第194話 夏×ひまわり×白のワンピース×麦わら帽子×黒髪ロング
目的地の駅に着いたのは、それから数十分後の、午前十時過ぎのことだった。
出発から到着までの時間は、大体四時間ほどだ。
路線情報のアプリで、出発と到着の駅を逆にして検索をかけてみると、どうやら終電は十八時過ぎのようで、これに乗り遅れたら、本日中に帰ることができなくなり、タイムリミットを迎えてしまうということになるみたいだ。
最悪親には、くるみの発見・確保の旨を電話で伝えればいいが、まあ明日の林間学校には確実に間に合わないだろう。
なんてことはないさ。くるみが戻ってくるなら、学校行事の林間学校なんてくっそどうでもいいし。
電車から降りると、俺たちは跨線橋(ホームとホームを結ぶ、あの屋根のある歩道橋みたいなやつ by Wikipedia)の階段を上り、夏の日差しに燻製にされながらも、改札側のホームにやってくる。そしてそのまま案内表示に従い、トイレへと足を向ける。
「なんていうか、田舎って感じの駅だよな」
歩きながらも、俺は辺りを見回す。
「どこまでも続く、手仕事感漂うホームの通路。脇に並べられた朝顔の植木鉢。セミの鳴き声。背景の山々」
「あとは入道雲……とかかにゃ?」
「まさしく」
さらに言えば、白のワンピースに麦わら帽子をかぶった、黒髪ロングの美少女とかがいたら、完璧なんだけどなあ。まあ、それは求めすぎってところか。
さすがは有名な観光地の駅。トイレは清掃・管理のいき届いた、非常にきれいなものだった。自動扉まではついてはいないが、赤外線センサーの自動蛇口に、赤外線センサーの自動泡状ハンドソープ。そして極めつけは、その場で手を乾かせる、またもや赤外線センサーの、自動ハンドドライヤー。
男性用の小便用便器は、なんとエコロジーな無水便器。水で流さなくてもしっかりと流れて衛生的な、そんな最新テクノロジー便器だ。ちょっと臭いけど。
「よかった。多目的トイレもあるな」
がらがらと、戸を開けてから中をのぞく。
「じゃあ一華、脱いできてくれ」
「そ、そんな当たり前みたいに……言わないで」
「いや……か?」
「きょ、京矢のためなら……するけど」
中に入ろうとして、ふとなにかに気づいたように顔を上げる。
「あ、でもでも……着替え、ない。脱いだあとの」
「まあ、俺の服? とか。女の子がボーイッシュな格好をするのは、別に問題ないだろうし。逆はアレだけど」
「でもでも……どやって? お互い脱いで……下着姿になって……」
「どうやって?」
ああっ。そっか。交換する服は、お互い今着ている服しかないわけだから、必然、一度二人が同時に下着姿にならないといけないのか。
そうするとどうする? 俺が多目的トイレに入って、一華が女性用トイレに入って、そこでお互い服を脱いで、その服を識さんに運んでもらうとか?
ええい! 回りくどくて面倒くせえ!
「よしじゃあ、一緒に多目的トイレに入るか」
「な、ななな、なに言ってるの!? だ、だめ!」
「別にいいじゃん。昨日の夜は、お前パンツ姿で一緒に寝たし」
「あ、あああ、あれは! 恋人ごっこ! 罰ゲーム! だから! だから! うう……」
「それについては大丈夫だにゃ」
にやりと犬歯を光らせた識さんが、エプロンのポケットから上田さんの物と思しき白のワンピースを取り出す。あとついでに麦わら帽子も。
って、え!? 麦わら帽子!? それ入んの? そこに?? 四次元ポケットかなんか?
「もしもの時を思って、上田お嬢様からお借りしてきたんだにゃん」
ナイスだ識さん! これで田舎の理想郷が超完璧になった!
「ひ、日和……ありがと。じゃ、じゃあ……着替えてくる」
識さんからワンピースと麦わら帽子を受け取ると、一華は一人で多目的トイレの中へと入ってゆく。
着替えに時間がかかっているのか、なかなか出てこなかったので、俺と識さんは近くにあったベンチに腰を下ろして、一華が出てくるのを待った。
というか暑い……。ホームが風の通り道になっているのか、空気の流れはあるにはあるのだが、それでもじわりじわりと汗が浮かんでくる。
というか長袖ロングスカートの、本場のメイド服に身を包んでいる識さんは大丈夫なのか? 絶対に暑いよな。熱中症にでもなったりしたら大変だ。ガチでシャレにならん。
「識さん、大丈夫? その格好、暑くない? なんなら識さんが、あのワンピースか、もしくは俺の服を着てもよかったんだよ。あ、俺の服は、嫌じゃなかったらって話だけど」
「大丈夫だにゃ。全然全く暑くにゃいにゃ」
すっと首を動かして、その全く笑っていないレイプ目を俺に向ける。
「全然全く暑くにゃいのだにゃ」
本当か? あ、でも確かに、汗一つかいてないな。
天から降りてきたメイドの精神が、暑さという自然現象をも、凌駕してしまったとでもいうのか?
