覚醒
翌日、想は友人の巴と一緒に帰っていた。
「きゃっ!」
巴の悲鳴に振り向くと、そこには昨日の男が気を失っている巴の口に布を当てていた。
「昨日の続きだ」
男はそう言い、巴を連れて走り去る。
「くそっ」
男を追いかけ、辿り着いたそこは昨日の屋敷だった。屋敷の中に入ると昨日とは違い異様な雰囲気を感じた想は、周囲を警戒しつつ階段を上り、まるで導かれるように漆黒の扉の前に辿り着く。
(こんな部屋昨日あったか?)
疑問に思いながら扉を押し開けるとそこは、天窓からの夕焼けが唯一の光源の部屋だった。その光の中に巴はいた。巴は十字架に縛り付けられ、制服は切り裂かれ至る所から血を流し意識を失っていた。
「巴!」
駆け寄る想の体が横に吹き飛ぶ。
「がっ」
想の腕の骨は軋み、想は自身を吹き飛ばした者へと視線を動かす。
「昨日はよくも虚仮にしてくれたな小僧。あの方が来られる前に味見しておこうと思ったが、もう許さん。命は取らんが五体満足で帰られるとは思うなよ」
男は言いながらゆっくりと歩を進める。想はふらつきながらも立ち上がり男を見据える。
「虚仮になんかしてないさ。でもそう思うって事は、まさか一人芝居でもしていたのか?」
「貴様ぁ!」
激高した男は想に殴りかかるが、それを既の所で避けられ後ろの壁を破壊する。
「命は取らないって言って無かったか?そんな攻撃食らったら死んじまうぞ・・・がっ!」
一撃目を避けられた男は、即座に想の腹部に蹴りを入れ想は巴の近くまで吹き飛んだ。
「殺しはしないさ。だが、死ぬほどの苦しみは与えるがな」
「がはっ。はぁはぁはぁ」
ゆっくりと近づいてくる男を、血を吐きながら焦点の合わない目で見据える想。少しずつ像が重なり、遠近感が元に戻りかけたと同時に男のつま先が鼻を蹴り上げる。
「ぐっ」
仰向けに倒れた想の胸を踏み男は笑う。
「どうした?そんなんじゃ、あの女を助ける事は出来ないぞ?それとも目の前で刻まれるのが好みか?」
その言葉に想は男の足を掴み持ち上げようとするが、びくともしなかった。先ほどの蹴りで鼻は折れ血が流れている状態では口呼吸しか出来ず、想は激痛に耐えながら再度力を入れるために大きく息を吸い込んだ瞬間、足が胸に一層沈み込む。
「がはっ」
「休んでいちゃダメだろ?罰として足だな」
そう言い男は想の顎を蹴り上げ、巴の真下まで吹き飛ばす。そして爪を伸ばし、巴の脹脛を切り裂く。辺りには鮮血が飛び散り、巴の下肢は見る間に赤く染まり血は爪先を伝う。一滴、また一滴と落ちる。
「れっはいにゆるはない」
顎が砕かれ、うまく発音出来ない状態で想は睨みながら男に言った。
「くははははは。なんだ、あれぐらいの蹴りで骨が砕けたのか?やはり人は脆弱な種族よ。それにしても本当にこ奴は超越者なのか?あのお方の勘違いじゃないのか?」
「ひょうへふひゃっへなんは?」
「うるさい」
男は自身が思案しているのを邪魔され、立ち上がろうとする想を殴り飛ばす。想は十字架にぶつかり、頬にぽたっと雫が落ちるのを感じそのまま意識が薄れていくのを感じる。
男は、拳に付いた血を舐めとるがただの人間の血と変わらず怪訝な顔になる。
(これは巴の血か?ごめん巴。俺のせいでそんな目に遭わせて・・・)
赤い雫は想の頬を伝い口元に流れ落ちる。一滴、一滴。少しずつ間隔が長くなりながらも口元に少しずつ溜まっていく。無意識にそれを飲んだ想は少ししてからゆるりと起き上がり、俯いたまま男と対峙する。
「ほう。気絶したかと思ったが、起き上がれる程とはなっ」
と男の足が想の顔面に当たる前に、止まる。
「なっ」
男が驚くのも無理はなく、その蹴りは先ほどまで想に繰り出したそれよりも早く重い一撃だった。それを想は俯いたまま片手で難なく掴み止めたのだ。足を掴んだまま、ゆっくりと顔を上げた想の顔を見て男は驚きの声を上げる。
「その瞳の色は我らとも、人間共とも違う。ば、ばかな。貴様本当に超越者だというのか!くっ、離せぇ!」
想の瞳の色は反転していた。即ち、白目は黒く、黒目は白くなり、更に徐々にだが髪は黒から白へと根元から変わりつつあった。
男は左手を想に向け、火球を放つ。それを見た想は掴んでいた足を握りつぶし、迫りくる火球を回転して避け、その勢いを利用し回し蹴りを男の顔に食らわす。
「ぐはっ」
男は壁際まで吹き飛び、想を見るが目の前が暗くなり頭を掴まれそのまま壁に叩き付けられる。
「がっ」
男はそのままずるずると壁伝いに落ち、座り込む。想は無言で男の胸を踏みつける。男の目には先ほどまでの余裕や嗜虐の色はなく、ただ怯えの色だけが浮かび想を見上げる。
「か・・・数々の無礼をお許しください。まさか貴方様が真に超越者だとは思わず・・・私はあなた様の血を飲みましたが、何も変化はありませんでした。もしや貴方様は普通の人間の血へと変化させられるのですか?ぐはぁ!」
想は何も答えず足に力を籠め、胸骨を砕く。想は爪を伸ばし手首を切り、その血を男の口元に零す。男はそれに気付き痛みに構わず、舌を伸ばしより多くの血を飲もうと血を口に含み喉を鳴らし嚥下する。想は数歩距離を取り、男を観察する。
「ふははは!これが超越者の聖血。素晴らしい!力が無限に湧いてくるようだ」
男は傷が完全に癒えたのか、歓喜の表情で淀みなく喋り立ち上がる。
「ぐっ、ぐはっ」
突如、男の動きが止まり血を吐きその場に片膝を付く。
「念願の血が飲めてよかったな。どうやら俺は、血を操れるらしい」
いつの間にか全快した想の声は、先程までよりも低く静かな冷酷に満ちた声質に変わり、男に背を向ける。
「お、お待ちくださ・・・」
想に追いすがろうと手を伸ばす男の体は溶け、やがて全て消え去った。
想は、燃え広がりつつある壁に血を降り注ぎ鎮火させ、巴を下ろす。