始まり
季節は夏。どこにでもいるような平凡な高校生の早川想は、休み時間に友人の一樹と昼食をかけて紙くずを投げ、それを教科書で打った飛距離を競う遊びをしていた。
「よっしゃー!俺の方が飛んだから昼飯は想の奢りな」
「ぐっ。また負けた」
落胆する想に、クスクスと笑いながら近づく女生徒が声をかける。
「また負けたの?三連敗じゃん。想、違うゲームにしたら?」
「たまたま今週は調子が悪いんだよ。って事で、今日もおかず分けてください巴様」
「ほんと調子良いんだから。良いわよ、今日は作りすぎちゃったし分けてあげる」
「おぉ!女神よ」
と想は友人の巴の前で片膝を付き、祈る仕草でそう言った。
「はいはい。分かったからもう席に戻りなさい。そろそろ授業始まるわよ」
キーンコーンカーンコーン
予鈴が鳴り響き、各々席に戻る。
「多分。作りすぎたのはわざとだぜ」
一樹は想に耳打ちするが、それが聞こえたのか巴が睨みながら一樹の名前を呼ぶ。
「怖い怖い。じゃあ、今日のただ飯期待しているぞ」
と一樹は自分の席に戻り、期待はするなと返し想は自身の席に戻る。
その日の帰り道。想は珍しく二人の用事が重なったことから、一人で帰っていた。陽が沈み気温が下がったとはいえ、まだ半袖でもじっとりと汗をかくほどの暑さだったが、前方にまるでそこだけが真冬になっているかと思えるようにロングコートに革の手袋をつけ、ハットを深く被った人が立っていた。姿からは性別は分からないが、体格的に恐らく男だろうと思いつつもあまりの怪しさに想は距離を空け、通り過ぎようとすると
「超越者」
と言葉を発し、想が振り向くとそこに男の姿はなかった。
(一本道で消えた?それとも何かの見間違いか?超越者ってなんだ?)
そう不思議に思いながらも想は、幽霊でも見たのかと足早に帰る。
家に着くと、リビングには半年振りに見る父幽玄の姿があった。
「お帰り父さん」
「あぁ。想もお帰り」
それだけ言うと想は着替えるため自室に入る。
想の家は比較的に裕福な家庭で、大きめの一軒家で母も祖父も働いておらず、家に居るがたまに豪華な食事が出たりするが、働きに出ている父の職業は全く知らなかった。父に昔、一度聞いてはみた事があるがはぐらかされてしまった事から、父の職業は所謂、裏社会の部類なのだと想は思っていた。
「想。今日はごちそうよ」
と母楓が作ってくれた料理は確かにいつもよりも豪華で、何よりも量が四人では食べきれない程の量だった事もあり、いかに母が喜んでいるのかが窺い知れた。
「相変わらず父さんが帰って来た日は多すぎない?」
「育ち盛りの想が頑張るから大丈夫だろ」
と祖父晶は笑い飛ばす。
「いやいや無理でしょこの量は。ったく。他人事だと思ってじいちゃんは無責任な事ばかり言うんだから」
と想は頂きますと手を合わせ、箸を取る。
「うん。やっぱり母さんの手料理が一番美味しいな」
と幽玄は次々と箸を伸ばす。
「ありがとうございます。いつでもあなたの大好きな料理を作りますからね。明日は何にします?」
「そんな事より父さん。今回はいつまでいられるの?」
「多分。一週間はいられると思うがどうしてだ?いつもそんなこと聞かないだろう?」
「んー。なんとなく」
「そうか。でもな想。何となくで母さんの会話をそんなこと呼ばわりしたら、母さんが可哀想だろう?」
「あなた、優しい・・・」
「はいはい。以後気を付けます」
想はまた両親の惚気が始まりそうだったので、早々に話を切り上げた。
その夜。案の定余った料理の片づけを手伝いリビングに戻った想は、珍しく酔った父に呼ばれ縁側に座る。幽玄は月を見ながら御猪口に注いだ酒を一気に飲み干す。
「・・・想。今でも俺の仕事が気になるか?」
「・・・まぁ、少しは」
「お前はどう思っているかは知らんが、今まで言わなかった。いや、言えなかったのはお前達を危険に晒したくないからなんだ」
想はやっぱりと思ったが、ただ無言で聞いていた。
「・・・吸血鬼って知っているか?」
幽玄は月から想へと視線を移し、そう問いかける。
「・・・血を吸うって事ぐらいなら」
想は思っていた話の方向と違い過ぎて戸惑いながらも答える。幽玄は無言で頷き、酒を注いだ御猪口を口に運び再び月を見上げる。
「そうだ。この身に流れる血は正にそれなんだ。俺は母さんと出会い、血を吸いたい衝動が無くなった。だから俺は一族をこの衝動から救えると信じ国を出た。だが俺は一族の掟に逆らったとして裏切り者の烙印を押され一族の者達に日々、粛正の対象として狙われているんだ。そしてある日、奴らの一部が闇市で売れる事を知った俺は、日本で待つ母さんに生活費として振り込んでいるんだ」
あまりの非現実さに想は戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「・・・何だよそれ。真面目な雰囲気出して冗談とか笑えねぇよ」
「本当なんだ」
幽玄は真っすぐに想の目を見て答える。
「っ・・・」
その表情と雰囲気に圧され、言葉に詰まる想を見て幽玄は立ち上がる。
「まぁ、こんな話突然信じろという方が難しいか。信じるかどうかはお前に任せる。風邪ひかないうちに部屋に戻れよ、俺はこれから親父と飲むからな。それとな、想。いつか、俺が日本に来た意味を全て伝えた時に、お前が選ぶ道がどんなものであれ、俺はお前を応援するからな」
そう言い、リビングに戻って行く父の背中に想は呟く。
「意味分かんねぇよ・・・」
戸惑う想を月の光が淡く照らしていた。
二日後、一樹と別れて一人帰路についていると、またしてもロングコートの男が立っていた。男の姿に父の話がまだ消化出来ていない想の頭に、ふと吸血鬼という文字が浮かび、立ち止まり男を見るが、男は微動だにせずその上視線が見えないため気味が悪くなった想はゆっくりと後退り、来た道を駆けだすも目の前に後ろにいたはずの男が立ち塞がり、驚く間もなく想の意識は遠のいた。
気付くと想の眼下には、膝を折り頭を垂れた病的に白い肌の男女十数人ほどがいた。その異様な光景に体を動かそうとしても動かせず視線を体に落とすと、椅子に縛られている状態だった。
「超越者様」
彼らは想の目が覚めた事に気付き、立ち上がり想を超越者と呼び近づいてくる。想は猿轡をされ声を出せない代わりに、恐怖を悟られぬ様精一杯の威嚇として睨みつけるが全く通じず、眼前に立つ男が腕を振り下ろすと想の肩に激痛が走り、もう一度振り下ろすともう片方の肩に激痛が走った。痛さで叫ぶ想には目もくれず彼らはその鮮血を舐めとり、腕を振り下ろした男は想の肩を裂いたその長い爪に付いた血を舐めとる。少しすると全員が不思議な表情を浮かべ、ある者は首を傾げ、またある者は傷口に吸い付く。その痛さで想は懸命に身体を動かし逃れようとするが、強い力で押さえつけられされるがままになっていた。
血を吸われる感覚に抗えず数分経った頃、一人の男が口を開く。
「こいつは違う。なら、もう用はない」