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第196話 最終目的地へ

 多目的トイレから出ると、そこには麦わら帽子に白のワンピースを着た、桃源郷のような少女一華が、ベンチに座って待っていた。

 一華はベンチに手をつき、脚をぶらぶらさせて、顔を落としている。

 なぜか頬を、餌を詰め込んだリスみたいに、ぷくーっと膨らませている。


「おまたせ」

「…………」

「どうした一華? もしかして怒ってる?」

「べ、別にぃー……」

「怒ってるよな?」

「お、怒ってないしぃー……」

「やっぱり怒ってるし」


 一華の隣に座ると、俺は耳に手を当ててぐっと顔を寄せる。


「よかったら聞かせてくれ。な?」

「だ……だから……」

「おう」

「だから……ひ、日和とぉ……個室でぇ……」

「え? なに? よく聞こえない」

「だったら……私がぁ……」

「は? もっと大きな声で」


 ぐぐぐと、さらに一華へと顔を寄せる。


「だ……だから……スゥー……」


 すぅー? 息を吸う音? なんで? え?

 ……あ。これ、アカンやつや。


「──個室で! 二人で! ハレンチ!!」


 キイイイイイイインンンンー…………。


 右耳から左耳へと、音波が突き抜ける。

 突き抜けた音波は、地球を一周して、また俺の右耳に戻ってくる。

 もちろん比喩であり、単なる心象表現ではあるが、それぐらいに、一華の声は、俺の脳を揺るがした。


 あああぁぁぁぁああぁぁ脳が震えるうううぅぅぅぅううぅぅ。


「にゃんだにゃ? もしかして一華、うちらにやきもちを焼いているのかにゃ?」

「──ちっ、ちが!」

「個室のトイレに京矢と二人きりで入って、にゃかにゃか出てこにゃいから、色々と想像をしてしまったのかにゃ?」

「だ、だから、ちがっ……うう」


 どう答えたらいいのか分からないのか、一華はぎゅっとスカートを握ると、肩をすくめてうつむいてしまう。


「安心するんだにゃ。少し時間はかかったけど、特になにもしていにゃいんだにゃ。ただ、着替えのお手伝いをして、化粧を施しただけにゃんだにゃ」

「ほ……ほんとぉ?」

「ほんとだにゃ。一華が心配するようにゃことは、なにもしていにゃいんだにゃ」

「ちょっと待ってくれ」


 識さんの言葉で気になったところがあったので、とっさに俺は割り入る。


「一華が心配するようなことって、一体なんだ?」

「うっ……それは……」


 顔を真っ赤にすると、一華は手をもじもじとさせつつもうつむく。


「なあ。一体なんだよ? 教えてくれよ。なにが心配だったんだ? なあ」

「も、もういいでしょ! しつこい!」


 ベンチから立ち上がると、一華はまるで逃げるように、改札へと歩き出す。


「きょ、京矢なんか……し、知らない! 知らない知らない知らない!」


 やはりというかなんというか、両頬をリスみたいに膨らませたままで。


 改札から出ると、俺たちは燦々と輝く太陽の光に目を細めながらも、目の前に広がる光景へと、視線を送る。

 中央が駐車場になった、比較的大きなロータリーに、ご当地グルメを前面に押し出した、飲食店の数々。歩道には、『ようこそ北湯沢へ』と書かれたのぼりが、大体等間隔で設置されており、それら全てが、風に煽られて同じ方向にはためいている。

 平日であり、またお盆などの大型連休の時期ではないので、観光客はちらほらとしかいないが、じきにくるだろう繁忙期に備えてなのか、土産屋の店先には、まんじゅう、クッキー、せんべい、なによりも名物『湯沢の月』の箱が、これでもかというぐらいに山積みにされている。

 風に乗り、醤油の焦げる、香ばしい匂いが漂ってきたが……残念ながらも今はそれどころじゃあない。とにもかくにも湯乃華温泉へとゆき、憎き大悪党渡辺純から、我が最愛の妹、くるみを、なんとしても奪還しなければならないのだから。


