第199話 猫耳メイド無双
モミモミ……モミモミ……。
「…………」
あわわわわ……ヤバイよヤバいよ。識さんの目が、マジでヤバいことになってるよおおお。
「へーこれってシリコンかなんかなん? 触った感じ、全然分かんねえわ。普通にただの巨乳って感じする」
「ガチ? そんなに?」
触発されたのか、あごひげも、テーブル越しにぐっと腕を伸ばして、一華の胸を触る。
「──!?」
「ん? あれ? こっちはおっぱい、入れてねえみてー」
「っ……」
クリティカルヒット!
一華は、顔を真っ青にすると、光のない目を落として、黒い、絶望のオーラを漂わす。
どうやら触られたことよりも、その言葉の方がショックが大きかったようだ。
言葉は、時に暴力よりも、人を傷つけることがある。
一華の気持ちを思うと、俺自身も悲しくて仕方がない!
「にゃにをするんだにゃ~……」
顔をそらして無視を決め込んでいた識さんが、ここでようやく声を上げる。
「……え?」
キャップの手をつかむと、識さんは立ち上がり、まるで挑発でもするかのように、猫っぽく小首を傾げる。
「え? ……え? 女声? つか女?」
「私は別にいいんだにゃ。我慢して、事にゃきを得るにゃら、それに越したことはにゃいと、そう思ったから。でも……」
あごひげに目をやる。
あごひげは、識さんのそのレイプ目にぎょっとしたのか、反射的に一華の胸から手を離す。
「一華はだめだにゃ。見過ごせにゃいし、許せにゃいにゃ」
「わ、わりい」
キャップは、キャップの上から頭を撫でるようにしてかくと、反省しているのか反省していないのかよく分からない、言ってしまえばどこまでも自己弁護の言葉を口にする。
「全員男だって聞いたからさ。胸だってほら、入れてると思うだろ? 普通」
「だからって、普通は勝手に触らにゃいんだにゃ」
「つか俺たち悪くなくね? よく分かんねえ嘘ついた、こいつ」
俺を指さす。へらへらとした、しょうもない笑みを浮かべながらも。
「がわりいし」
「責任転嫁はそこまでだにゃ」
「責任転嫁? なにそれどういう意味?」とあごひげが、同じくへらへらとしながらも聞いたが、識さんは一瞥さえもすることなく、華麗にスルーをする。
「答えるんだにゃ。一華に、誠心誠意心から謝罪をするか、それとも土下座をして、床に額をこすりつけるか……さあ」
「あ? なに言ってんだこいつ」
「…………」
「それどっちも同じことだろ」
キャップの声から呑気な感じが消える。
ガチな識さんの態度に、イライラしてきたのかもしれない。
「なにちょーしのってんの? ざっけん──なはっ!?」
識さんが、キャップの手を内側にひねる。
痛みが走ったのか、キャップは目をすがめて、歯を食いしばる。
「って、なにしやがる! ふざっ──」
さらに力を込めて、キャップの手を斜め上に持ち上げるようにしてひねる。
「あああああ! いてーってマジで! やめろやクソがっ!」
キャップは、つかまれていない方の腕を振り上げると、識さんの顔面をめがけて、右ストレートを繰り出す。
──!?
凶行。
暴力。
迫る拳。
キャップの拳が識さんに届く、その一瞬とも言えるわずかすぎる時間の中で──確かに俺は聞いた。
そっちが先に手を出したんだにゃ。
その間、実に0・02秒!
識さんの声は、早口でもなく、またゆっくりでもなく、不思議と頭蓋に響く、天啓のような声だった。
「なっ!?」
識さんは、脚を下げるという最小限の動きで、キャップのパンチをかわす。そしてひねり上げていた方の肩に手を置き、前方に向かっていたキャップの動きを利用して、刑事が犯人を捕える時のように、腕を返して体ごと床に押さえつける。
「がはっ!」
……え? ……えええ?
一体なにが……。
「なにしやがる!」
仲間がやられたことに感情を爆発させたのか、あごひげは叫ぶと同時に識さんへと蹴りを放つ。
左脚を軸にして、右脚で空に半円を描くような、そんな大振りな蹴りを。
「!?」
空を蹴ったあごひげの脚が、硬い音を立ててテーブルに当たる。
そう、よけたのだ。
識さんは、あごひげの脚が、彼女に届く寸前で、猫みたいに身をかがめることにより、かわしたのだ。
「にゃってにゃいにゃ」
「は? ……え?」
「攻撃は最小限の動きで、突く──だにゃ」
レイプ目のままで、にやりと笑みを浮かべると、識さんはあごひげの軸足に手を添えて、そのまま斜め上へと、手を払うようにして投げ倒す。
「がっ! あああ……あ……」
床に体をぶつけたあごひげは、しばらく呻き、床の上を何度か転がってから、観念したように動きを止める。
ちょっ……え?
