想自身も分からないのだ。これが父幽玄のように抹殺対象であれば、想は今頃は殺されていた。
「はぁはぁはぁ」
想はゆっくりと立ち上がり息を整え、吸血鬼を見据える。
「なっ。なんだその目は!まさか本当に超越者なのか」
吸血鬼が驚くのも無理はなく、想の瞳の色は反転していたが髪の色は前回とは違い変化は無く黒のままだった。想が右手を吸血鬼に向けると、空中に赤い小さな球体ができ、それは瞬時に吸血鬼の肩を貫いた。その衝撃で吹き飛ばされた吸血鬼はその力に驚きを隠せなかった。
「・・・なるほど。これが吸血鬼の力か。という事は俺も吸血鬼の力が流れているという事なのか」
想は自身の右手を見つめそう呟く。想は拳を握り吸血鬼を見据える。
「なっ。早すぎ・・」
突如吸血鬼の眼前に現れた想は、その顔面に拳を叩き付ける。ドンという音を立て吸血鬼は壁まで吹き飛ばされた。
「ぐっ、このままでは・・・」
と吸血鬼の視線が馨の方に向けられたのを見て、瞬時に移動し吸血鬼の首を掴む。
「お前。今、馨を見たな?これ以上あいつを傷つけるのは許さない」
その言葉に吸血鬼は笑い、想を蹴り離す。
「フハハハハ。何を言うかと思えば。傷つけるのは許さない?私が傷つけるはずがないだろう」
そう言う吸血鬼の体に力が凝縮されていく。
「傷つけるはずがない?どういうことだ?なら、馨を殺したのは一体・・・」
吸血鬼は分身し想に襲い掛かる。外はもう夜の帳が降りていた。
「満月の力を得し我が全力を受けてみよ」
爪を伸ばし切りつける吸血鬼の連撃を避けながら後退する想の背中を、火球が襲う。想は気配を察知し上に飛び上がり、天井に着地する。
「何っ?」
火球が吸血鬼に直撃したのを見た想は驚きの声を上げる。
「我が奥義双刃に同士討ちなぞ狙っても無駄だ。自身の攻撃を吸収できるのだからな。まぁ、咄嗟の判断としては上出来だが」
その言葉に想は下に降り、告げた。
「つまり、お前たちを消し去ればいいんだろ?あわよくば自滅してくれたらと思ったけど、結局は俺が倒すだけの話だ」
「やってみろ、小僧が!」
想は自身の腕を切り裂き、その血を自分中心に飛び散らせる。
「我が血は汝らへの毒となり、滅さん。消え失せろ」
吸血鬼はまたも鋭利な爪で遅いかかり、もう一人は上から火球を落す。その大きさは先ほどのものよりも二回りは大きかった。微動だにしない想の心臓を貫こうと、鋭利な爪が想に触れる直前、吸血鬼の腕は霧散し想の血が吸血鬼に降りかかり、やがて体も霧散する。同時に落ちてくる火球も血に触れた途端に霧散する。
「なんだその力は!あり得ないあり得ないありえ」
惰性で落ちてくる吸血鬼はそう言いながら離れた場所に着地するが、それを見越した想は血を飛ばす。血を浴びた吸血鬼の体は徐々に霧散し跡形もなく消え去る。
吸血鬼が消えたのを確認した想はその場にしゃがみ、床に手を置き自身の血を集結させ吸収した。息を整え、馨に近づいた想はナイフを引き抜き、抱き上げ部屋を出る。