「……ええと、ここからは……」


 ルートを調べようと、スカートのポケットに入れたスマホへと手をやるが、それよりも早く、識さんがそらで応える。


「バスなんだにゃ。ここから湯乃華温泉までの直通バスがあるみたいにゃから、それに乗るんだにゃ」

「バスか。……なるほど」


 その行き着く先が、ツイッターのあの写真にあった、虹の架かった駐車場──


「……いこう。目指す場所は、もう目と鼻の先だ」


 バス停は、ロータリーの外周に沿って、いくつか点在している。行き先は、親切にも分かりやすく、歩道にでかでかと白線にて書かれている。


「こ……ここ。書いてある。湯乃華温泉行きって」

「おお。駅の目の前か。さすがは目玉路線」


 時刻表に歩み寄ると、俺は次のバスの時間を確かめる。


「本数は一時間に四本か。ええと、次のバスは……」


 そうこうするうちにも、車両前面に『湯乃華温泉』と表示されたバスが、俺たちの前に滑り込んでくる。

 俺たちは互いに頷き合うと、示し合わせたわけではないが、俺を先頭、識さんを後尾に、颯爽とバスへと乗り込んでゆく。


「……す、涼しい」


 席に着くと、一華は麦わら帽子を取り、肩をすくめつつも、ひとりごちる。


「外……暑かった……から」

「だな」


 俺は一華から麦わら帽子を受け取ると、優しく撫でるようにして、一華の髪を整えてやる。


「あ、ありがと」

「ああ」

「でも、京矢も……」

「ん?」


 肩をすくめたままで、俺の太ももに手をのせると、一華は上目遣いでのぞき込み、そっと手をやる。


「頬に、髪……かかってる」

「あ、ああ……すまん」


 ウィッグ……というか女装に、慣れてきたのか? いつもなら長い毛が邪魔で仕方ないのに。

 ……いや、違うか。

 おそらくは焦り、緊張、極限ともいえる心理状態のせいで、些細なことに気が回らなくなっているんだ。

 これはよくないな。これはよくない。

 今この時は、些細なことを見落とす程度で済むかもしれないが、本番……ようは純、なによりもくるみを前にした時に、その些細な見落とし、間違いのせいで、致命的な崩壊につながることだって、あるかもしれない。

 そうなってしまっては、後悔してもしきれない。

 世の中、大体間違いというのは、もう大丈夫だろうと気を抜いた時、ようは終盤、最終局面で起こってしまうと、相場が決まっているのだから。

 だからこそ俺は、今こそ、今まで以上に、クールな頭でいなければならない。

 ……いなければならないんだ。


 バスが発車すると、外の風景は町中から山道に、すぐに変わった。

 進行方向の左側には、コンクリートで固められた崖の上に、鬱蒼とした木々が迫り出している。右側には、ごつごつとした岩を縫うようにして流れる、流れの激しい川が飛沫を上げている。

 時折道路脇に、『そば・うどん』と書かれた飲食店の建物が姿を現したが、どれもこれもサビの浮かんだシャッターが下りており、その上には、なんらかのメッセージの書かれた、雨でぱりぱりになった紙が、虚しくも無念に貼られている。

 湯乃華温泉は結構有名だと細谷は言っていたが、個人店に関しては、有名無名に関係なく、厳しい世の中なのかもしれない。不況の波は、中央ではなくて末端、光ではなくて陰の部分から、徐々にひっそりと、侵食してゆく。


 二十分ほど走ったところで、運転手の気だるいアナウンスが車内に響き渡る。


『まもなく、湯乃華温泉、湯乃華温泉。お手荷物、お忘れ物ございませんよう、十分にお気をつけください』


 バスを降りると、まず目に飛び込んできたのは、バスの停留所兼、土産屋兼、飲食店の、大きな建物だ。建物は白の漆喰の壁に焦げ茶色の木の柱と、どこかアルペンルートとかにありそうなヨーロッパ調をしている。にもかかわらず出入り口の脇には、古き良き時代の日本の夏を思わせる、日よけの大きな立てすだれが立てかけられている。

 すだれに絡みついたアサガオのつるといい、風に揺れてりんりんと鳴る風流な風鈴の音といい、ここは桃源郷かなにかなのだろうか。

 まあここは観光地なので、日々の忙しさを忘れさせる一つの要素として、あえてノスタルジーな雰囲気を醸し出しているということは、少なからずあるかもしれないが。


「なんかこの感じ……懐かしいな」


 風になびくウィッグの髪を押さえながらも、俺は呟くようにして言う。


「な、なにが?」


 同じく麦わら帽子を手で押さえる一華が、チラリと俺に視線を送り聞く。


「『ザ・観光地』にきたって感じが。中学になってからは、家族とそういう所にいかなくなったから」

「わ、私も。観光っていう観光は、小学の時が最後……」


 ──はっ。それって……俺のせいでいじめられて、引きこもったから……。


「い、一華」

「ふえ?」

「ごめ……」


 すぐに言葉を呑む。


 バカか俺は。

 ついこのあいだ、一華と約束をしたばかりじゃないか。

 小学の時のあのできごと、それにまつわるあれこれでは、もう絶対に謝らないって。


「……いや。なんでもない」

「…………」


 一華が黙ったので、俺は言い繕うためにも、言葉を継ぐ。


「だったら」

「う……うん?」

「これからは、いっぱい思い出を作っていこうぜ。一緒に色んな所に出かけてさ」


 生徒会とか、結構友達できたし、一緒に皆で出かけて。


「い、いいい、一緒?」

「あ? ああ……一緒だ」


 一華は、もう一度小さな声で「一緒……」と繰り返してから、顔を落として、手をもじもじと絡める。


 ちょっと顔が赤い?

 暑いのかな? 疲れたのかな? ……いや! もしかして怒っている!? おめえがいるならいきたくねえ! って。


 とほほ……。

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