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第187話 単なる睦言

 時刻は午前の二時半。最寄り駅の始発が五時過ぎなので、今からだとほんの数時間しか眠ることができないが……まあ寝ないよりはましだろう。

 俺たちは軽くリビングを片付けてから、眠い目をこすりつつも、ベッドのある二階へと、力ない足取りで向かう。


「じゃあ俺は、ベッドが一つの、上田さんの部屋を借りるから」


 階段を上り終えて、突き当たりで立ち止まると、俺は昨夜と同じ左側の部屋を指さしながらも言う。


「女性陣は右側の部屋でお願い」

「なにを言っている」


 上田さんが、にんまりと笑みを浮かべてから、一華の背中を押す。


「ふえ?」

「まさか忘れたのではあるまいな」

「忘れた?」

「『異性の誰かと、朝まで二人で添い寝』。夏木京矢、貴様に科せられた罰ゲームだ」


 ──はうわ! すっかり忘れてた!

 そういえばあったよな……そんなご褒美が!


「そ、そそそ……添い寝。きょ、きょうやと……添い寝……」


 ぼふんと、顔を赤くした一華が、手を両頬に当てる。


「でもでも……同じベッドは……その……あの……やっぱり……」

「なんだ? 昨夜は同じベッドで寝ていたではないか。しかもお互い下着姿で」

「い、言わないで!」


 目をばってんにした一華が、腕を突き出すようにして、上田さんの口を両手で塞ぐ。


「あれは事故! 寝ぼけてて、私が入るベッドを間違えただけ!」

「はっはっは。まあ頑張りたまえ」


 識さんの肩に腕を回すと、まるで英国貴族の紳士のように、右側の部屋へと誘う。


「なに。夏木京矢と小笠原一華は、少なくとも夜が明けるまでは恋人同士なのだ。憚ることもなかろうて。布団……汚してもらっても構わんぞ。ではよい夜を」


 上田さんと識さんが、ドアの向こうに消える。

 俺と一華は、暗い廊下に、二人残される。


 というか布団を汚すって……一体なにで汚すんですかねえ。ヨダレですかね。そうですよね。最悪寝汗と言ってくださいお願いします。

 とはいえ、いつまでもここに立ち尽くしているわけにもいかない。寝ると決まれば、今はすぐにでも寝るべきだ。時間は刻一刻と、流れていっているのだから。


 俺は、先ほどから俺に対して背中を向ける、肩をすくめた一華へと、声をかける。


「一華」

「はっ、はひぃっ!」


 体をびくりとさせてから、ゆっくりと、ゆっくりとゆっくりと、肩越しに俺へと視線を送る。


「な……なに?」

「なにって、早く寝ようぜ」

「寝るって……その……あの……どういう意味?」

「どういう意味って、お前……」

「はっ」


 気づいたように目を見開くと、大きく首を横に振る。


「ち、違う! そういう意味じゃなくって! ……うう……」

「分かった分かった。俺は床で寝るから、一華はベッドを……」

「だ、だめ……」


 俺の手を取ると、一華はもう片方の手を胸に当てて、うるうるした目を足元に落とす。


「こ、これは罰ゲーム。私と京矢……朝まで添い寝」

「お、おう」

「それに」

「それに?」

「添い寝しなかったら、多分バレる。しおん……そういう人」

「た、確かに」


 それは怖いな。


「じゃあとりあえず、一晩よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ。……不束者ですが」


 上田さんの部屋は、昨夜と特に変わっていなかった。木肌が前面に押し出された異国風の内装に、壁にかけられた女子の制服、窓際に置かれた勉強机。ベッドはクローゼットの前に、壁からはわずかに離れた位置に置かれており、布団は今朝の、若干乱れたままの状態にされている。