洗脳って……恐ろしいすげえ……。
「それに……」
涼し気なレイプ目のままで、識さんがうっすらと口元に笑みを浮かべる。
「それに?」
「罰ゲームは絶対だにゃ。にゃから、この衣装を脱ぐわけにはいかにゃいのだにゃ」
「絶対って……」
「ばれにゃきゃいいでは、すまされにゃい……つまりそういうことにゃんだにゃ」
「どうしてそこまで……」
聞こうとしたところで、着替え終わった一華が、多目的トイレから出てくる。
一華の姿を見ると、つい先ほどまで俺の中にあった、罰ゲームに対する疑念とか、聞きたかった言葉とか、確認したかった真相とか、それら諸々全てが、一瞬にして、どこかはるか彼方に吹っ飛んでしまう。
そよ風に揺れる長い黒髪。白のワンピースからのびる白い腕に、これまたすらっとした白い脚。つばの広い麦わら帽子は、絶妙にも片側に小さなひまわりの飾りがあしらわれており、また同時にあどけなさを表すように、つばの一部が波打ち、しなっている。
少女と大人の中間……それはまさしく切なさの体現であり、時の有限さ、有限であるが故に美しいのだという真理を、そこはかとなく、だが強い感情をもってして、諭してくれる。
ああ……俺は今、郷愁を目にしている。これは遠い日に起こった奇跡だ。もう戻らない日に起こった、あまりにも愛おしすぎる……記憶だ。
あまりの感動に泣き崩れそうになっている俺を横目にしつつも、一華がどこかあたふたと、自分自身の格好を見る。
「こ……これなんか……恥ずかしい」
「そうかにゃ? とってもかわいいと、思うけどにゃ」
「き、生地薄いし……透けそう。腕も……で、出すぎ」
「ふにゃー……。じゃあ」
識さんは、一華が手に持っていたカーディガンを取ると、広げて、そっと肩にかける。
「これにゃら、大丈夫だにゃ」
「ひ、日和……ありがとう」
照れるように顔を伏せると、麦わら帽子のつばをつまみ、そっと顔を隠す。
うおおおおおグッド! 色白のワンピース美少女がカーディガンとかって、これなんの病弱系ヒロイン? 儚さが増して、より守ってあげたくなる感が増したのですが!
「じゃ、じゃあ次、京矢」
はい、と言いつつも一華が、きれいに折りたたまれた制服を、俺へと差し出す。
俺は受け取ると、もはや間髪を容れずに鼻を押し当てて、くんかくんかする。
ん? ちょっと汗ばんでる? でもしっかり一華の匂いがするぞ。ああ落ち着くー。
「だ、だだだ、だめええええ!」
ぽかぽか。
「な、なにしてるの!? 変態! この……変態変態変態!」
ぽかぽか。
「ははは。別にいいだろ? どうせ着るんだし」
「そういう問題じゃない!」
「じゃあどういう問題なんだ?」
「そ……それは……きょ、今日暑かったし……移動長くて、汗とか結構かいたし……だからだから……に、におい、とか……うう」
「ああ。全然大丈夫。むしろいい匂いだから。ずっと嗅いでいたいぐらいだ」
くんかくんか。
「そ、そういうとこ!」
「それよりも……」
ふと、俺はあるミスに気がつき、顔を落とす。
「にゃんだにゃ?」
「いや、長い黒髪のウィッグを、持ってくるのを忘れたなって」
「ふにゃ。まあ、京矢にゃら、髪を少しいじれば問題にゃさそうだけど……」
エプロンに手を突っ込み、しばらくあさってから引き抜くと、なんとにょきにょきと、黒髪ロングのウィッグが出てくる。
やっぱりそれ、四次元ポケットかなんかですよね?
「どうするにゃ? 今回は、相手を最後までだますというわけじゃにゃいから、にゃくてもいいとは思うけど」
「いや、せっかくだから使わせてもらうよ。完璧に一華になりきるからこそ、説得力が増すっていうのもあると思うし」
「その熱意に、感服だにゃ。じゃあ……」
にょきっと、四次元ポケットからポーチを取り出す。
「本日は、化粧もするんだにゃ」
「化粧? さすがに化粧はいいよ」
「だめだにゃ。京矢は一華よりも出歩く頻度が高いぶん、若干だけど肌が焼けているんだにゃ。それに目も、もう少しだけくっきりさせた方が、にょりおんにゃにょ子っぽくにゃるんだにゃん」
うん。まあ……確かに。
「じゃあお願いしようかな」
「決まりだにゃん。さあ入った入った」
識さんが、俺の背中をどんと押す。
「え?」
力に負けて、一歩二歩と多目的トイレの個室内に入ると、背後からがちゃっと、錠の掛かる音が聞こえる。
「って、なんで識さんも入ってんの?」
「にゃんでって、私はメイドにゃんだにゃ。お着替えを手伝うのは当然だし、メイクも外でやるわけにはいかにゃいんだにゃ」
「着替えの手伝いって……いやいいよ! 一人でやるから!」
「うにゃ? どうしてそんにゃに恥ずかしがっているのかにゃ?」
「いや……それは……」
「もしかして、あらぬことを考えているとか、そんにゃ感じなのかにゃ?」
「か、考えていないよ? ほんとだよ?」
「ほんとかにゃ? ただ着替えるだけにゃら、恥ずかしいって感情、わかにゃいと思うにゃ」
ぐぬぬ……確かにそうかもしれない。恥ずかしがる……焦る……ということは、つまりはそういうことを考えてしまっているという証左になり得るかもしれない。
だったらここは、冷静に、着替えを手伝ってもらうのなんて超普通だしー、つか所詮はただの着替えだしー……と、堂々としているのが得策か。
俺は一華から預かった制服を識さんに渡すと、両手を腰に当てて、ドヤ顔で目をつむる。
「じょ、上等だ。さあ俺を着替えさせてくれ。さあ」
「承知だにゃ」