やっつけた?
識さんが?
二人も?
え?
駆け巡る疑問。
湧き上がる困惑。
だがそんな俺の気持ちなどいざ知らずといったていで、最後の一人、バリアートの男が識さんへと立ちはだかる。
「よくもやってくれたな。女だからって容赦しねえぞ」
「にゃにを言ってるんだにゃ。それはこっちのセリフだにゃ」
「あ?」
「男だからって、容赦しにゃいんだにゃ」
ビキビキっと、バリアートのこめかみに青筋が浮かぶ。
「殺す」
バリアートは、ズボンのうしろポケットからバタフライナイフを取り出すと、くるくるっと回して刃を出す。
「ぶっ殺す!」
ナイフ!?
こりゃーいかんでしょ! 色々アウトすぎるっしょ!
止めないと! 止めないと大変なことになる!
無我夢中で、とにかく俺は識さんの前に立つ。
両腕を広げて、まるで守るような格好で。
「京矢?」
「お願いです! やめてください! 謝りますから、そのナイフをどうかしまってください!」
「…………」
バリアートは、無言で俺を睨みつける。
よく見たらこの男、妙に瞳孔が小さい。
たくましいがたいとは裏腹に、変に頬がこけているし……マジでヤクでもやってんじゃあないのか?
「本当にすみません。だからどうか許し──」
謝罪の言葉を口にした次の瞬間、俺は識さんに肩を引かれて、うしろに投げ飛ばされる。
突然というのもあるが、なによりも勢いが強かったので、俺は転んで、床に尻餅をついてしまう。
つるつると滑り、ようやく止まったのは、元いた地点から二メートルも後方。
若干距離があき、俯瞰できたのもあり、一体なにが起こったのか、俺は目に映る光景で、一瞬にして理解する。
バリアートにより突き出されたナイフ。
そのナイフは、つい先ほどまで俺のいた、ちょうど顔の辺りで、冷たく静止している。
「はあ……はあ……」
識さんが俺をうしろに引いてくれなかったら……今頃…………。
自ずと、バリアートのナイフが俺の顔に突き刺さる光景が思い浮かぶ。
ぼたぼたと、床にこぼれる大量の血。
ナイフが脳に届いて、おかしくなり、がたがたと体を震わせる俺。
……はあ……はあ。
手が、小さく震えている。
命にかかわる激しい恐怖に襲われた時、人は本当に手が震えるんだなと、俺はこの時、思うではなく思った。
「一線を、越えたんだにゃ」
「その口調やめろ。マジで腹立つ」
「無理だにゃ。というか、関係にゃいんだにゃ」
「ばかにしやがって」
ナイフを持った手に力を込めると、バリアートは識さんを突く。
対する識さんは、冷静に見極めて、バリアートの手を左へ、そして右へと、次々と払ってゆく。
「くっ……なんで当たらねえ。クソがっ」
バリアートの動きが、唐突に大胆になる。
だが肉弾戦において大胆な動きとは、ようは冷静さを欠いたことに他ならず、動きが大きければ大きいほど、相手に隙を与えることと同等だ。
もちろん識さんは、そんなバリアートの隙を見逃さない。
一気に間合いを詰めると、バリアートのあごを目がけて、アッパーのような、掌打を食らわせる。
「ぐはっ」
もう一発、次は腹へと肘鉄。
「……それで終わりか?」
「!?」
ナイフを、頭上へと振り上げるバリアート。
そしてそのまま、まるで剣を振り下ろすようにして、識さんを斬りかかる。
──ヤバい!!
「にゃったら……」
識さんは、体を回転させながらも、間一髪のところでナイフをかわすと、猫特有の絶妙な体幹を駆使して、バリアートの首筋に、回し蹴りを叩き込む。
まるで全盛期のジャッキーみたいだ。
──やったか!? ……あっ、これ言っちゃだめなやつだ!
