第78話 一ノ瀬亜里沙の執念
一ノ瀬さんは一華が好きだ。
いや大好きだ。
愛しているといっても過言ではない。
おそらくだが、人類全てと一華一人、どちらかしか救えないなら、どちらを救う? という選択を迫られたなら、迷うことなく一華を選ぶ。
そう断言できるくらいに、一ノ瀬さんは一華のことを愛している。
だったら、少しでも機会があれば、一華の所にいこうと考えるのは当たり前じゃあないか。
というかそう考えると、そもそも一ノ瀬さんが、一華の家に近い、このスーパーにいるのも怪しくなってきたぞ。
先ほど一ノ瀬さんは、弁当が安いからこのスーパーにくるんだ的なことを言っていたが、本当だろうか?
一ノ瀬さんの家ってここから近いのか?
偶然近かったのか?
そんなことってあり得るのか?
一ノ瀬さんに直接聞こうかとも思ったが、背筋に悪寒が走ったのでやめた。
ニチャアと笑みを浮かべて、ストーキングしていたのよなんて言われたら、この場に卒倒してもおかしくない。
「ねえ、私も一華さんの家にいっていいか、聞いてみてくれないかしら?」
「いや、多分だめだと思うぞ」
一ノ瀬さんが俺に一歩近づく。
「ねえ、私も一華さんの家にいっていいか、聞いてみてくれないかしら?」
「聞いても無駄だと思うし」
まるで逃げられないようにするかのごとく、がしっと俺の両肩をつかむ。
「ねえ、私も一華さんの家にいっていいか、聞いてみてくれないかしら?」
「いや、そのね……あのね……」
ぐっと、俺に顔を近づける。
はぁはぁはぁはぁと肩で息をしながら、だらしなく口を開けて。
「ねえ、私も一華さんの家にいっていいか、聞いてみてくれないかしら?」
――ち、ちけえ!
ていうか怖い! 超怖い!
美少女が台無し!
ごく控えめに言って、残念すぎる!
「わ、分かったから。ちょっと離れよ? いやほんと、近すぎて息がかかってるから」
はっと気づいたような顔をすると、俺から離れて、手の甲で口についたよだれを拭う。
そして取り繕うように軽く制服を整えてから、今一度俺へと口を開く。
「ご、ごめんなさい。つい取り乱してしまったわ。それじゃあ、一華さんに、電話よろしく」
苦笑いで応えてから、俺はスマホを取り出して、もう一度一華へと電話をかける。
一華はすぐに出た。
『もしもし。ど、どうしたの?』
「あ、一華か? ちょっとアレなんだけど」
『あれ? なにが?』
「実は今、スーパーで、一ノ瀬さんに会っちゃって」
『え……あ、うん』
「それで、一ノ瀬さんも一華の家にいきたいって言ってるんだけど、どう?」
『亜里沙が……?』
しばらく黙考した。
軽く混乱しているのかもしれない。
一華の中で、既に答えが決まっているのは明らかだ。
『い、いや。私、亜里沙には会いたくない。だって、だってだって、あの子怖いもん。京矢、断って』
「だよな。分かった。そう伝えとくよ」
『ぜ、絶対だよ! 絶対に絶対だよ!』
電話を切ると、俺は一華の意向を一ノ瀬さんに伝えた。
「だめだってさ」
「だめ? ど、どどど、どうしてかしら?」
「分からんけど、きてほしくないって言っているから、残念だけど……」
「そ、そんな……」
目から光が消えると、一ノ瀬さんは全身の力が抜けたように、その場にぺたんと崩れ落ちた。
先ほどまでしなやかだった髪は、なぜか萎びて、老人のようになってしまっている。
白い肌はさらに白くなり、病人みたいになってしまっている。
なんというかあれだ。
まるで人生に絶望した、廃人みたいだ。
「ちょっ、一ノ瀬さん、ここ店内だから。他にお客さんいるから」
「夏木くん。私、一華さんに嫌われているのかしら」
「そ、そんなことないよ?」
「本当?」
「一華は優しいから、誰かを避けるなんて、あるわけないだろ」
「そ、そうよね」
立ち上がると、手で髪をすいて整える。
「ごめんなさいね。こんな人前で、私取り乱してしまって」
お、立ち直ったぞ。
意外と単純だな。
「じゃあさっさと買い物を済ませて、いきましょうか」
「いくって、どこへ?」
「決まっているじゃない。一華さんの家へよ」
「ん? 話聞いてた? 一華はだめだって」
「一華さんの所へいって、直接聞いてみるわ。久しぶりに顔も見たいし」
「え、ちょっ――」
「とりあえずはお菓子売り場ね。一華さん、一体どんなお菓子が好みかしら……」
一人でぶつぶつ言いながらも歩き出すと、一ノ瀬さんはそのまま俺を置き去りにして、お菓子売り場へと足を向けた。
やれやれ。一体どうなることやら……いや分かっている。
一ノ瀬さんのことを本気で嫌う一華に、一華のことを心の底から愛している一ノ瀬さん。
そんな世界で最も一方通行な二人が対面したならば、間違いなく大事件が起こると。
おそらく一華は本気で嫌がり、機嫌を悪くするだろう。
一ノ瀬さんは一華から拒絶されて、また先ほどみたいに廃人と化すだろう。
ようは、
誰も幸せにならない。
皆不幸になる。
なによりもそんな気まずすぎる場面に立ち会わなければならない俺の気持ちを考えてほしい!
ということだから、俺は一ノ瀬さんに気づかれないようにあとずさると、踵を返して、慌てずに、されど急いで、スーパーから立ち去った。
あえて言おう。
人生において『逃げ』とは、優しい嘘のように、時に人を幸せにするのだ。




