第188話 闇に轟く甲冑の音
──え? 金属音? 足音?
一華も気づいたのだろう。浅い眠りから急速に覚醒へと向かうと、きょろきょろと、張り詰めた闇へと視線を送る。
カシャ……カシャ……。
もう一度聞こえる。今度は二回……はっきりと。
「な、ななな、なに……?」
「分からない。……下からか?」
一つの本当と、一つの嘘をついた。
本当は、階下から聞こえたという事実。
嘘は……分からないという、一華への返答。
というかおそらくは、一華も気づいているのだろう。金属音……足音……それは、先ほど映画の中で聞いた、あの歩き回る甲冑の音に酷似していると。
カシャ……カシャ……。
またまた聞こえる。
一華は小さく叫び声を上げると、俺の腕に抱きつく。
「きょ、京矢……怖い……怖い……うう……」
「だ、大丈夫だ。俺がついてるだろ?」
「そ、そうだけど……ひっ」
再びの足音。
驚いた一華が、俺の体にがっつりと抱きつき、胸の辺りに顔を埋める。
ややややや、やっべえええええええええっ!
やべえっすよ一華さん!
俺の理性がやっべえっすよマジで!
「こ、こここ、これ……あれだよね? 映画の甲冑の……」
「ああ。そう聞こえるな」
「無理! 無理無理無理! 京矢! ううう……京矢!」
相当に怖いのか、一華は自分の生脚を、俺の脚に絡ませるようにして回す。
はたからは見えないが、布団の下は、添い寝だいしゅきホールド状態になっている。
「……確か」
「ふえ?」
「一階の廊下の突き当たりに」
「う、うん」
「あったよな」
「なにが?」
「たくさんのアンティークに紛れて、本格的な甲冑が」
「ひゃっ──ない! 嘘! ないない!」
「いや、確かにあったぞ。だとするとそれが……」
それが? とでも聞くように、口を半開きにした一華が、うるうるとした目を俺に向ける。
「誰もいない一階を、歩き回ってるってことか? ほら、丑三つ時って、そういう時間帯だろ?」
「ううう……ぐすん……ひっく……」
一華が、肩を震わせながらも、泣き始める。
「京矢……いじわる……」
「わああわるいわるい! まさかそんなに怖がるとは思わなかったから」
俺は指で一華の目を拭ってやると、安心させるようにぎゅっと抱きしめて、頭を撫でる。恋人がするだろう、それのように。
「じゃあ俺、ちょっと下の様子見てくるから」
一華が落ち着いたのを確認してから、俺はベッドから出て、言う。
「ふえ!? い、いいい、いかないで……!」
「でもこのままってわけには、いかないだろ?」
「い、いや! 一人にしないで! いやいや!」
「わがままを言うなよ」
「言う! 私わがまま言う! 権利ある!」
「権利?」
「だ、だって……だってだって……」
ベッドの上にお尻からぺたんと座り込んだままの状態で、一華はぎゅっと布団を抱きしめる。
「今は……私と京矢……恋人……だもん」
恋人……。
恋人恋人恋人……。
ああ! なんて甘美な響き!
キスしてええええええ!
つかおっぱい触りてええええ!
つか●●●を●●●●してええええ!
つか●●で●●●●●、●●●してええええ!
──でもだめだ!