「よ、よし。寝るか」

「ちょっと待って」


 俺の服の袖を、指先でちょんとつまむ。


「私……制服。このままじゃ……」

「シャツの替えはあるだろ? そのまま寝ても大丈夫じゃないか?」

「上はいいけど、下は……」

「ああ……」


 シワになっちゃうよな。しかもスカートで布団に入ると、めっちゃめくれ上がるし。


「じゃあ脱げば?」

「ぬっ!?」


 両手でスカートを押さえた一華が、その後にぽかぽかと叩いてくる。


「ばか! 京矢の変態! えっち! えっちえっち!」


 痛い痛い。もうっ、やめろってえ~しゃるろって~。


「でもスカートのまま布団に入っても、どうせめくれ上がっちゃうだろ? だったら一緒じゃん」

「そ、そうだけど……」

「それに暗いし、布団の中に入っちゃえば、どうせ見えないし」

「ま、まあ……」

「決まりだな。じゃあ俺は先に布団に入って目を閉じてるから、スカート脱いだら一華も入ってこいよ」

「わ……分かった」


 布団に入ると、俺は枕の右端に頭をのせて、目を閉じる。

 目を閉じると、他の感覚が研ぎ澄まされるのか、周りの音が、妙に聞こえてくるような気がする。

 一華の息遣いの音。一華の衣擦れの音。一華がそこにいる……音。

 スカートを脱いだのか、ぱさっという、床に布が落ちるような音が聞こえる。それから掛け布団が持ち上げられて、ベッドが揺れて、ようやく一華が入ってくる。


「きょ……京矢」


 静寂の中で、かわいらしい一華の、か細い声が響き渡る。


「お、おう。なんだ?」

「枕……使ってもいい? 私も」

「おう。いいぞ」


 ふさっと、一華が枕の左端に頭をのせる。

 枕が小さかったものだから、俺の後頭部に一華の後頭部が、俺の背中に一華の背中が、わずかだが優しく触れる。


 な、なんか……あったけえ……。

 しかも女の子特有の、なんとも名状し難い、男子にとっては甘美ともいえる、そんな匂いがするような気もする。


 しばらくは、不自然で緊張感のある、静止と静寂の時間が続く。

 部屋の中はもちろんのこと、外からも、今やなにも聞こえてこない。真夏といえども夜の闇は深くて、まるで世界が消滅してしまったかのような感覚にとらわれる。

 ほどなくして一華が、弱々しい声で話しかけてくる。


「きょ、京矢。……起きてる?」

「おう。起きてるぞ」

「うう……」

「どうした?」


 上体をひねって、一華へと顔を向けると、同じように顔を向けた一華と、至近距離で目が合う。

 とっさに顔を逸らす俺と一華。

 どういう表情をしているのかまでは分からないが、一華は恥ずかしそうに「うう……」と漏らしている。


「ええと……どうした?」


 言い直す。場を取り繕うというか、気まずさを紛らわすというか、そういう意味合いを含めて。


「あの……その……」

「おう」


 言いつつも、一華が体を転がして俺の方を向く。

 俺も一華と同じようにするのが礼儀だと思ったので、体を転がして、一華の方を向く。

 よく見ると一華は、制服のリボンを取っており、上のボタンを二つ、開けていた。開いたシャツの下には、白くてきめ細やかな一華の肌が見える。寝相の具合いなのか、片方の鎖骨が、慎ましやかに露わになっている。


「うう……」


 掛け布団をつかむと、持ち上げて、恥ずかしそうに口を隠す。


「なんだ? なんでも言ってくれ」


 顔にかかった髪を払ってやると、俺は彼氏っぽく頭を撫でる。

 一華はというと、撫でられるごとに、小動物みたいに、気持ちよさそうに目を細める。


「京矢……手……つないでいい?」

「手? いいけど……どうして?」

「こ……怖いから」

「怖い?」

「さっきの映画……思い出しちゃって……」


 ああ、そういうことか。


「いいよ。じゃあつなごっか」

「う……うん」


 潤んだ目を、俺へと向ける。


「や……やった」


 ああああーかわいいー女の子かわいいーやっべー抱きしめたくなってきた。ぎゅっと抱きしめたくなってきた!


 いかんいかんと心の中で首を横に振り、俺は布団の中で、片方の手を一華の方へと伸ばす。

 しかし暗いのもあってか、つなぐ一華の手がどこにあるのか見つけられない。


 下か? 上か? 真ん中か?


 そうこうしているうちにも俺の手は、一華の柔らかいあの部分に、意図せずに当たってしまう。


「ひゃっ」

「あ、わるい」

「さ……触った。京矢……触った」

「わざとじゃないんだ。怒るなよ」

「お、怒ってない。怒ってない……」


 気まずいが、別段居心地が悪いというわけではない、微妙な間。

 そんな沈黙を打ち破るように、一華が布団から手を出して、囁くようにして言う。


「手……早く」

「お、おう。そうだな」


 俺も布団から手を出すと、ハイタッチをするようにして合わせて、自然と恋人つなぎをする。


 あれ? 一華と恋人つなぎって、もしかして初めてじゃないか?

 やっべー。なんかすげえ新鮮な感じがする。つかよく分からんけどドキドキしてきた。


「うう……」


 目を閉じた一華が、声を漏らす。

 手は必要以上に強く握られており、同時にじわりと汗がにじむ。


「一華」


 なんとなく俺は、今なんじゃないかと思ったので、今日の……いや今までの、感謝を述べることにする。


「ありがとな」

「ふえ?」


 目を閉じると、俺はもう片方の手を腰の辺りに回して、額を一華の額に当てる。


「ここ数日、くるみ捜しを手伝ってくれて。それから、小学校の時にあんなことがあったにもかかわらず、ずっと一緒にいてくれて」

「きょ、京矢……違う」

「違う?」

「ずっと一緒にいてくれたのは、京矢」


 それが違うんだ。今はうまく言葉では説明できないけど、結果的に一緒にいてくれたのは、一華……お前なんだ。


「だからお礼を言うの私。私がお礼を言う」


 一華は布団の中でもう一方の俺の手を取ると、顔の前へと持ってゆき、同様に恋人つなぎにする。


「ありがとう……京矢。ずっと一緒にいてくれて。これからもずっと一緒……」


 かーっと体温を上げてから、すぐに言い直す。


「こ、これからもずっと、京矢は私の面倒を見る。京矢はずっと、私のもの」

「だから」


 額を離して一華の目を見ると、俺はもう一度、今度は軽く打ち付けるようにして額を合わせてから、言う。


「俺は物じゃねえっつの」

「ふふっ」


 くすりと笑うと、一華は安心したように、すうっと眠りに落ちてゆく。

 俺もこのまま眠ってしまおう。今は全てを忘れて、この温かな幸せの中で、ただただひたすらに、眠ってしまおう。

 そう思った刹那、遠く、しかしながら家の中から、かすかに物音がした。



 カシャ……。

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