第8話 このようにして、俺の青春の一頁にニセコイというとんでもないイベントが発生する
「なるほどねー」
話を聞き終えた識さんが、ピアスをいじりながら言う。
「つまりその小笠原さんって子に追試の替え玉を頼まれた。女装して出たはいいが、その後に身体測定があることを知らず、逃げ出そうとしたがりりこ先生につかまってしまった。それでオッケ?」
『それでオッケーです』
「でも」
でも?
「女装しただけでそこまで似るもんなの? 私その小笠原さんって子知らないから、何とも言えないけど」
あーそれは……。
『俺と一華は一応親戚同士だから』
「一応?」
『曾祖父母が一緒なんだ』
「曾祖父母ってことは、おじいちゃんのお父さんってことだよね? ほぼ他人じゃん? 私会ったことすらないんだけど」
『家が近くて、幼馴染みたいな感じだったから』
「ふーん……。まあ、大体の事情は分かった」
その後、識さんはしばらく黙考した。
俺はそんな彼女を、まるで最高裁の判決を待つ被告人のような心地で辛抱強く待った。
「分かった。とりあえず黙っといてあげる」
『本当か!? 助かる!』
「ただし条件がある」
『条件?』
ごくりと息を呑む。
『条件って、一体……』
「それはね……」
――がばっと、いきなり識さんが俺に覆いかぶさってきた。
押し倒された俺は、識さんと二人ベッドに横になった。
制服越しに感じる体温、鼓動――。
香水でもつけているのか、ほのかに柑橘系の匂いが漂ってくる。
ヴェールのように垂れた髪が、俺と識さんだけの狭い空間を作り出す。
一華は甘いお花のような香りだけど、識さんはこういう匂いがするんだな……って! そうじゃねえっ!
「ちょっ、まっ――」
「しっ、静かに」
手で俺の口を覆うと、識さんは何かから身を潜めるようにさらに密着してきた。
押し付けられる豊満な胸、そして股に入れられた健康的な生脚……。
汗に湿った制服が、互いの肌をぺたぺたと刺激する。
どくんどくんと高鳴る心臓の音が、うるさくて仕方がない!
「ベッドに誰かいる? 声が聞こえた気がしたけど」
「え? まさか。気のせいじゃない?」
カーテンの外から聞こえた会話により、ようやく俺は識さんの取った行動の意味を察した。
「ちょっと聞かれたらまずいこと話すから、耳元で話すね」
はいっ!
ぐっと顔を寄せてくる。
生温かい吐息が俺の耳元をしっとりと湿らせる。
「さっき言った条件だけど」
はひっ!
「夏木、あんた私の彼氏になってよ」
…………彼氏?
彼氏って、あれだよな?
恋人の、男の方の……。
『彼氏ってどういうこと? 何で急に』
「もちろん期間限定の、だけど」
『期間限定? つまり恋人の振りをしろってこと?』
「そういうこと」
いや、でも、そういうのは……。
苦い顔をする。
俺の反応を見た識さんが、どこかむすっとした表情で続ける。
「なに? 嫌なの? だったら今ここで大きな声出すけど」
『ちょっと待って! 理由! 理由を聞かせてくれ!』
「理由? まあいいけど」
そう言うと識さんは、俺の耳元にさらに顔を近づけた。
近い! 近すぎる!
キス寸前みたいになってる!
あと囁くたびに混じる微かなマウスサウンドが、妙に淫靡でマジでやばい!
『ちょっ、ちょっと待って。ここで話すの?』
「今ここでじゃないと、私の優位が確保できないっしょ? 断ったら、即大声出すし」
なんてことはない。
そもそも俺に選択肢などなかったのだ。
識さんの言うことに従うか、社会的に死ぬか。
考えるまでもない。
答えなど端から決まっている。
自分の運命を悟った俺は、従順な子犬のように、おとなしく識さんの話に耳を傾けた。