フラグが回収されたのか、識さんの頭上から「!?」の感嘆符が飛び出す。
「つーかまーえた」
バリアートが、ぎろりと識さんを睨む。
識さんの足首は、バリアートの手により、しっかりとつかまれている。
形勢逆転……そんな言葉が、俺の脳裏によぎる。
バリアートは、明らかに、自分のパワーをアドバンテージにしていた。
識さんは、女性特有のしなやかさ、ようは身軽さを武器にしていた。
そんな識さんから、その一番の武器である身軽さを取り上げてしまっては、勝てる勝負も勝てなくなる。
……万策尽きたのか? 万策が尽きてしまったとでもいうのか?
「チェックメイトだぜ。子猫ちゃん」
バリアートは、いい言い方をしたならば『古典的』、悪い言い方をしたならば『寒い』セリフを吐くと、手のひらでくるりとナイフを回して逆手持ちにして、がらあきになっている、識さんの脇腹へと振り下ろす。
「にゃったら」
呟くと(その間、実に0・01秒!)、識さんは軸足にしていた左脚に力を込めると、勢いよく床を蹴る。
右脚は、バリアートによりしっかりとつかまれているので、それを起点に、バランスを崩すことなく、空中に浮き上がった状態になる。
誰もいない、なにもない空を、虚しくも通過する、バリアートのナイフ。
識さんは、空中に浮いた脚を、まるで振り子のようにぶん回して、硬い硬い爪先部分で、バリアートのこめかみ付近を蹴りつける。
「──!?」
時が……止まった。
いや、止まったのは男の動きか。
識さんは両手を床につき、バク転をしながらもバリアートから距離を取ると、正中線をそらす、どこか武術っぽい構えで、次の相手の出方をうかがう。
「…………」
「にゃ?」
カランと、手からナイフがこぼれ落ちる。そしてそのまま両膝を床につくと、バリアートは頭から床へとばたんと倒れ込む。
……どうやら、気を失ったみたいだ。
屍のように、ぴくりとも動かない。
「……勝った……のか?」
やっとの思いで立ち上がると、俺は一歩二歩と近づき、バリアートを見下ろす。
「だにゃ」
「識さんが……やったのか?」
「だにゃ」
「いやいや! だにゃじゃないし!」
溜まりに溜まった困惑が、堰を切ったようにあふれ出す。
「なにあれ!? なんであんな動きができるの!? ジャッキーチェン?? ジェットリー?? トニージャー?? ワイヤーは一切使いません! CGは一切使いません! ってか!? もしかしてトリニティーの後釜狙ってる!? ハリウッドデビューが近いとかそんな感じ!?」
「落ち着くんだにゃ。そんにゃんじゃにゃいんだにゃ」
「じゃあなに!?」
「にゃんというか……」
言葉を探すように、天井を見上げる。それから顔を落とすと、メイド服のスカートを指先でつまみ、軽く持ち上げる。
「多分、このメイド服のせいにゃんだにゃ」
「言っている意味が、よく分からないのですが……」
「私もよく分かんにゃいんだけど、このメイド服を着ていると、力が湧いてくるというか、普段にゃらできにゃいような動きが、できるようにゃ気がしてくるんだにゃ」
つまり、メイド服には美少女を、武術の達人にする効果があると?
……なるほど確かにそうかもしれない。
漫画とかアニメとかだと、メイド服を着ている美少女って、やたらに強いもんな。筋骨隆々なガチムチ野郎とかを、目にも留まらぬ鋭い動きで、瞬殺してしまうぐらいに。
……でもちょっと待てよ。その理論だと、俺も強いってことにならないか?
学生服を着た、普段は大人しい陰キャラ美少女も、実は超強いっていうのは、テンプレといえばテンプレだし。
……お? おおおおおおっ? そう思ったらなんか、俺も力が湧いてきたような気がするぞ! 今だったらバク宙だろうが空中回転回し蹴りだろうが、なんだってできる気がする!
「でもこれで」
スカートから手を離すと、識さんはエプロンを叩いて、軽く服を整える。
「純については、解決したんだにゃ」
「だね」
なんといっても超喧嘩慣れしていそうな野郎三人を、識さんがたった一人でやっつけたんだ。純なんてこてんぱんのぼっこぼこだぜ。
なんならこの俺が相手をしてやってもいい。陰キャラ風制服美少女の真の力を見せてやんよ。
おらおら! シュッシュ! シュッシュ! ディクシディクシ!