罰ゲームにつけこんでエロいことをするなんて、人として最低だ。
現実は、一華は俺を恨んでる。いや、憎んでる。
そんな一華を俺は、支えたいと思ってる。過去の罪を、一生かけて償いたいと、そう思ってる。
それ以上でもそれ以下でもない。
それでいいじゃないか。それのなにが悪い。
先ほど……いやもう何度も、一華は俺に言った。
『京矢は私のモノだ』と。
上等だ。
むしろ最高だ。
それでいい。俺は一華のモノでいい。
利用するだけ利用して、いらなくなったら捨ててくれて構わない。
ただしそれまでは、徹底的にどこまでも、一華に奉仕して、償い倒してやる。
「そうだ。俺と一華は、今は恋人だ。そして一生、俺は一華のものだ。だから俺は、一華のために、今のこの状況をなんとかしないといけない。だから一階から聞こえてくる足音の正体を暴いて、一華を安心させなければいけない。分かるだろ?」
「う、うん……分かる。それは、う、嬉しい。で、でも……」
腕を伸ばして、俺の手を取る。
「一緒がいい。京矢がいくなら、私もいく。きっとそれが……恋人」
「一緒って……いいのか?」
「うん。そ、それに、ここで京矢が一人でいっちゃうと、わ、私……殺される。映画だと、そう」
確かに、今の状況はどことなく、先ほどの映画のワンシーンに似てるな。
部屋でヒロインが寝ていて、足音が聞こえて、様子を見に一人で部屋を出ると、甲冑に追い回されて、色々あって部屋に戻ると、ヒロインの姿がなくなっている。
そんなこと現実ではあり得ないが、一応フラグは折っておかないとな。
「じゃあ、一緒にいくか」
「う、うん。共同作業」
その表現はちょっと違うと思うけど。
「……あと」
ベッドから出て、腕を絡めてきた一華へと、俺は言う。ぽりぽりと、頬をかきつつも。
「ふえ?」
「パンツ……超見えてるぞ。スカート、履けよ」
「──!?」
目を見開き、口をふにゃふにゃにして、顔を真っ赤に紅潮させる。
「エ、エッチ! 京矢! エッチ!」
──バチン!
り、理不尽にもほどがある!
ドアを開けて廊下に出ると、俺と一華は足音を立てないように慎重な足取りで、階段へと向かう。
階段に着くと、俺はそこで一度立ち止まり、夜の闇に沈む階下へと、ごくりと喉を鳴らしつつも、視線を送る。
甲冑の足音は……聞こえない。でもなにか、空気の動きというか、第六感が捉えるというか、そんな気配のようなものを感じる気はする。
いくしかない。この目で見て、確かめるしか……。
意を決して、俺は階段へと踏み出す。
夜の涼しい気温に湿度が上がっているのか、あるいは単に湿気が下層に滞留しているだけなのか、階下は先ほどまでいた二階と比べて、じわっと湿度が高かった。
おまけに俺の腕には、これまた温かいかわいいの生物、一華がまとわりついている。
肌と肌の直接触れ合う部分には、自ずと汗が浮かび、どこかぺとぺととした感じになってしまっている。
一華は気にならないのだろうか? 汗と臭いって、女子高生がオタクの次に嫌うもんだろ? と思ったが、どうやらそれどころではないようだ。
一華は「はあ……はあ……」と息を切らしながらも、泣きそうな顔で辺りをうかがっている。
「一華。大丈夫か?」
「ううう……だ、大丈夫」
「強がるなよ。手、震えてるじゃん」
「ご、ごめん」
「さあ、俺のうしろに」
「あ、ありがと」
一華は、両手で俺の手を取り、俺のうしろに隠れる。そして小動物のようにちらりと顔を出すと、俺の背中に体を寄せる。
「じゃあ、いくぞ。まずはこの先にある、甲冑を確かめるんだ」
暗い、妙に長く感じる廊下を、どこからともなく差し込んだ外の薄い明かりを頼りに、俺と一華は進んでゆく。
壁際には大きなアンティークが、足元には細々とした雑貨・宗教グッズのような物が、無秩序かつ膨大に散乱しているので、ただ進むという行為だけでも、一苦労だ。
象の置物。でかい顔をした木像。お香を焚く、金属の容れ物。ドリームキャッチャー。額縁に入れられた長くて細かい呪文のような文字……。闇夜の中で見るそれらは、まるでお化け屋敷の中にある小道具のように、俺たちを本気で怖がらせにかかってくるかのようだ。昼間でもちょっと不気味だなと感じたのだから、なおさらだろう。
「ついた。ここだ」
記憶していた場所についたので、俺は辺りを見回す。
しかし甲冑は見当たらない。
「あれ? おかしいな。ないな」
「や、ややや、やっぱり……京矢の見間違い。ま、間違いない」
「いや……でも……ん?」
気づいた俺は、その場に膝を折る。
「ど、どどど、どうしたの?」
同じくしゃがんだ一華が、俺の背中に体を寄せつつも言う。
「ここ……妙なスペースがあいている」
「ど、どういうこと?」
「なにかが置いてあって、最近どけたような……」
カシャ……カシャ……。
「──!?」